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『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(金井美恵子) [読書(小説・詩)]

 「母の記憶の編物の編目にはほころびとこごなった糸の固い糸玉があるうえに、一つの物語を最初から最後まで順序立てて話すつもりがなかったから、いつでも話しはとどこおって別の方向へとずれてしまうのだ。」(単行本p.172)

 「私の記憶は丸めて捨てられた様々な色の糸くずのようにこごなってもつれているようなのだし、何度も何度も小さな虚になってゆらいでいる虫歯をとがらせた舌の先でさぐることを、やめることが出来ないように戻ってみても、だからといって何も変りはしないのだし、あれから、多分、とりかえしようもなく長い時間がたってしまっているのだ。」(単行本p.266)

 時間と空間を溶け合わすような驚異的な文章技法によって読者を記憶の迷宮へと誘う小説。単行本(新潮社)出版は、2012年01月です。

 語り手の男性が、昔のことを回想します。病気で長く学校を休み、祖母と叔母と母という三人の女性と暮らした幼い頃の記憶。父との思い出。その父が母を捨てて他の女のところに逃げたこと。引っ越し。父の死を知らせる彼女からの手紙。

 回想はとりとめがなく、異様に細かいディテール描写がえんえんと続いたり、しばしば無関係な連想や他人の語りが混入して、話者のアイデンティティも時系列も果てしなくゆらぎ、話のフレームは拡散し、ふいに「現在」の描写が差し込んできてはっとしたり、想起のフックに引っかかったと思しき古典の語り直しが発芽し成長したり、時間も空間もとろとろに溶けてゆくような、あの記憶の不可解さ、それを句点が極端に少ない長く長くうねり続く文章で見事に表現してしまいます。

 「すべてを思い出してみることなど出来はしないのだが、何回も何回も何回も同じことを、それが唯一の主題でもあるかのように書いたことがある、と私は思い、なじみ深く、たとえばよく知っている自分の肉体のように慣れているのに、そこにいるという抵抗感によって微かな軋み、そこここに、くぐもった音で鈍く響かせる、しめった紙の肉体、紙の湿り気をおびた言葉のことを考えようとする・・・」(単行本p.249)

 「もちろん、あれから長いこと時間がたったのだ」(単行本p.266)

 クローズアップ映像を思わせる文章がひたすら続き、嗅覚と触覚を絶え間なく刺激する描写が夢の感覚を思わせる奇妙な生々しさを加えます。

 「キャラコのハンカチ」の手触り、「ひょうたんの形をしたゴムに入っている毒々しいボタン色のイチゴシロップ」の臭いや味、「鉄製の水色のペンキ塗りのところに赤い胸のコマドリの絵を描いてあるフレームに取り付ける幼児用座席」のイメージ、「角の家で飼っている悪い噂のある大きなシェパード犬」の吠え声。そして映画のワンシーンの数々。

 五感に訴える描写が、何度も何度も繰り返されるうちに読者自身の記憶に紛れ込み、後のページでそれが回想されるとき、読者も記憶の迷宮に迷い込んでしまっていることに気づくのです。希有な読書体験としかいいようがありません。

 「どの家もまゆみの生垣を四方にめぐらして曲りくねった廊下のように続いて徐々にゆるやかに傾斜して下ってゆく幾つもの直角の曲り角があみだくじのように折れ曲っているまゆみの生垣の間の細い道を、ゆっくりと下りはじめながら、金属を薄くのばした柔軟な坂か、桃の果皮のようにひんやりしているのに、その薄い皮膜を通しててのひらと指に(もろん、指のほうがそれを敏感に感じとるのだが)皮膚というか柔らかい肉体といったほうが正確かもしれない彼女の息づかいを確かめたことを、ありありと思い出すのだが、どの家もまゆみの生垣を四方にめぐらして幅の狭い小道にバラスを敷きつめて曲りくねった廊下のように続いている砂岩段丘の道を歩いて、どこへ行こうとしているのかは、いつも思い出せないのだ。」

 というわけで、何かを思い出すこと、思い出せないこと、夢とも知覚とも異なる記憶の想起というものの不思議さに幻惑される、あの感じを、驚くべき文章技巧で見事に表現してのけた、実にたまげた傑作です。

 一気に通読してしまうのではなく、出来れば毎日一章ずつ読み進めることで、自分の記憶も混乱して惑う、そんな魔法のような読書体験をめいっぱい楽しむことをお勧めしたいと思います。


タグ:金井美恵子
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