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『食堂つばめ3 駄菓子屋の味』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

 「生きることは食べること。生きる気力を呼び覚ます力を持つノエのおいしい料理が食べたくて、自分はこの街を訪れる」(文庫版p.6)

 生と死の境界にある不思議な街。そこにある「食堂つばめ」では、誰もが自分だけの思い出の料理を食べることが出来るという。好評シリーズ第三弾、今作は長編です。文庫版(角川書店)出版は2014年5月。

 臨死状態にある人々が訪れる不思議な街。「食堂つばめ」では、そこにやってきた人々に思い出の味をふるまうことで、彼らを生き返らせようとします。

 来訪者の死因も、最初のうちは事故死、病死でしたが、やがて自殺者が登場し、次第に「美味しいものを食べさせることで生きる気力を取り戻させる」ことの難易度が上がってきた観のある本シリーズ。今作では、ついに殺人事件の被害者がやってきます。

 「それがためらう----というより、生き返れない理由か。生か死か、というより、記憶がなくなってもあっても、今抱いている恐怖は消えないということなのだ。生き返っても、自分を殺した、あるいは殺そうとしている人間がいる、という恐怖」(文庫版p.52)

 死ぬのは真っ平だけど、このまま生き返ることもためらう来訪者。なぜ自分は殺されたのか、理由も釈然としないまま生き返ったらどうなるのか。不安と恐怖に立ちすくむ彼を何とか救おうと頑張るレギュラーたち。

 「自分が帰れば殺人はなかったことになる。自分も忘れる。それならいいことのように思うけど、あいつの中には僕を殺そうとするほどの憎しみはまだあるってことです。それだけ忘れないようにすることもできないし、僕はあいつではないから、その憎しみを消すことができない」(文庫版p.85)

 ミステリ風味になるので詳しい展開は伏せておきますが、これまでの作品と比べて「現世」が舞台となるシーンの割合が大幅に増えています。分量にして半分くらいは、レギュラーキャラクター全員が交替で「この世」に出張して頑張っていたという印象。

 さて、シリーズのお楽しみ、思い出の味。今回は「駄菓子屋で食べたもんじゃ焼き」がメインとなります。

 「うちの近所の駄菓子屋のもんじゃがとてもうまいんで、それを真似てみたんです」(文庫版p.59)

 「小さい頃の思い出が甦ってきた。狭い店内の奥、けっこう日当たりがいい場所で鉄板を囲んで、みんなでふうふう言いながら食べた記憶。夏は裏口や窓が開け放たれて、犬や猫がのぞきに来たりしてたっけ----」(文庫版p.62)

 「油を引いた傷だらけの鉄板に小判くらいに広げ、両面焼いて、ソースをつけて食べる。それでも充分おいしいおやつだった。(中略)焼き方にも凝った。限りなく薄く伸ばしてパリパリに焼きあげたり、ソースを何度も重ね塗りして、せいべいのように仕上げたり。みんなどこから聞いてくるのか、いつの間にかいろいろな焼き方や食べ方が流行った」(文庫版p.61)

 今から思えば、なんであんな安っぽい味が異様に旨かったのか。

 さらに「よっちゃんイカ」派と「紋次郎いか」派だとか、ヨーグルトだと言い張っているバタークリーム駄菓子だとか、車内弁当と一緒に買う「プラ容器に入った、小さな蓋に注いで飲むお茶」とか、ある一定以上の歳の読者なら「あったあった」って共感すること間違いない昭和ネタが次々と出てきます。

 若い読者がちゃんとついてくるのか、少々心配。

 しかし、個人的には、冒頭に登場する「肉づくし」の場面が強烈に印象に残っています。

 「夢中で肉を食べ続けた。牛豚羊鶏鹿猪馬鴨鳩兎----肉づくし、いや、肉攻めだ」(文庫版p.42)

 胃腸のことも、体重のことも、血液検査のことも、何も心配しないでひたすらありとあらゆる食肉を喰い続け、心が満足するまでは満腹しないという、この極楽。自分なら成仏も生き返りもしないでここでずっと喰い続けるのに、私そう思った。


タグ:矢崎存美
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