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『御命授天纏佐左目谷行』(日和聡子) [読書(小説・詩)]

 「夜見闇君はうつくしい黒色のすぐれた毛並みをもちたる御大尽であり、賢き上に聡く心広やかで、懐誠に深く、情厚く、透徹した鋭き眼の奥底から艶やかで眩しき稲光、雷光のごとき光線絶えず発し、以て、言葉というもの交わさずとも、何を宣うておらるるのかさだかには知れぬが、その、みようみよう、みやう、など常日頃より脳天または耳裏のあたりよりか洩らし給う声音や、折折につけ、こちやあちなど其処此処をきらりッと見据えて放ち給う眼光線のありようによって、内なる思い、感情、考察、等等の子細をたちまちのうちにすらりと告げ果すこと能う御仁であるのであった」(Kindle版No.11)

 猫からお使いを頼まれた男、数奇なクエストの果てにどこに辿り着くのか着かぬのか。とてつもない文章のワザで読者を翻弄してやまない痛快純文学道行、その電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は2014年3月、Kindle版配信は2014年4月です。

 まず登場するのは、語り手をつとめる怪しい男。いや、そう言い切るのは可哀相ですが、しかし、そうでないとも言い切れない。

 「怪しい者ではないと自分では思っておりますが、どこか怪しいところも含んでいないとも限らない者でございます。そういった部分が知らずうちに自ら滲み出しており、ご不快な思いをさせてしまっておりご迷惑をおかけしていることかとは存じますが、(中略)どうかご容赦ねがいます。気持ちの上では、けっして怪しい者ではないつもりです。非の打ちどころならあり過ぎて、一体どこから最初に打ちはじめたらよいのかわかりかね、いまだにその順番を決めかねているような体たらくの不束者ではございます」(Kindle版No.423)

 その怪しい男が行き倒れかけているところを「御自ら歩み寄り給い、ちょいちょいッ、と両手を交互に差し伸ばして」(Kindle版No.41)拾ったのは、おそれおおくも猫の夜見闇君。

 その日から男は、夜見闇君のお屋敷にて、食っちゃ寝、食っちゃ寝、ときに架空の恋人たる志摩志摩茶目蘭園子(何という素晴らしき名前!)に宛てて恋文など書いては反故にし書いては反故にするなど、充実した日々を送ることに。

 「まったくほんとにいかにかはせむ、いかにかし得るらむ、せざらむ、などと、考えても考えても下手の考え休むに似たり、といったありさまで、しかしもっと正確に言うならば、すなわち休むそのものと寸分違わず同じにして同一、いやむしろそれをも凌いでそれ以上、とさえ言える状況なれば、うむうむ唸ってまた夜ご飯、ということになり、したらばまたそれはそれでありがたく戴いてしまって、満腹の後には毎度かならずきたる睡魔というものにまんまと呑まれ、してやられて、ほいで夜毎、こてん、と寝入る、ということと相成ってしまうということのほとんど繰り返しの、ほんにありがたい日日を送らせていただいております」(Kindle版No.92)

 「何処よりかきたる睡魔、すうと目元にしのび入りて差し込み、眼つぶらせたるに抗うこと能わずして、我、きゅうとにわかにねぶり入りたり。しかしこれはほんのひととき、至りてしばしのことなれば、すぐにまたこの眼見ひらく。ぴかり。ぴッきゃり。ぱちぱち。と瞬きし、うむむむ、やあ、へへ、ねぶり入りたる、入りたるなあ、しばしねぶりに、やや」(Kindle版No.68)

 このようにして「やれ、ありがたや。ほれ、めでたきかな。ソレ、ソ、ソレ。わあい、わあい。あれ、アレ、うれし、たのしや」(Kindle版No.246)と暮らしていた男ですが、あるとき夜見闇君からお使いを頼まれて……。

 というか引用箇所を書き写すのがしんどくなってきた上、まだこれはとば口のはじめのビギニング、ロードムービーでいえば旅に出る前の導入部に過ぎないのであって、さらにはこの小説のストーリーを紹介することの無意味さにたった今打ちのめされたこともあり、もうずんずん端折ってしまいます。

 「御誕生の御目出度き晩の未明のずっころばしの、ずい!」(Kindle版No.394)

 「手を大きく動かして、目の前のゆげゆげを追い払おうと試みると、思いのほか結構逃げる。しかしそれはほんの一瞬。またすぐにむぅっと戻ってくるので腹立たしい。ささささッ! と負けじと追い払う。ゆげゆげは、ほやぁーっと逃げて、またむぅーっと立ちこめる」(Kindle版No.502)

 「随分と世話になった夜見闇君より仰せつかった役目を、自分はもはや果たし終えたのだと思った。 そう思おうと、思った。そう思いたかった」(Kindle版No.907)

 こうして旅は終わった。だが、男の冒険は始まったばかりだ。
 日和先生の次回作にご期待ください。

 というわけで、そのとてつもない文章のワザに翻弄される表題作ほか、幻想的なダークファンタジー『行方』、ゆめうつつのなかに文筆業の業をえがいてみせる『かげろう草紙』、合わせて三篇を収録した作品集です。個人的には、町田康さんの小説を読んだとき以来の衝撃。ぜひ多くの方に読んで頂きたいと思います。

 「私の草双紙は、誰のためのものであるのか。私や草双紙は、何のためにあるのか。草双紙と私。草と双と紙とわとたとし、食うためか、読むためか。読むとは、食うことであるのか。食うことは、読むことであるのか。ないのか。それともまったくべつのことであるのか」(Kindle版No.1550)


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