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『私の中の男の子』(山崎ナオコーラ) [読書(小説・詩)]

 「雪村には十九歳まで性別がなかった。第二次性徴はあったし、体は膨らんだし、性交の経験もしたが、とくに性別はなかった。十九歳で作家デビューしたときに、初めて性別ができた」(Kindle版No.3)

 自らの性別や肉体との折り合いをつけること。その困難さに悩みもがき続ける作家の姿を描いた長篇の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は2012年02月、Kindle版配信は2012年10月です。

 ずっと自分の性別を意識することなく成長してきた雪村は、十九歳で作家としてデビューしたとき、初めて、他者から見られる自分、社会から規定される自分、というものを強く意識させられることになります。

 「雪村はつい、パソコンを開き、インターネットに接続して、自分の筆名を検索してみてしまったのだ。そして、雪村の容姿についての、バッシングの凄まじさを知った」(Kindle版No.103)

 「自分は女のつもりで生きてこなかった、それなのに急に女という体で悪口を言われ始めた、という感覚が湧いてきた。(中略)作品を批判されるときよりも、容姿のバッシングをされるときの方がこたえるのだ。雪村は肉体から離れられない」(Kindle版No.140、147)

 「一度見られる存在になってしまったら、二度と見るだけの存在には戻れない。文化の中に組み込まれなくては、二十歳近い雪村は、ごはんを食べられない。雪村はもう、毎日絶対に、自分の性別を忘れることができなくなった」(Kindle版No.211)

 肉体からは離れられない、自分の性別を忘れることができない。思春期の深刻な悩みが雪村を襲います。同じ苦痛を味わったことのある読者なら、あ、これはかなりやばいな、と思うことでしょう。

 「雪村はそのあともこのひと月、週二回ほどずつ、過食嘔吐を繰り返した。それはすでに、コントロールが不可能になっていた。自制が利かないのだ。(中略)夜中になると、雪村は静かな台所と向かい合う。冷蔵庫の音を聴きながら、クッキーやドーナツを胃に送り込む。満腹中枢はすでに破壊されているので、信号を出さない。尋常ではない量を食べ、洗面台へ向かう」(Kindle版No.289、307)

 「今やもう、決してネットで自分の名前や本のタイトルを検索することはなかったが、以前見てしまった「そんな顔でもセックスできるのか」という中傷は、記憶としていつまでも雪村を悩ませていた。文字としてしっかりと心に刻まれており、常に思い出すことができる。まるでフラッシュバックのように、そのフレーズは雪村の行動を制限する」(Kindle版No.505)

 こうして雪村は、恋愛とも友情ともつかない交際や、告白すらさせてもらえなかった片思い、性交渉なしの同居、などを通じて、男性との距離感を慎重に計りながら生きてゆくことになります。

 こう書くと暗く陰惨な話のようですが、妙にとぼけたところがある文章のおかげで、とても明るい印象を受けます。主人公である雪村に変な可愛げがある、というかごめん素直に可愛いよ、というのも大きい。

 「「ひとえ瞼を礼賛しよう」「ひとえ瞼礼賛部を作ろう」 と言い合って、友人三人で、ひとえ瞼礼賛部を結成した」(Kindle版No.600)

 「運ばれてきたおこげに、スープをかけると、じゅっと鳴る。「幸せの音だ」 思わず雪村はつぶやいた」(Kindle版No.746)

 「私のことが大嫌いなのかな。それとも単に、ばかなのかな。三十歳にもなる大人が、こんなにもばかなものなのかな。血尿の話は三十分ほど続いた」(Kindle版No.1166)

 「雪村は「好きな人に『好き』って言おう」と決めてから、予習をしまくった。(中略)自分がなんとかハラスメントをすると自分で考えることは辛く、どうしても避けたい。自由業であるのに、雪村はモラルというものに反することが、恐ろしくてたまらなかった。 そしてネット世界はモラリストで満ちていた。 そう。予習の際は、要は、ネットで検索しまくったのである」(Kindle版No.1023、1042)

 好きな人に告白するのが「なんとかハラスメント」にならないか、ネットで検索しまくる雪村。だからネットはほどほどにしておいた方が、というか告白の前に予習すべきことは他にあると思うのですが、そういうとこ、雪村。

 やがて自分の肉体および性別との折り合いを見つけてゆく雪村。多くの読者が自身の思い出を重ねて、共感するであろう心境に到達します。

 「雪村は、中学時代や高校時代に、運動部員をばかにしていた自分がいたのを、覚えている。宇宙の仕組みや、何故人は生きるのかという問いから逃げて、周囲の人と和を保つことばかりに心を費やす子たち。体を動かして、顔の美醜や、身体的能力で、自分や他人を判別する子たち」(Kindle版No.1820)

 「だけどその子たちは、世界の中に自分というものが、物理的に存在しているということを実感しながら生きていて、その責任から逃げ出すことがなかった。雪村はその子たちとは違って、ただ頭の中だけで生きて、自分というものが存在しないがごとく振る舞っていた。 手や足を動かすだけで、自分がここにいる実感が湧いてくる。世界を信じる気持ちになる」(Kindle版No.1822)

 「腹の底から、ふつふつと新たな仕事欲が湧き上がってきた。もっと仕事がしたい。私は、他人に異性を求めない。私の中に、すでに異性がいる。紺野はやはり、異性ではない。私の中のしこりの方が、よっぽど異性だ」(Kindle版No.1200)

 「他者に、男を求めない。自分の中の異性を愛する。 男と女は似ている。だから、自分があれば、男のことも、書ける。そう信じて一生書き続けよう、と雪村は思った。やっぱり自分は女性ではなくて、男女(おとこおんな)なのだ」(Kindle版No.1865)

 というわけで、自分の性と肉体を受け入れることの困難さ、その強い葛藤を乗り越え、成長してゆく物語です。どうしても重苦しくなるか、空々しくなりがちなテーマだと思うのですが、これをこんな風にさわやかに力強く書いてしまうところはさすが。似たような悩みを持つ多くの方々にお勧めします。元気出ます。

 「実は雪村は、すごく仕事ができるのだった。雪村だけではない。女は、仕事ができるのだ」(Kindle版No.1479)


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