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『トンデモ本の新世界  世界滅亡編』(と学会) [読書(オカルト)]

 「人々はオカルトやフィクションに逃避し、本物の「人類絶滅の危機」から目をそむけているのだ」(単行本p.252)

 ノストラダムスもニュートンも。終末予言、終末後の世界、終末映画、さらには平均律からカードゲームまで。好事家たちが世界滅亡関連トンデモ物件を発掘しまくる最新作。単行本(文芸社)出版は、2012年12月です。

 あまりにも怪しげな本、ちょっとあたまおかしい本、突っ込まずにはいられない本。作者は大真面目だけどそのズレっぷりに思わず笑ってしまうような作品を、ジャンルを越えひっくるめて「トンデモ」と命名し、軽快に笑い飛ばしてしまう。それがトンデモ本の世界シリーズ。

 何と文芸社から出版された最新作では、残り一カ月を切ったということで、世界滅亡をテーマに様々なトンデモをレポートしてくれます。

 全体は四つの章に分かれています。

 最初の「第1章 トンデモ終末予言の世界 有名人編」では、ノストラダムス、聖書の暗号、ニュートンの予言、といったメジャーどころの予言を取り上げます。中には「ノストラダムスの予言は、『枕草子』をモトネタにしていた」という養殖トンデモ(わざとトンデモを狙って書かれたパロディ本)なんて変わり種まで発掘されています。

 内容的には、同じ文芸社から出ている『検証 予言はどこまで当たるのか』(ASIOS)に近いものがありますので、興味がある方は合わせてお読みください。

 「第2章 トンデモ終末予言の世界 その他編」では、もっとマイナーというか、何だかよく分からないトンデモ世界滅亡予言の数々が登場。何だかもう世界は毎年滅びちゃうというか、私たちはこんなに世界滅亡を愛しているんだ、ということに感嘆させられます。

 音階における「平均律」を嫌悪する本、どんな地名もすべて地震や津波の記録だと断言してしまう本、マズイという味の情報が量子力学により未来から過去に伝わって食べる前にマズイと分かってしまうけど食べないとパラドックスが起こるからやっぱり食べるという本。あんまり世界滅亡と関係ない本も、たぶん面白いからというだけの理由で、収録されています。

 個人的には、多田克服己さんによる、件(くだん)などの「予言獣」に関するコラムが興味深く読めました。トンデモとは無関係。

 「第3章 トンデモ終末後の世界 コミックス編」と「第4章 トンデモ終末後の世界 映画・ゲーム編」では、漫画や映画などで描かれた終末後の風景をご紹介。『大ぼら一代』(宮本ひろ志)、『メギドの火』(つのだじろう)といったメジャーな漫画家による作品から、終末ネタのギャグ漫画、ロジャー・コーマンなどの低予算映画、逆に意外な掘り出しもの映画、など。

 「何しろ人類が絶滅したわけだから、キャストは最少人数で良い。出演料の節約になる。何しろ放射能で汚染されているからあちこち歩き回ることができない。映画の最初から最後まで一つの場所で済む。移動やセットなどもろもろの予算が節約できる」(単行本p.183)

 設定、展開、演技、映像のしょぼさ、いずれも終末感を漂わせる映画が数限りなく制作される理由がここにあるわけですね。

 最後は、スティーブ・ジャクソン・ゲームズ社が出した、世界を支配する秘密結社になって陰謀をめぐらすという、陰謀論をパロディのネタにしたブラックユーモアゲーム『イルミナティカード』が、マジで陰謀論のネタにされていることについて苦言を呈します。

 というわけで、残り一カ月というタイミングを狙って出版されたと思しき時事ネタ本でもありますので、旬のうちにお読みください。


タグ:と学会
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『逆回りのお散歩』(三崎亜記) [読書(小説・詩)]

 「これはもう、戦争なんだよ(中略)、情報を捏造・隠蔽する報道側と、ネットで真実を拡散する市民との戦争だ」(単行本p.24)

 陰謀論を振りかざし地方行政を叩くネット世論、黙殺を決め込む自治体とマスコミ。巧妙な煽りにより対立は激化してゆくが・・・。「真実」なきネット時代の生き方を問う最新長編。デビュー作『となり町戦争』の前日譚も併録。単行本(集英社)出版は、2012年11月です。

 「ネットでの炎上から、どれだけ現実の炎上へと広げて行けるかが、勢力拡大の鍵となるんだ」(単行本p.43、44)

 A市とC町の行政統合、いわゆる市町村合併が進められるなか、ネット上の匿名掲示板で批判、というか炎上が起こります。

 いわく、このままではA市はC町に乗っ取られてしまう。C町の住民は民度が低い。地区サッカー試合でC町が勝ったのは審判を買収したからだ。A市役所職員の多くがC町の工作員。何十年にも渡って乗っ取りを画策しながら、子供たちを自虐史観で洗脳してきた。そして今やネットで真実を知った自分たちに、差別主義者というレッテルを張って排除しようとしているのだ、うんぬん。

 やがて煽りに乗せられたネット住民たちが、C町特産品フェアを開催したスーパーに対する不買運動を起こしたり、市役所へ一斉に電凸かけて業務を麻痺させたり、警察に妨害されないように多人数による一斉お散歩の形をとったデモを実行したりと、匿名のまま「統合反対運動」をエスカレートさせてゆく。

 しかし、それは本当に「ネットで真実を知った市民が自発的に立ち上がった郷土愛運動」なのだろうか、あるいは単なる言いがかりと鬱憤晴らしに過ぎないのだろうか。行政側は本当に何も隠していないのか。マスコミがこのことを一切報道しないのはなぜだろうか。

 「責任? そんなものは誰も取らないよ」(単行本p.60)と言い放つネット住民にも共感できないが、その一方「不満ばかりで何も変える気のない友人たちよりは、まだA市にとって有益な存在なのかもしれない」(単行本p.64)とも思えてきて、自らの立ち位置に悩む主人公。やがて、一連の騒動の背後で暗躍している存在に気づいてゆき、自分がすでに深く巻き込まれていることを知るのだが・・・。

 というわけで、現実を戯画化しながら「個人が何を思おうが、それとはまったく無関係に、圧倒的な「見えざるものの力」によって物事は進んでゆく」(単行本p.34)ことについて、真正面から切り込んでゆく長編です。思えば、これこそ常に三崎亜記さんの作品の中核にあるテーマではないか、と思います。

 ネットから流される大量の情報によって、何が真実なのか、何をどう判断すればいいのか、誰にも分からなくなっている現在。デマ、捏造、偏見、同調圧力(空気)といったものから独立した「真実」など手に入らないが、だからといって「真実を確かめる術はない。だとしたら、何を「真実」として「選び取るか」という問題」(単行本p.155)と割り切ってしまっていいのでしょうか。主人公の葛藤に共感する人は多いでしょう。

 なお、併録されている短篇『戦争研修』は、デビュー長編『となり町戦争』の前日譚に相当する作品。持ち回りで「戦争事業実務研修」に出席することになった市役所の女性職員が、職務として「自治体同士の戦争の仕方」を学ぶという話。

 「どうします? 森見町と、戦争、していただけますか」(単行本p.214)

 死傷者もすべて付随的経費(特別会計)扱いされる自治体戦争業務に対する違和感を拭い切れないまま、やがてそこで出会ったとなり町の男性職員からプロポーズ、じゃなかった、何だっけ、エンゲージ? つまり開戦の打診(役所なので、宣戦布告の前に相手市役所との間で十分な根回しと協議が必要)を受けることに。

 その後の展開を知っておいた方が楽しめますので、まずは『となり町戦争』を読んでおくことをお勧めします。


タグ:三崎亜記
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『SFマガジン2013年1月号  日本SF作家クラブ創立50周年記念特集』 [読書(SF)]

 SFマガジン2013年1月号は「日本SF作家クラブ創立50周年記念特集」ということで、ここ半世紀における日本SFの歩みを振り返るとともに、日本作家の読み切り短篇二篇を掲載してくれました。

 『カメリ、ツリーに飾られる』(北野勇作)。「よおし、こうなったらおれたちもひとつ、飾られてみるかっ」。おなじみキュートなレプリカメのカメリが活躍するシリーズ最新作。

 トンネル効果がインフレーションして量子バブルが膨れてクリスマスというのが来るという噂を聞いて、早めにカフェを閉めて見物に出かけるカメリと仲間たち。ヒトデナシの群衆で大混雑する街。やがてヒトデナシたちが集まって巨大なクリスマスツリーが・・・。ほわほわ楽しい、心温まるクリスマスストーリーです。いや本当です。

 『ミサイル畑』(草上仁)。「核爆弾を搭載するミツバチ。レーザーを放射する蜘蛛、ワープで飛ぶちょうちょなんか」「そんなのがいたら、とても入植できなかっただろうね」「もっともだ」。

 生物工学が異常に発達し、電子機器から飛行機まで何でも畑で収穫できるようになった時代。ロケットナスビやクルミ防弾殻などの軍事兵器も農作物だが、とにかく値崩れが激しく、すぐに採算があわなくなるのが兵器会社にとっては頭痛のタネ。期限内に新しく兵器転用可能な生物資源を見つけなければクビだと脅された研究員と相棒が、苦心の果てに見つけた解決策とは。

 軽快なアイデアストーリー。フレドリック・ブラウンのSF短篇などを思い出させます。次々と小ネタを繰り出して笑わせながら、しっかり伏線を張り、しっかりとしたオチに持ってゆくところなど、いかにも職人技という安心感。大いに楽しめます。

[掲載作品]

『カメリ、ツリーに飾られる』(北野勇作)
『ミサイル畑』(草上仁)


タグ:SFマガジン
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『Sadeh21 -サデ21』(オハッド・ナハリン振付、バットシェバ舞踏団) [ダンス]

 2012年11月24日(土)は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、オハッド・ナハリン率いるイスラエルのバットシェバ舞踏団の公演を鑑賞しました。

 そっけない「壁」が置いてあるだけのシンプルな舞台、その「壁」を前に17名のダンサーたちが踊ります。最初は一人ずつ登場して踊っては去ってゆく。やがて二名で組んで踊り、ときに数名で踊り、どんどん人数が増えてゆき、群舞へと展開。

 驚異的な身体能力を活かしたダンサーたちの動きは格別で、特に奇矯な動きとはいえないのに、何だか「これまで見たことがない新しいダンス」のように感じられ、思わず拳を握りしめてしまいます。その新鮮さ。特に身体バランスの強靱さには驚かされます。

 ときどき銃声が大音量で重く響き、死と暴力の気配を残しますが、やがて華やかなシーン、楽しそうなシーン、ユーモラスなシーンが増えてゆき、青春時代のような浮かれた気分が舞台を覆います。巧みな照明効果により「壁」も様々に色合いを変え、雰囲気を作り出してゆきます。

 一人一人のダンサーが、それぞれ他の人にはない自分だけの個性的な面白い動きをするのが素晴らしく、個の人生を丁寧に描いている、という印象を受けます。これだけやって動きのアイデアが尽きないというのが凄い。

 しかしラストに向けて再び舞台は緊張感を増してゆき、個の人生を押しつぶす力が支配するようになります。女性が倒れ痙攣する横で男性たちが軍隊調のダンスを繰り返すなど、あからさま。分断されたダンサーたちは、最初のように一人ずつ順番に踊るのですが、このとき果てしなく続く女性の悲鳴や嘆願が背景音として流れ続けるという、えぐい演出。

 最後は「壁」の上からダンサーたちが次々と「身投げ」して死んでゆく。黒田育世さんの初期作品にも似たような演出がありましたが、ここで「壁」にダンサーたちひとりひとりの名前を映し出すという「エンドロール」を加えることで、感情移入をぐっと強めるオハッド・ナハリンの演出もまた効果的。胸がじんとなります。

 やがて無人となった舞台、「壁」には"THE END"という文字が映されたまま。ただ音楽が空しく流れ続け、カーテンコールも挨拶も何もない。悲劇は終わらないし、現実のイスラエルが抱えている政治問題も終わりません。いつ拍手をやめて帰ればいいのか困惑するとき、観客はそのことを思い起こさずにはいられないのです。


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『ボンビックス モリ with ラッシュ』(インバル・ピント&アヴシャロム・ポラック ダンスカンパニー) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年11月23日(金)は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行って、インバル・ピント&アヴシャロム・ポラック・ダンスカンパニーの公演を鑑賞しました。それぞれ40分から50分程度の作品二本立て公演です。

 まず最初の『ラッシュ』。ごく狭い円形のエリアに12脚の椅子を並べ、そこで数名の男女が奇妙なダンスを踊ります。

 天井からつるされた裸電球の光にぼんやり照らし出された舞台は、何だか曖昧な追憶のような、あるいは昔の出来事がぼやけた印象として登場する夢のような感じ。途中で挿入される不思議なアニメーション作品もその雰囲気を強めます。

 そもそも円に12脚ということで、否応なく「時計」、さらには「時間」を連想させるのですが、動きは段々とスピードアップしてゆき、やがて男性ダンサーが女性ダンサーを背負って一列に並べられた椅子の上を歩き始めてからはいよいよ忙しく。

 三名のダンサー達が協力して、男が通り過ぎるはしから椅子を進路前方に移動し続け、いわゆる無限軌道のように延々と続く椅子の例を維持。そこを女を背負ったままひたすら歩き続ける男。個人的に小野寺修二さんの作品によくある演出を思い出します。

 あ、そうか、これは中年期から老年期にかけて時間が猛スピードで流れてゆくあの現象だ、ということはこれまで色々と踊っていたのは「人生」だったのか、などと思っていると、ふと椅子の軌道が途切れ、男はそのまま立ち往生、文字通り。

 何だか、懐かしいような、もの悲しいような、40分のうたた寝のような、そんな不思議な作品です。お気に入り。

 そして『ボンビックス モリ』。タイトルはラテン語で「カイコ(蚕)」という意味だそうで、糸が大活躍する作品です。

 糸といっても伸縮性のある細いロープで、これを口にくわえて他のダンサーに引っ張ってもらったり、ダンサーをぐるぐる巻いてサナギにしたり。壁に開いた出入り口からダンサーがイモムシのように這い出してきたり。「脱皮」してガになったり。何か変な箱(眼が描いてある)背負って四つんばいで歩いたり。まあ薄暗い養蚕場をこっそり覗き込んでいるような舞台です。

 動物や昆虫を連想させる奇怪な人外の動きがキュートで、子供の頃に虫の動きをじっと観察して感嘆したあのときの興奮を覚えます。舞台のあちらこちらで同時に色々なことをやるため意識の焦点を合わせるのが次第に難しくなり、例によって「ちょっとグロテスクで意味不明だけど何だか懐かしい感じのする夢」を見ている気分になってゆくところはさすが。


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