SSブログ

『俺俺』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 星野智幸さんの『俺俺』を読んで、そのあまりの面白さにびっくりして、全著作を順番に読んでゆくシリーズ“星野智幸を読む!”をスタートさせました。今回はその第1回ということで、最新長篇『俺俺』の感想を書きます。単行本(新潮社)出版は2010年6月です。

 ひょんなことから他人の携帯電話を手に入れた俺は、なりゆきでオレオレ詐欺をはたらいてしまう。首尾よく金を手に入れたものの、騙されたはずの見知らぬ「母」が勝手に部屋にやってきて、当たり前のように俺のことを息子扱いする。不安にかられた俺は、何年も戻ってなかった実家に帰ってみた。すると、玄関に出てきたのは「俺」だった。じゃ、俺はいったい誰なんだ?

 魅力的な導入部から始まる小説です。先が気になって気になって、途中で止めることが出来ません。

 やがて、「俺」がどんどん増えてきて、街中が「俺」になってゆきます。どこに行っても、出会うのは俺、俺、俺俺。なんでこんなことになってしまったのでしょうか。

 「俺はまわりの鰯に合わせて体を動かしているだけなのだ。(中略)そこには意思はない。外れたら食われる。だから俺は周囲の鰯に遅れないよう、きびきびと動く。前後左右上下、どこを見ても同じ鰯鰯鰯。そのうち、どの鰯が自分かわからなくなる。自分がそこにいるのかどうかも、わからなくなる」(単行本p.150)

 他人との摩擦をさけ、いじめの標的にされないように、ひたすら他人の目を気にして、空気を読んで、必死に周囲の色に染まって、脱落しないよう怯えながら、今の社会で生きているということ。

 マクドナルドの昼食、コンビニ弁当の夕食。年休もなく、生きがいもなく、職場では互いに牽制しあい、仲のよいふりをしながら誰かが貧乏くじを引くのを待ちつづけ、疲弊しきって他人を中傷し、そのことで傷つく。どこにも意思はなく、主体もなく、すなわち自我もありません。

 「俺は小刻みに震えていた。悲しかった。悔しかった。何の益もないどころか、ただただ深く傷つくだけなのに、どうしてお互いを貶め、排除するような馬鹿な真似ができたのか?」

 「理由は分かっている。俺らは生まれてこの方、そんな生き方しかしてこなかったからだ。いつだって自分はクズだと思い込んで、クズを脱したいという日々の焦りと不安から、自分よりクズなやつを作ることに全力を傾け、自分は違うと証明しようとする。そんな下へ下へ螺旋状に降りていくような生き方しか知らないから、俺山の絆という現実を信じきれず、均はそれまでの生き方に逃げたのだ」(単行本p.178)

 やがて、互いに反目しあい、憎しみ合い、ついには互いの「削除」合戦を始める俺俺。周囲がすべて俺であるがゆえに全く信用できない、他の俺を排除することでしか自分の存在を確かめられない、そんな地獄の果てに、はたして希望はあるのでしょうか。

 最後まで読者の心をつかんで離さない見事な作品です。ここまで奇怪で不条理な設定なのに、とても絵空事とは思えません。すごくリアルで切実な感触に、あ、これは俺のことだ、俺の生活のことだ、少なくともネット上で俺が感じてることだ、と誰もがそう思うような、そんな物語がぐいぐいと展開してゆきます。あまりの迫力に息を飲みます。

 正直言ってここまで面白い小説だとは思ってませんでした。かなりアクロバティックな技法(何しろ一人称視点人物がアイデンティティを喪失し、人物設定も記憶も名前すら変わってゆくのです)で書かれていますが、読んでいて少しも混乱しないのがまた凄い。

 というわけで、話題作なので今さらという気もしますが、とにかく熱烈推薦です。まだ読んでない方は、今すぐ読んだ方がいいと思います。あまりの感激と興奮に、とりあえず星野智幸さんの全著作を読破することに決めました。

    アマゾンでも注文できます。
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410437203X/


タグ:星野智幸
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: