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『ワセダ三畳青春記』(高野秀行) [読書(随筆)]

 「私は1989年から2000年まで、この古アパート「野々村荘」で暮らした。うち8年間が三畳間で、終盤で四畳半へ移った。年齢でいえば、22歳から33歳にかけてである。(中略)大家は浮世離れしており、住人は常軌を逸した人ばかりで、また私の部屋に出入りする人間も奇人変人の類がマジョリティを形成していた。これはその約11年間の物語である」(Kindle版No.40、45)

 ワセダ界隈にある古アパート三畳間。奇人変人の巣窟における奇想天外な生活を辺境作家が語りたおす青春記。その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。文庫版(集英社)出版は2003年10月、Kindle版配信は2014年4月です。

 「掲載誌が送られてきた。巻頭のモノクロ・グラビア四ページを使ったなかなか大きな企画だ。(中略)成田が眠そうに布団から顔を出し、「寝過ぎて疲れて、また眠るという『永久睡眠法』を実践しています」というコメント付きの写真、さらに三味線を演奏する私の横でキタがタロットカードを拡げたツーショットなとがびっくりするほど大きく掲載されていた」(Kindle版No.1835)

 「当時、成田は中江とともに「日本惰眠党」という団体を結成し、成田惰眠と名乗っていた。中江の部屋にわざわざ大きな木の板に毛筆で党名を記した看板を掲げ、「惰眠の声」なる機関誌まで発行するという熱の入れようだった。「永久睡眠法」はしたがって、党の公式活動なのであった」(Kindle版No.1844)

 週刊誌に取り上げられるほどの珍空間。モラトリアムの楽園。未来の黒歴史。そこで自由気ままに生きていた自らの青春時代の惨状を、じゃなくて三畳を、面白おかしく書いた一冊です。登場人物たちがとにかく奇人変人揃いなのが凄い。

 「ふつうのケチは自分の金は惜しむが他人のおごりならいくらでも平気で受け取るものである。しかるに、この人は自分と他人の区別を越えて、すべてを惜しんでいるのだ。あらゆるものにケチなのだ」(Kindle版No.388)

 「自称「全共闘の元活動家」であり、警察が全国で行っている住民調査をも「法的根拠がない」「市民を抑圧する公安の陰謀」という理由で、アパートを勝手に代表して協力を拒否していた」(Kindle版No.1365)

 「さすが、キタが師匠と見こんだだけのことはある。騙しとたかりで暮らしている。しかも、弟子のキタよりもっと徹底している」(Kindle版No.1645)

 「乗っ取りの危険は外部の者だけではない。私が中国へ野人を探しに行っているとき、後輩Aもロシアのカフカス地方へ謎の野人アルマスを探しに行っていて長期に部屋を空けていたことがある。Aが帰国すると、部屋にはケンゾウさんが住んでいたそうだ」(Kindle版No.716)

 次から次へと変な人が登場して、本人は大真面目だがはたから見ると意味不明で、ときに抱腹絶倒の事件を引き起こします。

 著者がこのアパートに入居するきっかけとなった事件からしてそもそも。

 「早稲田大学探検部様  山形県と宮城県の県境にあるみみずく山にUFOの基地があります。(中略)探検部のみなさんにはぜひ現地を訪れ、調査してもらいたいと思います」(Kindle版No.65)

 何が何だかさっぱり分からない手紙に導かれ、UFO基地探しに出かけてゆく著者。結果的に、手紙の差し出し人と共にワセダ界隈にある安アパート「野々村荘」に入居することに。要約すると意味不明ですが、きちんと読んでも同じこと。宇宙人の仕業ではなく、たぶん青春という名のオカルト現象。

 ストリート三味線に挑戦したり、「ロウソクの炎が女子高生に見える」(Kindle版No.734)という話を聞いて自作ドラッグに挑戦したものの「ノイローゼになったチンパンジーの真似」を何時間も続けるはめになったり、河童団を名乗ってひたすら水泳にハマったり。著者の若さあふれすぎる行動の数々に驚かされます。

 奇行が容認される、というか放置される自由な空間。そこはますます秘境めいた場になってゆきます。

 「野々村荘お得意の「謎の現象」だ。だが、ここの現象は私のような凡人には想像しがたい謎を秘めている。「イワシ事件」や「米すり替え事件」がそのよい例だ」(Kindle版No.1901)

 「アパートの出入りはなしくずし的に自由になった。部屋は開けっ放しでその月ごとに誰か滞在している者が家賃を払うという画期的なシステムができあがったのだ」(Kindle版No.703)

 しかし、時は流れ、人は去り、ぐずぐず楽園に取り残された者たちには次第に焦燥感が生まれてきます。

 「「ここもいよいよ末期症状ですね」(中略)野々村荘の退化は住人の老化に由来する。個々の人間が制度疲労を起こしているのだ」(Kindle版No.2905)

 「行き詰まっているんだけど、何に行き詰まっているのかわからない」(Kindle版No.2177)

 「イシカワは、そこいらの会社員が持つような茶色い手提げかばんを見せた。「これは『真人間かばん』だ。おれは明日からこのカバンを持って、真人間になるんだ」」(Kindle版No.2455)

 「真人間スーツを買って、そろそろ真人間になりなよ。高野さんももう30歳でしょ?」(Kindle版No.2651)

 「みんな大人になったのだなとつくづく思う。一緒に変な薬草を試していた連中、一緒にコンゴくんだりまで行き怪獣探しをした連中、「河童団」などと称して一緒にプールで遊んでいた連中、ここ野々村荘で大家のおばちゃんや変な住人たちと一緒に珍騒動を繰り広げていた連中、彼らはみな、「子ども」を卒業し、社会の一員となった。(中略)みんなして砂場で遊んでいたのに、気づいたら日が暮れて、ひとり、公園に取り残されたのに気づいて愕然とする子どもである」(Kindle版No.2625)

 あまりにも居心地がよい場所から脱出できずに、ずるずると社会へ出る日を先のばしにする著者。かつての友人と再会すると、こんな風に言われたり。

 「あんな時代があったんだなって。今じゃ考えられないですもん。高野さんは今でもあの時代を生きてるんですね」「これからもその調子で頑張ってください」(Kindle版No.2154)

 そして、著者はついに野々村荘から出て行く決心をします。呆れたり、憧れたり、戸惑ったりしながらも、野々村荘とその住人たちの馬鹿騒ぎをここまで見守ってきた読者も、ちょっとしんみり。涙腺も弛んだり。

 「ここを離れるというのが今でも信じがたい。おばちゃん、探検部の連中、そして奇態な住人たちが引き起こした珍事件、珍騒動の数々が思い浮かんだ。あの長くて濃密な時間がたしかにここにあった。「お世話になりました」私はアパートに向かって深々と頭をさげた。(中略)さらばワセダ、さらば野々村荘」(Kindle版No.3244)

 こうして青春が終わり、大人になって社会に出て行く著者。33歳だけど。馬鹿げた冒険、愚行の数々、懲りない生き様、そのすべてを思い出の中にそっとしまい込んで、もう二度と……、などと感傷的になりかけてから、「その後」に著者がしでかしては書いてきたことの数々を、はっと思い出して、脱力。

 というわけで、かなり型破りではありますが、魅力的な青春記です。森見登美彦さんのクサレ大学生小説や、高橋留美子さんの『めぞん一刻』など、そういった作品が好きな方にお勧め。


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『蚊がいる』(穂村弘) [読書(随筆)]

 「結果としてこの内気さは致命的だ。いや、現実世界のなかでは、内気だけが致命的なんじゃないか。(中略)伝わらない心を抱えて世界の周囲をくるくる回るだけ。そう気づいていながら、どうすることもできない。時間だけがどんどん過ぎる。だからこそ内気なのだ」(Kindle版No.254、272)

 他の人がたやすくやっているように見えることがどうしても自分には出来ない。なぜ出来ないのかを説明することすら出来ない。自分の内気さ、引っ込み思案を強くアピールするエッセイ集の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(メディアファクトリー)出版は2013年9月、Kindle版配信は2014年5月です。

 「「最高の今」を捉えたい。そう願う気持ちの強さが、逆に「今」を生きることから私を遠ざける。「今」のハードルを上げて、全ての行動を保留にしてしまうのだ」(Kindle版No.841)

 いつもの通り、歌人の穂村弘さんが自分の内気さ、引っ込み思案っぷりについて、雄弁に語ります。共感のあまり感激するか、うぜーっと思うか、それは読者次第。ただ、エッセイ集を何冊も読むと、最初は前者のように感じていた読者も次第に後者に近づいてゆく、という傾向はありそうです。

 「現実世界に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなルールがみえない。何のための穴なのかよくわからないままに、どこまでも掘ってしまう。だが、わかっていないということは熱心さではカバーできないのだ」(Kindle版No.349)

 「自分なりの考えや一貫性があれば、たとえ結果に問題があっても流れを説明することはできる。だが、私は曖昧な気持ちのまま曖昧に行動して曖昧に間違えてしまうのだ」(Kindle版No.337)

 「現実を曖昧にそのままにしておきたい。決断と実行を引き受けたくない。全てはそんな心の表れなのだ。だが、その結果、(中略)もっと悪い現実を引き寄せることになる。しかも、何故そんなことになったのか、理由をひとにうまく説明することができない」(Kindle版No.764)

 世界と自分の折り合いの悪さを、愚痴とも、嘆息とも、省察とも、こんなに繊細で傷つきやすいボクなので誰もが大切にして受容して理解して愛して甘えさせてほしいアピールともつかない、そんなエッセイが並んでいます。

 内気で引っ込み思案がひどくて何とかしようとしてドツボにはまってゆくあの、他人に説明しにくい心理が詳しく書かれていて、共感度はかなり高め。というか共感しない人はそもそも本書を読まないと思う。

 「私は確信犯に憧れる。例えば、密輸をするひと。罪を犯すと決めて、作戦を練って、ここに隠せばみつからないと確信して、自らの運命を賭けて飛行機のゲートを潜る。凄いなあ。どうしてそんなことができるんだろう。そういうひとなら、今日は半袖、背もたれはこの角度って、ぴぴっとくるんだろうな」(Kindle版No.1005)

 「映画監督って凄い、と思う。目の前の役者の演技がよかったら、「カット、OK」などと云うらしい。どうして、その場で「OK」が確信できるのか」(Kindle版No.1833)

 長袖と半袖のどちらを着てゆくべきかわからない、リクライニングシートの背もたれのちょうどいい角度がわからない、といった誰にでも覚えがある迷いから、いきなり映画監督や密輸犯といった極端な例えに跳んだりして妙に可笑しい。ところで「確信犯」という言葉の使い方はこれでいいんだっけ。

 「会社での私は全然使い物にならなかった。給料泥棒だ。仕事の能力以前にストレスに対する耐久力が極端に弱い。叱られると、反射的に口許がへらへらして目には涙が滲んだ。どうしようもない。反省して次から直すということもできない。何度でも同じミスを繰り返す。理由を訊かれても答えられない。あうあうあ。駄目だ」(Kindle版No.1982)

 「いつだったか、ぶつかった相手に対して思い切って先に「ごめん」を云ったら、「ちっ」と舌打ちされた。かっとなって、今云ったばかりの「ごめん」を激しく後悔。云わなきゃよかった。損した。そして憎む。こいつ、死ねばいい。死ね。死ね。「押したらこいつの心臓が止まるボタン」が手のなかにあったら即押す」(Kindle版No.385)

 こんな感じで、小心者の魂がぶるぶる震えるようなエピソードがどんどん登場します。

 二十年以上会っていなかった旧友に再会したとき、相手の記憶のなかで自分が「カニミソの人」だったと知った衝撃。

 咄嗟に投げられたものをうまくキャッチできない問題。

 自分が「世界に革命を起こす」と確信した素晴らしい商品(具体的には、手を汚さずに食べられる納豆、フロントホックのブラ)がすぐに消えてしまったことへの困惑。

 夢のなかで実際とは全く異なる「設定」の人生を送っているときにそのまま死んだら、それまで生きてきた時間の意味はどうなってしまうのか。

 というわけで、内気で小心で気弱でぐじぐじ迷いがちな読者から絶大なる共感を呼ぶエッセイ集。巻末には又吉直樹さんとの特別対談が付いています。


タグ:穂村弘
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『プラスマイナス 145号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス145号 目次]

巻頭詩 『「サンフランシスコにはもう行かないだろう」』(深雪)、イラスト(D.Zon)
短歌 『春の骨、四、五本の』(島野律子)
随筆 『一坪菜園生活 30』(山崎純)
詩 『言い訳』(多亜若)
詩 『このまま春になればいいのに』(琴似景)
詩 『声もない空が、四っつ、五つ』(島野律子)
詩 『YAKUSAI』(深雪)
詩 『太陽の塔』(琴似景)
詩 深雪とコラボ 『おかあさん』(深雪のつぶやき(+やましたみか 編集))
イラストエッセイ 『脇道の裏の話』(D.Zon)
随筆 『四、五の花』(島野律子)
随筆 『香港映画は面白いぞ 145』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 84』(D.Zon)
編集後記
 「ふるさとを語る」 その4 多亜若


 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/


タグ:同人誌
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『NHKバレエの饗宴2014』(中村恩恵、吉田都) [ダンス]

 2014年4月20日にNHK ETVにて『NHKバレエの饗宴2014』が放映されました。2014年3月29日にNHKホールで収録された舞台映像です。

『スコッチ・シンフォニー』

 スターダンサーズ・バレエ団のメンバー達がスコットランドの民族衣裳風コスチュームを着て踊る、華やかな群舞。開幕にふさわしい、楽しく晴れやかなバランシン作品です。群舞に比べてパ・ド・ドゥはいまひとつかなーと感じましたが、佐藤万里絵さんの軽快なソロは素敵でした。バランシンの作品は古びないところが凄いと思う。

『3月のトリオ』

 ユニット〈アルトノイ〉による初演作品。チェロ独奏に合わせて、島地保武さんと酒井はなさんがそれぞれに踊り、互いに呼応してゆく。その個々の動きのキレには感心させられました。ただ、作品としてはやや大味で、構成から強い説得力が感じられないのが残念。

『Tha Well-Tempered』

 中村恩恵さんの振付作品。首藤康之さんとの初共演作品でもあるそうです。ぎりぎりの緊張感のなか、驚くほど細かく、高密度な、情報量の多い動きが途切れることなく続く驚異的ダンス。二人の補完関係も素晴らしく、最初から最後までほとんど息もつけないで見入ってしまいます。

『ドン・キホーテ 第1幕』

 貞松・浜田バレエ団によるドンキ。全体的に派手で勢いがあって、観ていて気持ちいい。瀬島五月さんが踊るキトリは明るく楽しげな雰囲気で、とても好感が持てます。やたらと色彩に凝った衣装も鮮やかでカッコいい。特に、紫の使い方が素敵だと思いました。

『ラ・シルフィードからパ・ド・ドゥ』

 吉田都さんと、シュツットガルト・バレエ団のプリンシパル、フィリップ・バランキエヴィッチさんの初共演。夢のような時間。ふわふわ宙を舞い、美しいポーズをぴたりっと決めてみせる吉田都さん。その、強靱な技術に裏打ちされた、はかなげな浮遊感が素晴らしい。

『ベートーベン 交響曲第7番』

 第七交響曲をそのままダンス化したようなウヴェ・ショルツ振付作品を、東京シティ・バレエ団のメンバー達が渾身の体力を振り絞って踊り抜く圧巻の舞台。

 リズミカルな音楽に乗せて流れるように、激しく動き回るダンサーたち。情け容赦ない曲のスピード、40分間ノンストップ。体力的にキツそうなのに、とにかくどの場面もエネルギー全開、パワーあふれるダンスで爆発的な爽快感がありました。ダンス鑑賞というより、スポーツ観戦に近い感覚。たすきというかシートベルトというかスタートレックというか、純白にすっと一筋入れた衣装のセンスも素晴らしい。


[演目]

『スコッチ・シンフォニー』(振付:ジョージ・バランシン)
  林ゆりえ、吉瀬智弘、佐藤万里絵
  スターダンサーズ・バレエ団

『3月のトリオ』(ユニット〈アルトノイ〉)
  島地保武、酒井はな

『Tha Well-Tempered』(振付:中村恩恵)
  首藤康之、中村恩恵

『ドン・キホーテ 第1幕』(再振付:N.フョードロフ、新演出:貞松正一郎)
  キトリ:瀬島五月、バジル:アンドリュー・エルフィンストン
  貞松・浜田バレエ団

『ラ・シルフィードからパ・ド・ドゥ』(振付:オーギュスト・ブルノンヴィル)
  吉田都、フィリップ・バランキエヴィッチ

『ベートーベン 交響曲第7番』(振付:ウヴェ・ショルツ)
  佐合萌香、志賀育恵、キム・セジョン、玉浦誠、内村和真
  東京シティ・バレエ団


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『リメディア いま、ここで』(構成・演出:カミーユ・ボワテル) [ダンス]

 2014年5月4日は、夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行って、フランスの国際マイムフェスティバルで最優秀賞を受賞したという『リメディア』を鑑賞しました。演劇ともサーカス(ヌーヴォーシルク)ともパフォーミングアートともつかない、奇妙なドタバタとコントが続く70分の舞台です。

 舞台上には、ガラクタを積み上げて作った塔を始めとして、私たちの身の回りにある様々な家具や備品がいっけん乱雑に配置されています。やがて、いかにも「貧しい労働者」風の出演者が登場し、帰宅して狭い部屋に入って、さて一息ついて着替えようと……するのですが、何しろ壁は倒れ、テーブルは傾き、照明は落下し、身動きする度に周囲のあらゆるものが崩れてゆきます。

 あまりのドタバタに大笑いですが、さらに崩壊はスケールアップ。今や舞台上のあらゆるものが次々と壊れ、崩壊し、崩落し、頭上からはいきなりペットボトルの山が振ってくる、積み上げてある段ボールの山は崩れてくる。その中を逃げまどう何人かの出演者たち。

 踏めば壊れる、寄れば倒れる、触れば弾け飛ぶ、じっとしていると上から振ってくる、というシチュエーションが続き、息をつく間もありません。

 この次から次へと予想外のハプニングが起こり続ける冒頭20分間ほどのシーケンスが素晴らしく、どういうタイミングで何が起きるか知ってからもう一回観たい、と思わせる綿密さ。

 一段落した後はゆっくりとしたペースとなり、黒幕が舞台上を滑るように移動するたびに出演者が出現したり消滅したり入れ替わったり、細かい繰り返しギャグ(家具の扉を開けると中にいつも同じ人が入っていて、叫びながら逃げてゆく等)、コメディカルなマイム(重力に逆らって昇ってゆこうとする両足を必死でおさえる等)、スラップスティックギャグ(金たらいでばんばん殴る)など、ネタを小出しにしながら、笑いと、そして微妙な不安感を盛り上げてゆきます。

 後半の見どころは、舞台上の様々なものが重力を無視して「右傾化」する場面。周囲の何もかもが傾いているため、出演者も身体を大きく傾けたまま舞台上あちこち歩き回るのですが、それを支える他の出演者(黒子という設定)の涙ぐましい努力が笑いを誘います。

 ぴったり息のあった引き継ぎ(それまで背後から腰を支えていた担当者から、前からロープで引っ張って支える担当者にバトンタッチする等)のタイミングが次々と連続してゆく様を観ていると、妙な感動が込み上げてきます。

 考えようによっては、「連鎖的に破綻してゆく貧しい労働者の生活」「地に足つかない知識人階級」「さらに右傾化してゆく世相」といった新聞の見出しみたいな内容をフィジカルに皮肉ってみせた作品かも知れません。

 でも、観ている間はそんな小賢しいことは思い浮かばず、次々と起きるハプニング演出、厳格に進行するマイムの妙、視覚的な不思議さ(例えば、舞台上のあらゆるものが傾いている光景を観ていると観客の平衡感覚もおかしくなってきます)などが印象的な、可笑しくて、楽しくて、でもちょっと不安で不気味なところもあり、結局のところ、その昔「ドリフのコント」に馴染んだことがあるか否かが問われる、そういう公演でした。

[キャスト]

カミーユ・ボワテル、 アルド・トマ、 パスカル・ル・コー、トマ・ド・ブロワシア、マリオン・ルフェーヴル、ミッシェル・フィリス


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