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『蚊がいる』(穂村弘) [読書(随筆)]

 「結果としてこの内気さは致命的だ。いや、現実世界のなかでは、内気だけが致命的なんじゃないか。(中略)伝わらない心を抱えて世界の周囲をくるくる回るだけ。そう気づいていながら、どうすることもできない。時間だけがどんどん過ぎる。だからこそ内気なのだ」(Kindle版No.254、272)

 他の人がたやすくやっているように見えることがどうしても自分には出来ない。なぜ出来ないのかを説明することすら出来ない。自分の内気さ、引っ込み思案を強くアピールするエッセイ集の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(メディアファクトリー)出版は2013年9月、Kindle版配信は2014年5月です。

 「「最高の今」を捉えたい。そう願う気持ちの強さが、逆に「今」を生きることから私を遠ざける。「今」のハードルを上げて、全ての行動を保留にしてしまうのだ」(Kindle版No.841)

 いつもの通り、歌人の穂村弘さんが自分の内気さ、引っ込み思案っぷりについて、雄弁に語ります。共感のあまり感激するか、うぜーっと思うか、それは読者次第。ただ、エッセイ集を何冊も読むと、最初は前者のように感じていた読者も次第に後者に近づいてゆく、という傾向はありそうです。

 「現実世界に張り巡らされた蜘蛛の巣のようなルールがみえない。何のための穴なのかよくわからないままに、どこまでも掘ってしまう。だが、わかっていないということは熱心さではカバーできないのだ」(Kindle版No.349)

 「自分なりの考えや一貫性があれば、たとえ結果に問題があっても流れを説明することはできる。だが、私は曖昧な気持ちのまま曖昧に行動して曖昧に間違えてしまうのだ」(Kindle版No.337)

 「現実を曖昧にそのままにしておきたい。決断と実行を引き受けたくない。全てはそんな心の表れなのだ。だが、その結果、(中略)もっと悪い現実を引き寄せることになる。しかも、何故そんなことになったのか、理由をひとにうまく説明することができない」(Kindle版No.764)

 世界と自分の折り合いの悪さを、愚痴とも、嘆息とも、省察とも、こんなに繊細で傷つきやすいボクなので誰もが大切にして受容して理解して愛して甘えさせてほしいアピールともつかない、そんなエッセイが並んでいます。

 内気で引っ込み思案がひどくて何とかしようとしてドツボにはまってゆくあの、他人に説明しにくい心理が詳しく書かれていて、共感度はかなり高め。というか共感しない人はそもそも本書を読まないと思う。

 「私は確信犯に憧れる。例えば、密輸をするひと。罪を犯すと決めて、作戦を練って、ここに隠せばみつからないと確信して、自らの運命を賭けて飛行機のゲートを潜る。凄いなあ。どうしてそんなことができるんだろう。そういうひとなら、今日は半袖、背もたれはこの角度って、ぴぴっとくるんだろうな」(Kindle版No.1005)

 「映画監督って凄い、と思う。目の前の役者の演技がよかったら、「カット、OK」などと云うらしい。どうして、その場で「OK」が確信できるのか」(Kindle版No.1833)

 長袖と半袖のどちらを着てゆくべきかわからない、リクライニングシートの背もたれのちょうどいい角度がわからない、といった誰にでも覚えがある迷いから、いきなり映画監督や密輸犯といった極端な例えに跳んだりして妙に可笑しい。ところで「確信犯」という言葉の使い方はこれでいいんだっけ。

 「会社での私は全然使い物にならなかった。給料泥棒だ。仕事の能力以前にストレスに対する耐久力が極端に弱い。叱られると、反射的に口許がへらへらして目には涙が滲んだ。どうしようもない。反省して次から直すということもできない。何度でも同じミスを繰り返す。理由を訊かれても答えられない。あうあうあ。駄目だ」(Kindle版No.1982)

 「いつだったか、ぶつかった相手に対して思い切って先に「ごめん」を云ったら、「ちっ」と舌打ちされた。かっとなって、今云ったばかりの「ごめん」を激しく後悔。云わなきゃよかった。損した。そして憎む。こいつ、死ねばいい。死ね。死ね。「押したらこいつの心臓が止まるボタン」が手のなかにあったら即押す」(Kindle版No.385)

 こんな感じで、小心者の魂がぶるぶる震えるようなエピソードがどんどん登場します。

 二十年以上会っていなかった旧友に再会したとき、相手の記憶のなかで自分が「カニミソの人」だったと知った衝撃。

 咄嗟に投げられたものをうまくキャッチできない問題。

 自分が「世界に革命を起こす」と確信した素晴らしい商品(具体的には、手を汚さずに食べられる納豆、フロントホックのブラ)がすぐに消えてしまったことへの困惑。

 夢のなかで実際とは全く異なる「設定」の人生を送っているときにそのまま死んだら、それまで生きてきた時間の意味はどうなってしまうのか。

 というわけで、内気で小心で気弱でぐじぐじ迷いがちな読者から絶大なる共感を呼ぶエッセイ集。巻末には又吉直樹さんとの特別対談が付いています。


タグ:穂村弘
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