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『なにもしてない』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「私はナニモシテナイ事が根源的病なのではないかと疑い始めていた。密室の中の一心にナニカシテイル私が外界のナニモシテナイ私にかぶれる」(Kindle版No.653)

 「十年間ずっと私自身はナニカヲシテキタつもりでいたのだった。だがしてきたはずの何かは自分の部屋の外に出た途端にナニモシテナイに摩り替わってしまった。シテキタシテキタ、と言ってくれる一握りの声は、外の世界の大きな音にかき消されていた」(Kindle版No.386)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第78回。

 笙野頼子さんの出世作の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は1991年09月、文庫版(講談社)出版は1995年11月、Kindle版出版は2013年10月です。

 著者が注目されるきっかけとなった初期の代表作を収録した作品集。収録された二篇とも、伊勢の実家への里帰りが描かれ、外界と内面との軋轢が痛々しい切実さで迫ってきます。


『なにもしてない』

 「思春期からの私の全エネルギーは、閉じ籠もりを完遂する事にのみ消費された。閉じ籠もるための様々な理由を捜し出して、出来るだけ閉じ籠もっていられる職業を選んだつもりだった。だがそれ専従ではとても生計を立てる事が出来ず、そのくせ職業の厳しさだけはついて回るのであった」(Kindle版No.36)

 「それでもワープロを打っている間は幸福で夢中で、今でも、一年に一度入るか入らぬかの仕事に振り回されて暮らしていた。だがそれでも、朝起きて自分が誰で何をしているのかに気付くとまず吐きそうになった」(Kindle版No.42)

 「子供の頃から続いていた外界との軋轢は今では真っ白な厚い壁と化した。閉じ籠もりは常態になり私はそれに慣れた。曲がりなりに持っていた社会性までも退化させた今、深海の底魚のような感覚になった」(Kindle版No.52)

 密室にひきこもるようにしてずっと小説を書き続けてきた語り手が、おそらくは外界との軋轢から、接触性湿疹をこじらせてしまいます。手が腫れ上がり、ひどい状態に。

 「皮膚病というより群生する傷口という感じだった。だが、外にはなぜだか出ていけなかった。出られないがいつからか出ないに変わっており、それがいつからなのかもう思い出せなかった」(Kindle版No.161)

 「医者に行かない理由はどこからでも出てきた。医者に行って、何をしているのか訊かれたらどうしようかと考え始めていた。正確に言えば、やはり私はナニモシテイのだった」(Kindle版No.198)

 こうなっても部屋を出て病院に行くのをためらう語り手。まるで「なにもしてない」という世間の評価、を人質にとられたようで、何をしようとしても腰が引けてしまうのです。

 「ナニモシテナイ生活の中で強いて無理をしてワープロを打つと、何か世間に申し訳が立つような気がして妙に充実した」(Kindle版No.185)

 「私が勝手な事をし、ナニモシテナイ、というところに母の落ち込みの原因があると思えた」(Kindle版No.342) 

 「何か話しかけられるのが怖かったのである。別に自分がひどく話下手だとは思わないのだが、ただ何をしているのか訊かれるのが嫌だったのだ。 何を訊かれても、ナニモシテナイ自分というものにつながる後ろめたさが出てくる」(Kindle版No.476)

 ナニモシテナイ、ナニモシテナイ。繰り返されるこの呪文に束縛されたかのように、語り手は他人と関わることが出来なくなり、ついには植物のような心境に。そして光る妖精が飛ぶのを目撃します。そのとき。

 「植物と化した体から見たいという欲望だけがすり抜けて空に上がる。そう思っただけで私の頭の中はなぜか非常に強い生命欲に満たされていた。(中略)生きる喜びや欲望の全部が、ひたすらただ見る事に昇華された、透明な喜びに満ちた妖精が出現する。(中略)植物になるというインチキだけが治療に行く元気を支えていた。元の私の尋常な意識に遮られて、妖精はただ一定の周期で私の頭のまわりを静かに回っていた。その妖精に引きずられて準備を始めた」(Kindle版No.436、449、459)

 こうして部屋を出た語り手は、病院で治療を受けることで、それなりに社会復帰を果たすことになります。

 「ナニモシテナイ私は、ビョウキの私になっているのでさ程他の人間をおそれなくても済んだ」(Kindle版No.689)

 「私は普段よりも人間らしいし、愛想も良かった。犬も吠えなかった」(Kindle版No.695)

 「劇的に湿疹の治った私は歩く治療成果という喜ばしい生き物に変わっていた」(Kindle版No.849)

 思わず笑っちゃうほどいじましい社会復帰ですが、ともあれこうして回復した語り手は、伊勢にある実家へと里帰りすることにします。

 そのとき、ちょうど世間では天皇即位式が行われており、即位の礼の一環として天皇・皇后が伊勢神宮へ参ったため、伊勢に向かう語り手はあちこちで群衆と厳重警備に出会い、また皇后の姿をちらりと目撃します。

 あくまで小説であり史実とは別ですが、参考情報として。

[Wikipedia「即位の礼」より]

 即位の礼・大嘗祭を巡る儀式は、1990年(平成2年)1月23日の期日奉告の儀から始まり、1年間に渉り関連行事が行われた。即位の礼にあたり、式典の警備・要人警護には昭和天皇の大喪の礼での3万2000人を大きく上回る3万7000人の皇宮護衛官、警察官が動員され徹底した検問などが行われた。この警備の特別予算は54億円に上ったとされる。

 象徴(そう憲法に書いてあります)に出くわし、「東京新聞文芸欄」(Kindle版No.1337)で文学叩き・売上文学論を読み、これまでひきこもっていたマンションは「学生専用になる事が決まり、契約切れの勤め人たちは出来れば出ていって欲しい」(Kindle版No.1310)と言われて追い出されるはめになる語り手。

 ひきこもっていた部屋から外界に踏み出した途端、後の作品にもつながるあれやこれやがどんどん降りかかってきます。

 ベランダにやってくるヒヨドリに執着を覚えながらも、あえて追い払い、ついに部屋をあとにする語り手。その先に待っているものは何でしょうか・・・・・・。いや、もちろん『居場所もなかった』であり、『パラダイス・フラッツ』であることを、今の私たちは承知しているのですが。

 というわけで、ひきこもり作家から、戦う純文学作家へと、何かが脱皮する過程を目撃するような作品です。前半の苦しみ、後半の苦難、いずれも読者をしみじみと共感させるものがあります。


『イセ市、ハルチ』

 「今から帰ろうとしているそこについて、私はろくに語れなかった。或いは、そこについての殆どを失念していた。(中略)イセ市、ハルチ、の判らない私はハルチに着いた途端、自分が誰かも判らなくなってしまいそうな予感がしたのだった」(Kindle版No.1375、1417)

 「あらゆる事を急に忘れたのは、多分、忘れる事が必要だったからだ。一度に意識すれば危険であるような、何かそんな耐え難いからくりがイセのハルチにはある」(Kindle版No.1477)

 郷里であるイセ市のハルチに帰郷する語り手。なぜかハルチについての記憶が欠落しています。どうやら、そこには思い出してはいけない何かがあるらしいのですが。

 様々な幻想に満たされたハルチ。そして「街全体の経済と祭祀を支えている、聖域の名前」(Kindle版No.1605)を思い出せないまま、ハルチをうろつく語り手。次第に記憶が過去に遡ってゆき、幼少期の思い出が・・・。

 「ハルチでは、チガウコトをするだけで犯罪になった」(Kindle版No.1878)

 「朝から晩まで人は盗んだだの恥知らずだのと言い暮らしていた。人々はわけの判らないプレッシャーに曝されていて、子供の頃の私は、悪口を決して異常だとも悪だとも思っていなかったのだ。悪口は空想を駆使してでも言わなくてはならなかった」(Kindle版No.1753)

 「ハルチには取り返しの付かぬ事が多すぎたのだ。 正体不明の、論理でも常識でも計れない、人を縛る枠と、その枠の中で暮らすストレスを無意識にぶちまける人々とで、ハルチは保たれていた。いや、ハルチを保つために人々がそこへ追い込まれたのかもしれなかった。それとも、逆にハルチが、嘆き罵るために造られた場所だったのだろうか」(Kindle版No.1819)

 閉鎖的で排他的なハルチ。そこで、ヨソモノとして暮らしていた両親。孤立し、嫌がらせを受け、陰口をたたかれていた母。

 「まだ若かった母は近所から孤立していた。いくつかの店では、母の出身地のオーサカ風のアクセントを笑い、或いは無視した。(中略)母には、土地となかよくしようという気持ちは確かにあったはずだ。だがハルチは拒否した」(Kindle版No.1772、1798)

 「多分その頃の私は夢の世界の中だけで生きていたのだ。そしてハルチを出た時、現の中で生きられるように少しずつなった」(Kindle版No.1677)

 「私は外へ出て漸く、生きていて良かったという感覚を持てるようになった人間であった。生きている自分というものが未だに珍しく新鮮なのであった」(Kindle版No.1918)

 「束縛と怯えだけで私はこの土地と繋がっていた」(Kindle版No.2193)という、自らの故郷、そして幼少時代。その記憶に深く潜っていった語り手は、まるでフロイト流の精神分析のように、ついにトラウマの原因に到達します。

 「ハルチの記憶の芯になる嫌なもののところまで私は降りて来ていた。(中略)これ以上思い出してはいけなかった。思い出せば殺人者になってしまう。(中略)ハルチがどこなのかついに判った」(Kindle版No.1788、2252、2298)

 ハルチの記憶が抑圧されていた理由。それは、ある親戚との確執、そして土地の歴史にありました。ずっと後の作品で何度も言及されることになる、あれです。

 というわけで、幼い頃の思い出を、土地の呪縛を、そして憎悪や嫌悪といった負の感情を、まるでホラー小説のように鬼気せまる筆致でえがいた短篇です。(小説上の)故郷や両親は後々の作品でも重要モチーフとして何度も登場することになりますが、その原型となるイメージはここにある、そんな気がします。


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