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『定刻発車  日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』(三戸祐子) [読書(教養)]

 JR東日本が運行する新幹線の一列車あたりの遅れは年間(2003年度)わずか0.3分、在来線でも0.8分。JR東日本だけで1日あたり実に12,220本の列車を、1分と違わず時刻表通りに運行させる日本の鉄道。そしてそれを必要とする日本の社会。

 世界でも類を見ないこの驚くべき「列車の定刻運行」について徹底的に追求した渾身のルポです。単行本『定刻発車  日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』(交通新聞社)の出版は2001年2月。私が読んだ文庫版(新潮社)は2005年年5月です。

 JR東日本だけで1日あたり実に1,620万人もの旅客を、平均遅延1分を切る正確さで運ぶ巨大システム。この驚異の定刻運用の背後には、たぶん何かしら凄いコンピュータシステムがあるのだろうと、私など漠然とそう思っていました。だって人間の仕業とはとうてい思えないじゃありませんか。

 昭和42年、天皇陛下が新幹線に乗車したとき、その「お召し列車」の運転手が証言しているそうです。

 「停車駅の名古屋・京都・新大阪はプラスマイナス5秒以内、停車位置はプラスマイナス1センチ以内の許容しかなかった」(文庫版p.146)

 5秒。1センチ。誤植ではありません。新幹線を、東京から新大阪まで、これだけの精度を保って走らせろ、というのです。馬鹿馬鹿しいとしか思えませんが、運転手の証言は続きます。

 「通常でも特別な事情がない限り、誰でもほぼこの範囲内で運転している」(文庫版p.147)

 通常でも、誰でも。もはや気味が悪くなってきますが、これが昭和40年代に行われていた列車運行なのです。明らかにコンピュータシステムのちからではありません。というかこれはむしろオーパーツ。では、それ以前はどうかというと。

 「明治37年、甲武鉄道(現、中央線)が普通鉄道で最初の電車を東京の飯田町~中野間に走らせた時、列車は早くも10分間隔で走っている」(文庫版p.69)

 「中央線東京~中野間は、大正13年2月から、混雑時には早くも3分間隔、東海道線東京~品川間(山手線を含む)では、大正15年1月から混雑時2分半間隔が現れている」(文庫版p.125)

 ちょっとは落ち着け日本人、と言いたくなりますが、もちろん落ち着くはずがありません。何しろ敗戦当日も定刻運行を止めなかった日本の鉄道。そして今や。

 「東京の都心部に毎朝、372万人の通勤通学者がドッと押し寄せ、ドッと帰ってゆく様だ。23区以外の東京都内から66万人、埼玉県から106万人、神奈川県から98万人、千葉県から88万人が押し寄せる」(文庫版p.123)

 「この時間帯、山手線列車は2分半間隔、中央線は2分間隔で走っている。(中略)2分の遅れは一列車分、およそ4,000人分の輸送力の損失を意味する」(文庫版p.116)

 「途切れることも、途絶えることもない人の流れを支えるためには、都会の鉄道は、当然のごとく「秒単位」に管理されなければならない。(中略)東京圏の電車の発着時刻は10秒単位、駅での停車時間は5秒単位で計画され、運転士たちは駅の通過時刻を1秒単位で認識している」(文庫版p.122)

 こんな国ですから、「労使対立が激化して順法闘争が行われた時期の一列車あたりの平均遅延は5分前後」(文庫版p.105)だそうで、鉄道員のサボタージュ闘争による「平均5分」の遅延に日本社会は耐えられなかったのです。

 ちなみに、イギリスでは10分、フランスでは13分、イタリアでは15分までの遅延は統計上「定刻運行」と見なされるそうです。それでも定刻運行率は90パーセント。でも、むしろそちらの方が真っ当な気がしてきます。

 こんな離れ業を実現するためにどのような努力が払われているのか。例えば「たった1本の列車を余計に割り込ませるために、35本の列車の運行予定を変更することも実際にある」(文庫版p.235)ほどの緻密なダイヤ。そして事故が起きるとそれを素早く組み換えて収束させるスジ屋(ダイヤ編成担当者)のかみわざ。

 東北・上越新幹線の東京駅乗り入れを実現するためには、たった一つのホームで1日に217本の列車を発着させる必要があった。一つのホームで一日あたり217本の列車を発着させる。この「世界水準ではもちろん、日本国内の水準から見ても、ものすごい数字」(文庫版p.251)を実現させるために行われた緻密なシミュレーション。

 折り返し停車時間を従来の20分から12分に短縮する。そのために車内清掃を徹底的に合理化し、自由席の配置を列車ごとに変えることでホームで待つ旅客の密度を高める。こうして「東北・上越新幹線の定刻運転率(遅延一分未満)は96パーセント。“驚異の定時運転”は維持されたのである」(文庫版p.254)

 本書はこういったエピソードが次から次へと登場し、そのたびに読者は度肝を抜かれることになります。この定刻運行への執念はどこから来たのか。なぜ日本社会はそれを実現できたのか。そして日本人はこれからも列車の定刻運行と過密ダイヤを前提とした社会を維持してゆくべきなのか。

 「定刻運行」をキーワードに、奈良時代から近未来にいたるまで広く俯瞰した視点から見えてくる日本社会の姿。どのページを開いても知的興奮が吹き出してくる素晴らしいルポルタージュです。私は本書を読み終わるまで夜あまり眠れませんでした。ぜひ通勤電車の中で読んで欲しい一冊。熱烈推薦。


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