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『ソーシャルもうええねん』(村上福之) [読書(教養)]

 「「富士そばなう」に対して、1万2000人からは、特に何の返事も返ってきません。 何の意味があるでしょう? 僕は、今後、人生で何度、一人で富士そばで夕食を食べるのでしょうか? そして、何度、意味のない電気信号を太平洋を往復させるのでしょうか? ・・・・・・ソーシャル、もうええねん」(単行本p.20)

 TwitterやFacebookなどのソーシャルネットワークサービス、ケータイコンテンツビジネス、口コミサイト。私たちの生活を豊かにし、社会を変革して、そして巨額の利益を叩き出すとされる様々なサービスビジネスから、何とはなしに漂ってくる胡散臭さ、虚しさ、はぁ何やってんだろオレ感。その正体を明らかにしてくれる一冊。単行本(ナナ・コーポレート・コミュニケーション)出版は、2012年10月です。

 Twitterのフォロワー、5000人分で3,800円。
 Facebookの「いいね!」、5000人分で15,000円。
 YouTubeの再生数、5000回分で2,300円、・・・・・・。
 (単行本p.17の表より)

 本書はこんな情報からスタートします。ネット上での人気や評判は、金で買えるのです。しかも驚くほど安価に。「ネットで話題になっている」の虚構性、それに振り回されることの空しさがよく分かります。

 「開発者たちが自分ではバカバカしいと思っているサービスが売上を牽引し、市場を引っ張っているのが現実です」(単行本p.24)

 「この世には、誰もがウソとわかっていても誰もつっこまない数字が3つあります。一つは、中国のGDP(国内総生産)、もう一つは、デーモン閣下の年齢、最後のもう一つは、Facebookのユーザー数です」(単行本p.36)

 「こういう「一度も行ったことも、見たこともないお店のレビューを地方の副業ライターが書いている」のが、ヤラセレビューの一面です」(単行本p.70)

 ケータイコンテンツ、ソーシャルゲーム、SNSのユーザ数、口コミサイト。様々なサービスの内幕を丁寧に解説し、これからの市場を牽引するのはソーシャルだっ、とかいって盛り上がっていた私たちをしょんぼり気分に。

 著者自身の体験談も凄い。

 「2月13日にアメリカでオープンしたサイトが、翌日の14日にはパクられて、17日にはヤフオクで売られているこの状況は、異常といえば異常です」(単行本p.50)

 アメリカで注目されている新サービスの話を聞いて、実物も見ないまま、喫茶店でノートPCを広げて数時間でコードを書いて立ち上げたパクリサイト。それが話題になってヤフーオークションで150万円で売れたという体験談。

 ダミーユーザーを自動的に大量作成してフォロワーとしてプレゼント、というサービスを始めたところ、Twitter社がダミーアカウントを消すスピードとの競争になったという体験談。

 何だか変、こんなの真っ当な世界じゃないよなあ。そんな気持ちになったところで前半は終わり。ここまでの内容も面白いのですが、むしろここから先が本書の眼目。

 後半になると、真面目に真摯に仕事をすることの大切さ、大企業で働くこととベンチャーで働くことの違い、仕事や技術の困った話や、学ぶことについての話になります。大企業の開発部門で働いた経験、フリーランスで働いた経験、ベンチャービジネスを起業した経験。著者自身の豊富な体験から得られた貴重な教訓を教えてくれるのです。

 「どんなに歳をとっても、どんなにベテランになっても、何かを学ぶ時には、プライドも恥も捨てて、素直に「地道に写経する精神」だけは、ずっと持っていたい」(単行本p.118)

 「動いているソースコードが、いちばん正しい」(単行本p.121)

 「1円でもいいからカネを取ると、あらゆる技術が早く身につく」(単行本p..125)

 「人生とりあえずコンパイルだ」(単行本p.131)

 「競争に勝ち抜くより、いかに競争しないかを考え抜くことが大事」(単行本p.147)

 「「好きなこと」のみをやっていくと、何もできない無限ループに陥る可能性がすこぶる高い。「とりあえずやってみる人」ほうが好きなものを見つけやすい」(単行本p.161)

 「あなた一人でも、世の中のために、何かを行い、世の中によい影響を与えて生きたいと真摯に願えば、いい方向に動くと思います」(単行本p.184)

 前半を読んで何だか空しくなっていたところに、こういう印象的な言葉をかけられると、思わず心が動きます。ネットだソーシャルだと振り回され空騒ぎするより、真面目に地道にきちんと仕事をしよう、という前向きな気持ちになります。読後感はとても爽やか。

 というわけで、タイトルや「ソーシャルなんて嘘ばっかりだ!!」という帯からは、ソーシャルサービスを揶揄したり小馬鹿にしたりする煽情的な本を想像するかも知れませんが、実は真面目なビジネス書です。これから社会に出て働こうとしている若者、起業を志している方、プログラムを書いて生活したいと思っている方、などに一読をお勧めします。


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『SFマガジン2012年12月号  The Best of 2011』 [読書(SF)]

 SFマガジン2012年12月号は「The Best of 2011」ということで、2011年に発表された海外SF短篇から選りすぐりの五篇を掲載してくれました。

 『アース・アワー』(ケン・マクラウド)。オーストラリア大陸の緑化計画を推進する大物フィクサーと、その命を狙う暗殺者の物語。スリラー仕立ての展開、次々と登場するSFガジェットの魅力、そして何より舞台がオーストラリアということで、ついついグレッグ・イーガンの初期作品を連想してしまいます。

 『奉仕者(サーバー)と龍(ドラゴン)』(ハンヌ・ライアニエミ)。舞台は超遠未来。ベビーユニバース創造に取り組んでいたサーバー超越知性体が、仮想空間でドラゴンと出会う。とにかく偏執狂的なまでのジャーゴン濫用が印象的な作品。天文物理用語がばんばん出てきますが、まあハッタリです。基本的には、古めかしい、孤独と愛と裏切りの物語。あるいは、サーバーセキュリティ管理は大切だという教訓話(違)。

 『穢(けが)れた手で』(アダム=トロイ・カストロ)。とある異星種族に対する凶悪犯の引き渡し任務を受けた、若き日のアンドレア・コート。たった一人の殺人犯と引き換えに高度なテクノロジーを人類に渡そうと提案してきたエイリアンたちの真の狙いはどこにあるのか?

 『シリンダー世界111』の前日譚ですが、未読でもOKです。アンドレアのキャラクターで読ませる作品ですが、SFミステリとしてもよく出来ていて感心しました。

 『地図作るスズメバチと無政府主義のミツバチ』(E・リリー・ユー)。中国奥地に棲息している、地図を作るスズメバチたち。人間に追われて移住した地で、先住民たるミチバチたちを征服し、隷属させる。やがて重税と圧政に苦しむミツバチ民族の中にアナーキスト集団が現れて、革命を目指すのであった。いかにもな動物寓話ですが、陳腐な政治風刺にならないところがさすが。文章は新鮮で、読んでいてはっとするものがあります。

 『静かに、そして迅速に』(キャサリン・M・ヴァレンテ)。北海道の片隅に建てられた屋敷をコントロールしている人工知能が、そこで暮らす家族と共に成長してゆく。回想を軸とした家族の年代記が人工知能の視点から語られ、舞台のほとんどは仮想空間内なので、「現在」がいつなのか、「現実」がどうなっているのか、なかなか分からないところがミソ。

 神話や童話など集合無意識的イメージを散りばめた、流麗な詩的幻想まみれの文章により、人工知能の異質な内面を表現した、あるいはシンギュラリティ越えのプロセスを人間にも想像できるイメージで書いてみせた、といったところでしょうか。力作ですが、読み通すのはけっこう大変でした。

[掲載作品]

『アース・アワー』(ケン・マクラウド、矢口悟訳)
『奉仕者(サーバー)と龍(ドラゴン)』(ハンヌ・ライアニエミ、酒井昭伸訳)
『穢(けが)れた手で』(アダム=トロイ・カストロ、小野田和子訳)
『地図作るスズメバチと無政府主義のミツバチ』(E・リリー・ユー、鈴木 潤訳)
『静かに、そして迅速に』(キャサリン・M・ヴァレンテ、田辺千幸訳)


タグ:SFマガジン
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『日々の暮し方』(振付・演出:小野寺修二) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年10月28日(日)は、夫婦であうるすぽっとに行って、小野寺修二さんの新作公演を鑑賞しました。小野寺修二さんを含む男女六名が出演する、演劇とダンスとマイムが融合したような作品です。

 自ら失踪を予告して姿を消した男。捜索願いを出しに警察署にやってきた女をめぐって様々な混乱が起きる。断片的なプロットはいかにもサスペンス・ミステリー調ですが、もちろん、結末に向かってストーリーが論理的に展開してゆく、といったようなことはありません。

 緻密に組み立てられたマイムが生み出す驚き(複数人物がばらばらに動いているように見えて実は全体として時計仕掛けのように整然としたシステムになっていることに気づく)、思いっきり間を外すことで観客の予想を裏切る変なセリフ、戸惑いを生む場違いなリアクション。次の瞬間に何が起きるか分からないスリルあふれる舞台です。

 いかにも小野寺修二さんらしいと思ったのは、小道具の巧みな使い方。大きな本棚を横倒しにしてアパート、アクセサリをつけて元に戻すとマンション。舞台上を走り回るソファ。逃げるテーブル。光る水槽(亀付き)。暗い背景の前で白い伸縮性のロープを使って様々な図形(家具の形)を作ってみせるシーンは特に印象的。

 純粋なダンスの場面は(マイムを別にするなら)一つだけでしたが、ここは素晴らしかった。感動した。やっぱり私はダンスを観たい人。

 というわけで、全体的な印象としては、『空白に落ちた男』とよく似ているというか、もしかしたらリメイクを意図しているのかも知れません。

[キャスト]

 演出・振付: 小野寺修二
 出演: 南果歩、川合ロン、藤田桃子、矢沢誠、吉村和顕、小野寺修二


タグ:小野寺修二
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『科学は大災害を予測できるか』(フロリン・ディアク) [読書(サイエンス)]

 「科学は日々進歩し、数学モデルは改良が続けられている。自然の脅威を前にして、完全に安全ということはあり得ないけれども、地球上の大勢の人々が、この星をより安全な場所にしようと努力している。そうした多くの人に、本書を捧げる」(文庫版p.307)

 様々な自然災害を取り上げ、現代の科学はどこまで予測できるのか、また近い将来に予測はどこまで可能になるのかを解説してくれるサイエンス本。単行本(文藝春秋)出版は2010年02月、私が読んだ文庫版は2012年10月に出版されています。

 世界を「理解」すること、そして未来を「予測」すること。これらは科学の主要な目標です。そして、私たちにとって最も切実に予測したいことの一つが、自然災害でしょう。

 大地震の発生、火山の噴火、台風の進路、あるいは新型インフルエンザの大流行。これらを事前に正確に予測することが出来れば、避難するなど対策がとれますし、そうすれば多くの人命が助かるのですから。

 ところが、日食がいつ起きるか、ロケットがどんな軌道をとるか、といった問題には正確に答えられる現代の科学をもってしても、こと自然災害の予測となると、かなり期待外れの成果しか出せないでいます。なぜなのでしょうか。

 それにはいくつかの理由があります。正確なメカニズムが分かってない(地球気候変動)、充分なデータをとることが困難(地震や火山噴火)、そしてカオス挙動(台風)や人為的要因(株価暴落)。しかし、科学者たちは困難に挑み続けています。

 本書でとりあげる自然災害は、津波、地震、火山噴火、台風、気候変動、小惑星の地球衝突、金融危機(株価暴落)、パンデミック(伝染病の大流行)の八つです。自然災害とはいえないものも混じってますけど。

 それぞれの項目について、どのようなメカニズムで発生するのか、そもそも原理的に予測できるのか、どのようにして予測すればいいのか、実際に科学者たちはどこまで予測できるようになっているのか、そして対策は、といった話題が扱われます。

 個々の項目についての解説は薄め。もっと詳しく知りたい読者は、それぞれの話題を専門に扱った本を読む必要があります。ただ、本書の狙いは、一つ一つの話題に関する深い議論ではなく、科学者たちはどのような手法で未来を予測しようとしているのか、その課題はどこにあるのか、といったことの全体像をとらえることにありそうです。

 「私の専門である微分方程式は、そうした思ってもみなかった応用に威力を発揮することが多い。微分方程式を通じて、私は数学モデルに親しんでいった。そしてすぐに、理解した。--よいモデルをつくるのは一大事業であり、そこで最もむずかしいのは現実から乖離しないことである、と」(文庫版p.293)

 「現実に近づかなければいけないモデルと、それができない、あるいは望ましくないモデルがあることがおわかりいただけたと思う。どのタイプを採用するか決めるには、対象となる現象の性質をよく知らなければならない」(文庫版p.302)

 スーパーコンピュータがあれば、50年後の地球平均気温から、地震がいつどこでどのくらいの規模で起きるのかまで、何でも予測できるはずだと思っている人がいますが、そうではありません。真の課題は計算速度ではなく、数学モデルの妥当性と、入力すべきデータにあるのです。専門家である著者は、この点について詳しく教えてくれます。

 「地震の時期・位置・規模が果たして予測可能なのかどうかについて専門家の意見は割れており、中には、そんなことにかかずらうべきではないという学者もいる」(文庫版p.71)

 「1982年3月12日、セントヘレンズ火山を常時監視していた米国地質研究所は、10日以内に噴火が起きると警告。3月15日には4日以内、3月18日には48時間以内と、刻々と範囲は狭められる。そして48時間以内の警報が出された翌日に、噴火が発生した」(文庫版p.117)

 「この小惑星は2033年、35年、45年にも地球に近づき、最接近距離は1万5000キロになるらしいこともわかった。1万5000キロというのは、静止衛星の高度の半分を大幅に下回る。」(文庫版p.219)

 「アメリカ経済学界の重鎮でありエール大学の教授であるアービング・フィッシャーが「株価は恒久的に続く長期安定期に達した」との有名な予言を行ったのである。それは、なんとも間の悪いことに、株価が1929年のピークを打つ直前だった」(文庫版p.246)

 印象的な予知成功、壊滅的な大失敗。本書に登場する、災害予知に関する様々なエピソードは非常に面白い。これらのエピソードが雄弁に伝えてくれる教訓は、科学者や専門家による災害予知は軽んじるべきではないけれど、それに振り回されるべきでもない、ということ。

 「科学者が予測を公表する場合には、その前提条件や精度や誤差範囲を明確にするのがふつうである。ところがメディアがそうした「但し書き」を見落としてしまうものだから、一般の人々は大騒ぎをすることになる」(文庫版p.206、307)

 「科学者が安易な予想をする例が絶えないのは、未来は水晶球で予見できるという無邪気な信念が一般に存在するせいもあるのではないだろうか。(中略)こうした土壌があれば、胡散臭い予測モデルに巨額の予算が付いても、たいていの人が文句を言わないのは無理もない」(文庫版p.305)

 何年以内に首都圏大地震が来る可能性が何パーセント、といった情報で騒ぎが起きたり、あるいは海外で地震予知に失敗したという理由で科学者たちが有罪判決を受けたり、こと災害予知となると人は冷静ではいられなくなるようです。

 というわけで、地震予知をはじめとする災害予測の現状について大雑把に知り、冷静に判断できるようになりたいという方にお勧めの一冊です。自然災害はどこまで予測できるのか、という興味で読み始めましたが、読後、それより予測に向けて努力を積み重ね続けている科学者たちに対する尊敬の念が高まりました。


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『空が分裂する』(最果タヒ) [読書(小説・詩)]

 「感情はただの乱れでしかないけど、その人のそのときにしか生じなかった乱れは、さざなみみたいにきれいだ。/誰にもわからない、わかってもらえない感情が、人の存在に唯一の意味をもたらしている」(単行本p.94)

 死、孤独、傷心について、ひたすら観念的につづりゆく思春期あふれる詩集。単行本(講談社)出版は、2012年10月です。

 まず本書「第一部」として収録されている表題作ですが、これは別冊少年マガジンの連載ということで、詩とイラストのコラボレーション作品となっています。詩の一篇一篇にイラストが付く、というより見開き2ページの絵の上に詩が重ねて印刷してあるのです。で、凄いのは、イラスト担当の面子。

 小林系、市川春子、萩尾望都、山本直樹、古屋兎丸、ワカマツカオリ、冬目景、宮尾和孝、鬼頭莫宏、皆川亮二、田辺ひとみ、伊藤真美、KYOTARO、鈴木央、大槻香奈、片山若子、板橋しゅうほう、志村貴子、平沢下戸、西島大介。

 思わずのけぞるような豪華ラインナップ。さすが講談社。

 ただ、絵の上に白黒反転させた文字を重ねているので、イラストによっては文章が非常に読みにくくなっているのが残念です。

 読者層に配慮してのことか、詩の内容はやたらと観念的。主題はほとんどが死、孤独、人類滅亡(やたらと滅亡します)。思春期の女子がいろいろ思い詰めている様子がひしひしと伝わってきます。

 「女の子なんてもういらないんだって実はわたし知っていた、中性になってぼくら、この世代で人類を滅亡させようじゃないかと発案する。ムーミンが世界に台頭するのもいいね、」
 (『放火犯』より)

 「本当は冬も夏も、さむいとあついだけで区別していた。花の名前を知ることがなくて、死の話、それしかできないことが、ぶらさがっている、頭の上で。明日の食費のことだけを考えれば自尊心が傷つくから、死と生の話で時間をごまかしつづけていた。」
 (『永遠』より)

 「こうげきされるほうがまだましだ 山奥に引越せばだれもおとずれはしない むかえにくるからやっかいなんだ という、この詩をよんでもきっとだれかは、「このひとは本当はさみしいんですよ」と読解するんだろう バーカ」
 (『医学』より)

 し、思春期まみれ。

 おじさんなんだかそわそわしておもわずわだいをかえてごまかしてしまいそうですよ。

 第二部には他の媒体で発表された作品が収録されており、イラストは付いてません。主題の多くは傷心。映像的で、ドラマチックな作品が多いのが特徴です。

 「デリカシーがないといわれてしまった。ドアをあけてしめるとまた向こうにドアがあった。ドアの向こうにまた今度は窓があって、あけて出たら外だった。落ちていくうちにいったいビルに何があったのだろうとおもう。ドアがふたつと窓。窓。」
 (『デリカシー』より)

 「この世でもっとも好きなのは、きみのいない世界、すべてからきみだけが抜けて、なくなった世界で、よかったね、きみは銀河系から出られた、ということにして、きみだけをのけ者にした世界、あるんだよ、知らないの、そこに生まれなくて良かったね」
 (『移住者』より)

 「話すことでしか息ができないんだって、本を読んだり、ひとりで、なにかを作っていては死んでしまうんだって、それだけが明らかだった。青春はすべてだからと、人生のすべてだからと、大人たちに教え込まれ、無意味に語り合うことを崇拝していた。///大人たちは、どうして自殺をまだしていないのだろう。」
 (『夏襲来』より)

 「地球はたくさんの氷河期と絶滅を見てきたんだ、きみの自殺や、きみの絶望を鼻で笑うよ。ぼくも、地球と共感したいからまずは50億年生きたい。きみのことくだらないと思っている。」
 (『50億』より)

 社会なんて発想すらなく、ただむき出しの自分と世界しかなくて、どちらか一方しか存在が許されないような、ひりつくあの感覚。誰にでも思い当たる(よね?)あの思春期の感じが、もうバルブ全開で吹き出してきて、たじろいでしまいます。

 こういう痛々しい若さをまっすぐに自分だけの言葉にしてしまう才能というのは、とてもまぶしい。でもきっと本人はたいへん苦しいでしょうから、うらやましいとは思いません。最果タヒさんが、中年の危機について書いてくれる日が楽しみで、それを心の支えに余生を過ごしたい。

 「目の奥が凍るほど痛い、つらい手紙をありがとうと、書く、そのあと罵倒した。電気を消した後に見たテレビの光が、ずっと壁で震えていた。青く、ひえびえとして、手のひらが動くとそこだけあたたまったかのように黒く、にじんだ。ねずみ年、花火を持って出るとそとはさらに暗く、そして冷たい。火をつけて放った、回転しながら花火は、空を落下し地面にしずんだ。あかいあおいおれんじのしろいきいろ、光。」
 (『花火、逝く』より)


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