『なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて』(ジェームズ・ロバート・ブラウン) [読書(サイエンス)]
「サイエンス・ウォーズ」と呼ばれる科学哲学をめぐる大論争を俯瞰するとともに、対立をこえて健全な科学を推進するにはどうすればいいのかを論じた一冊。単行本(みすず書房)出版は2010年11月です。
はたして科学は、本当に(ときに誤りを犯しつつも、自己修正を繰り返すことで)「客観的に実在する真理」の「完全な理解」に向かって「着実に」進んでいるのでしょうか。それとも各時代における社会的な圧力のもとで合意されたパラダイムが変遷しているに過ぎないのでしょうか。あるいは、科学は政治からどれほど独立しているのでしょうか。逆に科学は政治に対してどれほどの責任をおっているのでしょうか。
科学哲学における実在論と社会構成主義の対立は、社会に対する科学の影響力が極めて大きくなっている現在、単に好奇心を刺激する哲学論議といって済ませるわけにはいかないものになっています。
例えば、地球温暖化を緩和するためにCO2排出を減らすべきである、人種間には知能の違いがあるので扱いを別にすることこそが社会的平等である、医療費を削減するために肥満人口を減らすべきである、といった社会的影響が大きい主張について考えるときには、いずれにせよ科学者コミュニティ、科学的方法(サイエンスメソッド)、さらには科学そのものをどこまで信頼するか、という議論を避けて通ることが出来ないからです。
ソーカル事件(科学者アラン・ソーカル教授が、一流のポストモダニズム批評誌にもっともらしいデタラメ論文を投稿して見事に掲載され、ポストモダン主義の言説は「たわごと」と区別がつかない、ということを「証明」してみせた悪ふざけ事件)以降、論戦は感情的にエスカレートし、過激な言葉が飛び交う「サイエンス・ウォーズ」へと展開してゆきました。
本書は、この派手な対立のせいで建設的な議論が進まないことに対する危機感を背景に、まず論点を整理して、対立構造の解消を試みるものです。基本的には実在論の立場に立脚しつつも、社会構成主義の主張のいくつかを有益なものとしてとり入れ、その上で科学と社会の関係がどうあるべきかを論じてゆきます。
全体的な構成は、まずサイエンス・ウォーズを概観し、実在論の立場を確認した上で、それに対する批判としてまずはクーン、続いて社会構成主義の様々なグループの主張を見てゆきます。
続いて議論を整理するためにいくつかの概念について深く考察し、その意味するところを可能な限り明瞭化します。そして重要な論点について解説してゆき、得られた知見を科学に活かすためにどうすればいいかを論じます。
個人的には、科学に関するポストモダン思想やら社会構成主義やらの主張は、科学について無知な輩による無意味な「たわごと」というわけでもないのだ、ということを理解できたのが収穫でした。何を今さら、とお叱りを受けるかも知れませんが、研究の現場にいる科学者は、誰もが内心そう思っているんじゃないでしょうか。
本書を読んで、素朴な科学観(科学は極めて厳密で客観的な学問であり、事実以外のなにものにも束縛されず、ときに間違いはあるにしてもそれは速やかに検証され正され、たゆむことなく真理へと近づいている)は必ずしも正しいとは言えず、科学の健全な発展にとってむしろ有害だったり、下手をすると社会的抑圧に加担する(少なくとも濫用される)原因となるのだ、ということを知ることが大切だと思います。
内容それ自体が難しいのですらすらと理解するわけにはゆきませんが、文章や論旨は明確で、認識論の議論を扱った哲学書としては読みやすい本だといってよいでしょう。
クーン以降の科学哲学論争について知りたい方、素朴な科学観にどうもうさん臭さというか傲慢さ(ある種の抑圧構造)を感じるもののそれがどうしてなのか分からなかった方、『知の欺瞞』とか読んでポストモダニズムはただのクズだと結論した方、そしてこれから研究者人生を始めようとしている理系大学生の方、などに基礎教養本としてお勧めします。
はたして科学は、本当に(ときに誤りを犯しつつも、自己修正を繰り返すことで)「客観的に実在する真理」の「完全な理解」に向かって「着実に」進んでいるのでしょうか。それとも各時代における社会的な圧力のもとで合意されたパラダイムが変遷しているに過ぎないのでしょうか。あるいは、科学は政治からどれほど独立しているのでしょうか。逆に科学は政治に対してどれほどの責任をおっているのでしょうか。
科学哲学における実在論と社会構成主義の対立は、社会に対する科学の影響力が極めて大きくなっている現在、単に好奇心を刺激する哲学論議といって済ませるわけにはいかないものになっています。
例えば、地球温暖化を緩和するためにCO2排出を減らすべきである、人種間には知能の違いがあるので扱いを別にすることこそが社会的平等である、医療費を削減するために肥満人口を減らすべきである、といった社会的影響が大きい主張について考えるときには、いずれにせよ科学者コミュニティ、科学的方法(サイエンスメソッド)、さらには科学そのものをどこまで信頼するか、という議論を避けて通ることが出来ないからです。
ソーカル事件(科学者アラン・ソーカル教授が、一流のポストモダニズム批評誌にもっともらしいデタラメ論文を投稿して見事に掲載され、ポストモダン主義の言説は「たわごと」と区別がつかない、ということを「証明」してみせた悪ふざけ事件)以降、論戦は感情的にエスカレートし、過激な言葉が飛び交う「サイエンス・ウォーズ」へと展開してゆきました。
本書は、この派手な対立のせいで建設的な議論が進まないことに対する危機感を背景に、まず論点を整理して、対立構造の解消を試みるものです。基本的には実在論の立場に立脚しつつも、社会構成主義の主張のいくつかを有益なものとしてとり入れ、その上で科学と社会の関係がどうあるべきかを論じてゆきます。
全体的な構成は、まずサイエンス・ウォーズを概観し、実在論の立場を確認した上で、それに対する批判としてまずはクーン、続いて社会構成主義の様々なグループの主張を見てゆきます。
続いて議論を整理するためにいくつかの概念について深く考察し、その意味するところを可能な限り明瞭化します。そして重要な論点について解説してゆき、得られた知見を科学に活かすためにどうすればいいかを論じます。
個人的には、科学に関するポストモダン思想やら社会構成主義やらの主張は、科学について無知な輩による無意味な「たわごと」というわけでもないのだ、ということを理解できたのが収穫でした。何を今さら、とお叱りを受けるかも知れませんが、研究の現場にいる科学者は、誰もが内心そう思っているんじゃないでしょうか。
本書を読んで、素朴な科学観(科学は極めて厳密で客観的な学問であり、事実以外のなにものにも束縛されず、ときに間違いはあるにしてもそれは速やかに検証され正され、たゆむことなく真理へと近づいている)は必ずしも正しいとは言えず、科学の健全な発展にとってむしろ有害だったり、下手をすると社会的抑圧に加担する(少なくとも濫用される)原因となるのだ、ということを知ることが大切だと思います。
内容それ自体が難しいのですらすらと理解するわけにはゆきませんが、文章や論旨は明確で、認識論の議論を扱った哲学書としては読みやすい本だといってよいでしょう。
クーン以降の科学哲学論争について知りたい方、素朴な科学観にどうもうさん臭さというか傲慢さ(ある種の抑圧構造)を感じるもののそれがどうしてなのか分からなかった方、『知の欺瞞』とか読んでポストモダニズムはただのクズだと結論した方、そしてこれから研究者人生を始めようとしている理系大学生の方、などに基礎教養本としてお勧めします。
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