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『超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験』(スティーヴン・ コトラー、熊谷玲美:翻訳) [読書(教養)]

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フロー状態では、目の前の作業への集中が高まり、それ以外のことはどこかに行ってしまう。行為と意識がひとつになる。時間が飛ぶように過ぎる。自己意識が消え去る。そしてパフォーマンスは天井知らずに高まる。
 この経験が「フロー」と呼ばれるのは、その最中には流れのような感覚を経験するからだ。フロー状態にあると、ひとつの行為や決断が、次の行為や決断へと、やすやすと流れるように切れ目なくつながっていく。フローにある人は、ものすごい勢いで問題解決をおこないつつ、極限のパフォーマンスの川に押し流されていくのだ。
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Kindle版No.96

 極めて危険で過酷な、不可能とも思える離れ業に挑戦してやまないエクストリームスポーツ。その世界に生きるアスリートたちには、重要な共通点がある。それが「フロー」あるいは「ゾーン」と呼ばれる状態に入る能力だ。150年に渡るフロー研究は、この状態を生み出す生理的メカニズムを明らかにしつつある。様々なエクストリームスポーツのエピソードを通じて、フローとその活用について解説する一冊。単行本(早川書房)出版は2015年10月、Kindle版配信は2015年10月です。


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この30年間で、思いもよらない人たちが、人間のパフォーマンスを15万年にわたる人類の歴史で前例がないというくらい、きわめて短期間で大幅に向上させてきた。(中略)それなのに、その変化に気づいている人はほとんどいない。
 その理由は簡単だ。こういったパフォーマンスの急激な向上のほとんどすべてが、エクストリームスポーツの世界で起こってきたからだ。
(中略)
ダニー・ウェイは骨折した足で、中国の万里の長城をスケートボードで飛び越えた。イアン・ウォルシュは、高層住宅くらいの高さのある波にパドリングで乗った。ディーン・ポッターはスワローの洞窟で、終端速度で落下しながら、クライミング用のロープをつかんだ。
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Kindle版No.72、76、5456


 「平均すると3週間に1人のペースで、プロアスリートが亡くなった」(Kindle版No.4610)という、エクストリームスポーツの世界。途方もなく危険で、無謀なことに挑戦するアスリートたちは、誰もが「フロー」と呼ばれる極限的な集中状態に入ることが出来るといいます。そうでないと、そもそも生き延びることが出来ないからです。

 スケートボード、スノーボード、スキーベースジャンプ、バンジージャンプ、スカイダイビング、サーフィン、カヤッキング、フリーソロ・ロッククライミング、フリーダイビング。本書にはこれら様々なエクストリームスポーツが登場し、それぞれの世界で伝説的な偉業を成し遂げたアスリート達のエピソード満載です。

 次から次へと出てくるこれらの信じがたいエピソードを読むだけでも充分に楽しいのですが、本書のキモとなるのは、彼らの生還の鍵を握っている「フロー」あるいは「ゾーン」と呼ばれる状態。


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エクストリームスポーツのアスリートによる成果のなかでとりわけ印象的なのは、研究者が「フロー」と呼ぶ状態を彼らが会得していることだ。
(中略)
パフォーマンスの向上という面で、フローが果たす役割は非常に大きい。研究者は現在、ほぼどんな陸上競技大会でも、勝つにはフローが重要だとしている。さらに、科学の大きなブレイクスルーを支えているのも、芸術分野の重大な発展の主な原因となっているのも、フローであると考えている。
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Kindle版No.93、115


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教育現場から集められたデータからは、フロー状態が前向きな学習姿勢や、良い学習成果を示す学生を大幅に増やすことがわかっている。また、アメリカ軍の訓練では、フロー状態の狙撃兵は通常時の半分の時間で標的を捕捉できる。一方、コンサルティング会社のマッキンゼーは、フロー状態の企業幹部はそうでない状態の同僚と比べて、生産性が5倍になることを確かめている。150年の歴史を持つフロー研究が明らかにし、さらに最近のエクストリームスポーツがはっきりと実証しているのは、フローが私たちのなかの最も優れた部分を引き出してくれることだ。
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Kindle版No.5503


 命懸けの冒険をしているときだけでなく勉強や仕事をしているときでも、誰もがフローに入り、驚異的な集中力と創造性を発揮することが出来る、すなわち私たちはみんな「超人」になることが出来るのだ、というのが、本書の一貫した主張。本当なら凄いことですよね。

 全体は3つのパートから構成されています。


第1部 彼とはその狂気である
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意思決定がおこなわれている最中に脳波測定法を用いれば、その意思決定プロセスに関与しているネットワーク構造を特定できる。実際のところ、フローについての神経学的な知識は、こうした脳のネットワークの検知能力によって初めてもたらされたのだ。
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Kindle版No.1310


 第1部では、フローに入っているとき、脳はどのような状態になっているのか、そしてそれがどのような結果を生むのか、ということが解説されます。

 fMRI(機能的核磁気共鳴画像法)、ウェアラブルセンサによる神経シグナル活動計測、神経化学物質の研究などが明らかにしたのは、フロー状態では「一時的な前頭前皮質の機能低下」が起きている、という意外な事実でした。

 つまりフローとは、一般にイメージされているような「眠っていた能力が覚醒する」「知覚や思考が極限まで研ぎ澄まされる」というようなものではなく、逆に普段から当たり前に使っている脳の高次機能を一時的に放棄する、ということらしいのです。

 具体的には、前頭前皮質の機能低下により「自己意識と時間感覚、空間感覚の三つが同時に消失する」(Kindle版No.1952)といいます。

 高度な認知機能、すなわち自己意識(自分がやろうとしていることを客観的かつ批判的に観察する)、時間感覚(知覚認識に必要となる膨大な情報処理の遅延を隠し、外界と認識とのタイミングずれを補正する)、空間感覚(自分の身体の空間的位置を把握することで、自己と外界を区別する)といったものを手抜きして、その分で浮いた処理リソースを生存のために必要な機能に集中する、ということ。いわば脳のセーフモード。

 この状態がどのように自覚されるかを、アスリートたちは生々しい言葉で説明しています。


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「ある動作をしなければならないとき、その直前に、どうすべきかをボイスが教えてくれるんだ。それが間違っていることは絶対にない。ボイスが何かをしろと言ったら、するしかない。そのときは、考えてもいけない。質問もなし。ボイスの言うとおりにしなかったら、死ぬことになる」
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Kindle版No.1583


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「スピードは時速90マイル(時速約145キロメートル)だったが、驚くほど細かいところまで見えた。岩の細かなひび割れや、地衣類の小さな集まり、バットグアノ(訳注:コウモリの糞が堆積し、化石化したもの)までわかった。(中略)何もかもが超スローモーションだった。(中略)やることはたくさんあったし、聞こえてくる言葉もそれなりに長く、複雑だったけれど、すべてがゆっくりと起こっていた。
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Kindle版No.1820、1848、1852


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「透明さと直観と努力と集中といったものがすべてひとつになって、私をより高い意識レベルへと持ち上げてくれる、そんな場所にたどり着いた感じだった。そのレベルでは私はもう私ではない。その川の一部なんだ」
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Kindle版No.1896


第2部 フローハッカーネーション
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ここからは「フローの条件」――フローに素早く入れるようにする環境――について見ていくことができる。そうした環境を「フロー・トリガー」と呼び、これからの4章では「外的なフロー・トリガー」「内的なフロー・トリガー」「社会的なフロー・トリガー」「創造性の面でのフロー・トリガー」という、4種類のフロー・トリガーを考えていく
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Kindle版No.3058


 第2部では、フローに入るために必要な条件、あるいは環境を分析します。直面しているリスク、メンタル状態、信頼できる仲間の存在、新規な課題など、フロー・トリガーとなる条件が明らかになります。逆に言えば、条件を整えることで、誰もが意図的にフローに入ることが出来るようになるわけです。


第3部 舞い上がるとき
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ひとつ前の世代のアスリートは、トレーニング法をその都度、自分で考え出す必要があったが、現在のアスリートたちは、次々と登場するテクニックやテクノロジーを利用すれば、フローに入ったり、フロー状態を使って進歩を加速させたりするのは以前よりも格段に簡単にできる。
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Kindle版No.4866


 第3部では、フローの理解とその活用が広がった結果、エクストリームスポーツの世界は、そして私たち普通の人々は、どのようになっていくのかを考えます。


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フローハックの伝統のなかでみれば、彼らは、フロー度の高い環境と、フローを使って不可能を押しのけるのが当たり前だというカルチャーのもとで育てられてきた、初めての世代だ。(中略)彼らがどれくらい速く、どこまで到達しているのかをみれば、私たち自身や子どもの世代にはどんなことが可能になるのか、よりはっきりとわかってくるだろう。
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Kindle版No.4860


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 真の幸福について、私たちはどれだけ知っているのだろうか? 燃え立つような創造性は? 抑えられない陶酔というものは? 子どものころ、私たちが教わったのは、火遊びをする方法、ではなく、火遊びをしてはいけないということだ。しかしフローの道では、私たちは火に魅了されて前に進む。
(中略)
この世界には、長い伝統がある――誰かがその人生を精いっぱい生きようとして死んだら、今度は自分が人生を精いっぱい生きることで、その人を追悼するという伝統だ。
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Kindle版No.4745、4797

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レイアード・ハミルトンが見せた波をコントロールする力や、ディーン・ポッターが味わった「ボイス」との深い関係性、レッドブル・エアフォースのメンバーが持つテレパシーにも似た能力、そしてシェーン・マッコンキーが一気に習熟に到達した力はどれも、あらゆる人が手にできるものなのだ。私たちはまさにそうした存在であり、そのように作られている。フローは、私たちが生まれながらに持っている権利だ。
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Kindle版No.2859


 というわけで、エクストリームスポーツとフローという、どちらか一つだけでも充分に興味深いトピック、その両方を扱った本です。やや「はしゃぎ過ぎ、煽りすぎ」の感はありますが、そのぐいぐい押しまくられる感じは心地好く、最後までわくわくしながら読める一冊。どちらのトピックに興味がある方にもお勧めします。


『すごいぞ! 身のまわりの表面科学 ツルツル、ピカピカ、ザラザラの不思議』(日本表面科学会) [読書(サイエンス)]

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表面で起こる現象を調べるのは非常に難しいことでした。1945年にノーベル物理学賞を受賞したパウリは、「固体は神が創りたもうたが、表面は悪魔が創った」と言い放っているほどです。(中略)本当の表面の姿を調べることができないまま、表面科学の研究者は長い間悪魔と格闘してきたのです。
(中略)
 しかし、先人の努力によって電子顕微鏡、走査型トンネル顕微鏡、放射光という超強力X線、など次々に新しい観察手段が開発され、表面で起きている現象をまさに「手に取るように」見ることができるようになったのです。
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Kindle版No.12、18、21

 物体の表面、界面で起きている現象を研究する表面科学と、その成果を応用した身の回りにある様々な製品について解説するサイエンス本。ブルーバックス新書版(講談社)出版は2015年10月、Kindle版配信は2015年10月です。


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表面や界面を制御して新しいサイエンスの花が咲き、その果実を商品化してスマートフォンや健康センサーなど、より便利で快適な暮らしが実現しています。その様子を本書では分かりやすく解説しています。
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Kindle版No.24


 表面科学とその応用について幅広く紹介してくれる一冊です。全体は6つの章から構成されています。

 「第1章 日常生活の表面科学」では、洗剤、消臭剤、接着剤、化粧品など非常に身近なものから、鏡の曇り防止加工、無反射フィルム、撥水スプレーまで、様々な製品がどのように機能しているのかを解説しつつ、表面科学の基礎を紹介します。

 「第2章 動物・植物の表面科学」では、生物が持っている機能を真似て開発された技術(生物模倣技術)に、表面科学がどのように活かされているかを紹介します。ハスの葉の超撥水性、カタツムリの殻の超親水性、ゴミムシダマシの水捕集、トンボの翅の構造、モルフォチョウの発色、サメの楯鱗の整流効果、ヤモリの足裏の粘着効果、蛾の目(モスアイ)構造、など。

 「第3章 人間・健康の表面科学」では、皮膚、髪、歯、細胞膜、神経、タンパク質など、医学や生理学の話題から始まって、コンクトレンズ、人工関節、ドラッグデリバリーシステムなど医療技術に使われている表面科学が紹介されます。

 「第4章 摩擦の表面科学」では、トライボロジー(摩擦学)が紹介されます。ナノテクノロジーが扱う分子・原子レベルの現象から、生物体内、自動車のエンジン、巨大地震における断層すべりの摩擦、さらには天体衝突における摩擦まで、様々なスケールで現れる「摩擦」。これまでに得られた知見を整理しながら、今だに謎が多い摩擦の謎を探ってゆきます。

 「第5章 環境・エネルギーの表面科学」では、排気ガス処理、環境浄化型の光触媒、半導体光触媒、燃料電池、太陽電池、リチウムイオン電池など環境まわりの最先端技術を紹介しなから、そこに用いられている「触媒」がどのように機能しているかを解説します。
 「第6章 最先端ナノテクノロジーの表面科学」では、半導体デバイスにおける微細加工技術、撮像素子、FETバイオセンサ、磁気センサから、カーボンナノチューブ配線、アトムトランジスタ、半導体ナノロッド、グラフェントランジスタまで、ナノテクノロジーにおける表面科学を解説します。

 個人的に驚いたのは、グラフェン(鉛筆の芯を分子サイズまで薄くしたもの)まわりの話題。グラフェンで作ったトランジスタは、シリコントランジスタの100倍以上の高速で動作するというのです。


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彼らはこのグラフェンに3つの電極を付けてトランジスタを作製し、従来のシリコンで作ったトランジスタよりも100倍以上の高速で動作するという驚くべき研究結果を報告しました。これらの研究業績により彼らは2010年のノーベル物理学賞を受賞しました。
 では、なぜグラフェンを用いたトランジスタが高速で動作するのでしょうか?(中略)実はグラフェン中では電子はあたかも質量がゼロのように振る舞い、それゆえにグラフェン中の移動度は非常に高いのです。この電子の振る舞いは、正確には、特殊相対性理論と量子力学が融合した相対論的量子力学により説明されます。
(中略)
グラフェンの物理には、同じく相対論的量子力学を母胎とする素粒子物理と多くの共通点があります。たとえば、ヒッグス場で起こる質量獲得機構と同様のことが、グラフェンが撓むと起こることが理論的に予測されています。このように、グラフェンは物性物理学や電子工学の分野だけでなく、低エネルギー近似の素粒子物理学(お金のかからない“テーブルトップの加速器実験”)へ広がりを見せています。
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Kindle版No.1984、2002


 グラフェンのような普通の物質の表面で、相対論的量子力学を使わないと説明できない現象が起きるとか、それが超高速トランジスタに使えるとか、さらには「テーブルトップ加速器実験」として応用できそうだとか、いちいち凄い。物質の「表面」で起きる現象の奥深さを垣間見る衝撃です。タイトルの「すごいぞ!」にも納得。


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表面科学が決して「表面的な(?)科学」ではないことを理解していただけると思います。
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Kindle版No.39


 というわけで、決して「表面的」でない表面科学の奥深さと応用範囲の広さをしみじみと思い知らされる本です。サイエンスというよりテクノロジー寄りなので、分野を問わず様々な最新技術に興味がある方にお勧めです。


『明滅』(小田雅久仁) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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 最初、私はその姿のどこが異様であるのかはっきりとつかめなかった。が、いったん気づいてしまえばそれはあまりにも明白で、しかも慄然とするほど奇怪だった。原っぱが照らし出される一瞬間は確かに酒井はそこに見えるのだが、闇に包まれる一瞬間は跡形もなく消えてしまうのだ。
(中略)
酒井とは逆に、私は蛍が輝く一瞬間、完全に姿を失っていた。つまり酒井は光のなかだけにおり、私は闇のなかだけにいた。私たちは交互に訪れる光と闇の二つの世界に引き裂かれ、存在の根底からすれ違っていた。
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Kindle版No.499

 いじめにあっている友人を見捨ててしまった過去を恥じる語り手。30年後、光と闇を引き裂く蛍の明滅のなかに、切ない幻影を見る。『増大派に告ぐ』『本にだって雄と雌があります』の著者による「「いじめ」をめぐる物語」。Kindle版(朝日新聞出版)の配信は2015年11月です。


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誰かが何かをすべきだったとしたら、酒井ともっとも仲がよく、あの時もっとも近くに立っていた私だったろう。非暴力を貫く平和主義者としてではなく、友を気づかうふりをすることで自らを慰撫するただの狡猾な臆病者として、私は酒井に「大丈夫?」と尋ねたのだ。
 残された私たち五人は、恥辱に隔てられた心をそれぞれに抱え、発すべきだった数々の言葉を呑みこんだまま、しばし無言で重い深い暗闇に沈んでいた。
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Kindle版No.289


 単行本『「いじめ」をめぐる物語』(朝日新聞出版)に収録された短篇を、電子書籍として個別に配信したものです。

 かつて、いじめられている友人から距離を置き、傍観者として振る舞った自分を恥じている語り手。それから30年の歳月が流れ、再びあの場所を訪れることになる。いじめが始まり、そして終わった場所。大量のホタルが同期して明滅する、あの草原に。

 人間関係に亀裂が入り、あるべき世界からはみ出してしまう瞬間。それをホタルの明滅に重ねるようにして、幻想味豊かに描く短篇。『11階』『廃り』『長城』などの中短篇と同じテイストを感じさせます。ダークファンタジー要素は薄めですが、切ない後味を残す短篇です。


タグ:小田雅久仁

『Silent Songs』(中村恩恵、首藤康之、小㞍健太、渡辺レイ) [ダンス]

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 今年5月から実施している横浜赤レンガ倉庫ダンス・ワーキング・プログラムでは、「継承」というテーマに重点的に取り組み、舞踊の歴史を実践的に学んできました。プログラムの最終章となるこの作品の創作過程においても、出演ダンサー達は豊かな経験に基づく知識を結集し、それらを伝えていこうと試みました。
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中村恩恵

 2015年11月8日は、夫婦で横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホールに行って、中村恩恵さんの新作公演を鑑賞しました。中村恩恵、首藤康之、小㞍健太、渡辺レイという豪華メンバーが踊る1時間の舞台です。

 横浜赤レンガ倉庫ダンス・ワーキング・プログラムの一環で、中村恩恵さんも講師をつとめたプログラム「舞踊史講座「ダンスの歴史と現在」」を受ける形で、舞踊の歴史をたどりながら最新作へと向かってゆくという構成です。

 首藤さんが「振付家」役で、ロマンチックバレエからクラシックバレエ、モダン・ダンス、ポスト・モダンダンス、コンテンポラリー・ダンスへと進んできたダンスの歴史を解説します。

 舞踊の体系に新しい技法や表現を加えていった偉大なコレオグラファーたちの功績が紹介され、背後では出演者たちがそれぞれの「有名な動き」を踊るという、何と贅沢な導入部。「ジゼル」を中村恩恵さんが踊り、「瀕死の白鳥」を首藤康之さんが踊る(!)。みんな並んでマーサ・グレアムごっこ。なかなか観られるものではありません。

 プティパ、フォーキン、ニジンスキー、クランコ、マクミラン、グレアム、バランシン。それぞれの動き、技法、表現を出演者たちが次々と披露してゆきます。ノイマイヤー、エック、ここらで観客は「キリアン。このメンバーでキリアン踊ってほしい」と期待するのですが、そこはまあ、スルー。

 導入部が終わると、そのまま新作へと流れ込んでゆきます。

 様々な舞踊技法と動きが繰り出され、それを各ダンサーが個性豊かに踊ります。中村恩恵さんの精微できっちりとした動きの凄み、首藤康之さんの華やかなスター性、小㞍健太さんの活力あふれる超絶的な動き、渡辺レイさんの端正な上品さ。それぞれの魅力が引き出され、組み合わされ、独創的な舞台が創り出されてゆく様を観客は目の当たりに。

 というわけで、名ダンサーたちが最後まで全力で踊り抜き、コンテンポラターダンスを舞踊史につなげてみせるという、恐ろしく高密度で壮絶な公演でした。


タグ:中村恩恵

『アン・ピスト(En Piste)』(ドミニク・ボワヴァン、パスカル・ウバン、ダニエル・ラリュー) [ダンス]

 2015年11月7日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、フランスのヌーヴェル・ダンスを牽引した三人のコレオグラファ、ドミニク・ボワヴァン、パスカル・ウバン、ダニエル・ラリューによるダンス公演を鑑賞しました。

 70年代から80年代にかけてフランスで流行したシャンソンを16曲も使用した1時間の公演です。最初から最後までシャンソンが流れ続けるなか、今や初老になった名ダンサー三人が交替で、ときに二人で組んで、またあるときは三人で、踊るというシンプルな作品です。

 三人は、それぞれ簡素な黒い衣装に身を包み、首には大仰な襞襟をつけるという、よく言えば17世紀欧州貴族風、ありていに言うなら、どこの南蛮渡来人か、治療中の犬猫か、という格好で登場。流れるシャンソンに合わせて踊ります。

 身振り、手振り、手話なども駆使して、歌の内容をそのまま説明するようなダンスです。ときには歌われている状況を三人で寸劇かコントみたいに再現してみせたり。ひねりのない、ストレートな、マイムが中心。ときどき全身全力出してしまうドミニク・ボワヴァンのダンスが個人的に気に入りました。

 派手な動きはありませんが、さすが、身のこなしには堂々たる説得力があります。この上ない確信が込められているような手話の動き。優雅で気品ある所作。ここ面白いところだから笑ってね、というクラウンのようなかけあい。

 使われているシャンソンは、まあ、60年代から70年代の流行曲ですね、確かにそうですね、という感じなんですが、クライマックスとなるLeo Ferre(レオ・フェレ)の"Il n'y a plus rien"(There Is Nothing Anymore、もう何もない)は凄かった。怒りや嘆きや憤りが奔出するような歌をバックに、三人が「あの時代」をそこに凝縮させてゆくように、静かに、したたかに、踊ります。

 というわけで、いつだって歳相応の表現というものがある、生涯舞踊革命家、みたいな気合を滲ませつつ、あくまでコミカルに悠々と踊ってみせる舞台。お年寄りをナメてはいけないと思いました。