『言語ジャック』(四元康祐) [読書(小説・詩)]
先日読んだ『通勤電車でよむ詩集』(小池昌代:編著)に収められた数々の名詩のなかで、なぜか『言語ジャック 1新幹線・車内案内』にぐっと心をつかまれたもので、作者の最新詩集を読んでみました。単行本(思潮社)出版は2010年3月です。
表題作『言語ジャック』をはじめとして、言語や詩に関する不可解な挑戦と、とぼけたユーモアが、何だか変な具合に混ぜ合わさって出来たと思しき、奇妙な作品がいくつも収録されています。
言葉や詩に関する挑戦というのは、例えばこんな感じです。
・対象をまったく示さず、ただ比喩だけを並べて詩にしてみる(『メタファー博物館』)
・これまで一度も使われたことのない新作オノマトペ(擬声語や擬態語)を各行に1つ入れてみる(『オノマトペな悔恨』)
・仮定法の文章だけを並べて詩にしてみる(『仮定法過去』)
・ものすごく日常的な光景を、無理やり荘厳な叙事詩にしてみる(『食卓の上の叙事詩』)
・古今東西の名詩を名詞のみで表現してみる(『名詩で読む世界の名詩』)
・宮澤賢治の名詩から取り出した言葉だけを使ってまったく別の詩を作ってみる(『リサイクル「雨ニモ負ケズ」』)
しまいには、なぜそんなことに挑戦するのか、だんだん分からなくなってきます。
・ソロバンの計算問題を詩にしてみる(『ごはさんで願いましては』)
・なぞなぞを詩にしてみる(『嘱目なぞなぞ』)
・漫才を詩にしてみる(『現代詩漫才』)
・おまじないを詩にしてみる(『マジナイ唄』)
・ひとりごとをならべて詩にしてみる(『<ひとり言>のシンフォニー』)
・悪態や罵倒をならべて詩にしてみる(『悪態』)
・お年寄りの知恵袋を詩にしてみる(『詩人だったおじいちゃんの暮らしの知恵』)
言葉いじり、への情熱もすごい。
例えば『魚の変奏』という作品。これは冒頭に「魚」という詩を示し、次にそれをローマ字で表記し、続いて「子音による変奏」ではローマ字の母音だけを残して子音を変換することで三つのまったく別の作品を生み出してみせます。続く「母音による変奏」では、同様に母音のみ変換することで、さらに三つの別作品を生み出す、という超絶技巧。
言語で密林を作ってみせる『言語の密林』、一節ごとに読書姿勢(例えば「右手の人指し指と中指を揃えて伸ばし右耳の後ろを激しく摩る」など)を指定した『日常の象』、文章中に「メー」という羊の鳴き声がどんどん入ってくる『Show & Tell』。
占いの「詩的な」言葉を散文で解説してみせる『明日の運勢』。例えば「それは自ずと語り始める/光に灼きつけられた影の悲鳴によって」が、「ファックスが届いて感熱紙に印字された」と解説されたりします。
ついには、言語とセックスしてみたり(『セックス・アンド・ザ・ラングエッジ』)、厳格な文法の父と優しい音声の母のもとで大切に育てられてきた言葉を縛り上げて恥ずかしい構文で凌辱してみたり(『言葉苛め』)。言葉ってやっぱり女性だったんだ。
他にも、「掛け声としてのW・B・イェーツ!」とか、「ふざけるな、なーにがウィキペディアだ。 (人事部次長 42歳)」とか、「あの揺れに合わせそこねて二十五年」とか、真面目な作品に紛れ込んでいるユーモラスな一節に思わず吹き出すことも。
意味のある単語を文法に従って配置することで内容を伝える、という言葉の役割がすかっと失われて、何だか不思議な響きと記号になってゆく、その目眩がするような感覚はとても気持ちよく、そして驚きがあります。
向き不向きがあるとは思いますが、散文でいえば清水義範さんのパスティーシュ小説が好きな方など、こういった趣向がお気に入りの読者なら、大いに楽しめるでしょう。私は大好きです。著者のこれまでの作品も読んでみることにします。
表題作『言語ジャック』をはじめとして、言語や詩に関する不可解な挑戦と、とぼけたユーモアが、何だか変な具合に混ぜ合わさって出来たと思しき、奇妙な作品がいくつも収録されています。
言葉や詩に関する挑戦というのは、例えばこんな感じです。
・対象をまったく示さず、ただ比喩だけを並べて詩にしてみる(『メタファー博物館』)
・これまで一度も使われたことのない新作オノマトペ(擬声語や擬態語)を各行に1つ入れてみる(『オノマトペな悔恨』)
・仮定法の文章だけを並べて詩にしてみる(『仮定法過去』)
・ものすごく日常的な光景を、無理やり荘厳な叙事詩にしてみる(『食卓の上の叙事詩』)
・古今東西の名詩を名詞のみで表現してみる(『名詩で読む世界の名詩』)
・宮澤賢治の名詩から取り出した言葉だけを使ってまったく別の詩を作ってみる(『リサイクル「雨ニモ負ケズ」』)
しまいには、なぜそんなことに挑戦するのか、だんだん分からなくなってきます。
・ソロバンの計算問題を詩にしてみる(『ごはさんで願いましては』)
・なぞなぞを詩にしてみる(『嘱目なぞなぞ』)
・漫才を詩にしてみる(『現代詩漫才』)
・おまじないを詩にしてみる(『マジナイ唄』)
・ひとりごとをならべて詩にしてみる(『<ひとり言>のシンフォニー』)
・悪態や罵倒をならべて詩にしてみる(『悪態』)
・お年寄りの知恵袋を詩にしてみる(『詩人だったおじいちゃんの暮らしの知恵』)
言葉いじり、への情熱もすごい。
例えば『魚の変奏』という作品。これは冒頭に「魚」という詩を示し、次にそれをローマ字で表記し、続いて「子音による変奏」ではローマ字の母音だけを残して子音を変換することで三つのまったく別の作品を生み出してみせます。続く「母音による変奏」では、同様に母音のみ変換することで、さらに三つの別作品を生み出す、という超絶技巧。
言語で密林を作ってみせる『言語の密林』、一節ごとに読書姿勢(例えば「右手の人指し指と中指を揃えて伸ばし右耳の後ろを激しく摩る」など)を指定した『日常の象』、文章中に「メー」という羊の鳴き声がどんどん入ってくる『Show & Tell』。
占いの「詩的な」言葉を散文で解説してみせる『明日の運勢』。例えば「それは自ずと語り始める/光に灼きつけられた影の悲鳴によって」が、「ファックスが届いて感熱紙に印字された」と解説されたりします。
ついには、言語とセックスしてみたり(『セックス・アンド・ザ・ラングエッジ』)、厳格な文法の父と優しい音声の母のもとで大切に育てられてきた言葉を縛り上げて恥ずかしい構文で凌辱してみたり(『言葉苛め』)。言葉ってやっぱり女性だったんだ。
他にも、「掛け声としてのW・B・イェーツ!」とか、「ふざけるな、なーにがウィキペディアだ。 (人事部次長 42歳)」とか、「あの揺れに合わせそこねて二十五年」とか、真面目な作品に紛れ込んでいるユーモラスな一節に思わず吹き出すことも。
意味のある単語を文法に従って配置することで内容を伝える、という言葉の役割がすかっと失われて、何だか不思議な響きと記号になってゆく、その目眩がするような感覚はとても気持ちよく、そして驚きがあります。
向き不向きがあるとは思いますが、散文でいえば清水義範さんのパスティーシュ小説が好きな方など、こういった趣向がお気に入りの読者なら、大いに楽しめるでしょう。私は大好きです。著者のこれまでの作品も読んでみることにします。
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