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『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』(金井美恵子) [読書(小説・詩)]

 金井美恵子さんの代表作の一つ「目白四部作」のうち、読んで元気が出る少女小説『小春日和』の続編です。単行本(朝日新聞社)出版は2000年5月。

 『小春日和』から十年ほどの歳月が過ぎ去っており、前作では若くて生意気な小娘だった桃子ちゃんも今や三十路。年相応に生意気な娘に成長しています。その他には特に変わりはなく、十年前と同じボロアパートの、同じ部屋に住み、定職につかず、フリーター生活を満喫しておられます。恋人もいません。似たような境遇の花子さんいわく「たいていの男が自分より頭が良くて教養もあって感覚(センス)もいい女を嫌うから」(単行本p.73)

 語り手である桃子を中心に、小説家の叔母さん、親友である花子、母親と弟、といったおなじみの面々に加えて、弟の恋人、桃子の隣室に越してきた水商売っぽい女性などが新登場して、にぎやかに進んでゆきます。

 弟の結婚、母親の再婚という大きなイベントが起きますが、物語が一直線に素直に語られることはありません。途中で横道にそれたり、余談が長々とはさまったり、中断された後に続きが語られないまま終わったり。読者がストーリー展開やら物語性やらに気をとられないよう、文章のリズムに集中できるよう、注意深く誘導しているようです。

 文章のリズムはもちろん素晴らしく、どこまでも続く(極端に句点の少ない)文のうねりに陶酔しそうになります。底意地の悪い辛辣なユーモアも素敵。ただし、複雑な文節構成、直接話法と間接話法の混在、時制や代名詞の使い方など、わざと「文脈」がとりにくくなるよう配慮されており、すらすら気軽に内容が読み取れるようにはなっていません。

 たぶん、文章はその「文意」が誰にでも理解できるよう明確に書かれていてしかるべき、小説はそのストーリーが誰にでも理解できるよう分かりやすく書かれていてしかるべき、などと思っている読者をからかっているのでしょう。そういうわけで、いちいち気をとられず、文全体を鑑賞する気持ちで読み進めると、これがちゃんと理解できるから不思議です。

 個人的に最も気に入ったのは、小説家の叔母さんがくだを巻くシーンです。例えばこんな感じ。

「若い優秀な批評家が、笙野頼子の『壊れるところを見ていた』を、胎児を妊娠中絶した女の独白だという、信じ難く凄い誤読をしても、そっとしておいてやるだけで、ジャック・デリダを批評することに比べりゃ、たかが小説を誤読したくらいのことは、みっともないことでもなんでもない、とみなされるし、「新潮」で解剖学者や人類学者が、下手な文章でボケたような「文芸批評」を書いても、誰も文句を言わないわけよ、小説家が頭が悪いと思って馬鹿にしてるのよ、小説家の頭の悪いのは、まあ事実だけど、小説のシロートが書くのは感想文であって批評じゃあないんだから、「新潮」という雑誌は小説を舐めてるのよ、舐められても当然な小説ばっかりなのは、まあ、確かだけど」(単行本p.146)

 思わず笑ってしまいます。

 その後、叔母さんが書いたエッセイ(作中作として全文掲載)が「村上龍を誹謗している」という理由で経済新聞から掲載拒否されたと憤りつつ村上龍をコケにし、本書のタイトル(ゴダールの映画のもじり)が暗示するように買売春についての議論へと展開。ここがとてもいい。

 最後に『タマや』の登場人物がちょろっと顔見せするのも嬉しい。

 というわけで、冴え渡る文章の切れ味にほれぼれする、全体的に明るく元気な雰囲気の小説。『小春日和』の登場人物たちが気に入った読者は必読でしょう。これからという方は、まずは『小春日和』からお読みください。


タグ:金井美恵子
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