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『静かな場所』(吉増剛造) [読書(随筆)]

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 電車が橋上にとまっている。冬の川原に、数千、数万の新聞紙がかぜに吹かれて、橋の下に集っていた。石浜といい、午浜といい、いまもときおり、矢尻がみつかる。石のあいだに、黒髪も残る。ときおり、それらを洗い流そうと、大水が通るが、川原が流れたことはない。いつの日か判らない。鉄橋がつくられ、電車が、冬の日、電車が橋上にとまっている。
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単行本p.131

 文章に宿っている、見えないもの。この世ならぬ気配を漂わせた、鬼気せまる詩集。単行本(書肆山田)出版は1981年4月です。


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 この世の「声の溜り」あるいは「声の溜る場所」は何処なのだろう。また変なことを考えはじめています。家の中だとやはり台所。あるいは上框、玄関入口のあたり。誰か立っていて朝夕、合掌して叩く小さな鉦の置かれている所。そこにも「声の溜り」があります(あるいはトイレかな)。ロス(アンゼルス)か、デトロイトに長距離電話をかけるとき、そこには異種の言語がまじってきて、やがてしばらくすると、私も異種、異種族だと怖いようにして思うことがあります。
(これは私の個人的な体験かな)
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単行本p.122


 怖い詩集です。いや紀行文を中心とした随筆集、エッセイ集かも知れませんが、とにかく異界感が強烈。ごく日常的なことがごく普通の言葉で書かれているように思えるのに、こ、これは、やばい、という感覚が背筋を走ります。

 
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 その女人の面を、白塗りの壁上に掛けて、しばらく(そう二カ月位かな)たつうちに、枯木のある部屋の片隅は、バーゲンで(Kマートという所で)たったの5ドルで買った電気スタンドのひかりをうけて、壁面に微妙なかげをつくりはじめ、その女人の面が壁からはずせなくなってきたのです。
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単行本p.76


 一見してごく普通の紀行文に見えても、なーんか尋常ならぬ気配に満ちていて、いったいどこに旅行しているのか、この世のどこかか、本当なのか、という不安にかられます。


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 晴れていて(という様な記憶……)、サイモン・ロディア老人のたてた塔を眺めて(どういう具合に記憶に残るのか……と考えてでもいたのか)、立ち去りがたくしていると、近所の人らしい、中年すぎの大きな黒人が近づいてきて、黙って刷り物を二枚手渡した。黙って(たしかに無言だったと記憶する)、あまり人気のないようにみえるこのあたりの空気が無言だったと記憶させたのかも知れない。いや、やはり無言。それはワッツ・タワーとサイモン・ロディアについて書かれたパンフレットだった。人気がないようにみえて、どこかで誰かが眺めている。晴れた日の、少々土ぼこりの匂いのするような、線路ぎわの一軒から、中年すぎの一人の黒人が近づいてきて、黙って去って行った。
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単行本p.62


 アウトサイダー・アートとしても名高い、ロサンゼルスのワッツ・タワーを訪れたときの体験。しかしこの、記憶を巡る、繰り返しが生み出すこの怖さときたら、いったい何ですか。やめてください、びびりますよ。

 文章に添えられているモノクロ写真がまた、とてつもなく不安感をそそるというか、別にどうということのない風景や人形(ひー)が写っているだけなのに、なまじっかな心霊写真よりよほど怖くて、なるべく目に入らないように急いでページをめくってしまいます。

 というわけで、タイトル通り、静かな場所を、静かな筆致で描いて、静かなまま(おそらく背後から)鬼気せまるような一冊です。正直、なぜか判らないまま、こう、すくみ上がりました。


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