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『てのひらの宇宙 星雲賞短編SF傑作選』(大森望:編) [読書(SF)]

 「よく言えばなんでもあり、悪く言えば無定見・無節操なかわりに、その時々の流行やSFファンの気分がわりあいストレートに反映されている。だからこそ、歴代受賞作を眺めていると、さまざまな感慨が沸いてくるわけです」(文庫版p.8)

 毎年、読者の投票で選ばれる星雲賞。その第1回(1970年)を受賞した筒井康隆さんの実験小説から、第29回(1998年)を受賞した大原まり子さんのバカSFまで、30年近い時代の流れのなかでSFファンに愛された(少なくともウケた)短篇を収録したアンソロジー。文庫版(東京創元社)出版は、2013年03月です。

 序文にもある通り、「その時々の流行やSFファンの気分がわりあいストレートに反映されている」短篇がずらりと並ぶアンソロジーです。ごりごりのハードSFがあるかと思えば、奇想小説あり、実験小説あり、パロディあり、美少女フィギュア作りに熱中する乙女の恋心を描いたかと思えば、こってこての濃ゆい大阪弁をしゃべる侵略宇宙人が出てきたり。SFファンの嗜好が露骨に出てしまった一冊。

『フル・ネルソン』(筒井康隆) 1970年受賞

 「累積度数図を見せてごらん。これじゃないでしょ。そう、これこれ。これ見たらわかりますよ。ね。縦座標が1/2nになる点の、この、こっちの方、横座標ですよ。これが中央値ですよ、ね」(文庫版p.17)

 テンポよく繰り出される軽妙な会話だけで構成された実験的作品。理系研究室で交わされていそうな会話の妙なノリとおかしさが、理系読者の心の琴線に変な形で触れてしまったのかも知れません。

『白壁の文字は夕陽に映える』(荒巻義雄) 1973年受賞

 「フロイトによると無意識界は巨大なエネルギーのダムですからね。バラードの場合は、それを制御する心的機構が何もないんだ。しかも、彼の場合は、そのエネルギーを顕在化する能力を持っていると考えられます。心的エネルギーを物理的エネルギーに転換できる能力を・・・・・・」(文庫版p.88)

 誰からも無害だと思われていた知的障害者の青年が、実は恐るべき超能力の持ち主だった・・・。サヴァン症候群から連想されたと思しきこの種のアイデアは、『人間以上』(スタージョン)やP.K.ディックの作品、さらにはモダンホラーでもよく使われたものです。本作は、それに魔女伝説をからめたところがミソ。

『ヴォミーサ』(小松左京) 1976年受賞

 「「そうか・・・わかったぞ!」エドはかすれた声でいった。「“ヴォミーサ”って言葉の意味が・・・やっとわかった!」」(文庫版p.145)

 凶悪な殺人鬼が叫んだ謎の言葉「ヴォミーサ」。基本的には某有名作家のパロディですが、意表を突く見事なアイデアで原典をひっくり返してみせた、SFミステリの傑作です。

『言葉使い師』(神林長平) 1983年受賞

 「きみはマリオネット。わたしが操る」(文庫版p.188)

 言語の使用が禁止され、意思疎通は全てテレパシーで行うことが義務づけられた時代。「あなた」は、あるとき一人の言葉使い師に出会った・・・。日本では人気の高い「言語SF」の代表作です。

『火星鉄道一九』(谷甲州) 1987年受賞

 「わたしにやらせてもらえませんか。あいつを、ぶっ飛ばしてみます」(文庫版p.223)

 ついに外惑星連合による宣戦布告が行われ、航空宇宙軍に対する第一波攻撃が開始。そのとき火星のオリンポス山にある輸送基地にも危機が迫っていた・・・。ご存じ「航空宇宙軍史」に属する作品。宇宙戦争をごりごりのハードSFとして書きつつ、火星の風景や火星鉄道のリアルな描写を盛り込む手口が素晴らしい。

『山の上の交響楽』(中井紀夫) 1988年受賞

 「山頂交響楽って、いったいだれが聴いているのかしらって、このごろ思うの。最初から最後まで通して聴ける人はだれもいないのよ。それどころか、今生きている人で、交響楽の一番初めの部分を聴いた人はいない。それがどうやって始まったのか、だれも知らない。それなのに、いったいどうやってみんな演奏しているのかしら。何のために演奏しているの」(文庫版p.254)

 山の上にある奉楽堂で、200年ほど前から一度も途切れることなく演奏されている交響楽。演奏が終るまで数千年、もしかしたら一万年を要する大作だが、その序盤のクライマックスである「八百人楽章」の演奏が迫っていた・・・。人類史上ただ一度だけ演奏される超超長大な音楽、その演奏を支える事務方の苦労話、というアイデアでSFファンの心をつかんだ奇想小説。個人的にはものすごく好み。

『恐竜ラウレンティスの幻視』(梶尾真治) 1992年受賞

 「何と・・・まだ二百万年しか経っていない。“知性珠”を与えたものたちは、数千万年後の大量絶滅から身を守るように告げた。だが・・・まだ二百万年しか経たないのに地上は・・・」(文庫版p.306)

 何者かによって知性化された恐竜が、知的種族として地上を支配し、科学技術を発展させてゆく。しかし、それは決して幸福への道ではなかった・・・。知能の発達が本当に種にとって望ましいものなのかを問う作品。著者によると、子供向け絵本の企画として考えた話なのだそうで、そのストレートさにも納得がゆきます。

『そばかすのフィギュア』(菅浩江) 1993年受賞

 「今度は本当に勝ってね。強がりじゃなく、本当に」(文庫版p.343)

 自由に動き、しゃべり、記憶と人格を備えた人工知能つき美少女フィギュア。そのキットを完成させた乙女が、自分自身の切ない恋心をフィギュアに託す。いかにもSFファン(男子)が夢見る妄想を巧みに描いて、読者(男子)をほろりとさせる傑作。

『くるぐる使い』(大槻ケンヂ) 1994年受賞

 「十代の多感な娘というのは、みんな情緒不安定だ。箸がころんでもおかしい年頃なんて言うが、箸がころんでもおかしくなっちまう年頃でもあるんだな。ちょっとしたきっかけで、ポーンとあっちの世界にいっちまう危険をはらんでいるんだ。コックリさんなんかやらせるといちころなんだよ」(文庫版p.360)

 幼い娘をくるぐるにして、予言や透視の力を発揮させる。そんな外道の技で稼いでいた男とくるぐるの娘を待っていた恐ろしくも哀しい運命。『のの子の復讐ジグジグ』と並ぶ傑作。

『ダイエットの方程式』(草上仁) 1997年受賞

 「ぶるぶる。いくら、ダイエットに人生を賭けるといっても、死んじゃうのは願い下げだ。だから、わたしとしては、必死にならざるを得ない。ウェンライト先生が、無人シャトル業者と提携して実施している特別ダイエット・メニューの仕組みは、このように単純だった」(文庫版p.400)

 体重を減らさない限り生きては帰れない究極のダイエット宇宙旅行とは。SFファンならタイトルを見ただけですべて分かってしまう作品。もちろん基本設定は有名作品のパロディですが、ひたすら過酷なダイエット描写が続くユーモアがいかにもこの作者らしい。

『インデペンデンス・デイ・イン・オオサカ(愛はなくとも資本主義)』(大原まり子) 1998年受賞

 「おんどれ、ようやっとワシの実力がわかったようやな。ワシらかて、おまえらなんか大っ嫌いじゃ。生理的にダメなんや。ほんま、いね~~~って感じなんや。ワシらがここへやってきたとき、おまえらがうじゃうじゃうじゃうじゃ地表を歩いてて、ほんま、気ぃ失うかと思たわ。必死で吐き気こらえながら、やっと一匹つかまえて、地球の言葉を習たんや。あああ気色わる・・・・・・」(文庫版p.438、439)

 侵略宇宙人と大阪人がファーストコンタクト。それ、なんぼ儲かるん?
 「今日こそは、人類の独立記念日だ!」とか田舎くさいセリフを叫んじゃう野蛮な国とちごうて、いきなりゼニカネの交渉に入るところがさすがの民度。本作が星雲賞を受賞してから7年後に公開されたスピルバーグ監督『宇宙戦争』でも、侵略宇宙人の戦闘マシンを最初に倒したのは、やっぱり大阪人なのでした。

 というわけで、何がSFファンにウケるのかよく分かる全11篇。個人的には、『山の上の交響楽』(中井紀夫)、『くるぐる使い』(大槻ケンヂ)、『インデペンデンス・デイ・イン・オオサカ(愛はなくとも資本主義)』(大原まり子)あたりが好みです。すいません。

[収録作品]

『フル・ネルソン』(筒井康隆)
『白壁の文字は夕陽に映える』(荒巻義雄)
『ヴォミーサ』(小松左京)
『言葉使い師』(神林長平)
『火星鉄道一九』(谷甲州)
『山の上の交響楽』(中井紀夫)
『恐竜ラウレンティスの幻視』(梶尾真治)
『そばかすのフィギュア』(菅浩江)
『くるぐる使い』(大槻ケンヂ)
『ダイエットの方程式』(草上仁)
『インデペンデンス・デイ・イン・オオサカ(愛はなくとも資本主義)』(大原まり子)


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