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『SF JACK』(日本SF作家クラブ編、山田正紀、上田早夕里、山本弘、他) [読書(SF)]

 「これにまさる極上のひと時が、他にこの世のどこにあるというのか。その時間を手に入れるために、おれは仕事をしているのである」(単行本p.474)

 冲方丁のラノベ調ロボットバトルから、夢枕獏の伝奇ホラー風妖怪退治まで、全12篇。浸透と拡散を続けるSFの幅広い領域に、現代屈指の作家たちが書き下ろした短篇SFアンソロジーです。単行本(角川書店)出版は、2013年02月。

 とにかく豪華メンバーを取り揃えてきました。SFが本業の作家もいれば、ミステリ作家もいます。ベストセラー作家もいれば、熱心な愛読者に支えられている作家も。各人がそれぞれ「自分はこれがSFだと思う」という作品で勝負かけてきたという感じ。その幅広さには驚かされます。

『神星伝』(冲方丁)

 「絶対形質を裂き、核の熱を封じる、ケルビン・ヘルムホルツ機構の真理----究極光だ」(単行本p.51)

 木星の衛星にある都市に住むごく平凡な高校生が戦争に巻き込まれたとき、その真の力が覚醒する・・・。陰陽技術、法精神数学、時空光円墳、などなど怪しげな造語をまき散らし、呪術と魔法と超テクノロジーが渾然となったワイドスクリーンバロックSFを、ほとんどパロディのように徹底的にライトノベルの文脈で書いた怪作。何しろ巨大ロボットバトルもの長篇一冊分(あるいはTVシリーズ1クール分)の話を短篇に詰め込んだので、後半まくることまくること。

『黒猫ラ・モールの歴史観と意見』(吉川良太郎)

 「世界は人間の手で記述できる。その思想は、やがてこう発展した。ならば世界は人の手で書き変えられるはずだ。よろしい。ならば吾輩は、彼らが世界をどのように変えていくのかを見届けよう」(単行本p.74)

 太古の昔から死者の魂を喰らい続けてきた黒猫が、人類の未来を見届ける。18世紀パリの共同墓地からはるかな未来へと駆け抜ける壮大な寓話ですが、語り手であるラ・モール君が、「神秘に見える吾輩の存在も、一応の合理的解釈が可能となろう」(単行本p.69)と語り、SFだと言い張るのが可愛い。

『楽園(パラディスス)』(上田早夕里)

 「人間は道具を使うことで自分を拡張するわ。道具は人間の身体の一部なの。だとすれば、こうも言えるわよね。テクノロジーそのものも、人間の身体の一部なのだと」(単行本p.110)

 事故で急死した恋人が残していた人格データ。それは彼女そのものではないが、それなら彼女そのものとはいったい何なのだろうか。テクノロジーが人間の本質を変容させてゆく未来へ果敢に切り込んでゆく本格SF。この著者が書いた脳や意識をテーマにしたSF短篇は、いつも凄味があります。

『チャンナン』(今野敏)

 「小説家というのは、荒唐無稽なことを考えているようで、実はものすごく地に足のついたことしか考えられない」(単行本p.133)

 沖縄にはじめて伝わった空手道の源流とは、いったいどのようなものだったのか。それについて考えていた空手の師範が、酒に酔った勢いで過去の沖縄にタイムスリップしてしまうが・・・。最近書かれた作品とは思えないほどオールドスタイルの昭和SF。

『別の世界は可能かもしれない。』(山田正紀)

 「彼女はその説をここまで押し進めるべきだったのだ、すなわち人間とは遺伝子の「悲惨実験」のいわば供試試料にすぎないのだ、と」(単行本p.184)

 障害を持った内向的な少女が、人為的に知能を高められたネズミと心を通わせる・・・。『アルジャーノン』方向に進むか、それとも映画『ウイラード』風ホラーか、と思っているうちに物語はトンデモない方向へと爆走。遺伝子と表現形の戦い、とか、いかにもこの著者らしい力業の数々が印象的。

『草食の楽園』(小林泰三)

 「簡単なことよ。構成メンバーが全て善人による社会ができれば、市民たちはみんな幸せになる」(単行本p.201)

 理想社会の実現を目指す宇宙コロニー。だが、やがて格差が生まれ対立が生じ・・・。なぜ社会から対立と争いがなくならないのかを追求した、ユートピア小説をからかったような寓話。

『不死の市』(瀬名秀明)

 「人生のさまざまな象徴である四つの香辛料の名は、リフレインの際に変わる。四という数字は人類が初めて細胞の時間を戻すときに振りかけた遺伝子の数だ」(単行本p.234)

 再生医療技術の暴走により生じた疫病で壊滅した遠未来。異形の生態系の中を旅する男女をうたった神話。iPS細胞と北欧神話を結びつける手際が見事。

『リアリストたち』(山本弘)

 「その事実は、私たちノーマルにとって、喉に刺さった小骨のようなものだった。些細なことだが、いらいらさせられるのだ。私たちは真にリアルと縁を切ることができない」(単行本p.291)

 多くの人々が自室に引きこもり、仮想空間で暮らしているバーチャル時代。語り手は、物理世界で生きることを選んだ「リアリスト」と呼ばれる特殊な人々から面会を申し込まれる。だが、その目的は何なのか・・・。ネット中毒やネトゲ廃人が多数派、「ノーマル」となった未来をえがく風刺SF。

『あの懐かしい蝉の声は』(新井素子)

 「とても不便だった。だって、他のみんなは第六感を持っているんだもん。んでもって、あたしには、それが、ないんだもん」(単行本p.318)

 普通の人が持っている第六感と呼ばれる感覚が欠如していた語り手は、手術によりその「障害」を治すことになったが・・・。スマホ等でいつでもネットにアクセスするようになった現代に対する違和感を扱った作品。いまだに10代の感性で書けてしまうというのが凄い。

『宇宙縫合』(堀晃)

 「初歩的なフィードバック回路です。戻す信号が正か負で、発振するか減衰するかが決まる」(単行本p.360)

 記憶を失って彷徨っていた男が、警察に保護され、自分とまったく同じ男が死体となって発見されたということを伝えられる・・・。時間ループものだということは予想がつきますが、その背後にある壮大なアイデアに圧倒されます。ラストは『果しなき流れの果に』(小松左京)へのオマージュではないかしら。

『さよならの儀式』(宮部みゆき)

 「この国を成り立たせるためには、ロボットを造って使って壊して買い換えるというループを守らねばならない。(中略)ロボットへの思い入れが過ぎる人びと----擬人化が行き過ぎて愛情過多になってしまう人びとが現れたことも、このループの副作用みたいなものだ」(単行本p.387)

 家庭用ロボット回収施設の顧客サポート、「ロボットと別れ難いというユーザーにご納得いただく」(単行本p.374)仕事をしている技術者。どんなに機械だと分かっていても愛着を感じてしまう人間の心をテーマにしながら、こっそり現代の労働雇用問題を風刺した切れ味鋭い短篇。

『陰態の家』(夢枕獏)

 「何かを好む、何かを愛玩するということの中には、何かしらの狂気が混ざり込んでいるものだ。そういうもので、往々にして、人は身を滅ぼす」(単行本p.401)

 魑魅魍魎に苦しめられている屋敷に赴いた傀儡師が、怪異の原因を突き止めようとするが・・・。いかにも著者らしい伝奇ホラー作品。陽極線・陰極線(ちなみに重ねると「太極線」になるそうな)、気の循環ループなど、怪しい疑似科学的な言葉や概念で、絶妙にいい雰囲気を作り出してしまう手際はさすが。

 というわけで、初心者からSFのコアなファンまで、幅広い読者をターゲットにしたと思しきアンソロジーです。個人的な好みでは、『黒猫ラ・モールの歴史観と意見』(吉川良太郎)、『楽園(パラディスス)』(上田早夕里)、『宇宙縫合』(堀晃)、『さよならの儀式』(宮部みゆき)、『陰態の家』(夢枕獏)が気に入りました。

[収録作品]

『神星伝』(冲方丁)
『黒猫ラ・モールの歴史観と意見』(吉川良太郎)
『楽園(パラディスス)』(上田早夕里)
『チャンナン』(今野敏)
『別の世界は可能かもしれない。』(山田正紀)
『草食の楽園』(小林泰三)
『不死の市』(瀬名秀明)
『リアリストたち』(山本弘)
『あの懐かしい蝉の声は』(新井素子)
『宇宙縫合』(堀晃)
『さよならの儀式』(宮部みゆき)
『陰態の家』(夢枕獏)


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『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』(松田卓也) [読書(サイエンス)]

 「人工知能の進歩は、国家を超えて人類の運命を左右する極めて重大な問題だと私は思います。しかし、日本人はそのことをぜんぜんわかっていません」(新書p.215)

 コンピュータの指数関数的な進歩により、2045年には人類を超える人工知能が誕生すると予想されている。そのとき、いったい何が起こるのか。「シンギュラリティ」(技術的特異点)について、一般向けに易しく紹介した一冊。新書版(廣済堂出版)出版、2013年01月です。

 未来のある時点で、人類を越える人工知能が誕生したとします。すると、そこから先のテクノロジーの進展は、人類よりはるかに高速で高度な思考を行う超知性体が担うことになるでしょう。また超知性体は、自分自身を常に改良し続け、さらに優れた超知性体を創り続けることでしょう。

 これらの効果が相乗することで、テクノロジーの進歩は、人類の制約も、理解さえも、はるかに越えて、爆発的に加速してゆくことになります。そこから先がどうなるのかは、まさに予測不能。

 上のようなアイデアは、物理法則が破綻するポイント(質量無限大点)を示す用語をそのまま流用して、「シンギュラリティ」(技術的特異点)と呼ばれています。何しろ人類の理解を超越したオーバーテクノロジーを説明なしに出せるという便利さからか、最近のSFにはよく登場する言葉です。

 レイ・カーツワイルの『ポスト・ヒューマン誕生』によると、シンギュラリティは遠い未来の話ではなく、私たちの多くがまだ生きている近未来、具体的には2045年にやってくるといいます。この本については、2007年05月10日の日記に書きましたので、興味がある方はそちらをお読み下さい。

  2007年05月10日の日記:『ポスト・ヒューマン誕生』(レイ・カーツワイル)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2007-05-10

 さて、前ふりが長くなりましたが、本書はこのシンギュラリティについて、一般向けに易しく紹介するものです。「2045年問題」というキャッチーなタイトルがお見事。カーツワイルの予測を前面に押し出し、その日に備えて私たちはどうすればいいのかを問います。

 まず、コンピュータの進歩がどれほど急激で、しかも加速しているかを色々と論じた上で、欧米における人工知能開発プロジェクトの現状を紹介します。

 「アメリカ国防省は、シナプス計画フェイズ2のために3100万ドル(約24億8000万円)の予算をつけたと報じられています。(中略)フェイズ4では、1億のニューロンをもつチップをつくり、人間と同レベルの100億のニューロンをもつ人工頭脳をつくろうと計画しています」(新書p.110、111)

 「このような大がかりな人工知能開発計画は、アメリカだけでなくヨーロッパにもあります。「ブルー・ブレイン・プロジェクト(Blue Brain Project)」がそれです。(中略)計画が成功すれば、2023年には人間の頭のなかで起っているすべての化学反応が、コンピュータでシミュレートできます」(新書p.111、115)

 「神のような機械ができるのは、2050年から2100年までの間だろうとデ・ガリスはいいます。カーツワイルは2045年に特異点に達すると予測していますから、それよりはすこし遅いのですが、ふたりとも今世紀中と見ているわけです」(新書p.132)

 このように、欧米では、シンギュラリティが現実の問題(つまり大型予算の対象)として検討されているのです。しかし、本当にシンギュラリティが近づいたとき、何が起きるのでしょうか。

 「デ・ガリスは、人類が危機にさらされるとしても神となる人工知能をつくろうという人々を「宇宙主義者」、それに反対する、人間が大事だという人々を「地球主義者」と呼びます。そして、21世紀後半、両者の間で大戦争が起きるというのが、デ・ガリスの未来予測です」(新書p.158)

 「カーツワイルはデ・ガリスよりも楽観的で、先ほど述べた通り、人類は滅ぼされるのではなくて、コンピュータのなかに入っていって生き続けると考えています」(新書p.159)

 いかにも欧米の未来学者や哲学者など知識人が好みそうな議論ですが、これに対して著者は別の可能性を提示します。

 「コンピュータのこれまでの爆発的な進歩は、人類の経済的な繁栄に支えられたものだからです。もし、それが失われたら、人間は食べていくのに精一杯になって、「ゴッド・ライク・マシン」をつくるような余裕はなくなります」(新書p.196)

 皮肉なことに、コンピュータの発達がグローバル経済を破綻させ、人工知能開発プロジェクトの予算が凍結された結果、シンギュラリティは来ないというシナリオ。

 余談ですが、SFマガジン2013年4月号に掲載された『Hollow Vision』(長谷敏司)では、次のように書かれています。

 「技術的特異点の突破から50年間も人類社会は正気でいられた。宇宙に生活の場を得る前、いつ核戦争で種が滅びるか分からない狂気の時代も、この鈍感さで乗り切れたのだ」(SFマガジン2013年4月号p.65)

 欧米の知識人(キリスト教の呪縛が強すぎると思う)に比べて、「金がないので無期延期」、「気にしないで鈍感にやり過ごす」、というのは、いかにも日本人らしい発想。個人的には、これこそリアルな未来予想というものだ、と感じますけど。

 というわけで、シンギュラリティとそれが引き起こす事態について、主に欧米で議論されている内容を簡単に紹介する本です。データに基づいた緻密な論考や、包括的で深い洞察が書かれているというわけではありませんが、そもそも言葉すら知らないとか、基本的な議論をざっと知っておきたい、という方には向いています。

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『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(山中伸弥、緑慎也) [読書(サイエンス)]

 「そのような厳しい競争分野に、ぼくらの弱小研究室が飛びこんでいっても勝算はありません。分化の逆である初期化を目指すというビジョンを立てたのは、はじめから負けることがわかっている勝負はしたくなかったからでもあります」(Kindle版 No.730)

 細胞の初期化に成功した功績でノーベル賞を受賞した山中伸弥先生へのインタビューをまとめた本が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。単行本(講談社)出版は2012年10月、電子書籍版出版は2012年11月です。

 タイトルそのまま。山中先生が自分の人生とiPS細胞について語った一冊です。

 「数学と物理が好きな科学少年でした。SF小説もよく読んでいたし、機械いじりも好きだった」(Kindle版 No.134)

 ペリー・ローダンなど読んでいたそんな科学少年が後に医師となり、いきなり頓挫、邪魔者あつかい。研究者への転身、米国での研究生活、帰国後の苦労。ノーベル賞に至るまでの人生が語られます。

 特に印象的だったのは、「アメリカの研究環境と帰国後の研究環境は対照的でした」(Kindle版 No.620)というように、サポート体制がしっかりしていて研究に打ち込める米国の研究環境と、何でもかんでも研究者が抱え込むしかない日本の研究環境の違い。

 どうやら、山中先生の成果を「日本の栄誉」扱いするのは恥ずかしいようです。むしろ「日本で研究するという大変なハンディを背負っての快挙」と讃えるべき。というか研究環境の改善が必要だと思います。予算つけてあげて。

 本書なかほどで、いよいよ細胞の初期化、後にiPS細胞と呼ばれることになる(山中さんが命名)大発見に至る経緯が語られます。

 「理論的に可能なことがわかっていることなら、いずれできる。多くの人が「こんなん絶対無理」と思うようなことも必ずできるようになる。ぼくは単純にそう考えています」(Kindle版 No.870)

 「こうしてぼくらは2004年までに、ES細胞にとって特に大切な遺伝子をなんとか24個まで絞りこめました」(Kindle版 No.974)

 いよいよ核心に迫るとき。弟子との関西弁のやりとりが印象的です。

 「まあ、先生、とりあえず24個いっぺんに入れてみますから」(Kindle版 No.997)

 「そんなに考えないで、一個ずつ除いていったらええんやないですか」(Kindle版 No.1006)

 「これを聞いたとき、「ほんまはこいつ賢いんちゃうか」と思いました。(中略)まさにコロンブスの卵のような発想でした。まあ、ぼくも一晩考えれば思いついていたとは思いますが」(Kindle版 No.1007)

 思わず吹き出してしまいます。さすが大阪人、ウケ狙いの語りが巧い。

 細胞初期化に関与する遺伝子を24個に絞り込み、どの遺伝子の組み合わせが細胞初期化を起こすのか、組み合わせを一つ一つ確かめてゆくつもりでいたら、いきなり乱暴にも「全部いっぺんに入れてみて、それから一個づつ除いていった方がええんとちゃいますか」。こうしてついに初期化に必要な遺伝子が4つであることを突き止めたというのです。

 「論文発表前に、成果が外部に漏れることも何としても防ぐ必要がありました。私たちの方法はあまりに簡単すぎました。情報が漏れたら、誰でもすぐに真似ができるのです」(Kindle版 No.1047)

 「2006年8月に論文は『セル』に掲載されました。新聞の一面トップで掲載される成果だと自負していましたが、ロンドンで多発テロが発生し、隅っこに追いやられてしまいました」(Kindle版 No.1051)

 続く第二部では、一問一答の形で、より突っ込んだ質疑が行われます。ここは質問が鋭い。気になってもやもやしていたことを、ずばり質問してくれます。

(24個まで絞った上で、最後に4つに絞り込んだことについて)

 「結局、画期的だったのは、何千個もある候補因子のうちから、24個にまで絞ったところでしょうか?」(Kindle版 No.1324)

 「24個の時点で論文を発表されようとは思われなかったのでしょうか?」(Kindle版 No.1273)

(24個全部いっぺんに入れて、一つずつ除いて試してゆくという単純かつ乱暴な方法で、驚くほど簡単に、初期化状態が安定したことについて)

 「ある遺伝子と別の遺伝子が単純に足し算されるのではなく、かけ算されるように複雑な絡まり方をしている可能性もあったと思うのですが」(Kindle版 No.1289)

 「エピジェネティクスはそれほど重要ではなかったということでしょうか?」 (Kindle版 No.1382)

 「iPS細胞もES細胞も人工的に作られているとはいえ、どちらも安定に存在できるということは、進化の過程で獲得した共通の仕組みがあるということでしょうか?」(Kindle版 No.1437)

 「どんなところに苦労なされましたか」みたいな通り一遍の表面的な質問ではなく、ぐぐっと踏み込んだ突っ込みが素敵です。山中先生の回答については、本書をお読みください。

 というわけで、まず研究者の自伝としても面白く、特に随所に登場する関西弁や自虐ネタが楽しい本です。そして成果のどこが画期的だったのか、他の研究者はなぜ発見できなかったのか、成果が意味することは何か、残っている謎は何か、というところまで教えてくれます。文章は、何しろ基本的に語り言葉なので、非常に易しく、おそらく中学生でも理解できることでしょう。

 新聞や雑誌記事を読んでも、iPS細胞がどれほど医学の進歩に役立つかという話ばかりで、そもそも「iPS細胞とES細胞はどう違うのか」、「iPS細胞を作り出す方法を見つけたことがなぜ偉いのか」、「他の研究者より先に見つけたというけど、要するに運が良かっただけなのか」、「もともと細胞に自然に備わっている初期化キーを見つけたのか」など素朴な疑問をお持ちの方に、一読をお勧めします。


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『日本SF短篇50 (1) 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー』 [読書(SF)]

 「日本SFは本格的な開花を迎えようとしていた」(文庫版p.444)

 日本SF作家クラブ創立50周年記念として出版される日本短篇SFアンソロジー、その第1巻。文庫版(早川書房)出版は、2013年02月です。

 1年1作、各年を代表するSF短篇を選び、著者の重複なく、総計50著者による名作50作を収録する。日本SF作家クラブ創立50年周年記念のアンソロジーです。第1巻に収録されているのは、1963年から1972年までに発表された作品。

 第一世代の著名作がずらりと並ぶ様は壮観です。さすがに一つも読んだことがないという方はいらっしゃらないでしょうが、意外に読み逃しがあるやも知れません。要チェック。また、今ここでこの歳になって再読してみると、若い頃に読んだのとは印象ががらりと変わっている作品が多く、新鮮でした。

1963年
『墓碑銘二〇〇七年』(光瀬龍)

 「つねにただ一人で帰ってくる男。もどらなかった男たちの残された妻や子にとっては、それは釈明も許さない罪悪なのか」(文庫版p.26)

 ときは西暦2007年、はるか彼方の未来。危険極まりない宇宙探検隊から、たとえ仲間を見殺しにしようとも、必ず生きて帰ってくる男がいた。ある者は彼を賞賛し、またある者は憎悪する・・・。

 生還者の孤独を扱ったハードボイルドな雰囲気の作品。後に書かれる『戦闘妖精 雪風』(神林長平)をちょっと思い出したり。

1964年
『退魔戦記』(豊田有恒)

 「筆蹟も文法も鎌倉時代の特徴をそなえた古文書が、ラテックス紙に書かれている。(中略)おそらく、この古文書は、現在の科学では造られていない数種類の重合物の共重合ラテックスでできているに違いない」(文庫版p.60)

 遥かな遠未来から、歴史を変えるため鎌倉時代にやってきた未来の戦士たち。歴史改変SFとして知られる作品です。というか、今ではむしろ、タイトルに込められた駄洒落で有名かも。後に書かれる『時砂の王』(小川 一水)の遠いご先祖様のような。

1965年
『ハイウェイ惑星』(石原藤夫)

 「ふたりを圧倒したのは、三千万年ももちこたえたその強靱な耐久力と、三キロ幅の道路で縦横に惑星全体を囲んでしまっている、規模の雄大さだった」(文庫版p.120)

 惑星調査にやって来たヒノとシオダのコンビが事故で墜落した場所は、世界全体を取り巻く無人のハイウェイだった。大規模建造物がテーマだと思わせておいて、実は生物進化、異星生物設定に主眼があるハードSFの傑作。今読んでも、子供の頃と同じく、腕がかゆくなります。

1966年
『魔法つかいの夏』(石川喬司)

 「予感と透視はつぎつぎと遠慮なく彼を襲って土足のまま侵入し、彼の頭は秘密の洪水に耐えかねてクラクラした。めくるめく夏の光が、彼の外側にも内側にも充満していた」(文庫版p.201)

 終戦間際のあの夏。学徒動員により化学工場で働いていた少年は、一人の少女と出会う。今読んでも色あせない傑作。そこらの異世界ファンタジーよりはるかに異様な時代を、SF的手法で見事に描いています。

1967年
『鍵』(星新一)

 「男はまた気力をとりもどし、あてもない、しかし期待にみちた旅をつづける。いつ終るともしれない旅だった」(文庫版p.218)

 あるとき男が拾った謎めいた鍵。それに合う鍵穴を探して旅に出る。やがて年老いた彼は、最後にある試みを行う。若い頃、ラスト一行を読んだときの感動が、今でもありありと甦ってきます。鮮やかなオチのあるしゃれたショートショートもいいのですが、こういう感傷的な作品もまた素晴らしい。

1968年
『過去への電話』(福島正実)

 「それというのも、過去の実在性について、みんながあんまり無知だからで、過去というものは、もやもやっと後ろの方にあるのではない、ちゃんとこんなふうに、電話一本かければつながるそばにある」(文庫版p.245、246)

 電話一本のせいで過去に迷い込んでしまった男。子供の頃に読んでもよく分からなかった作品が、この歳になって読むと、長々と迷い続く文章からにじみ出ているその激しい屈託に、しみじみ感じ入ってしまいます。

1969年
『OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN'IN』(野田昌宏)

 「だから円盤で勝負しようというわけだ。円盤が公開放送の現場に着陸して子供をさらう。大騒動になる。新聞種になりゃこっちのものだ」(文庫版p.262)

 視聴率低迷に苦しむTVプロデューサーが企んだヤラセ企画。展開もオチも予想通りですが、途中にはさまれる『宇宙戦争』ラジオ放送事件の解説が楽しい。後に書かれる『38万人の仰天』(かんべむさし)や『ロズウェルなんか知らない』 (篠田節子)のご先祖様。

1970年
『大いなる正午』(荒巻義雄)

 「時間は有限なのだ。有限であるばかりか、時は加工し得るもの、裁断し、分割しそして集結させ得るもの、それより巨大なエネルギーをも採り出し得るものなのだ」(文庫版p.307)

 時間の外にあるらしい異世界に放り出された建築技師が、時間そのものを扱う土木建築にたずさわるはめに。レトリックの奔流で「何だかよく分からないけど凄そう」と思わせる手法が、この時代にすでに確立していたことに驚かされます。

1971年
『およね平吉時穴道行』(半村良)

 「百年以上にわたる『こ日記』と言い、およねの神隠しと言い大富丁平吉には何か得体の知れぬ事件が起っていると思った。超自然現象、四次元の異変・・・・・・そんなSF的なキャプションが、私の頭の中で渦を巻いた」(文庫版p.354)

 偶然手に入れた江戸時代の古文書に書かれていた謎。伝奇SFの代表作ですが、何しろ導入部が実に巧みで、ついつい引き込まれてしまいます。後半の強引な展開、意表をついたオチ、いずれも風格。今読んでもわくわくする名作です。タイトルも素晴らしい。

1972年
『おれに関する噂』(筒井康隆)

 「昨夜だしぬけに、テレビがぼくのことを喋りはじめたのです。今朝の新聞にも、ぼくのことが記事になって載っていました。駅のプラットフォームでも、スピーカーがぼくのことを放送しました。ラジオでも放送しました。会社では皆が、ぼくの噂をしてこそこそとささやきあっているのです。ぼくの家やぼくの乗ったタクシーには、どうやら盗聴器がつけられている様子です。実をいうと、ぼくには尾行がついています」(文庫版p.417)

 いきなりマスコミに追いかけ回され、テレビや新聞で私生活をばんばん暴かれるはめになる「俺」。不条理SF、妄想SFだったはずなのに、今や普通に「炎上」とか呼ばれていつ誰に降りかかってもおかしくない時代に。現代社会はSFですね。

 というわけで、第1巻で個人的に好きなのは、『魔法つかいの夏』(石川喬司)、『鍵』(星新一)、『過去への電話』(福島正実)、『およね平吉時穴道行』(半村良)、『おれに関する噂』(筒井康隆)あたり。

[収録作品]

1963年 『墓碑銘二〇〇七年』(光瀬龍)
1964年 『退魔戦記』(豊田有恒)
1965年 『ハイウェイ惑星』(石原藤夫)
1966年 『魔法つかいの夏』(石川喬司)
1967年 『鍵』(星新一)
1968年 『過去への電話』(福島正実)
1969年 『OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN'IN』(野田昌宏)
1970年 『大いなる正午』(荒巻義雄)
1971年 『およね平吉時穴道行』(半村良)
1972年 『おれに関する噂』(筒井康隆)


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『ASLEEP TO THE WORLD』(振付:中村恩恵) [ダンス]

 2013年03月10日は、夫婦で青山円形劇場に行って中村恩恵さんの新作公演を鑑賞しました。振付演出を担当した中村さん自身は踊らず、鈴木ユキオさんと平原慎太郎さんの二人が踊る舞台です。

 青山円形劇場での公演といえば、観客がぐるりと周囲を取り巻く円形舞台をどのように使うのかが見どころ。今回は、巨大な柱を斜めに建てて、舞台全体を日時計に見立てるという意表をついた演出が印象的です。

 このため舞台そのものが「時間」の象徴に感じられますし、また途中で照明の具合で柱の影が刀身に見えるときがあり、「死」の気配も漂っています。この日時計か刀か、何かそういうものの下で、二人がそれこそ斬り合いのように鋭く踊ります。

 それぞれ身体バランスや動きの特徴が大きく異なる二人のダンサーがシンクロして動く不思議さ。スローモーションのようにゆっくりと動いたかと思うと、ときに素早く姿勢を変えたり、二人の身体がコンタクトしそうでしなかったり、様々な動きが提示されます。

 どうやら二人の周囲には実在しないものが数多く転がっているらしく、見えない壁を手で触ったり、見えない足場を足でまたぎ越したり、見えない障害物を首を振って避けたり、何かの制限の中で踊っているようです。前述したように、舞台が時間やら死やらのイメージを連想させるので、否が応でも高まる緊張感。

 ダンスも良いのですが、緊張感を高める音楽が素晴らしい。濡れた砂袋を床に叩きつけるような重たいリズムの上に、すすり泣くような弦の響き。劇場が呪術的な空間になります。

 緊張をいったんほぐすためか、途中でMCというか二人のトークタイムが挿入されるのですが、この日は音響設備に不具合があったらしく、延長戦に。用意してあった話題が尽きて、困惑しつつ何とか場をしのごうとする二人。たぶん演出ではなくて本当のアクシデントだと思われます。何だか得した気分です。

 ときどき、ちらっとダンサーの視線がこちらに来るような気がして、え、なに、もしかしてタカラヅカ現象とかいう錯覚ですか、と思っていたら、終演後の舞台挨拶のとき、私たちの数席後ろに中村恩恵さんが座っていたことが判明。

[キャスト]

振付: 中村恩恵
共同振付・出演: 鈴木ユキオ、平原慎太郎
音楽・演奏: 内橋和久


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