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『「『ジューシー』ってなんですか?」』(山崎ナオコーラ) [読書(小説・詩)]

 「先に続く仕事や、実りのある恋だけが、人間を成熟に向かわせるわけではない。ストーリーからこぼれる会話が人生を作るのだ」(Kindle版No.937)

 特に劇的なことが起きるわけでもなく、耐えられる程度の不幸がだらだらと続いてゆく仕事、そして人生。職場というものを詩的にとらえた長篇の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(集英社)出版は2009年07月、文庫版出版は2011年11月、Kindle版配信は2013年08月です。

 新聞のテレビ・ラジオ欄の校正という、およそエキサイティングとは言い難い上に、長時間労働を強いられる報われない職場。そこで働いている六名の男女を描いた作品です。

 特に劇的なことは何も起きません。それまで仲違いしていた六名が会社存亡の危機に協力して立ち向かうとか、上層部の不正を知って葛藤するとか、職場恋愛から不倫騒動へ、みたいなことは一切なし。非常にリアルな職場です。

 何しろ作中で起きる最もドラマチックな出来事といえば、『ジューシーハムサラダ』というサンドイッチの名前を聞いて、「『ジューシー』ってなんですか?」と質問し、みんなが爆笑するという場面なのです。

 「岸の心に「『ジューシー』ってなんですか?」という広田の科白のユーモアが染み込み、一生抜けそうにない。笑いが永遠に続く。おばあさんになっても、「『ジューシー』ってなんですか?」というフレーズを、きっちりと覚えているような気がする」(Kindle版No.723)

 では何に重点を置いて書かれているかといいますと、まずは「ストーリーからこぼれる会話が人生を作るのだ」(Kindle版No.937)ということで、職場でのたわいもない会話の妙なおかしさ。例えば、こんな感じです。

----(Kindle版No.224)

「よく噛むと、甘さが出てきて、安っぽいパンには安っぽいパンなりのおいしさがあることを発見できるんですよ」

「でもさ、パンだけじゃ、栄養足りないんじゃない?」

「栄養、栄養ってみんなよく言いますけど、栄養っていうのは幻想ですからね」

「食べ物の中に、栄養は入ってないの?」

「愛とか、サンタクロースとかと同じで、ある人にだけあるんです」

「愛とか、サンタクロースとか、栄養って、実はお父さんなのかもなあ」

----(Kindle版No.263)

「世の中には、巨大な権力が存在しているんです。それで、僕たちの思想を統制しようとして、新聞やテレビや雑誌を使って、洗脳してくるんです」

「はあ」

「でも、ネットは、民が直に発信できる場所ですから」

「そうなんですか?」

「だから、裏の情報が手に入るんです」

「ネットって、何を見るんですか?」

「2ちゃんねるとかです」

----

 何かこう、リアルというか、そういう感じですよね、職場における実際の会話って。

 そして「働くとは 毎日を詩を詠んで過ごすことだ」(Kindle版No.727)ということで、職場や仕事をうたった詩の断片のような表現があちこちに散りばめられています。

 「他愛のない遣り取りが ビルの十階で泡のように生まれ続ける//机の島に言葉の波がうち寄せる//働くとは 毎日を詩を詠んで過ごすことだ/(中略)/登場人物は死んでも 会話が残る//永遠に残る」(Kindle版No.725)

 「平凡な男が世界の誰にも知られずに寝たり起きたりしている」(Kindle版No.25)

 「真っ直ぐに生きる勇気も、逃げる勇気も持ち合わせずに、ただ徒に時が過ぎてしまうのだろうか。/ 問題なのは広田が世の中を好きだということであった。広田は人生を愛してしまっている」(Kindle版No.352)

 「世間の規範から外れた幸せが欲しい。/ひとりだけで、こっそり笑うような。」(Kindle版No.375)

 「最近は本当に汚いものが好きだ。排水口、マグカップの茶渋、風呂の水垢。気がつくとじっと見つめている自分がいる。不浄観を極めるために、そのままじっとする」(Kindle版No.661)

 「疲れた目で見ると、世界が新鮮だ。電車の中では、垂直の線ばかり浮き上がって見える。銀色の手すりや、窓のサッシが妙にクリアに目に迫る」(Kindle版No.691)

 「何も見せなくとも、胸を張って歩けば、警備員に止められることはなかった。岸は、どこでも、歩ける。どこまでも、いつまでも、歩ける」(Kindle版No.533)

 「人々の小さな営みは蛆虫のように温かい。(中略)日光に当たってるものは何もかも、祝福されている」(Kindle版No.833、838)

 「痛みというものは消えることがないが、薄らぐという性質を持っている」(Kindle版No.936)

 併録されているのは、『ああ、懐かしの肌色クレヨン』という短篇。こちらは、工場で働いている鈴木さんが、職場を辞めるという同僚の男性を思い切ってデートに誘い、告白したもののてんで相手にされなかった、という話。

----(Kindle版No.1001)

 「あの、今日はお仕事とは関係なく、聞いていただきたいことがあるんです」

 「はい」

 「私は、やっぱり、山田さんのことが好きでしょうがなくて」

 「あら」

 「恋人になりたいくらいなんです」

 「おお」

 「そのことについて、少しでも考えてみていただくことは、できませんか?」

 「う、うーん。考えるって言っても、いつまで考えたらいいのか、わかんないよ」

 「はい」

 「じゃあ、今日しかないと思うので、口説くだけ口説いてみたいんですが」

 「でも、オレは今日、二時までしかいられないよ。三時に、神保町で別の人と待ち合わせてるから」

 「大丈夫です。短く口説きます」

----(会話だけを抽出)

 山田くんが三時に待ち合わせている「別の人」が、おそらくは本命の恋人だろうということは、読者にも、鈴木さんにも、よく分かっているのですが、それでも健気に勘張る鈴木さんなのです。

 もちろん奇跡が起きるはずもなく、まったく相手にされません。でも、それで鈴木さんが嘆いたり悲しんだりするわけでもなく。

 「でも、「肌色」という言葉があった世界のことも、鈴木は嫌いではなかったのだ。過ごしにくい世界を否定する気持ちは毛頭ない。「どんな世界だって生きていける」と鈴木は思っている。 だが、もしかしたら、この明るい気持ちは、鈴木が平和の中で育ったという理由によるものかもしれなかった」(Kindle版No.1086)

 なぜ人生には不公平がつきものなのか。絶対に「主役」になれず、常に「その他」として扱われる人生は、果たして不幸なのか。鈴木さんはあまり感情を表さないので、代わりに読者が色々と思いやってあげることに。

 というわけで、二篇とも、特に波瀾もなく、幸福でもない、かといって耐えがたいかというとそうでもない、普通の人々の凡庸な脇役人生を、不思議なユーモアを込めて描いた作品。読後感は意外に明るく、何だか終わってしまうのが惜しいような気持ちになる小説です。


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