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『スピンク合財帖』(町田康) [読書(随筆)]

 「こんにちは。スピンクです。っていうか、みなさまのスピンクです。というと、なにを仰っておられるのだ、この白犬は。と思う方がおられることでしょう。しかし、私は根拠のないことを申しているのではありません」(単行本p.120)

 シリーズ“町田康を読む!”第45回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、町田家の飼い犬であるスピンクが大いに語る、楽しい『スピンク日記』の続編。単行本(講談社)出版は、2012年11月です。

 『スピンク日記』(2011年03月03日の日記参照)で作家デビューしたスタンダードプードル犬のスピンクが、再び家族と日々の暮らしについて語ります。といってもそこは犬なので、話題の大半は主人であるポチ(人間名:町田康)のこと。

 「本当の気持ちを言えば、私やなんかが陰に日向に教え導かないとどこにフワフワ飛んでいくかわからないような頼りのない、パンのような親爺です」(単行本p.167)

 「黙りこくっていたかと思ったら、突然、歌い出す。踊り出す。ひとつの言葉を取り憑かれたように云い続ける。突然、テーブルの上に飛び乗ってじっと立っていたり、「鋼鉄のゴン、鋼鉄のゴン」と泣き叫び乍ら文芸書で自分の頭を殴るなどしています」(単行本p.185)

 「主人ながら、この人は少々、気がちがっているのではないか、なんて思ってしまいます。と、そういえば、ポチにはいろんな局面においてこの傾向が見られます」(単行本p.74)

 散々な云われよう。しかしまた、主人に対する愛情と思いやりに満ちた言葉がふと出てくる瞬間があり、読者の心も暖かくなります。

 「まったくもって見下げ果てたブタ野郎だ。早死にすればいいのに。と思うのでしょうか。どうか私に免じてそんなことは思わないでやってくださいね、といって思ってしまったものは取り消せないので仕方がありませんが、本人には言わないでやってくださいね、主人は傷つきやすい心の持ち主なので」(単行本p.26)

 「過酷な世の中で主人のような盆暗がちゃんと生きていかれるのかきわめて心配ですが、私の立場ではなんともしようがありません。ただ、ワンワン吠え、衣服の裾を嚙んで引っぱり、耳を舐めるくらいのことしかできません。しかし、そうするとポチはへらへら笑って喜びます。なので、ときどきそんなことをやってやろうと思っています」(単行本p.232)

 思ったほど心が暖かくなりませんが、まあとにかく保護者として色々と気配りしている様子が伝わってきます。それに対して、他の犬たちはほとんど何も気にかけてないようで。

 例えば、ポチがスピンクに引き倒されて転倒(かなり危険)したときのキューティーの反応はこうです。

 「ポチはなぜか横倒しになったまま石の地蔵のような顔をして動きませんでした。キューティーが、「みんながわらってるー、キューティーもわらってる、ルールルルルルー」と歌いました」(単行本p.146)

 今作で家族になったトイプードル犬の「シード」は、いかにも物知りで賢く、やや斜に構えた成犬らしく、極めて冷静、というかむしろ冷淡に分析している模様。

 「大丈夫か大丈夫じゃないかというと、ポチはいままでずっと大丈夫じゃなかったし、これからも大丈夫じゃないだろうね。僕はそんな奴をいっぱい見たよ」(単行本p.240)

 「俺はなんでもわかってるよ。あれはなあ、単なる寒がりじゃないんだよ。あの人はねぇ、なんでも前倒し前倒し、常に焦ってるんだよ」(単行本p.247)

 こんな風に、シードが家にやってきた顛末、庭池を改装したときの騒ぎ、散歩中にポチ引き倒し事件をくり返した挙げ句に犬の訓練を受けることになったこと、ポチの禁酒、など日常のあれこれを楽しそうに語ってくれます。

 犬の虐待的待遇など暗い話題もちょこっとありますが、基本的に読んでいてうきうき楽しい気分になる素敵な作品。スピンク君には、ぜひこれからもシリーズを書き続けてほしいと思います。

 「こんな感じで今日も私たちの日々は過ぎていきます。早回しに過ぎていきます。
  こんな感じで私たちは今日も生きています。早回しで生きています。」
(単行本p.253)


タグ:町田康
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