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『幽界森娘異聞』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「森の長い悪文、九〇年代になるまで本が出なかった私。でも森も、私も、本人が壊れているのじゃなかった。ただ壊れない目で見たらはみ出してた世界を、正しい日本語でせいいっぱい整えて書いた結果なのだ。それはゲテモノではない。ジャンクでもない。クズ真珠もバロック連に化けるって事も含め、壊れてるのは----当たり前の日本語も読めないそちら様の方」(Kindle版No.2573)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第79回。

 森茉莉を取り上げた代表作の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は2001年07月、文庫版出版は2006年12月、Kindle版配信は2013年10月です。

 森茉莉をモデルとした「森娘」、その人生と文学に寄り添うような長篇。しみじみと胸を打つ文体、静かで叙情的な文体、狂騒的で跳ねまわる文体、美しく、激しく、祈るように、啖呵を切るように、ときに割り込んでくる様々な「声」も含めて、多様な文体を縦横無尽に組み合わせる独特のスタイルを確立した代表作の一つです。

 「取れるはずの休暇もなかなか来ず、筋肉痛の片足を少しだけ強張らせて、その日の私は魚屋からコンビニに移動していた。すると、目の前の埃っぽく白い車道を故人が横切った。 それは痩せた清潔な感じの「おさない」老婦人だった」(Kindle版No.27)

 語り手が幻のように目撃した故人。それは森茉莉をほうふつとさせる、しかし決して本人ではない、活字のなかにだけあらわれる妖怪のような「森娘」でした。

 「その名を正確に書ける人の五分の一までは全集を持ってる。そして森茉莉を読んだ事のない人はその名前だけを知っていてもそのキャラクターにはまったく興味がないんだと」(Kindle版No.558)

 「原稿用紙に向かった時だけ世界一偉くなる、「偉きい」自分を、現実世界では発揮出来ず、変な黒猫飼ってる掃除しない森さんとか一部読者が熱愛する異色作家という、極小なレベルに落ちる辛い試練に耐えた」(Kindle版No.686)

 「森娘、それは生きても死んでも少数から愛される作家、死後十二年たっても一昨年からは、読者のホームページまで新たに出来てる程。そこのアクセス件数は二年未満なのにもう二万越えた。(中略)今後も永遠に読者から愛される道を歩いて行くはず。が、その「文学史的位置」は、というとどうなっているか。私の青春の好きすぎる程だった純文学境界例異色作家」(Kindle版No.704、719)

 「そう、作家作家。森娘って本当は作家だったの。ボヤ出したり肉汁(スウプ)拵えたり猫にフランス語で話し掛けたり、恋愛空想三昧で朝からチョコレエト剥いてるというその「主要部分」の他に、生活は執筆で立てていたのですねえ」(Kindle版No.1040)

 「生活能力のない彼女、いい気で傲慢な彼女、そんな視点は極力排したいものだ。(中略)「正論」を言う前に、彼女を好きかどうか、縁があるかどうか。だって、どんなに沢山の資料を読み込んだって、縁のない死者と語れるはずがない」(Kindle版No.68)

 「幽霊も妖怪もそれを「見た」人の気持ちが引き寄せるものなのだから、つまり「出る」理由が私の中に発生している、だから「出た」という事なのである。そう、ポイントになるのは私の、気持ち」(Kindle版No.208)

 語り手に引き寄せられたようにちらちらと姿をあらわす森娘。やがて語り手は彼女に自分の人生を重ねるようにして、語り始めます。森娘のことを、その作品のことを。

 「外から見た自分の姿というものにはいつも戦いていて、「歓び」と「怒り」の間を点滅しながら生きて、そのどちらの時でも外に向かって全身の光が放たれている。また、その点滅の度に増殖する虹のように、彼女の瞳に映る「記憶」と空想は繰り返し言葉になりあふれて出る」(Kindle版No.97)

 「独特の文章。独特の「リアリティ」。五感が感じたものやそこから伸ばした触手がからめとった、「空想」。思い込み多くとも自分の記憶に、絶対の、極私的信頼を置いて紡ぐ「気紛れ書き」」(Kindle版No.917)

 「映画の中の陶酔を握りしめながらも、活字に写したそれが「嘘」だという事を「私小説作家」の目はどこかで知っている。馬鹿げた少女趣味と冷笑しようとする日常の「理性」を、今までは観念の世界にもつれ込むためにしか使われなかったような、うねる「悪文」が踏みにじっていく」(Kindle版No.1633)

 「奇麗なリズムで華やかに文字はなだれ落ちて来る。残酷な感覚に忠実な句読点が、それを受ける。巨大な雪の結晶のようにも思える、選ばれた漢字の横の、文字の理性を攪乱するカタカナのルビを私は音読する」(Kindle版No.953)

 「美しい単語は時に、その音だけがひとつの場を占領する程重要なので。そういう美しい言葉をバロック連を組むように、使い込んだ竹のピンセットで、正確な凹凸のあるビロードの連台に連ねるようにして、お茉莉は、書きとめて行った」(Kindle版No.959)

 作品を一つ一つ取り上げて、その文章を味わい、その描写を、文章を、エピソードを、愛を込めて、ときに込めすぎて暴走モードになりながら、熱く語ります。変幻自在な文体、割り込んでくる様々な声、心地よい文章のリズム。素晴らしい。

 「もしも「贅沢貧乏」を読んでなかったら、たとえ文章それ自体がどんなに良さそうでも「おっとこりゃいかん」でパスしたはずの作家。でも、はまったのは「贅沢貧乏」から」(Kindle版No.295)

 「私はいつしか、森娘のなんだかなな部分を許ししまいにそれに慣れた。というより「来るな、今から二行だけちっと恥ずかしい森が来るな」と思うと、ワインで洗ったオレンジ色のチーズのようなその臭いを、えも言われぬ味と一緒にかぷっと飲んだ」(Kindle版No.310)

 「その空気は読者の血肉になり、読者は永遠に森化されてしまう。ひとりでいる事が平気になる。キャベツをガラス瓶を、ボロアパートを美しいと思うようになる。 ああ、なんで伝染するんだろう森娘の生活は」(Kindle版No.1304)

 「そうそうそう。----あのね、私もなのここ、ここ、好き、ね、いいでしょ、奥野健男氏は追悼文で耽美派の美少年描写を取り上げていた。でも実は私もここ、女だからまず美少年に関心をって事にはならないのだ----ちょっとちょっと、でも「そもそもあんたのやってる事創作でしょう」、「その上に批評入ってるお仕事ですぞこれは」、それが先人の解説を読んで喜んでいて一体どうするんでしょう。(中略)これでは独立した作品というよりファンの森話になってしまうだよ」(Kindle版No.1547、1552)

 オヤジくさい小説家、無理解な評論家、森娘を「やおいの元祖」とかいって商品化した通俗作家など、痛烈に批判、というか罵倒。挑発したり、喧嘩売ったり、啖呵切ったり。かと思うとイヤミの数々をねちこく塗り重ねたり。

 引用は避けておきますが、まあ「田吾作の乱暴狼藉」(Kindle版No.2007)とか、「へっへー、気に入らぬか。殴れよ、おら、」(Kindle版No.1216)とか。怒ってます。全国の森茉莉ファンが本書を読んで喝采を叫び、溜飲を下げたそうですが、まあ、そりゃそうでしょう。

 「ああ立派な事を言う時は急に文豪娘モードになりっ本当に立派になる作家だったっ。やってる事は目茶苦茶でも言ってる事は立派! でも言うのが商売だからそれも可ってことで。うーん、しかし「ドッキリチャンネル」の時なんかは言ってる事もやってる事も全部目茶苦茶なのもあるんだがなあ。まあ、でも、それも全部可。森娘だから。私は味方する。たとえその外見等を人が何と言おうと・・・・・・」(Kindle版No.2212)

 一方、『愛別外猫雑記』に詳しく書かれることになる猫保護の件が並行するように書かれ、やがて保護した猫たちを守るために千葉のS倉に家を買って引っ越すことになった、という顛末が語られます。

 最後には猫事情が森娘とつながってゆき、ついに本作の発端が明かされることに。

 「それに気付いた時から森娘偉い、って私は思った。このタマネギ後入れプラス牛肉と人参だけのスウプというふたつのフレーズから結び付けて、私はその昔異聞をもうでっち上げる事にしたの。キーワードは猫の飯」(Kindle版No.2349)

 「猫というものが元々嫌いで、三十過ぎまで猫と知り合った事のなかった私が、三十六歳にしてどうしようもない猫運命に巻き込まれた直後、好きな森娘の猫扱いにまでふっと目が行って、それで判った事だ。森料理をそんな風に見る事が出来て、森の中の「愛」を、私は一段また、深く感じたのだった」(Kindle版No.2358)

 ギドウ、モイラ、ルウルウ。それが保護猫たちにつけた名前。

 こうして、森娘、猫、自身の事情が、重ね合うように、響き合うように語られ、そしてS倉の「千葉というただ一点でだけ森娘とつながったでも別荘でもなんでもない私の本宅」(Kindle版No.2917)にて、静かに幕が下ろされるのです。

 なお、付録として『幽界森娘異聞後日譚 神様のくれる鮨』と『あとがき』が付いており、保護猫たちのその後のこと等が書かれています。

 というわけで、『S倉迷妄通信』、『水晶内制度』、『片付けない作家と西の天狗』、『金毘羅』といった21世紀の大傑作が立て続けに生み出される直前、20世紀最後の年に連載された、作家としての自身を振り返り、足場を確かめ、すぐ後にひかえた大ジャンプに備えているような印象を受ける長篇です。その融通無碍な語り、森茉莉作品の深い理解、猫事情、いずれも感動的。森茉莉の愛読者の方々にも是非読んでほしい作品です。


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『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』(松井孝典) [読書(サイエンス)]

 「2013年4月初め、その彼とチャンドラから、急ぎの連絡が届きました。赤い雨から採集した細胞状物質の細胞壁部分に、ウランの濃縮があるというのです。加えて、スリランカの医学研究所とは別の研究所でも、その部分にはリンが無く、代わりにヒ素があるという分析結果を得たようだということで、われわれとしても至急、短報の論文として発表しておきたい、というのです」(Kindle版No.3063)

 生命とは何で、いかにして発生したのか。地球外生命体はどこにどのような形で存在するのか。アストロバイオロジー(宇宙生物学)について一般向けに紹介した入門書の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。新書版(文藝春秋)出版は2013年08月、Kindle版配信は2013年11月です。

 「2001年6月~8月頃にかけて、インド南部のケララ州で、南北500Kmにわたる地域に、断続的ですが赤い雨が降ったのです。(中略)その後の研究から、この赤い雨の正体は、実は細胞状の物質であることがわかりました」(Kindle版No.52、60)

 「06年に発表された論文によると、大きさは4~10マイクロメートルで、形態的には細胞状ですが、核やDNAは見つからなかったということです。この雨の降る前に、大気中で大きな爆発音がしたそうで、論文では彗星が大気中で爆発したのではないかと推測しています」(Kindle版No.61)

 冒頭からいきなり『ムー』的つかみが炸裂。も、もしやその「赤い雨」に含まれていたという「細胞状物質」の正体は・・・。などと期待させておいて、さらに煽る煽る。

 「この話には、さらに後日談があります。実は昨年(12年11月)、今度はスリランカに赤い雨が降ったのです。その調査に関してはあとがきで、簡単に紹介します」(Kindle版No.80)

 我慢できずに「あとがき」にちらりと目を通してみると、細胞壁にウランが含まれていたとか、リンの代わりにヒ素が使われていたとか、どう考えてもそれ地球のものじゃないでしょう、という盛り上がり。マジですか。そこらのオカルト本より大興奮。

 というわけで、気を取り直して、地球外生命体を研究するアストロバイオロジー(宇宙生物学)の入門書です。といっても、墜落した円盤から回収された遺体を研究しているわけではなく、生命というものを「地球産」に限定しないで、より広く普遍的に根本的に考えてみる、という学問です。中核となる研究テーマの一つは、生命の起源。

 「本書はそうした生命起源論が、今どのような状況にあるのかを網羅的に著すものです。「生命はどこから来たのか?」というテーマについて、多岐にわたる研究分野の現状を紹介します」(Kindle版No.103)

 網羅的に、多岐に、というのは誇張ではありません。

 生命起源論の歴史から始まって、宇宙における生命の分布に関する議論、従来の生物学のおさらい、古生物学、分子進化学、極限環境生物学、ウイルスが生物進化や地球環境に与える影響、そして現代の生物起源論である化学進化の研究、宇宙における生命探査の現状、といった具合に、ぎゅうぎゅうに詰め込んであります。

 これ一冊で生物学と天文学にまたがる広範な自然科学分野の最新情報を得ることが出来る勢いなので、たとえアストロバイオロジーそのものに興味がなくとも、このあたりの現状がどうなっているのか知りたい方には一読をお勧めします。

 ところで、本筋とは別に、ところどころ著者のキャラが漏れているのが何だか無性におかしく、これが本書の魅力ともなっています。

 「アストロバイオロジーという学問を探求しようという研究者には、共通の特徴があります。一言で言えば、楽観主義だということです。(中略)私自身は、賭けのようなもので、私の運がよければ見つけられるだろうと思っています」(Kindle版No.377、382)

 アストロバイオロジーの成果が「私の運」で決まるというあたりに、楽観主義が強く感じられます。

 「アストロバイオロジーの研究者は、基本的にこの3つ目の立場にたっているはずです。そうでなければ、国の税金を使って研究を行う正当性を主張できないからです」(Kindle版No.1044)

 3つ目の立場というのは「この宇宙は生命に満ち溢れている」という立場のことですが、それが「根拠があるから」でもなく「妥当な推測だから」でもなく、「助成金を正当化するため」と言い切ってしまうところに正直さ、いやむしろ180度ひねくれた何かが感じられるようです。

 「私も個人的に、火星探査計画に関わっていました。旧ソ連のフォボス計画です」(Kindle版No.2843)

 という記述で、読者をして「もしやソビエトのフォボス計画の内幕を暴いてくれるのか。実は極秘の成果が出てましたとか。うおおーっ」などと興奮させておいて。

 「私の火星探査計画への参加は、結局、旧ソ連の崩壊とともに消滅しました」(Kindle版No.2846)

 というオチをつけてしまう。この呼吸もなかなか芸が細かいと思います。

 そして、いよいよ「あとがき----スリランカの赤い雨」です。

 「2012年11月13日、今度はスリランカで、赤い雨が降りました。(中略)実は赤い雨と前後して、同じ地域に隕石も落下したのです。当然チャンドラのもとへ、その隕石も送られました」(Kindle版No.3047、3058)

 パンスペルミア説(生命のもとは宇宙からやってきた説)を唱えているチャンドラ・ウィックラマシンゲという英国の研究者からの仰天連絡を受けて、大急ぎでスリランカへ飛んだ著者。

 同時期にディスカバリーチャネルもこの事件を取材に来たそうです。

 現地の農家で目撃された「火の玉」、複数の「蛍のような小さい光」。それが「あまり動きがなく、自分のほうに向かって来ている様だった」(Kindle版No.3120)という証言は何を意味するのだろうか。その後に降った「赤い雨」を研究所で分析したところ、地球上に存在するはずのない細胞が含まれていたという・・・。

 といった感じの番組になるのでしょうか。

 もはやアストロバイオロジー入門とは違う領域に足を足を踏み入れてしまった感がありますが、著者による「スリランカの赤い雨」事件の調査について知りたい方は、どうぞご一読を。


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『社員たち』(北野勇作) [読書(SF)]

 「君に見えるか、あの星が。 そうだそうとも、あれこそが。 夜空に輝く社員の星だ。 シャイン社員、シャイニングスター。 輝く社員の星となれ」(単行本p.284)

 書き下ろし日本SFアンソロジー『NOVA』に収録された短篇など、会社員SFを集めた一冊。単行本(河出書房新社)出版は、2013年10月です。

 会社員というのは摩訶不思議な職業で、何しろ「どういう状況で何をやっているのか」が外部の人に対してたいへん説明しにくい。というか本人にもよく判らないことが多いわけです。

 むしろ「他の人も働いている(らしい)から、きっとここは会社」、「他の人も出勤している(ようだ)から、おそらくここは職場」、「他の人がそうだというから、私は会社員(なのだろう)」といった程度の認識で働いているというのが実感に近い気がします。

 もしそういったみんなの暗黙の共通認識に、ふと疑問を覚えたりしたら。北野ワールドへようこそ。

『社員たち』

 「社長さえ見つかればなんとかやっていけるはずなんだ。もし仮にだよ、見つかった社長の状態がひどくても、それはもうどんな状態でも社長には違いないんだから、役所だってもう文句はつけないだろうし、つけようがないよな、だって、社長がいるんだから」(単行本p.10)

 地中深く沈んでしまった会社を掘り起こす社員たち。社長さえ掘り出せば、きっと大丈夫。なぜかって、そんなこと考えちゃだめだよ。会社員の本性を描いた全体のプロローグ的短篇。

『大卒ポンプ』

 「無駄だろうがなんだろうが、モリノミヤ氏には会社の地下にずっといてもらわなければ困る。あの部屋でずっと、会社から出ることなく、ポンプ部の社員として、高級取の大卒ポンプとして、働き続けてくれるのがいちばんなのだ」(単行本p.34)

 「ポンプはポンプでも、大卒のポンプや。大卒のポンプなんか、他におらんからな。あっぱれあっぱれ、大卒ポンプ。やんややんやの大喝采」(単行本p.27)だった新入社員モリノミヤ君も、今では不祥事扱い。飼い殺しにされた会社員の悲哀だか何だかを描いた短篇。たぶん『第六ポンプ』(バチガルピ)とは無関係。

『妻の誕生』

 「もしまた生まれ変わっても、やっぱりあなたと暮らしたいわ」(単行本p.55)

 あるとき妻が卵になってしまった。残された夫は懸命に卵を温めたり、後始末をしたりと、おおわらわ。本書収録作中、数少ない明るい作品。

『肉食』

 「これからどんどん潰れるよ。実際、この国自体がもうだいぶ前から死んでるようなものだったんだから。それを無理やり動かしていただけなんだもん」(単行本p.76)

 ゾンビ会社に勤めるゾンビ社員がもうゾンビ。死んでもサービス残業、死んだらリストラ、死んだことを隠して年金もらってる奴もいたり。既に死んでいるのに、そうでないふりをしているだけの私たちの社会。とりあえず肉食って元気だしましょう。

『味噌樽の中のカブト虫』

 「どうやらカブト虫がおれの代わりに思考してたらしいんだよな」(単行本p.109)

 会社の検診で「頭の中にカブト虫がいる」と指摘された社員。やっぱり異星人に誘拐されて埋め込まれたのかしらん。でも地球人もやってるし、そこはお互い様だよな。というより今こうして思考している「私」、実はカブト虫ではないのか。たぶん『蟻塚の中のかぶと虫』(ストルガツキー兄弟)とは無関係。

『家族の肖像』

 「この世界自体が、もっと大きな世界から切られたものなんだよ。ずっと前に。そう、ヤモリの尻尾みたいにさ。 切られて捨てられた。でも動いてる。切られてないことにしてまだ動いている」(単行本p.148)

 「人間を人間じゃないものに変える。人間の仕事じゃない仕事をさせるためにね。だって、もう人間じゃなくなってるんだから、人間扱いしなくても別に問題ないだろ」(単行本p.139)というわけで、家族を守るために、政府が推進する低所得者向けプログラムを受け入れた会社員。人間扱いしろなどという「わがまま」はもう許されず。派遣切り、貧困ビジネス、ホームレス排除などがまかり通っている私たちの社会をけっこうリアルに描いた短篇。

『みんなの会社』

 「いや、あのね、うちの会社って、つまりその・・・・・・なにをやってんのか、ぼく未だにわからへんのですよ」(単行本p.166)

 社長が緊急会議を開くというので、さてはあれがバレたか、これがバレたかと、大慌ての社員たち。そのとき新入社員が禁断の質問。「うちの会社って、なにやってるとこ?」。会社の不条理を笑い飛ばして考えないようにする落語台本。

『お誕生会』

 「それがクゲラの初めてのお誕生会。 蝋燭が一本消えて----。研究員が四人死んだ」(単行本p.181)

 クラゲ怪獣クゲラ誕生。すべてはここから始まった(かも知れない)。

『社員食堂の恐怖』

 「今はまだ何もわからないが、こうして続けてさえいれば、いずれはすべてが明らかにされる日が来るはずだ。 いつか、きっと」(単行本p.210)

 クラゲ怪獣クゲラ登場。「こんなのざるうどんじゃなあああい」(単行本p.194)、日本SF史上に残るであろう名絶叫と共に社員食堂に喰われた女性社員。会社員たちは対策に乗り出すが・・・。問題を解決することなど考えもせず、ひたすら問題の存在に慣れるために頑張って残業もいとわない会社員たちの姿が哀しくもリアルな怪獣小説。

『社内肝試し大会に関するメモ』

 「まあ実際のところはよくわかりません。わからないことだらけです。たとえば、吸収されて、でも脳味噌だけが活かされている場合、脳味噌の持ち主がその状態をどんなふうに認識するのか、とか。 とにかくまあそんないろんなことを身をもって確かめる、そういう意味での、肝試し、でもあるのです」(単行本p.228)

 クラゲ怪獣クゲラ成長。社内で開催された肝試し大会は、わずか30分で全員が喰われて終了。「会社でおかしなことが起きている」というメモは、誰が誰に残したものなのか。というより、そんなことを考えている「私」は何なのか。ディック的(言っちゃった)現実崩壊感覚を描いた怪獣小説。

『南の島のハッピーエンド』

 「こんなに素敵なハッピーエンドがあるのに、なぜそれ以上続ける必要があるでしょう。いや、無理やりにでも、そこで終わりにしてしまわねば。 お話をハッピーエンドにするために。 その結末を確定させるために」(単行本p.263)

 クラゲ怪獣クゲラ起源。「蛋白質の思い出(メモリー)。生きている記憶媒体」(単行本p.255)を開発した女性研究者。その中に世界をまるごと再現して、そこに素敵な思い出を封じ込めれば・・・。意外にハードSFだったのか、と一瞬だけ思わせる叙情的な怪獣小説。

『社員の星』

 「落差という環境によって滝というものが存在できるように、会社という環境によって会社員も存在できる。会社が連続しているから、会社員もまたその連続性を保つことができる。 つまり、会社員というのはそれのみでは存在することができない、環境が作り出したあるパターンのようなものなのだ」(単行本p.275)

 地中深く沈んでしまった社長を掘り出そうとしている会社員たち。まだやってたのか。そう、会社員は続く。何も考えず続く。どんな目にあおうと「明日の朝には、また同じように始めることができるはずだ」(単行本p.285)。それが会社員の希望。それこそが会社員の存在意義。全体のエピローグ的な短篇。

 輝けぼくらの、シャイニングスター。
 ・・・シャイニング。
 ・・・社員。
 ・・・捨。
 ・・・死。

[収録作品]

『社員たち』
『大卒ポンプ』
『妻の誕生』
『肉食』
『味噌樽の中のカブト虫』
『家族の肖像』
『みんなの会社』
『お誕生会』
『社員食堂の恐怖』
『社内肝試し大会に関するメモ』
『南の島のハッピーエンド』
『社員の星』


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『謎解き超科学』(ASIOS) [読書(オカルト)]

 「かつて私が超科学にはまっていた頃、残念ながら、本書のような本には出会えませんでした。もしあの頃の自分にこの本を贈ることができたなら、もっとよく考え、違った行動を取れたかもしれません」(単行本p.6)

 ASIOS (Association for Skeptical Investigation of Supernatural : 超常現象の懐疑的調査のための会)の検証シリーズ最新作。今回は、フリーエネルギーから超光速ニュートリノまで、EM菌からホメオパシーまで、科学のようでいて実はそうでもない「超科学」の話題を取り上げて検証します。単行本(彩図社)出版は、2013年11月です。

 「本書でいう「超科学」とは、科学を装っているものの実は科学でない、いわゆるニセ科学と呼ばれるようなものから、科学では説明不可能に思える不可思議な話まで、様々な主張を指した用語です。とくに明確な定義があるわけではありません。いわゆる超常現象とは少し違った怪しい話をまとめた総称とでも思ってください」(単行本p.4)

 おなじみASIOSの謎解き本、その最新刊は、「超科学」と題して、巷に広まっている「超常現象やオカルトの範疇だとは思われてない、ちょっと怪しげな知識」を取り上げて検証してゆきます。

 「第1章 日常に潜む超科学の真相」では、電磁波による健康被害、サブリミナル効果、牛乳有害説、磁気治療、ゲルマニウムの効用、デトックス、水からの伝言、マイナスイオン、といった日常的な話題を検証します。

 何となく信じていることが多い「健康知識」がいかにあやふやであるか、場合によっては健康によかれと思ってやっていることが逆に健康被害を起こしかねないか、丁寧に解説してあります。

 「第2章 自然界に潜む超科学の真相」では、EM菌、ポールシフト、フリーエネルギー、隕石落下の危険性、百匹目の猿、動物行動による地震予知、キルリアン写真、超光速ニュートリノ、インテリジェントデザイン説、など自然科学まわりの奇説を扱います。

 「第3章 人体にまつわる超科学の真相」では、血液型性格診断、ゲーム脳、逆行催眠、母乳神話、千島学説、死者の網膜に最後に見た光景が残っているという話、人間は真空に曝されると爆発するという映画の描写は正しいか、などの話題を扱います。

 2章と3章の話題は類書やネット上でも取り上げられることが多い、いわば疑似科学の定番ネタなので、よくご存じの方も多いでしょう。個人的には、「母乳神話」と「網膜記憶」の項目が新鮮でした。

 「第4章 美容と健康にまつわる超科学の真相」では、サプリメント、健康食品、ホメオパシー、マクロビオティック、酵素栄養学、オーリングテスト、手かざし療法、といった話題を検証します。

 健康被害や金銭的損害に直結する恐れが高い話題が集まっていますので、第1章と並んで、よく読んでほしいパートです。意図的に(しかし法に触れないように)消費者を騙しにかかってくる詐欺まがいの商法もあるので、うかつに引っかからないよう、自衛のためにも一読をお勧めします。

 超常現象やオカルトの話題なら「何となく信じている」くらいなら別にかまわないんじゃないかという気もするのですが、これが美容・健康・栄養まわりのニセ科学だと直接的被害を引き起こしかねず、しかも多くの場合、子供や老人、病人など弱い立場の人々が被害者になるわけで、積極的に正しい知識を広めることが大切だと思います。

 というわけで、たとえ超常現象やオカルトに興味がなくても、本書の特に第1章と第4章、上に挙げた目次にざっと目を通して、「え、これって本当だと思ってたけど・・・」という項目があれば、とりあえず当該項目だけでも読んでみることをお勧めします。


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『未確認飛行物体UFOの謎』(並木伸一郎) [読書(オカルト)]

 「1960年代や70年代は結構、この手のものが刊行されていたのだ。デジカメや携帯電話の画像が当たり前の現代と比べ、当時のUFO写真はモノクロ主体でレトロ感が漂っていた」(新書版p.258)

 「一冊、一冊を手に取っていると、懐かしさのあまりしばし時間を忘れて読みふけってしまった。 薄っぺらなネット情報に比べ、こうした資料には、謎とロマンが満ち溢れている」(新書版p.257)

 アダムスキーからドローンズまで、古今東西の著名なUFO写真を300点以上も集めた写真集。新書版(学研パブリッシング)出版は、2013年11月です。

 ひさしぶりに購入した並木本です。最初から最後までUFO写真がびっしり載っているという一冊。どのページにも、あのUFO、このUFO、いっぱい飛んでいます。懐かしい・・・。

 もちろん並木本ですから、真偽だとか、検証だとか、そんなことは気にもかけず、面白いUFO写真なら何でもOKという方針。撮影状況も撮影日時も一切が不明という写真とか、ネットで拾ってきた写真とか、すでにインチキだと判明している写真とか、どう見てもCG、どう見てもデジタルノイズ、どうみても模型、という写真だって、平気でばんばん載っけてくれます。清々しい。

 「とはいえ、これまで撮影されたUFO写真のすべてが“ホンモノ”かどうか、その真偽のほどはわからない」(新書版p.3)

 「UFO写真の世界は今や、玉石混交のありさまだ」(新書版p.4)

 21世紀にもなって、こういうことを、しれっと書いてしまう胆力も健在。まことに頼もしい。

 さて、全体は8つの章に分かれています。

 最初の「第1章 異形のUFO ドローンズ」では、少し前に流行ったドローンズの写真、「第2章 太陽近傍に出現する謎のUFO」では、一時期『ムー』を騒がせたソーラー・クルーザー類の写真を集めています。

 個人的には、これらの比較的新しいUFO写真には、いやブラック・トライアングルでさえ、どうも心ときめくものが感じられず、好きになれないのです。やはりUFOは円盤だったり葉巻型だったり糸がついてたりしないと、そそられません。

 「第3章 アポロ計画と宇宙空間のUFO」では、人工衛星やロケットから撮影された地球軌道上のUFO、月面で撮影されたUFO、などが収録されています。巨大衛星ブラックナイトの雄姿もばっちり。

 「第4章 UFO事件クルニクル1(1940年代以前~1950年代)」および「第5章 UFO事件クルニクル2(1960年代~2013年)」は、個人的に最も好きなパートです。

 19世紀のUFO写真からフー・ファイター、ナチスの円盤、ワシントンUFO襲撃事件、ロサンジェルスUFO編隊、ラボック・ライト、4本プラズマ発射UFO、ガルフブリーズ事件、ベルギーの三角UFO、ウンモ星人の「王」様UFO。また会えたね、懐かしいね、あの頃は若かったね。

 「第6章 コンタクティが撮影したUFO」では、ダニエル・フライ、ハワード・メンジャー、ジョージ・アダムスキー、ポール・ヴィラ、ビリー・マイヤー、といったあそこら辺の方々が、宇宙人の許可を得て撮影させてもらった写真がいっぱい。

 またもや個人的な嗜好だだもらしで申し訳ありませんが、コンタクティの皆さんが撮影したUFO写真は、どうも面白みがなく、あまり好きになれません。とはいえ、やはり一頭地を抜いているのはアダムスキー。例の円盤写真もそうですが、何といっても葉巻型母船から発進する金星円盤たちの連続写真が素晴らしい。宇宙人の皆さんも、コンタクティを選ぶ際には、写真のセンスというものを確認してからにした方がいいと思います。

 「第7章 地球と他天体に墜落したUFO」および、「第8章 日本列島上空に飛来したUFO」では、墜落するUFO、爆発四散するUFO、火山に沈むUFO、海中に沈むUFO、不知火上空に出現したUFO、横浜のクリスタルUFO、介良事件(超小型UFO捕獲事件)で残された唯一の写真、函館山の怪光線発射UFOなど、あちこちから拾ってきたオモシロUFO写真を幕の内弁当的に掲載。

 というわけで、UFO写真そのものが(そのいかがわしさを含めて)大好きな人にはお勧め、そうでない人は避けておいた方が無難な、コンセプトの明快な一冊です。最近、どうも元気がないらしいUFOを応援したい方はどうぞ。

 「最近では、すっかりUMAに話題をもっていかれてしまっているUFOだが、花火のように、ドカーンと大きな事件を連発させてもらいたい。そして主役の座を、UMAから奪い返してほしいと願っている」(新書版p.260)

 そうそう。UFOの「中の人」、どうか頑張って下さい。


タグ:並木伸一郎
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