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『ラベッツ博士の科学論  科学神話の崩壊とポスト・ノーマル・サイエンス』(ジェローム・ラベッツ) [読書(サイエンス)]

 遺伝子工学、ロボット技術、人工知能、脳神経科学、そしてナノテクノロジー。果てしなく増大する不確実性の一方で、社会に与えるインパクトがあまりにも強くなった現代の科学技術。その方向性を判断し調整するのは誰であるべきなのか。歴史的視点から科学と社会の関係性を見直し、あるべき姿を論じる一冊。単行本(こぶし書房)出版は2010年12月です。

 第二次世界大戦より前の世界においては、科学研究のガバナンスは完全に科学者コミュニティに任されていました。社会に対する彼らの典型的な反応は、「もし実用的な分野で誰かがそれらを有効に利用できるのであれば、それはそれで一層結構なことであった。しかし、それは科学とは全く関係のないことであった」(単行本p.72)というものです。

 しかし、今やそんなことは言ってられなくなりました。「大きな財政的な支援が必要なメガ・サイエンスは、財政支援をする者によってさまざまな形で支配される。われわれの知識と無知に加えて、技術の選択や形成にもそのような制約が反映する」(単行本p.151)。

 こうして、研究の方向は出資者の意向によって決められ、ますます増大する不確実さからは企業や政府にとって都合のよい結論が引き出される、そんな傾向が強まっています。

 科学が「利益と権力を温存させることを目的に、無知と不確実性を操作する」(単行本p.134)ための道具として使われることを防ぐにはどうすればいいのか。社会との関わりから科学のガバナンスについて考察したのが本書です。

 事実が不確実で、価値が論争的であり、関係者の利害対立が強く、決定が急がれる、そんな科学技術の問題を、著者は「ポスト・ノーマル・サイエンス」と名付け、そのようなサイエンスに関する合意形成はどのように行われるべきかを論じてゆきます。

 著者によると、ポスト・ノーマル・サイエンスにかかわる議論のパターンはこうです。

 「反対者は未知で不可知な、深刻な事態を招くリスク、別の言葉で言うと、「無知」について言及する。反対者はライフスタイルやわれわれが本当はどのような世界に住みたいかといったことを、考慮すべき事柄として持ち出すかも知れない」

 「彼らのビジョンは明らかに漠然としていてユートピア的であるが、それに対し、成長の推進者のビジョンは少なくとも緻密で、現実的に見える。したがって両サイドの議論はかみ合わない」(単行本p.161)

 「権力を持っている側が議論を計画したとすると、もう一方のサイドがその成り行きに不信感を持つのは当然である。反対者にとって、これは民主主義でも参加でもなく、むしろ説得や反対を中立化するための行為である」(単行本p.162)

 まさに今、進行中のパターンに他なりません。

 では、この状態を克服するためにどうすればいいのでしょうか。判断は専門家に任せるのがベストなのでしょうか。著者は様々な論拠を挙げて、そうではないことを示します。

 代わりに、本書は科学者と一般市民が真摯な対話を交わす場の必要性を訴えます。そのような場を著者は「拡大ピア・コミュニティ」と呼び、それがどのようなものであるべきかを論じてゆくのです。

 一見すると理想論にも感じられますが、この試みはすでに様々な形で実施されており、実際に成果を挙げているのだそうです。欧米で広く実施されているサイエンス・ショップなどの実例を知るにつれて、それは私たちの力で実現できるのだ、というメッセージの説得力が増してゆきます。

 ただ、翻訳のせいか文章は読みにくく、抽象的あるいは一般的すぎて一読しただけではよく分からない表現も頻出し、しかも似たような内容の繰り返しが多いなど論旨展開も理路整然としているとは言いがたいため、すらすら理解できる本ではありません。

 しかしながら、本書は今まさに私たちが直面している問題について、その解決と合意のためにどのようなプロセスが必要なのか、という極めて具体的な課題を考えるための参考書として有用であり、哲学というより社会学的な科学論として読みごたえがありました。


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