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『身近な雑草の愉快な生きかた』(著:稲垣栄洋、画:三上修) [読書(サイエンス)]

 人間に踏まれることで繁殖する雑草、土中に花を咲かせる雑草、葉も根も捨てて他の植物に寄生する雑草。ありふれた雑草の驚くべき生態を明らかにしてくれる驚嘆の一冊。単行本(草思社)出版は2003年7月、私が読んだ文庫版(筑摩書房)は2011年4月に出版されています。

 スミレからヨシまで50種もの雑草を取り上げ、それぞれの生存戦略を解説する本です。これが、何しろ、ページをめくる度に驚きの連続。

・オドリコソウは、毒針を持つイラクサに擬態することで動物から身を守る。

・タイヌビエは、イネに擬態することで農家の草取りから身を守る。

・外来種タンポポは、クローン種子で増殖することで自らの勢力地を守る一方、在来種タンポポの勢力地に向けて花粉を飛ばし遺伝情報を広めることで勢力地を急拡大している。

・オナモミの実には二つの種子が入っており、一方は春になるとすぐに芽を出し、他方は待機しておいて後から芽を出す、という役割分担をしている。

・オオバコは、踏まれることを前提に生きており、人間の足裏や車のタイヤに粘液で種子をくっつけることで道に沿って生息域を広げてゆく。

・ネジバナの種子は、カビの仲間をわざと自らの体に寄生させ、そこから吸収した栄養分で発芽する。

・ミゾソバは、他花との交雑で出来た遺伝的多様性のある種子は鳥に食べさせ遠隔地に運ばせる一方で、地中でも花を咲かせ自家受粉する。こうして出来た自分に近い遺伝情報を持つ種子は、そのまま安全な地中で発芽させるという二面作戦で繁殖する。

・ヒルガオのちぎれた根茎の断片を追跡調査したところ、そこから55,000個の芽が再生した。

・カラスムギの根の長さを計測したところ、その全長はほぼ東京から大阪までの距離に匹敵した。

・オオブタクサはわずか数カ月で草丈が6メートル以上に成長する。

・日本中のマンジュシャゲは全て同一個体のクローンである。

・根も葉も葉緑素も持たず、他の植物から養分を奪うことで生きているネナシカズラは、獲物となる植物がないと共食いをする。


 「雑草のようにたくましい生き方」というのは常套句ですが、何とまあ、雑草の生き方の狡猾さ凄絶さには絶句させられます。その厳しい生存競争を生き抜いてきた融通無碍、自由闊達、変幻自在な生き方は、実に私たちの想像を絶するものがあります。というか何かこわい。

 というわけで、一読すれば、そこらに生えているありふれた雑草を見る目が変わってしまう多大なるインパクトを持った一冊。各項目には三上修氏による繊細で美しいイラストが添えられているのも魅力的です。


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『ファンタジスタ』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“星野智幸を読む!”、その第6回。今回は、野間文芸新人賞を受賞した短篇集を読んでみました。単行本出版は2003年3月、私が読んだ文庫版(集英社)は2006年4月に出版されています。

 グロテスクで幻想的、極めて非現実的なのにどこかしら触覚に訴えてくるような生々しいリアリティ、そして何度か夢で見聞きしたことがあるような既視感。虚構の力を駆使して現実の政治問題にひそむ不条理さをえぐり出すような作品集です。

 小学校で起きた不可解な集団自殺事件、森で暮らすホームレスたち、そしてドミニカ移民問題、これらを妄想によってつなげてみせる『砂の惑星』。「棄民が世は/千代に八千代に」という歌のもと、わが国の棄民政策は今も続いています。

 フットボール(サッカー)の国民的スター選手がわが国の(事実上)初代大統領に選ばれるという『ファンタジスタ』。スポーツが生み出す熱狂の共有や連帯感に対し、共鳴する気持ちと共に同調圧力を感じ、皮膚感覚レベルで嫌悪感を抱く主人公。しかし政治に「強いリーダーシップ」や「熱い感動」を待望する国民の声は圧倒的だった。

 特定チームや選手に対する盲目的な支持、サポータの一体感など、フットボールに重ねてファシズム的「気分」を描出してみせた作品です。

 そして最後の『ハイウェイ・スター』は、ちんぴらコンビが盗んだ車でハイウェイを暴走するありがちな無軌道青春もの、と思って読んでいると、幻想の労働現場にいきなり放り込まれます。地底に向かって無限に堀り進められる巨大な穴、その壁面にびっしりと穿たれた横穴式寝床、何が起きてもなかったことになり、国土と一体化して輪廻を重ねる労働者たち。そして幻視される国体の姿。異様な迫力に飲み込まれそうになります。

 というわけで、これまでの作品に見られた疑似家族や小規模共同体といったテーマからいったん離れ、現実の政治問題のその奥に隠されているこの国の構造を、虚構の力を使ってあぶり出してやろう、という野心作ぞろいの短篇集です。個人的には、次から次へと奇怪なイメージが続く『ハイウェイ・スター』が好み。


[収録作]

『砂の惑星』
『ファンタジスタ』
『ハイウェイ・スター』


タグ:星野智幸
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『青の物理学  空色の謎をめぐる思索』(ピーター・ペジック) [読書(サイエンス)]

 空はなぜ青いのか。子供が抱くようなこの単純な疑問に答えるために必要とされた1000年にもおよぶ長い探求の旅。青空という身近な現象が、光学、気象学、文学、美学、原子論、天文学、そして量子論をつなげてゆく壮大なドラマを活き活きと描いたサイエンス本です。単行本(岩波書店)出版は2011年2月。

 ある一つの問題を取り上げて、それが解明されるまでの紆余曲折のドラマを通じて科学と科学者の姿を紹介するというのは、ポピュラーサイエンス本の定番といってもよい手法ですが、そういう問題は例えば「宇宙のはじまり」であるとか「物質の根源」であるとか、いかにも壮大なドラマを予感させるものになりがちです。

 ところが本書で取り上げるのは、空はなぜ青いのかという、単純というか素朴というか、いかにも簡単に解けてしまいそうな問題。

 ところがところが。アリストテレス、ダ・ヴィンチ、デカルト、ゲーテ、フンボルト、ケプラー、ニュートン、オイラー、チンダルといった人類最高の賢人たちが取り組んでもなお解けなかったという、これはそれほどまでに深い問題だったのです。

 18世紀後半に至っても「空が青いことと、空の光が偏光していることは、気象学におけるもっとも大きなふたつの未解決の謎である」(単行本p.100)と記されたほどの難問。

 そして19世紀も終わりに至りレイリーの研究がようやく明らかにしたのは、青空こそ「原子論の最も美しい証明」だという、驚くべき結論でした。「空が青色であるためには、原子が実在していなければならないというこの考え方は、衝撃的なほど簡明かつ深い」(単行本p.128)。

 かくして、史上はじめて「空の青さは説明を要する問題だ」と指摘したアリストテレスから始まる長い長い探求の旅は、ついに青空を観察するだけでアボガドロ定数を決定することが出来る、という認識にまで到達するのです。

 光学、気象学、そして原子論をめぐるストーリーに加えて、文学や芸術の立場から「青」がどのようにとらえられてきたのか、脳神経科学の分野でいまだ未解明となっている「色」の認識問題、さらにはオゾン層破壊などの環境問題に至るまで、青空の謎をめぐる様々な話題が縦横無尽に語られます。

 原題の"Sky in a bottle"が示すように、実験室の中で「青空」を再現しようとする実験の数々が登場するのも楽しく、ちなみに付録としてこれらの実験を自宅で(あるいは理科の授業で)やってみたいという読者のためのガイドまでついています。

 また日本語版の巻末には、宇宙・物理関連の啓蒙書で高名な佐藤文隆氏による解説がついていて、「レイリー散乱」についてより詳しく知ることが出来ます。本書で数式が登場するのはここだけです。

 というわけで、ごくささやかに見える疑問からスタートして、様々な分野をまたいだ壮大な探求の物語を明らかにしてゆく、知的興奮を誘う好著です。内容をきちんと理解しようと思えば大学の教養課程くらいの予備知識が求められますが、研究者たちのドラマを読み進めるだけでも充分に楽しめます。


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『ラベッツ博士の科学論  科学神話の崩壊とポスト・ノーマル・サイエンス』(ジェローム・ラベッツ) [読書(サイエンス)]

 遺伝子工学、ロボット技術、人工知能、脳神経科学、そしてナノテクノロジー。果てしなく増大する不確実性の一方で、社会に与えるインパクトがあまりにも強くなった現代の科学技術。その方向性を判断し調整するのは誰であるべきなのか。歴史的視点から科学と社会の関係性を見直し、あるべき姿を論じる一冊。単行本(こぶし書房)出版は2010年12月です。

 第二次世界大戦より前の世界においては、科学研究のガバナンスは完全に科学者コミュニティに任されていました。社会に対する彼らの典型的な反応は、「もし実用的な分野で誰かがそれらを有効に利用できるのであれば、それはそれで一層結構なことであった。しかし、それは科学とは全く関係のないことであった」(単行本p.72)というものです。

 しかし、今やそんなことは言ってられなくなりました。「大きな財政的な支援が必要なメガ・サイエンスは、財政支援をする者によってさまざまな形で支配される。われわれの知識と無知に加えて、技術の選択や形成にもそのような制約が反映する」(単行本p.151)。

 こうして、研究の方向は出資者の意向によって決められ、ますます増大する不確実さからは企業や政府にとって都合のよい結論が引き出される、そんな傾向が強まっています。

 科学が「利益と権力を温存させることを目的に、無知と不確実性を操作する」(単行本p.134)ための道具として使われることを防ぐにはどうすればいいのか。社会との関わりから科学のガバナンスについて考察したのが本書です。

 事実が不確実で、価値が論争的であり、関係者の利害対立が強く、決定が急がれる、そんな科学技術の問題を、著者は「ポスト・ノーマル・サイエンス」と名付け、そのようなサイエンスに関する合意形成はどのように行われるべきかを論じてゆきます。

 著者によると、ポスト・ノーマル・サイエンスにかかわる議論のパターンはこうです。

 「反対者は未知で不可知な、深刻な事態を招くリスク、別の言葉で言うと、「無知」について言及する。反対者はライフスタイルやわれわれが本当はどのような世界に住みたいかといったことを、考慮すべき事柄として持ち出すかも知れない」

 「彼らのビジョンは明らかに漠然としていてユートピア的であるが、それに対し、成長の推進者のビジョンは少なくとも緻密で、現実的に見える。したがって両サイドの議論はかみ合わない」(単行本p.161)

 「権力を持っている側が議論を計画したとすると、もう一方のサイドがその成り行きに不信感を持つのは当然である。反対者にとって、これは民主主義でも参加でもなく、むしろ説得や反対を中立化するための行為である」(単行本p.162)

 まさに今、進行中のパターンに他なりません。

 では、この状態を克服するためにどうすればいいのでしょうか。判断は専門家に任せるのがベストなのでしょうか。著者は様々な論拠を挙げて、そうではないことを示します。

 代わりに、本書は科学者と一般市民が真摯な対話を交わす場の必要性を訴えます。そのような場を著者は「拡大ピア・コミュニティ」と呼び、それがどのようなものであるべきかを論じてゆくのです。

 一見すると理想論にも感じられますが、この試みはすでに様々な形で実施されており、実際に成果を挙げているのだそうです。欧米で広く実施されているサイエンス・ショップなどの実例を知るにつれて、それは私たちの力で実現できるのだ、というメッセージの説得力が増してゆきます。

 ただ、翻訳のせいか文章は読みにくく、抽象的あるいは一般的すぎて一読しただけではよく分からない表現も頻出し、しかも似たような内容の繰り返しが多いなど論旨展開も理路整然としているとは言いがたいため、すらすら理解できる本ではありません。

 しかしながら、本書は今まさに私たちが直面している問題について、その解決と合意のためにどのようなプロセスが必要なのか、という極めて具体的な課題を考えるための参考書として有用であり、哲学というより社会学的な科学論として読みごたえがありました。


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『あたらしい哲学入門  なぜ人間は八本足か?』(土屋賢二) [読書(教養)]

 お茶大の名物教授(現名誉教授)にして、中年オヤジトークと哲学パラドクスをまぜこぜにしたようなひねくれたユーモアエッセイで人気の哲学者、土屋賢二さんが自らの講義を元にして語る哲学入門書。単行本(文藝春秋)出版は2011年2月です。

 まったく予備知識のない読者を対象に、「実際に哲学の問題を解いているのを直接見てもらう」(単行本p.8)というやり方で哲学について教えてくれる一冊です。

 本書で解決する問題は、「人生に意味はあるのか?」、「何かを理解するというのはどういうことか?」、「時間とは何か?」、「本当の自分とは何か?」、「万物の存在は奇跡であるか?」、「ロウソクの火は消えるとどこへ行くのか?」、「裸の看護婦さんが出てくる夢を見たとき、裸なのになぜ看護婦だと分かるのか?」といった哲学上の大問題ばかり。

 読者としては、こんな大問題がすんなり解けるはずがない、というか、そもそもこんな問題に答えられるはずがない、むしろ答えられない問題について考え続けるのが哲学というものではないのか、とこう思うわけです。ところが著者は言います。

 「ぼくは哲学にはちゃんとした答えがあると思っています。もしも答えることができないなら、なぜ答えることができないのかという根拠があると思うんです。哲学には、答えの出ていない問題も多数ありますけど、それでもやがてはちゃんとした答えが見つかるはずだとぼくは思っています」(単行本p.16)

 語尾が全て「思う」となっていていまひとつ迫力に欠けますが、でも、哲学の問題にはちゃんとした答えがある、という宣言にはぐっと引き込まれます。そして、さらにこう続きます。

 「その「ちゃんとした答え」とぼくが考えるものをこの授業でご説明したいと思います。(中略)ぼくが言いたいのは、哲学の問題には、きちんと考えて行けば納得できるような答があるということです。その答えをできるだけみなさんに納得してもらえるように説明したいんです」(単行本p.16、17)

 語尾が全て「したい」となっていていまひとつ迫力に欠けますが、何と300ページに満たない入門書で、本当に前述のような哲学的問題に対する答えを出す、しかもそれを誰でも納得できるように説明する、というのです。これはすごい。期待が高まります。でも、何かインチキがあるんじゃないかと思って読み進めると・・・。

 詳しくは本書を読んで頂くとして、基本的な考え方は「言語規則を破っているため問題そのものが無意味である。ゆえに答えというものが原理的に存在しない」というもの。これだけで、哲学の多くの問題を片づけることが出来るというのです。

 いわば、哲学の問題の大半は「人間はなぜ八本足か?」という問題と似たようなものであり、哲学者の仕事とは言語の分析によってそのことを明らかにすることだ、と。

 最初は、ほらやっぱインチキじゃん、と思いつつ読み進めるのですが、次第に「なるほど」と納得させられます。哲学にちょっと詳しい方なら、ああウィトゲンシュタインだな、と思うでしょう。著者も最初にそう宣言しています。

 「ぼくの考えでは、基本的にこういう考え方をする哲学者が、世界規模で見ると、多数派を占めているのではないかと思います。少なくともぼくの考え方は、決して特殊なものではないと思っています。ぼくの考え方は、アリストテレスとかウィトゲンシュタインといった大哲学者たちの考え方を基本にしています。そういう哲学者がこの問題を考えたら、こう解くだろうということをみなさんにぼくなりのやり方で説明したいと思っています」(単行本p.32)

 語り口がやたら回りくどくて弱腰でうっとうしいと感じるかも知れませんが、この調子でずっと続きますので、そこは受け流すしかありません。それにしても「ことばの誤解を取り除くことで哲学の問題を消滅させる」というのが哲学者の主な仕事になっているというのは、それはちょっとした驚きです。

 というわけで、問題解決の実例をいくつも挙げながら、哲学者がどのように言語と格闘しているかをかいま見せてくれる哲学入門書です。ツチヤ教授のオヤジくさいユーモアエッセイの愛読者、ウィトゲンシュタイン哲学について簡単に学びたい方、哲学的な疑問をすっぱり割り切る爽快感を味わいたい方、大学の哲学入門講座ではどのような講義が行われているのかを知りたい方、そして夢に出てきた裸の看護婦さんは裸なのにどうして看護婦だと分かるのかを知りたい方にもお勧めします。


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