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『文体練習』(レーモン・クノー) [読書(小説・詩)]

 「一言でいうと、彼は「なにを書くか」以上に「いかに書くか」をつきつめていった言語職人、ということになるのだが、そのつきつめかたは半端ではない」(単行本p.203)

 一つの出来事を99種類以上の全く異なるテキストで表現してみせるという驚異の言語実験。世界30ヶ国以上の言語に翻訳され、フランス語圏では学校の教材にも使用されているという、レーモン・クノーの出世作が新訳で刊行されました。単行本(水声社)出版は、2012年09月です。

 ラッシュ時にバスの中で見かけたほんのささいな出来事。それを99種類以上の「文体」で書いてみるという、小説というか、言語実験です。劇的に、美文調で、予言風に、怪談風に、哲学的に、数学的に、業界用語だらけで、自由詩で、短歌で、法廷証言として、脚本として、電報として。同じ内容が様々な「文体」で描写されます。

 一般的な意味でいう「文体」とは別に、様々な言語遊戯バージョン、ウリポ的言語実験の試みもたくさん含まれており、むしろそちらの方に力が入っています。アナグラム(文字入換)、一部の文字省略、文字置換、単語変換、リポグラム(特定の文字を使用しない)、英語の単語を並べて発音するとフランス語に聞こえる、フランス語の単語を並べて発音すると英語に聞こえる、品詞分解、嘘ラテン語、ワープロの変換ミス、などなど。

 解説がないとそもそも何を試みているのか、何が面白いのか、さっぱり分からない「文体」も多いので、翻訳者による解説を合わせて読みながら鑑賞するといいでしょう。個々の「文体」解説は、単行本p.215から始まります。

 付録として、レーモン・クノー論や解説が付いています。翻訳者による解説は素晴らしく、本文よりむしろエキサイティングかも知れません。

 何しろウリポ的言語実験を「翻訳」するというのは、要するにクノーがフランス語を使って試みた実験を、日本語を使って追試実験することに等しいわけです。もはや翻訳とか何とかいう問題じゃないレベルの挑戦と悪戦苦闘の記録には、感嘆する他はありません。

 例えば、「並行移動」と題された「文体」においては、「テクスト内の特定の品詞(=M)を、任意の辞書内でその単語から数えてn個先の(あるいは前の)同種の語でひとつひとつ置き換えてゆく操作」(単行本p.238)が行われており、クノーはもちろん国語(フランス語)辞典を使ったわけですが、翻訳者は和仏辞典を用いて、訳文の日本語単語を平行移動した先の日本語単語にひとつひとつ置き換えてゆく、という作業に取り組んだのだそうです。

 他にも原文ではフランス語に頻出する文字「e」を一切使わないで書いた「文体」を、五十音の「イ段」を使わない日本語に「翻訳」する。これは『煙滅』(ジョルジュ・ペレック)の翻訳でも使われた有名な離れ業なので、挑戦しないわけにはいかないということでしょう。

 オノマトペを濫用した「文体」は、「フランス語としてはたしかにオノマトペがてんこもりなのだが、これをそのまま日本語に移すとかえって貧相に感じられてしまう」(単行本p.223)という問題があり、日本語特有のオノマトペを追加で大盛りに。そもそも日本語と比べたときのフランス語におけるオノマトペの乏しさに驚かされます。

 英語の単語を並べて発音するとフランス語に聞こえるという「文体」は、同じく発音すると日本語に聞こえるように英語の単語を並べたという「翻訳」。「音声読み上げ機能のあるコンピュータをお持ちの方は、ぜひ訳文(?)を入力し目をつぶってコンピュータの朗読に耳を傾けていただきたい」(単行本p.246)。

 さらに、単純な趣向に思える「文体」にも色々な仕掛けが施されているらしく、それについても解説があります。

 「翻訳を進めるなか、クノーがテクストに忍びこませた小さな<謎>や<いたずら>に気がつかざるをえなかった。(中略)むろん解けない謎も依然残ってはいるが、一読しただけでは、たんなる筆のすさび、気まぐれな語彙の選択、ルールからの一時的な逸脱と思われる箇所も、注意深く読んでやると立派な意味を持っていた、ということが多々あったのである。このような体験は、クノーのテクストに偶然はない、と私たちに信じさせるのに十分たるものであった」(単行本p.257)

 うーん、何かこう、さすがクノー、奥が深いというか、凝りすぎではないか。

 というわけで、よくも悪くも言葉の形式や構造に徹底的にこだわり抜いた独創的な一冊。言語実験や言語遊戯、ウリポに興味がある方にとっては教科書あるいは聖典みたいな作品。でも、何が面白いのかさっぱり分からない読者がいても不思議ではありません。個人的には、本質的に翻訳不可能なテクストを無理やり翻訳しなければならないときのテクニック集として鑑賞する、というのが一番面白いのではないかと思います。


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