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『食べられないために 逃げる虫、だます虫、戦う虫』(ギルバート・ウォルドバウアー) [読書(サイエンス)]

 「昆虫が捕食者から身を守る自衛手段とそれを回避するために捕食者がとる対抗手段は、相互作用する生物同士が互恵的に進化することを示す説得力のある例だ。(中略)昆虫捕食者とその被捕食者の相互作用を理解することは、陸上および淡水の生態系を理解する上で欠かすことができない」(単行本p.255、257)

 食べられることで生態系を支えている昆虫。しかし彼らは為す術もなく食べられているわけではない。逃走、攻撃、威嚇、隠蔽、擬態、あらゆる手段を駆使して捕食者から逃れようとしているのだ。米国を代表する昆虫学者が活き活きと描き出す、昆虫の生存戦略の驚くべき多様性。単行本(みすず書房)出版は、2013年07月です。

 「どんな生物にも食物が必要なのだから、食べられる者と食べる者とのせめぎあいは、生物の共同体で起きている重要な----たぶんもっとも重要な----出来事にちがいない。(中略)昆虫は、植物を食べない動物にとって、直接的あるいは間接的に、もっとも豊富に存在する動物性食物源になっている」(単行本p.9)

 「東アフリカの平原では、1エーカーあたり数百種いる昆虫のうち、たった二種類のアリだけで、おなじ面積に生息するヌーやシマウマやレイヨウといった大型の草食動物をすべて合計した重量に匹敵していた」(単行本p.12)

 「ニューメキシコ州にあるカールズバッド洞窟群国立公園のようなところにすむ、おびただしい数のコウモリが(中略)一晩で、約58トンもの飛翔昆虫を食べたという」(単行本p.214)

 自然界における昆虫のバイオマスは驚異的な分量に達し、その捕食と被捕食の関係が生態系を形作っています。そうした昆虫たちの自衛と対抗の途方もない手段の数々を、専門家が紹介してくれる本です。最初の二つの章だけでも、次のような例がぞろぞろ登場。

 「ナゲナワグモは、たまたま虫がやってくるのを無為に待つようなことはしない。獲物----常に蛾----をおびき寄せるのだ。そのエサは偽のシグナル。メスの蛾がオスを惹き寄せるのに使う性誘引物質のフェロモンを模したにおいを漂わせるのである」(単行本p.23)

 「カレドニアガラスは・・・そのままでは捕獲できない獲物を手に入れるために、道具を作成して使用するという驚くべきスキルを見せる」(単行本p.48)

 続く第三章のテーマは、隠蔽と逃走。まずスロースモスの隠蔽戦略に度肝を抜かれます。

 「「ソロースモス」の生活環境とは、新世界の熱帯林の梢の上で葉を食べて暮らす緩慢な動きの哺乳類「ナマケモノ」の密生した毛の中なのだ。ナマケモノ一頭の体には、この蛾が、数匹から100匹以上すみついている。(中略)ナマケモノは、一週間に一度ほど、地面に降りて糞をする。(中略)その際、メスのスロースモスはすばやくナマケモノの体を離れ、落ち葉でおおわれる寸前の糞に卵を産みつける。幼虫は糞を食べてさなぎになり、羽化して糞の穴を出ると、木々の上方に飛び上がってナマケモノを探す。この蛾は、交尾もナマケモノの体の上で行う」(単行本p.62)

 一生を特定のナマケモノ(とその糞)と共に過ごし、ほぼまったく外界に出ないことで、捕食を免れるというわけです。

 「ゴキブリを含む、ある種の昆虫の腹神経索を構成する神経繊維には、他の昆虫に比べて14倍もの太さを持つ巨大繊維が6本から8本含まれている。巨大繊維の利点は神経刺激が迅速に伝わることだ。ローダーによると、他の繊維の伝達速度が秒速60センチほどであるところ、巨大繊維では秒速約7メートルにもなるという。(中略)ワモンゴキブリは、1秒間に、約3.8センチという体長のほぼ34倍もの距離を走る」(単行本p.69、73)

 ゴキブリの瞬発力、物陰に逃げ込むスピード、それは生き延びるために何億年もかけて進化してきたものなのです。むかつく。

 「飛翔速度が遅いという昆虫の短所は、初期警戒システムがタイミングよく発動することと、すばやく身をかわすための不規則な飛翔により、少なくともある程度までは補われている(中略)極小のヌカカは、驚くことに1秒間に1047回も羽ばたきをする」(単行本p.80)

 第四章と第五章のテーマは、カモフラージュ。木の枝そっくりに擬態するシャクトリムシ、木肌と見分けがつかない蛾、草木の枝そのものに見えるナナフシなど、有名どころが次々と登場します。しかし、単体カモフラージュは、いかに驚異的であっても、まだまだ基本に過ぎません。

 「この“花”は、バーベナのように、縦長の茎に沿って下から上に咲いていく小さな花やつぼみが集まった穂状花序の姿をしていた。しかし花に触ったグレゴリーは唖然としてしまった。「花とつぼみが四方に飛び散った」からである。彼は、アマチュア植物学者だったワトソン氏に、別の“穂状花序”を指さした。その花を摘もうとしたワトソン氏も、グレゴリーとおなじぐらい、逃げ出した花とつぼみに驚かされた」(単行本p.113)

 ハゴロモという昆虫は、それぞれの個体が分担して「花」や「つぼみ」や「茎」に色も形もそっくりに擬態した上で、正しく配置することにより、集団擬態による偽の“穂状花序”を作り出す、というのです。その出来ばえは、大英博物館自然史部門の専門家と植物学者をまんまと騙してのけたのです。

 第六章のテーマは、威嚇。いきなり鮮やかな色(フラッシュカラー)や、巨大な「目玉」模様を見せて捕食者を驚かせて一瞬ひるませ、その隙に逃げるという基本手段が色々と紹介されますが、さらに複雑な威嚇行為を見せるのは、やはりカマキリ。

 「ベネズエラにすむウスバカマキリは、他の数種のカマキリとおなじように、鳥に対して驚くほど複雑な威嚇誇示を行う。それは、危険を感じると言う人もいるぐらい異様な行動だ」(単行本p.122)

 まるまる1ページ近くを費やして紹介されるその威嚇誇示の複雑さと精微さには舌を巻きます。俗に「蟷螂の斧」と言いますが、これだけの行動が進化してきたということは、捕食者に対して絶大な効果があるのでしょう。

 「「この蝶は着地時に驚くべき行動をとる。着陸するとすぐに体の向きを変えて、偽の頭部がこれまで飛行してきた方向に向くようにするのだ」。こうして、偽の頭で天敵をまどわせるだけでなく、着地時に頭と腹部の位置を入れ替えることによって、相手を攪乱するのである」(単行本p.132)

 さほど重要な器官がない尾部に偽頭部を作り、さらに体勢も動員して、最初にそこを攻撃するよう捕食者を誘導する。一瞬の攻防に命をかけていることがひしひしと感じられます。

 第七章のテーマは、群れ。集団の数によって捕食される危険性を減らそうという基本的な手段を扱います。

 第八章のテーマは、武器と警告シグナル。

 「ホソクビゴミムシの腹部には、過酸化水素とヒドロキノンをそれぞれ収めている貯蔵室がある。発射準備が整うと、この二種類の化学物質はもう一つの貯蔵室に押し出され、そこで酵素の働きによって、爆発的な化学反応が引き起こされる。この反応は非常に刺激性の高い高熱のベンゾキノンを生みだし、それが腹部先端の管を通して噴射されるのだ。(中略)腹部先端が回転するため、事実上どんな方向にも噴射可能で、ホソクビゴミムシは、常に正確に敵に狙いを定める」(単行本p.164)

 「向こう見ずな働きアリが、戦いの最中に、「腹壁を猛烈に収縮させ」、ついには毒が詰まった腺を膨れ上がらせて「破裂させ」ることにより、敵に毒を撒き散らす」(単行本p.170)

 「ある種の甲虫と蛾のさなぎには、体節と体節のあいだにある顎のような“罠”がある。ちょうど、バネ式のハサミワナのような仕掛けだ。さなぎがうごめくと、この仕掛けが作動してアリや他の捕食性昆虫の脚をつかむことができる」(単行本p.158)

 化学兵器から自爆テロ、無害な幼児に仕掛けられた罠まで、その残虐非道、冷酷無慈悲っぷりには愕然とさせられます。

 「ケムシは脱皮に先だち、毒針毛の多くを回収して、さなぎの段階とそのあとの成虫の段階で、身を守るために再利用するのだ。一部の種の成虫には、すでに三度も利用した毒針毛をさらにもう一度使って、卵塊をおおうものまでいる」(単行本p.175)

 この軍事費の節約も涙ぐましい。自然界は厳しい。

 第九章のテーマは、捕食者側の対抗手段。昆虫の防衛手段の裏をかくために鳥が進化させてきた能力の凄さが示されます。

 「鳥のなかには、もっとも毒性の低い部位だけを食べ、残りを捨てることによって、毒のあるオオカバマダラを食べるものがいれば、毒針のある腹部がちぎれるまでカリバチやハナバチの体を枝に叩きつけることで、毒を持つハチ類の裏をかくものもいる」(単行本p.197)

 他にも、コウモリが襲ってきたときある種の蛾が超音波を発するという話題が素晴らしい。その目的は警告シグナルなのか、それともコウモリのエコーロケーションを妨害するための音響攪乱なのか、という論争が長く続いてきたというのです。

 そして第十章のテーマは、擬態です。他の種そっくりの形や行動で捕食者を騙す「ベイツ型擬態」と呼ばれる作戦の数々。

 「数種のゴキブリの種は、それぞれ赤と黒の体色を持つ特定のテントウムシの種に擬態している」(単行本p.224)

 「アマゾン川流域を広く探検するあいだに、ベイツは、妨害されると小型のヘビの頭部と首を説得力のある仕草でまねる大きなイモムシに出会って仰天した」(単行本p.224)

 カラフルなテントウムシのふりをするゴキブリや、毒蛇がもたげた鎌首そっくりに擬態するイモムシがいるこの世界は素敵なのですが、個人的には、じわりと嫌な汗が滲んでくる思いです。

 「ベイツ型擬態は、広く、かつ一般的に見られる行動で、(中略)圧倒されるほど多種多様な擬態システムがあることに特徴がある。・・・昼行性の目立つ節足動物は、実質的にほぼすべてのものが何らかの形で擬態行動に加わっており、明らかな例は、この擬態システムのなかで送られ、受けとられ、まねされている聴覚と視覚と化学によるシグナルの精密な分析を通して今後発見されるであろうものの、ほんの一部を示しているにすぎない」(単行本p.227)

 数千年にわたって人間を欺いてきた「ミツバチへの擬態の完璧さ」(単行本p.243)を誇るナミハナアブなど、本章で紹介されるベイツ型擬態の多様性からは、進化というものの凄みが感じられます。

 ただ昆虫の珍しい生態を並べるだけでなく、その進化的な意味合いや、研究者のことにも詳しく触れているのが本書の特徴の一つです。特に、昆虫が示すこれらの形態や行動が「生存上、有利な効果を持っている(=適応的価値があるから進化した)」という、一見すると明らかとしか思えない結論を出すために必要な労力には、もうほんと頭が下がる思いです。

 「科学というものは、実験あるいはシステマティックな観察を通した検証を要求する。そのような検証は、自然界に暮らす生物を使って行うのは難しいし、たとえ実験室で行うにしても容易ではない」(単行本p.124)

 「自由に行動する野生の捕食者、擬態者、および非擬態者のあいだの相互作用を、統計学的に有意な回数が集められるような形で観察するのは、ほぼ不可能である」(単行本p.246)

 といった表現が随所に登場。あえてその困難に挑戦し、長年かけて「魅力的な仮説」(その多くが自明としか思えないもの。例えばある昆虫が木の葉そっくりの外見をしているのは、それによって捕食者に見逃される可能性を高めるためである、など)を検証し、その正さを証明した、といったエピソードも満載で、いずれも感動的です。

 というわけで、虫好きの方、生物学の研究者(特にフィールドワーカー)を目指している方、昆虫の珍しい生態という豆知識をこよなく愛する方、などにお勧めの一冊です。