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『日本SF短篇50 (1) 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー』 [読書(SF)]

 「日本SFは本格的な開花を迎えようとしていた」(文庫版p.444)

 日本SF作家クラブ創立50周年記念として出版される日本短篇SFアンソロジー、その第1巻。文庫版(早川書房)出版は、2013年02月です。

 1年1作、各年を代表するSF短篇を選び、著者の重複なく、総計50著者による名作50作を収録する。日本SF作家クラブ創立50年周年記念のアンソロジーです。第1巻に収録されているのは、1963年から1972年までに発表された作品。

 第一世代の著名作がずらりと並ぶ様は壮観です。さすがに一つも読んだことがないという方はいらっしゃらないでしょうが、意外に読み逃しがあるやも知れません。要チェック。また、今ここでこの歳になって再読してみると、若い頃に読んだのとは印象ががらりと変わっている作品が多く、新鮮でした。

1963年
『墓碑銘二〇〇七年』(光瀬龍)

 「つねにただ一人で帰ってくる男。もどらなかった男たちの残された妻や子にとっては、それは釈明も許さない罪悪なのか」(文庫版p.26)

 ときは西暦2007年、はるか彼方の未来。危険極まりない宇宙探検隊から、たとえ仲間を見殺しにしようとも、必ず生きて帰ってくる男がいた。ある者は彼を賞賛し、またある者は憎悪する・・・。

 生還者の孤独を扱ったハードボイルドな雰囲気の作品。後に書かれる『戦闘妖精 雪風』(神林長平)をちょっと思い出したり。

1964年
『退魔戦記』(豊田有恒)

 「筆蹟も文法も鎌倉時代の特徴をそなえた古文書が、ラテックス紙に書かれている。(中略)おそらく、この古文書は、現在の科学では造られていない数種類の重合物の共重合ラテックスでできているに違いない」(文庫版p.60)

 遥かな遠未来から、歴史を変えるため鎌倉時代にやってきた未来の戦士たち。歴史改変SFとして知られる作品です。というか、今ではむしろ、タイトルに込められた駄洒落で有名かも。後に書かれる『時砂の王』(小川 一水)の遠いご先祖様のような。

1965年
『ハイウェイ惑星』(石原藤夫)

 「ふたりを圧倒したのは、三千万年ももちこたえたその強靱な耐久力と、三キロ幅の道路で縦横に惑星全体を囲んでしまっている、規模の雄大さだった」(文庫版p.120)

 惑星調査にやって来たヒノとシオダのコンビが事故で墜落した場所は、世界全体を取り巻く無人のハイウェイだった。大規模建造物がテーマだと思わせておいて、実は生物進化、異星生物設定に主眼があるハードSFの傑作。今読んでも、子供の頃と同じく、腕がかゆくなります。

1966年
『魔法つかいの夏』(石川喬司)

 「予感と透視はつぎつぎと遠慮なく彼を襲って土足のまま侵入し、彼の頭は秘密の洪水に耐えかねてクラクラした。めくるめく夏の光が、彼の外側にも内側にも充満していた」(文庫版p.201)

 終戦間際のあの夏。学徒動員により化学工場で働いていた少年は、一人の少女と出会う。今読んでも色あせない傑作。そこらの異世界ファンタジーよりはるかに異様な時代を、SF的手法で見事に描いています。

1967年
『鍵』(星新一)

 「男はまた気力をとりもどし、あてもない、しかし期待にみちた旅をつづける。いつ終るともしれない旅だった」(文庫版p.218)

 あるとき男が拾った謎めいた鍵。それに合う鍵穴を探して旅に出る。やがて年老いた彼は、最後にある試みを行う。若い頃、ラスト一行を読んだときの感動が、今でもありありと甦ってきます。鮮やかなオチのあるしゃれたショートショートもいいのですが、こういう感傷的な作品もまた素晴らしい。

1968年
『過去への電話』(福島正実)

 「それというのも、過去の実在性について、みんながあんまり無知だからで、過去というものは、もやもやっと後ろの方にあるのではない、ちゃんとこんなふうに、電話一本かければつながるそばにある」(文庫版p.245、246)

 電話一本のせいで過去に迷い込んでしまった男。子供の頃に読んでもよく分からなかった作品が、この歳になって読むと、長々と迷い続く文章からにじみ出ているその激しい屈託に、しみじみ感じ入ってしまいます。

1969年
『OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN'IN』(野田昌宏)

 「だから円盤で勝負しようというわけだ。円盤が公開放送の現場に着陸して子供をさらう。大騒動になる。新聞種になりゃこっちのものだ」(文庫版p.262)

 視聴率低迷に苦しむTVプロデューサーが企んだヤラセ企画。展開もオチも予想通りですが、途中にはさまれる『宇宙戦争』ラジオ放送事件の解説が楽しい。後に書かれる『38万人の仰天』(かんべむさし)や『ロズウェルなんか知らない』 (篠田節子)のご先祖様。

1970年
『大いなる正午』(荒巻義雄)

 「時間は有限なのだ。有限であるばかりか、時は加工し得るもの、裁断し、分割しそして集結させ得るもの、それより巨大なエネルギーをも採り出し得るものなのだ」(文庫版p.307)

 時間の外にあるらしい異世界に放り出された建築技師が、時間そのものを扱う土木建築にたずさわるはめに。レトリックの奔流で「何だかよく分からないけど凄そう」と思わせる手法が、この時代にすでに確立していたことに驚かされます。

1971年
『およね平吉時穴道行』(半村良)

 「百年以上にわたる『こ日記』と言い、およねの神隠しと言い大富丁平吉には何か得体の知れぬ事件が起っていると思った。超自然現象、四次元の異変・・・・・・そんなSF的なキャプションが、私の頭の中で渦を巻いた」(文庫版p.354)

 偶然手に入れた江戸時代の古文書に書かれていた謎。伝奇SFの代表作ですが、何しろ導入部が実に巧みで、ついつい引き込まれてしまいます。後半の強引な展開、意表をついたオチ、いずれも風格。今読んでもわくわくする名作です。タイトルも素晴らしい。

1972年
『おれに関する噂』(筒井康隆)

 「昨夜だしぬけに、テレビがぼくのことを喋りはじめたのです。今朝の新聞にも、ぼくのことが記事になって載っていました。駅のプラットフォームでも、スピーカーがぼくのことを放送しました。ラジオでも放送しました。会社では皆が、ぼくの噂をしてこそこそとささやきあっているのです。ぼくの家やぼくの乗ったタクシーには、どうやら盗聴器がつけられている様子です。実をいうと、ぼくには尾行がついています」(文庫版p.417)

 いきなりマスコミに追いかけ回され、テレビや新聞で私生活をばんばん暴かれるはめになる「俺」。不条理SF、妄想SFだったはずなのに、今や普通に「炎上」とか呼ばれていつ誰に降りかかってもおかしくない時代に。現代社会はSFですね。

 というわけで、第1巻で個人的に好きなのは、『魔法つかいの夏』(石川喬司)、『鍵』(星新一)、『過去への電話』(福島正実)、『およね平吉時穴道行』(半村良)、『おれに関する噂』(筒井康隆)あたり。

[収録作品]

1963年 『墓碑銘二〇〇七年』(光瀬龍)
1964年 『退魔戦記』(豊田有恒)
1965年 『ハイウェイ惑星』(石原藤夫)
1966年 『魔法つかいの夏』(石川喬司)
1967年 『鍵』(星新一)
1968年 『過去への電話』(福島正実)
1969年 『OH! WHEN THE MARTIANS GO MARCHIN'IN』(野田昌宏)
1970年 『大いなる正午』(荒巻義雄)
1971年 『およね平吉時穴道行』(半村良)
1972年 『おれに関する噂』(筒井康隆)


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