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『史論の復権』(與那覇潤) [読書(教養)]

 「いまの日本社会が抱える問題の多くは、「中間的なもの」の衰退ということに尽きると考えています。(中略)極論がもてはやされる。逆に「中間派」だと見なされると、両側から石が飛んできかねない。 私にはそれは、人々の歴史に対する感覚の衰弱と、表裏一体のもののようにみえたのです」(新書版p.5)

 アカデミズムとジャーナリズムの間をつなぐ「中間」としての役割を果たすべき「史論」を復権させたい。『中国化する日本』の著者による、多様な分野との対話を通じた史論ブラッシュアップの試み。新書版(新潮社)出版は、2013年11月です。

 自分たちが生きている時代が歴史上いかなる境位にあるのかを、専門家に限らず広く問いかけ、歴史の文脈から現在を捉えなおす。歴史と現在をつなぐ。七人の論客との真摯な対話により、史論に磨きをかける一冊です。対談相手は、それぞれ政治学、経済学、戦後史、民俗学、昭和史、映画史、大河ドラマ、という幅広い分野で活躍している方々。

 「本書に収めたのは、『中国化する日本』という私の史論をきっかけとして出あうことになった、多くの方々との対話の一部です。同じ考えの方ばかりではなく、同書に対する批判も含めたさまざまな立場と触れあうことによって、あるひとつの歴史の見方が、少しずつ形を変えていく。その様子を通じて、つねに完成への途上、なにかの「中間」にある場所としての、歴史の姿を示すことにつながっていればと願っています」(新書版p.6)

 「中国化」(元祖グローバル化)とそれに対する反動のせめぎ合い、として日本史を捉える視点を打ち出した『中国化する日本』を元に、それぞれの対談相手と議論してゆきます。いきなり初手から鋭く対立したりして、なかなかに刺激的。

 例えば、最初の「第一章 日本に「維新」は必要なのか 政治学との対話」では、対談相手がこう切り込んできます。

 「グローバル化が不可避の歴史の流れというのは、単純な進歩史観ではないでしょうか。(中略)政策選択の誤りが生みだしたに過ぎない社会の変化を、避けられない「長期的なトレンド」と見間違える罠に気を付けなければなりません」(新書版p.18、22)

 対して與那覇先生は、次のように返します。

 「歴史の大きな文脈の中で、世界全体の構造が中国化しているからこそ、「結果」として金融立国的・マクドナルド化的な政策が採られてきたのでは」(新書版p.21)

 さあ、中国化(グローバル化)は不可避な歴史トレンドなのか、それとも各国が無批判に政策をそれに合わせているだけなのか。対話は否が応にも盛り上がります。

 「第二章 企業が受け継ぐ「江戸時代」の遺産 経済学との対話」では、その続きとして、仮に中国化を前提とするなら、そこで日本はどのように対応すべきかを議論します。

 まず対談相手からの問いかけ。

 「確かに「中国化」の波に下手に抵抗をしていると失うものが多いというのは私も賛成です。ただ、一方でフラット化が進みすぎて、日本を日本たらしめていた「デコボコ部分」を削ぎ落としてしまうと、日本の存在感がなくなってしまうのではないか」(新書版p.34)

 與那覇先生は次のように応じます。

 「中国化に合わせることが「いいことだ」という立場ではないんです。 ただ、合わせるのがいいことではないにしても、合わせないとその国が没落してしまうのが、グローバル化=中国化の怖いところです。(中略)だから私の立場も、中国化は素晴らしいから積極的に乗っていこうというよりは、しないと負けちゃうから何とか対応しないとまずい、という主張ですね」(新書版p.35、36)

 そこから「中国化が進む国際社会のなかで日本の企業経営はどうあるべきか」、「日本が持っている価値を国際的に活かす道は」といったエキサイティングな議論へと転がってゆきます。

 と、こんな具合に、様々な相手との対話が収録されています。

 「これまでの思想史が非常に狭いイデオロギー思想史になっている、という批判意識ゆえなのでしょうか」(新書版p.73)

 「正確に言うと、イデオロギー思想史にすらなっていないというのが私の見立てなんです。今までの政治思想史は、ほとんどが有名思想家の解釈学ですから」(新書版p.74)

 などとシビれるやりとりを交わす一方で、

 「この空間から政治を捉えるというモチーフは、やはり当初から一貫していたのでしょうか」(新書版p.67)

 「あの本を書いた動機は不純でありまして、現在の妻、つまり当時の交際相手がソウルにいたんです。(中略)彼女に会いに行くために、急遽テーマを変えたんです(笑)」(新書版p.68)

 別の意味でシビれる話が飛び出したり。読み物としての面白さも充分です。

 後半は映画、時代劇、大河ドラマ、に関する濃い対話が続きます。個人的には、教養がないため正直ついてゆけず、とても残念でした。ただ、大河ドラマにおける時代考証の様子は予想外で、びっくり。

 「私自身も必ずやるのは、作品に入る前に、主な登場人物についてのわかっている限りの足取りを日にち単位で表にする。(中略)その典拠、何とか先生の本の何ページに書いてある、というところまで。(中略)その空白部にドラマをつくるわけです。「そのときなら、誰と誰は物理的に会える」と」(新書版p.223)

 「物理的にいられるかいられないかというのは、まず最初に考えます。後は、そのときそのときに登場人物たちがどんな思想を持って行動していたのかを調べ、それを照らし合わせながらセリフをつくっていくわけです。(中略)光秀の動きも全部、時間単位でおさえています。この街道を通ったら何時間かかるから、これだったらいけるということで、大きな嘘を編み出すわけですけど」(新書版p.227)

 與那覇先生が「歴史学の世界でも、本格的な大河ドラマ研究がなされていい頃だと思います。自国史に対するどんなイメージをつくって日本人が生きてきたかというのは、ほんとうに重要な問題ですから」(新書版p.233)とおっしゃるのも頷けます。

 全体を通読して感じるのは、同じ学問分野の中だけでなく他の分野の人々と真摯に対話して見識を広げることの大切さ。ことばで斬り結び、ことばで共通理解と差異を明確化する、そのことの重要性。

 これから学問の道へ進もうという方、特に若者には、與那覇先生の著書が大いに役立つのではないでしょうか。というのも、

1.自分自身の考えを確立する (参考『中国化する日本』)

2.専門家と議論して洞察を深めてゆく (参考『日本の起源』)

3.前提を共有しない人にも通じるよう、明瞭で原理的なことばにする (参考『日本人はなぜ存在するか』)

4.そのことばで他の分野の人々と議論して思索を広げ、また自分の考えをブラッシュアップする (参考『史論の復権』)

という繰り返し、いわば「知のPDCAサイクル」の分かりやすい実践例になっているからです。どこがPDCAなんだ、というツッコミはご勘弁。こうして、学問の果てしない道程の「中間」でなすべきことを示してくれる好著が手軽に(専門書ほど高価でなく)読めるというのは素晴らしいことだと思います。


タグ:與那覇潤
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