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『ロングバケーション』(コンドルズ、近藤良平) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 堅苦しい、小難しい、辛気臭い、といったコンテンポラリーダンスのマイナスイメージを豪快に吹き飛ばしてくれる大人気カンパニー「コンドルズ」、その埼玉公演2011新作 『ロングバケーション』を観るために、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場まで行ってきました。

 私たちにとっては二年ぶりのコンドルズ。はたして舞台の感じはどう変わっているのだろうか、事前に色々と懸念していたのですが、何の何の、心配無用でした。かっちょいいダンスシーンを、ベタなショートコントや意味不明の影絵芝居や人形劇でつないでゆくという構成は何も変わらず。

 相変わらず脱力や困惑と笑いのバランスが絶妙で、ダンスシーンになるとそのカッコ良さで一気に盛り上がります。ダンサーたちの動きのキレも、近藤良平さんの振付も、二年前と比べても格段にレベルアップしているように感じられました。

 むろん近藤良平さんのダンスは超絶的に素晴らしく、多数で踊っていてもついつい近藤さんばかり観てしまうし、ソロダンスシーンなどもう目が釘付けに。

 タイトルは懐かしのテレビドラマを指しており、すなわち公演テーマはずばり木村拓哉。「誰が一番キムタクかコンテスト」です。木村拓哉って誰? という方は、事前にちょっと調べておくことをお勧めします。

 ギャグを意図的にハズすことで“寒さ”を狙った演出は見事に当たっています。いきなり謎の寒波にさらされた若い観客は困惑の流氷に乗せて流され、笑っている方々は30代以上の女性とお見受けしました。

 というわけで、二年のブランクがあっても何の違和感もなく溶け込める公演でした。この不動の安定感は、もはや伝統芸能の風格です。


タグ:近藤良平
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『猫の一年』(金井美恵子) [読書(随筆)]

 その鋭い批評眼をもって世の中の変なあれこれを辛辣に語る金井美恵子さんの最新痛烈エッセイ集。単行本(文藝春秋)出版は2011年1月です。

 「ご近所の親子三人が医者をしている医院の母親である先生は、ああいうこと書いてるんだもの(と、『目白雑録』のことを例にあげ)、書きながら頭に来て煙草くらい吸いたくなって当然だわよ、と言ってくれるのだが」(単行本p.108)

 というわけで、『目白雑録』と同じく「ああいうこと」を遠慮なく書いた一冊です。サッカーのこと、今は亡き愛猫トラーのこと、禁煙のこと、目の手術のこと、奇妙な言葉使いのこと、経済危機のこと、往年のスターのこと、歳をとるということ。

 様々なテーマについて縦横無尽に語る、というか皮肉る、というか酷評する、というか完膚無きまでに叩き潰した上でさらにトドメの一撃を食らわす、というエッセイがぎっしり。

 「いかにも頭が不自由そうな感じで、なりそこねた気障(スノッブ)というか、育ちが良さそうに上品ぶっている様子が無教養そうである」(単行本p.228)

 なんてストレートに評されるのはまだマシな方で、サッカーをめぐる日本のマスコミ的言説の愚劣さ幼稚さなど、皮肉たっぷりの高度な文章技法をもって徹底的に馬鹿にされます。

 例えば、「ピッチにいるのは変なものが--本来いるはずのないものが--不意にテレビ画面に映ってしまう(中略)意外性」(単行本p.258)として、ゲーム中にどこからともなく走り出てピッチすれすれに走り去った二匹のリス、ピッチすれすれのところでエサをついばむ二羽のスズメ、がテレビに映ったという話をします。ただそれだけなのですが、そのエッセイの表題は「ピッチの上でリス、スズメ、そしてヒデさん」というのです。(蛇足ながら、ヒデさんとは、むろん中田英寿選手のこと)

 毒舌ばかりではなく、亡くなった愛猫トラーの思い出など、しんみりとしたエッセイも多数収録されています。というか、酷評でない温かい文章はトラーの思い出を記した箇所だけと言っても過言ではないのですけど。

 金井久美子さんの美しい装画がフルカラーで多数収録されていますが、表紙のふてぶてしい肖像画をはじめとして、トラーがモデルと思しきトラ猫を描いた絵がいっぱいで、猫画集としても素敵です。

 というわけで、『目白雑録』の愛読者の方、トラー死去のその後が気になる方、厭味と皮肉と罵倒の高度な文章技法を学びたい方(なぜですか)、そして読むだけで自分が頭良くなったかのように錯覚できる金井美恵子さんのうねり続く入り組んだ文章がたまらなく好きな方にとって、見逃せない一冊です。あとサッカーファンも読んでおいたほうが。


タグ:金井美恵子
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『快適生活研究』(金井美恵子) [読書(小説・詩)]

 金井美恵子さんの代表作の一つ「目白四部作」における主な登場人物たちが再登場するため、しばしば「目白シリーズ」と呼ばれる作品です。単行本(朝日新聞社)出版は2006年10月。

 連作短篇の形をとった長篇です。前半を読むと「目白四部作」とは何の関連もなさそうに思えるので、これがいわゆる「目白シリーズ」と呼ばれるのはどういうわけだろう、と疑問に思うのですが、後半になれば理由が分かる仕掛けになっていますのでご安心を。

 まず前半、新しい登場人物たちの日常のあれこれが書かれます。『文章教室』と同じく「いかにも陳腐で素人くさいダメな文章」が引用として散りばめられ、強い印象を残します。

 例えば、ある建築家が発行している(コピーして知り合いに送りつけている)身辺雑記の小冊子とか。お礼にあなたのこと今度ぼくのエッセイで取り上げてあげますよ、とか笑顔で言われたりして。

 「自己満足と自己肯定の幸福感に満ちた文章で書かれていて、書いてあることは、たしかに事実に違いないのだが、何かこう神経を逆撫でして不快に軋む違和感があって、まったく違う、と思うのだった」(単行本p.241)

 しかし、何といっても強烈なのは、作中に登場する手紙好きおばさんでしょう。彼女が書いた長文の手紙がそのまま作中作として(何通も)掲載されているのですが、言葉づかいこそ丁寧ながら、その回りくどさ、無神経さ、あつかましさ、読んでいてイライラしてきます。自分ではそのことに全く気付いておらず、むしろ自分は他人に気を使う方だ、と思っているところがまた。よくいるタイプですけど。

 後半に入って、『小春日和』およびその続編『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』のヒロイン、桃子さんの語りが始まると、正直ほっとします。

 前作で三十歳になった桃子さんも、本作では、はや「四捨五入すれば四十」(単行本p.168)というお歳に。いまだ同じボロアパートの同じ部屋に住み、恋人はおらず、バイト先が潰れてからは仕事もしていません。さすがにこれではまずいのではないか、と読者も心配になります。

 そこに前半の登場人物たちが関わってきて、あれやこれやで母親が強引に地元の就職先を決めてしまい、さあいよいよ引っ越しか、飼い猫のトラはどうする、という展開に。

 というわけで、独立した短篇集として読める一冊ですが、やはり「目白四部作」および続編『彼女(たち)について私が知っている二、三の事柄』を読んでから手にした方が楽しめるでしょう。

 最後の方では、例の文芸評論家をはじめとして『文章教室』や『道化師の恋』の登場人物たちとの再会が待っており、まるで同窓会のような懐かしい気持ちになりました。


タグ:金井美恵子
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『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』(金井美恵子) [読書(小説・詩)]

 金井美恵子さんの代表作の一つ「目白四部作」のうち、読んで元気が出る少女小説『小春日和』の続編です。単行本(朝日新聞社)出版は2000年5月。

 『小春日和』から十年ほどの歳月が過ぎ去っており、前作では若くて生意気な小娘だった桃子ちゃんも今や三十路。年相応に生意気な娘に成長しています。その他には特に変わりはなく、十年前と同じボロアパートの、同じ部屋に住み、定職につかず、フリーター生活を満喫しておられます。恋人もいません。似たような境遇の花子さんいわく「たいていの男が自分より頭が良くて教養もあって感覚(センス)もいい女を嫌うから」(単行本p.73)

 語り手である桃子を中心に、小説家の叔母さん、親友である花子、母親と弟、といったおなじみの面々に加えて、弟の恋人、桃子の隣室に越してきた水商売っぽい女性などが新登場して、にぎやかに進んでゆきます。

 弟の結婚、母親の再婚という大きなイベントが起きますが、物語が一直線に素直に語られることはありません。途中で横道にそれたり、余談が長々とはさまったり、中断された後に続きが語られないまま終わったり。読者がストーリー展開やら物語性やらに気をとられないよう、文章のリズムに集中できるよう、注意深く誘導しているようです。

 文章のリズムはもちろん素晴らしく、どこまでも続く(極端に句点の少ない)文のうねりに陶酔しそうになります。底意地の悪い辛辣なユーモアも素敵。ただし、複雑な文節構成、直接話法と間接話法の混在、時制や代名詞の使い方など、わざと「文脈」がとりにくくなるよう配慮されており、すらすら気軽に内容が読み取れるようにはなっていません。

 たぶん、文章はその「文意」が誰にでも理解できるよう明確に書かれていてしかるべき、小説はそのストーリーが誰にでも理解できるよう分かりやすく書かれていてしかるべき、などと思っている読者をからかっているのでしょう。そういうわけで、いちいち気をとられず、文全体を鑑賞する気持ちで読み進めると、これがちゃんと理解できるから不思議です。

 個人的に最も気に入ったのは、小説家の叔母さんがくだを巻くシーンです。例えばこんな感じ。

「若い優秀な批評家が、笙野頼子の『壊れるところを見ていた』を、胎児を妊娠中絶した女の独白だという、信じ難く凄い誤読をしても、そっとしておいてやるだけで、ジャック・デリダを批評することに比べりゃ、たかが小説を誤読したくらいのことは、みっともないことでもなんでもない、とみなされるし、「新潮」で解剖学者や人類学者が、下手な文章でボケたような「文芸批評」を書いても、誰も文句を言わないわけよ、小説家が頭が悪いと思って馬鹿にしてるのよ、小説家の頭の悪いのは、まあ事実だけど、小説のシロートが書くのは感想文であって批評じゃあないんだから、「新潮」という雑誌は小説を舐めてるのよ、舐められても当然な小説ばっかりなのは、まあ、確かだけど」(単行本p.146)

 思わず笑ってしまいます。

 その後、叔母さんが書いたエッセイ(作中作として全文掲載)が「村上龍を誹謗している」という理由で経済新聞から掲載拒否されたと憤りつつ村上龍をコケにし、本書のタイトル(ゴダールの映画のもじり)が暗示するように買売春についての議論へと展開。ここがとてもいい。

 最後に『タマや』の登場人物がちょろっと顔見せするのも嬉しい。

 というわけで、冴え渡る文章の切れ味にほれぼれする、全体的に明るく元気な雰囲気の小説。『小春日和』の登場人物たちが気に入った読者は必読でしょう。これからという方は、まずは『小春日和』からお読みください。


タグ:金井美恵子
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『厄介な翻訳語  科学用語の迷宮をさまよう』(垂水雄二) [読書(教養)]

 様々な科学書を翻訳してくれている垂水雄二さんが、生物学用語を中心とした誤訳の数々について語った話題作『悩ましい翻訳語 -科学用語の由来と誤訳』の続編。単行本出版(八坂書房)は2010年9月です。

 居酒屋のメニューにある「子持ちシシャモ」は、実はシシャモではなくてキャベリン(カラフトシシャモ)と呼ばれる別の魚である。"animal kingdom"は「動物王国」ではなくて分類学上の「動物界」のこと。"significant figure"は「重要人物」ではなく「有効数字」。

 自然科学の本に"wild goose"とあれば、「野生のガチョウ」ではなく「ハイイロガン」のことだと思って間違いない。"sea hare"は「ウミウサギ」ではなく「アメフラシ」である。ニンフ(nymph)というと妖精だが、昆虫の本では「不完全変態をする昆虫の幼虫」を指す。

 さらには、"horse fly"は「ウマバエ」ではなく「アブ」のこと。逆にウマバエといえば"botfly"だが、この語はウマバエだけでなくヒツジバエも指す。"cow elephent"が「ウシゾウ」ではなく「雌ゾウ」という意味になるのはなぜか。"worm"という語が出てくると翻訳家が頭を抱える理由。"wasp"と"bee"の区別がやっかいであるわけ。

 などなど。前作に引き続き、「誤訳」をマクラに科学用語を翻訳するときの難しさ、奥深さに関するうんちくが次々と語られます。実に面白い。

 後半、ネタが尽きてきた観もあり、必ずしも科学用語とはいえない語も取り上げられますが、それでも面白さは相変わらず。"cheesecake"が「チーズケーキ」ではなく「女性の脚線美」を指すのはなぜか。"detective"は「刑事」か「探偵」か。

 著者自身、"desert island"を「砂漠の島」と誤訳してしまったことがあるそうで(正しくは「無人島」)、うっかりというのは恐ろしい。私のように注意力散漫な人間は、たとえ語学力があったとしても、翻訳家にはなれそうもありません。

 というわけで、前作が気に入った方なら問題なく楽しめるでしょう。生物の名前の背後にある文化的、歴史的なうんちくという話題に興味がある方、そして科学論文の翻訳をしている方は、前作と合わせて通読することをお勧めします。もちろん単なる雑学本として読んでも大いに楽しめます。


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