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『人間はガジェットではない  IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』(ジャロン・ラニアー) [読書(教養)]

 「バーチャルリアリティの父」と称される著者が、デジタル技術の発展やネットの普及がもたらす弊害について考察した一冊。新書(早川書房)出版は2010年12月です。

 本当のところ、IT革命は我々に何をもたらしたのだろうか。得られたものは空騒ぎに過ぎず、むしろ文化や芸術や人間性に対して大きな弊害を与えているのではないだろうか。著者はこう問いかけます。

 「本書では、計算主義、ノウアスフィア、特異点、ウェブ2.0、ロングテールなど、今、常識とされているものに反する考えを延々とつづる」(p.50)

 そして著者は、「延々とつづる」という約束を果たします。

 他人のプライバシーを暴くための技術を「すばらしい新発見であるかのように見せかける」イデオロギーが蔓延し、「人が内に秘めた最低の悪癖を引きだすことのある媒体」(p.122)であるインターネット上には無数のトロール(匿名で他人を攻撃する輩)が徘徊するようになった。

 「デジタルイデオロギーの象徴を崇拝し、熱く語る若者」(p.133)たちは、「とめどのないストレスに身をさらしている(中略)。オンラインの評判を保つ努力をしなければならない、個人に対していつ牙をむくかわからない集団意識に目をつけられないようにしなければならない」(p.133)

 そして「ソースよりもマッシュアップのほうを重視する階層を圧倒的に優遇し、大きな報酬を与えている」(p.147)ネット経済においては、音楽にせよ映画にせよ、創造性が発揮されたオリジナル作品は搾取の対象として無料でコピーされ、それらをネタにして作られた、まとめサイト、ニュースリンク、面白動画集、MADムービー、パロディ、などなどマッシュアップ(二次創作物)の方がはるかに多くのクリック数(すなわち広告費)を稼ぐようになり、こうして文化はやせ衰えてゆく。

 「ウェブ登場前の文化をマッシュアップしただけのものが、今、「新しいラジカルな文化」としてオンラインの世界でもてはやされている(中略)。まるで、デジタル化前の段階で文化が凍りついてしまい、ゴミ捨て場で金目の物をあさるように過去をあさるしかなくなってしまったようだ」(p.235)

 まだまだ続きますが、このくらいでよいでしょう。少し言いすぎではないかと思われる部分も多いのですが、基本的には、誰もが感じている不安や不満がうまくまとめられていると思います。

 これだけなら、まあよくある「ネット有害論」本ですが、本書が一味違うのは、著者が技術屋というか根っからのハッカー気質であり、まさにデジタル革命のグル(導師)の一人であるということ。類書では「ネットとの付き合い方を見直そう」などと言うのが精一杯であるのに対して、本書では「ネットの設計思想を見直そう」と提唱するのです。

 つまり、ネットは人間性を阻害する存在だ、という発想ではなく、今のネットは人間性を阻害するような基本設計思想を採用している、それは間違いだ、ならば再設計すればよい、よし私が再設計してやろう、という前向きな立場をとります。個人的には、こういう姿勢には好感が持てます。私もIT技術者のはしくれなので。

 全体的に文章は分かりにくく、哲学めいた意味不明瞭な表現も多用されており、また回り道や余談や枝葉末節への不可解なこだわりなどが散見され、論旨の展開もうまいとは言えません。読みにくい、分かりにくい、という印象を受けます。

 しかし、本書の根底にある、デジタル革命もインターネットも、私たちが設計し作り上げたものだ、だから悪いところは直せばいいし、必要なら再設計すればよい、君たちにはそれが出来るのだ、というメッセージは重要だと感じます。

 特に、デジタルネイティブな若者たちには、今日のデジタル環境を「そのようにあるのが当然たる自然の摂理」や「不平不満を言っても仕方のない、時代の大きな流れ」みたいにとらえないで、デジタル革命以前の老いぼれたちが今日の状況を想像もしないで設計した不具合のあるシステム、だと考えてほしいのです。そして、それをどう直すべきかを議論してほしい。そのためにも、本書を一読するのは無駄ではないでしょう。


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