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『博士たちの奇妙な研究  素晴らしき異端科学の世界』(久我羅内) [読書(サイエンス)]

 人間の遺伝子に埋め込まれた異星人の暗号。脳裏にこびりつく音楽。心霊スポットを人為的に作り出す。地球軌道変更計画。時空を歪めるリングレーザー。魅惑の異端科学に取り組む科学者たちの研究を紹介してくれる一冊。単行本『科学者は妄想する』(日経BP社)出版は2005年04月、私が読んだ文庫版(文藝春秋)は2012年11月に出版されています。

 神、異星人、幽霊、タイムマシン、ドッペルゲンガー。ちょっとヤバい雰囲気が漂う、というか一歩間違えれば頭に「マッド」の冠をおしいただいてしまいそうなサイエンスに取り組んでいる、まっとうな科学者たちの研究の数々をレポートする本。

 全体は5つの章に分かれています。

 最初の「1.怪現象」では、予知能力、宗教的啓示、エイリアン・アブダクション(異星人による拉致事件)、ニュートンの予言、といったオカルト界隈でも人気のあるテーマについて、あくまで正統派科学者の立場から取り組んだ研究をレポート。

 個人的お気に入りは、太古に地球を訪れた異星人が人間の遺伝子の一部(ジャンクDNA)に何らかの暗号メッセージを残している可能性があると考え、それを探し出そうとする研究です。

 「2.人体・脳科学」では、霊感や共感覚、サヴァン症候群といった人間の不思議な能力の謎に迫る研究を紹介。特に、ストック・チューン症候群(頭に特定のメロディがこびりついて離れなくなる、あの現象)の原因とその解消法の研究が印象的でした。

 「3.奇妙な発明」では、人為的に心霊スポットを作り出そうという研究、テレパシー実験、タイムマシン、恐竜など絶滅動物の復活、霊界通信など、不可能に敢然と挑戦する研究者たちの取り組みを見てゆきます。

 らせん状の巨大なフォトニック結晶リングに大出力レーザービームを通すという実験、説明によると「リングを絶対零度(マイナス273度)近くまで冷却し、レーザー光線を中に通すと強力なエネルギーが発生する。そのエネルギーで筒のなかの時空をゆがませ、過去に戻るというしくみ」(文庫版p.138)という、何だかよく分からないけどかっこいいタイムマシンが凄い。実現可能性はともかく、絵になることは確かだと思います。

 「4.心霊現象」では、幽体離脱、ドッペルゲンガー、死後存在、真性異言などを扱います。これらの現象の正体を脳科学により解きあかそうという真面目な研究です。

 最後の「5.宇宙」は、ストレンジ・マターの地球衝突、ダイソン球、生命宇宙起源説、石油無尽蔵説、など物理・天文学の研究です。個人的なお気に入りは、地球温暖化を解決するために、地球の軌道を少しずつ太陽から遠ざけて、大気を「冷ます」という研究です。少しずつ少しずつ地球の軌道をずらしてゆく方法とは。

 という具合に、ちょっとどうかと思われるようなテーマに取り組んでいる科学者たちの姿には、何だか心浮き立つものが感じられます。ただ、多くの項目が「こういう研究に取り組んでいる科学者がいる」という紹介で終わってしまい、どんな成果が得られたのか、そもそもどんな実験をしているのか、といった情報が期待したほどは得られないのが残念でした。


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『YES(or YES)』(橘上) [読書(小説・詩)]

 「すべてうそですがしんじてください」
  (『この先の方法』より)

 ひらがなの氾濫、平然と刻む五七調リズム。まっ黒い装幀に白の手書き文字タイトルが不思議な存在感を放つ詩集。単行本(思潮社)出版は、2011年07月です。

 「「ゆうやけをもやしつくすこと、それがさいしょのしごとです」しじんのせつめいせきにんが こうていてきにしはいする にじげんきどりのよじげんの、しすてむてちょうはていぎをかえる」
(『GO』より)

 ひらがなのちからとりずむ。よく知っているはずの言葉が、まるで初めて見たかのように異質なものに感じられる、そんな奇妙な感覚を生み出す詩集です。リズムへのこだわりようも尋常ではありません。

 「そらがとぶ そらでとぶ そらがとぶ そらでとぶ そらがとぶ そらでとぶ そらのそらでそらがそらでそらのそらがそらでとぶ」
 (『この先の方法』より)

 「ありくいをくいちらし ありどもがふえつづけ くにくのさくににくがない ふあんでたのしいわたしはこわれ しようのこぴーをくりかえす」
  (『GO』より)

 意味がすこーんと抜け落ちて拍子歌のようなものになる直前の言葉をすくい取ったような。ときどき漢字が出てくる詩に出会うとほっとするのですが、これがまた、漢字を表意文字として使わないところが一途。

 「水が流れる 水が流れる/水は疲労する 疲れきる/水の疲労は声には届かず 水の疲労は水に流れる/水は水しか与えられずに 水だけ飲んで 水になる/美しい色 水が水にしか見せない水色の微笑/水は水を飲み干して 水は水しかいなくなる」
  (『THE END』より)

 読んでいるうちに、「水」という漢字が、何だかヘンな記号に見えてくるのです。収録作品のほとんどがこんな風に言葉を扱っているという、おそろしく生真面目な詩集。ひらがなと語のリズムが生み出す酩酊感を味わいたい方に。

 「ひとのいろしたひといろに いろにはなれぬひといろに いろのようにもえつづけないのであるならば いのりなさい あなたはいろでないことを いのりなさい あなたはうたでないことを」
  (『しんぐ・あ・そんぐ』より)


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『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(金井美恵子) [読書(小説・詩)]

 「母の記憶の編物の編目にはほころびとこごなった糸の固い糸玉があるうえに、一つの物語を最初から最後まで順序立てて話すつもりがなかったから、いつでも話しはとどこおって別の方向へとずれてしまうのだ。」(単行本p.172)

 「私の記憶は丸めて捨てられた様々な色の糸くずのようにこごなってもつれているようなのだし、何度も何度も小さな虚になってゆらいでいる虫歯をとがらせた舌の先でさぐることを、やめることが出来ないように戻ってみても、だからといって何も変りはしないのだし、あれから、多分、とりかえしようもなく長い時間がたってしまっているのだ。」(単行本p.266)

 時間と空間を溶け合わすような驚異的な文章技法によって読者を記憶の迷宮へと誘う小説。単行本(新潮社)出版は、2012年01月です。

 語り手の男性が、昔のことを回想します。病気で長く学校を休み、祖母と叔母と母という三人の女性と暮らした幼い頃の記憶。父との思い出。その父が母を捨てて他の女のところに逃げたこと。引っ越し。父の死を知らせる彼女からの手紙。

 回想はとりとめがなく、異様に細かいディテール描写がえんえんと続いたり、しばしば無関係な連想や他人の語りが混入して、話者のアイデンティティも時系列も果てしなくゆらぎ、話のフレームは拡散し、ふいに「現在」の描写が差し込んできてはっとしたり、想起のフックに引っかかったと思しき古典の語り直しが発芽し成長したり、時間も空間もとろとろに溶けてゆくような、あの記憶の不可解さ、それを句点が極端に少ない長く長くうねり続く文章で見事に表現してしまいます。

 「すべてを思い出してみることなど出来はしないのだが、何回も何回も何回も同じことを、それが唯一の主題でもあるかのように書いたことがある、と私は思い、なじみ深く、たとえばよく知っている自分の肉体のように慣れているのに、そこにいるという抵抗感によって微かな軋み、そこここに、くぐもった音で鈍く響かせる、しめった紙の肉体、紙の湿り気をおびた言葉のことを考えようとする・・・」(単行本p.249)

 「もちろん、あれから長いこと時間がたったのだ」(単行本p.266)

 クローズアップ映像を思わせる文章がひたすら続き、嗅覚と触覚を絶え間なく刺激する描写が夢の感覚を思わせる奇妙な生々しさを加えます。

 「キャラコのハンカチ」の手触り、「ひょうたんの形をしたゴムに入っている毒々しいボタン色のイチゴシロップ」の臭いや味、「鉄製の水色のペンキ塗りのところに赤い胸のコマドリの絵を描いてあるフレームに取り付ける幼児用座席」のイメージ、「角の家で飼っている悪い噂のある大きなシェパード犬」の吠え声。そして映画のワンシーンの数々。

 五感に訴える描写が、何度も何度も繰り返されるうちに読者自身の記憶に紛れ込み、後のページでそれが回想されるとき、読者も記憶の迷宮に迷い込んでしまっていることに気づくのです。希有な読書体験としかいいようがありません。

 「どの家もまゆみの生垣を四方にめぐらして曲りくねった廊下のように続いて徐々にゆるやかに傾斜して下ってゆく幾つもの直角の曲り角があみだくじのように折れ曲っているまゆみの生垣の間の細い道を、ゆっくりと下りはじめながら、金属を薄くのばした柔軟な坂か、桃の果皮のようにひんやりしているのに、その薄い皮膜を通しててのひらと指に(もろん、指のほうがそれを敏感に感じとるのだが)皮膚というか柔らかい肉体といったほうが正確かもしれない彼女の息づかいを確かめたことを、ありありと思い出すのだが、どの家もまゆみの生垣を四方にめぐらして幅の狭い小道にバラスを敷きつめて曲りくねった廊下のように続いている砂岩段丘の道を歩いて、どこへ行こうとしているのかは、いつも思い出せないのだ。」

 というわけで、何かを思い出すこと、思い出せないこと、夢とも知覚とも異なる記憶の想起というものの不思議さに幻惑される、あの感じを、驚くべき文章技巧で見事に表現してのけた、実にたまげた傑作です。

 一気に通読してしまうのではなく、出来れば毎日一章ずつ読み進めることで、自分の記憶も混乱して惑う、そんな魔法のような読書体験をめいっぱい楽しむことをお勧めしたいと思います。


タグ:金井美恵子
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『ペルセウス座流星群』(ロバート・チャールズ・ウィルスン) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 「不用意に望遠鏡をのぞいたらいけない。向こうもこっちを見返すぞ」(文庫版p.71)

 人間の精神文化に潜む異質な生命、誰にも見えないもう一つの街、謎めいたヒューマノイド達によるアブダクション、密かに人類を支配している異形の存在。話題作『時間封鎖』三部作の著者によるホラー・幻想小説短編集。文庫版(東京創元社)出版は、2012年11月です。

 大ネタを繰り出す馬鹿SFと地味な家族小説を融合させた『時間封鎖』三部作や『クロノリス』といった作品で知られるロバート・チャールズ・ウィルスンの短編集です。といってもSF色はかなり薄く、ホラーあるいはダークファンタジー、いっそ怪奇幻想小説といったほうがしっくりくる短篇が中心となっています。

 共通しているイメージは、私たちの周囲に(あるいは内側に)、超自然的な、異質の存在がさりげなく紛れ込んでおり、そのことに気づいてしまった者はろくでもない運命をたどる、といったようなもの。深淵を覗き込んだら、覗き返された、というような話がメイン。

 街を歩き回るうちに他人には見えないもう一つの街が重なるように存在していることに気づいてしまう『街のなかの街』では、人間のふりをしている邪悪な妖精のような存在によって、主人公は異界に誘導され帰れなくなります。『アブラハムの森』も似たようなパターン。

 『パール・ベイビー』では、異形の存在を産んだ女性が、地下室の奥の深淵からやってきた怪物に出会うことになります。『観測者』は、謎のヒューマノイド達が寝室に侵入してきては主人公をアブダクト(誘拐)し、空飛ぶ円盤(たぶん)につれてゆき身体検査を繰り返すという、「そのまんま」の話。実在する天文学者ハッブル氏を登場させることで微妙にSFの雰囲気を漂わせています。

 いわゆる「人類家畜テーマ」に属する作品もいくつかあります。

 『寝室の窓から月を愛でるユリシーズ』では人間が飼い猫を保護するように、何者かが人類を保護している、おかげで人類には真の自由はなく、そのことに気づくことすら出来ない、という発想をストレートに書いた作品。

 世界の真実を映し出すという鏡を手にいれた主人公が、私たちの周囲を平然と歩き回っている目に見えない支配者の姿を見てしまう『プラトンの鏡』、向精神薬を通じてアリなどの昆虫が私たちを支配していることに気づいてしまう『薬剤の使用に関する約定書』、など、こういう話も昔のSFや怪奇小説によくありましたね。

 比較的SF色が強いのは、『ペルセウス座流星群』と『無限による分割』。前者には『時間封鎖』シリーズに登場する「仮定体」を思わせる存在が出てきますし、後者はいわゆる量子論的不死をテーマにしつつ、中性子星衝突が引き起こすガンマ線バースト(イーガンの長編でおなじみ)による人類滅亡、そして『時間封鎖』的な遠未来への跳躍、という具合にSF的なプロットが使われています。

 どの作品も、何がどうしてそうなったのか明快な説明はなく、設定もほのめかしにとどまり、いつも曖昧な雰囲気のまま終わってしまうので、特にSF寄りの作品については不満が残ります。『時間封鎖』や『クロノリス』の著者ということで大ネタSFを期待すると肩すかし気味なので、どちらかといえば古めのホラー・幻想小説を好む読者にお勧めしたいと思います。

[収録作品]

『アブラハムの森』
『ペルセウス座流星群』
『街のなかの街』
『観測者』
『薬剤の使用に関する約定書』
『寝室の窓から月を愛でるユリシーズ』
『プラトンの鏡』
『無限による分割』
『パール・ベイビー』


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『おたる鳥をよぶ準備』(振付:黒田育世、出演:BATIK) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年11月18日(日)は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行って黒田育世さんの新作公演を鑑賞しました。BATIK結成10周年記念、上演時間なんと3時間(休憩20分含む)の大作です。

 BATIKメンバー全員で踊る第一部が145分、休憩20分、黒田育世さんがソロで踊る第二部が15分という、驚くべき長丁場。休憩時間中に舞台転換が行われ、観客は全員舞台側に移動し、観客席の中央に即席で設けられたテーブル上で黒田さんが踊るのを見上げるという。

 上から舞台を見下ろしてダンサーの「死」に立ち会う第一部、死んでしまったダンサーの昇天を下から見上げる第二部、ということでしょうか。身震いがします。

 この長時間、ほとんど常に踊っているという凄絶な舞台。最後は体力の限界を越えて命を振り絞るように踊るBATIKのダンサーたち。同じシーケンスを繰り返し繰り返し踊り続ける、その度に死んでゆく、その必死さに胸をつかれ涙が出てきます。

 緑色の舞台は、代表作『ペンダント・イヴ』を連想させます。というより、『ペンダント・イヴ』の次世代版というべきかも知れません。あのとき泣き叫ぶように互いの名を呼びあっていた子供たちが成長して母親となり、そして子供を失って悲嘆にくれている。そんな印象を受けます。『ペンダント・イヴ』と同じように名を叫ぶ場面(回想シーンでしょうか)では、こちらも思い出が込み上げてきて、気が遠くなりました。

 舞台からほとばしる痛み、叫び、絶望、悲嘆。圧倒的な感情のエネルギーが観客の心を打ちのめす作品です。数限りない、終わりなき死と悲劇を前に、人に何が出来るのか、ダンスに何が出来るのか、その問いに命がけで向き合う。言うのは簡単ですが、やっちゃうんだもんなあ。

 命を削る荒々しいダンス、必死で、限りなく切実なダンス、生きるためのダンス。そんな公演に立ち会う機会というのはそんなにありません。観ることが出来て本当に良かった。とはいえ、ドラム缶から出たり入ったりする黒田育世さんの顔が悪夢に出てきそう。

[キャスト]

構成・演出・振付: 黒田育世
音楽: 松本じろ
出演: 伊佐千明、植木美奈子、大江麻美子、梶本はるか、田中美沙子、寺西理恵、中津留絢香、西田弥生、矢嶋久美子、黒田育世


タグ:黒田育世
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