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『なんでもない一日 シャーリイ・ジャクスン短編集』(シャーリイ・ジャクスン、市田泉:翻訳) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

『序文 思い出せること』
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いら立ちが高じるあまり、わたしはある晩こう決意した。世の中には読むにふさわしい本が一冊もないのだから、自分がそれを書いてやろう、と。
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Kindle版No.53


 人間心理の不可解さを描くホラー短篇から、子育てなど家庭生活のどたばたをユーモラスに描く掌篇まで、シャーリィ・ジャクスンの未発表・未単行本化作品から厳選した30篇を収録した短篇集。文庫版(東京創元社)出版は2015年10月、Kindle版配信は2015年10月です。

 シャーリィ・ジャクスンの短編といえば、アンソロジー『厭な物語』に代表作として知られる『くじ』が、また『街角の書店』にはユーモア作品『お告げ』が、それぞれ収録されています。どちらも傑作で、しかも本書とは重複していないので、ぜひお読みください。ちなみに文庫版読了時の紹介はこちら。

  2013年07月26日の日記
  『厭な物語』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-07-26

  2015年06月05日の日記
  『街角の書店 18の奇妙な物語』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-05

 もっと読みたい、シャーリィ・ジャクスンの短篇を読みたい、と思っていた読者待望の個人短篇集が本書です。未発表、未単行本化だった短篇から選ばれた30篇(序文とエピローグのエッセイ含む)も収録されています。しかも、これが、傑作揃い。すごいです。必読です。


[収録作品]

『序文 思い出せること』
『スミス夫人の蜜月(バージョン1)』
『スミス夫人の蜜月(バージョン2)』
『よき妻』
『ネズミ』
『逢瀬』
『お決まりの話題』
『なんでもない日にピーナツを持って』
『悪の可能性』
『行方不明の少女』
『偉大な声も静まりぬ』
『夏の日の午後』
『おつらいときには』
『アンダースン夫人』
『城の主』
『店からのサービス』
『貧しいおばあさん』
『メルヴィル夫人の買い物』
『レディとの旅』
『「はい」と一言』
『家』
『喫煙室』
『インディアンはテントで暮らす』
『うちのおばあちゃんと猫たち』
『男の子たちのパーティ』
『不良少年』
『車のせいかも』
『S・B・フェアチャイルドの思い出』
『カブスカウトのデンで一人きり』
『エピローグ 名声』


『スミス夫人の蜜月(バージョン1)』
『スミス夫人の蜜月(バージョン2)』
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この恐ろしい推測が正しかったら(みんなそうだといいと思っている)、大家も、店主も、店員も、薬屋も、充実した時間を分かち合ったことになる――耐え難い状況のすぐそばにいて、しかも安全だという途方もない興奮を味わったことになる。
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Kindle版No.350

 町に引っ越してきた新婚のスミス夫人。その夫は、これまで新妻に多額の保険金をかけては殺してきたシリアルキラーではないかという噂で町はもちきりになる。誰もが夫人の身を案じながら、しかし同時に、何か刺激的な事件が起きることも秘かに期待していた。

 野次馬心理の恐ろしさを描いたバージョン1だけでも素晴らしいのですが、同じプロットで、スミス夫人の不可解な心理をおぼろげに見せるバージョン2をさらに重ねることで、ぞっとするような印象を残します。


『よき妻』
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「ファーガスンという名前の人は知りません。だれ一人愛したことはありません。浮気などしたことはありません。白状することもありません。二度ときれいな服など着たくありません」
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Kindle版No.655

 浮気を疑って妻を寝室に監禁した夫。圧倒的に優位に立っていたはずなのに、夫人から徹底的な否認と拒絶にあって、いつしか泥沼の心理戦に敗北しつつある。そんな彼が事態を打開すべく打った手とは。あえて結末を書かないことで、ある種のリドルストーリーのような不安と憶測を残す作品。


『なんでもない日にピーナツを持って』
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こんな輝かしい日には、世界じゅうに悪いことなど何もないような気がする。陽射しは暖かで気持ちいいし、底を張り替えた靴は申し分ない履き心地だし、今朝選んだネクタイは間違いなく、今日という日と、陽射しと、快適な足にぴったり合っている。結局のところ、世界とはすばらしい場所ではないだろうか?
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Kindle版No.1024

 街を散歩しながら、あちこちで善行を施すジョンスン氏。出会った人々を助け、勇気づけ、世の中を明るくすることに専念している彼には、ある小さな秘密があった。予想外の結末にあっと驚き、それから善行の意味について考えさせられる「奇妙な味」の傑作。


『悪の可能性』
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 ミス・ストレンジワースはため息をついて背中を向けた。人々のあいだには邪悪なものが大量にはびこっている。こんなにも小さく魅力的な町でさえ、人々のあいだには邪悪なものがおびただしく潜んでいるのだ。
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Kindle版No.1438

 誰よりも昔からこの街に住んでいた老婦人。あちこち歩き回ってはゴシップを集め、帰宅してから、町の人々のためにせっせと行っていることとは。今では多くの人がSNSでやっている行為の心理を鮮やかに描いた作品。


『行方不明の少女』
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 彼女は地元の墓地に静かに埋葬された。その夏は上級狩人だったがルームメイトのいなかったベッツィは、墓穴のそばにしばらく立っていた。けれども、服にも遺体にもまったく見覚えがなかった。
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Kindle版No.1714

 ある夜、サマーキャンプから失踪した少女。街は大騒ぎになり、徹底的な捜索が行われたが、依然として彼女は行方不明のまま。やがて判明したのは、そもそも誰も彼女のことを知らず、遺留品も、記録も、彼女が実在していたことを示す証拠は何一つ残されていないという恐るべき事実だった。これをどう解釈すればいいのか。

 幽霊譚なのか、怪奇現象なのか、それとも何らかの陰謀なのか。理解できない事件に直面したときの人間の心理と行動を鋭く描き、割り切れない不可解な印象を残す異様な傑作。個人的には、本書収録作品のうち最も感銘を受けた作品です。


『アンダースン夫人』
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「なあ、ジョー」アンダースン氏はふいに言った。「自分がしょっちゅう同じことを言ってると気がつくことはないか?」
「あるよ」ジョーは面食らった顔で答えた。「それどころか、毎日同じことをやってる」
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Kindle版No.2210

 毎日、毎日、同じことをして、同じセリフを口にしているアンダースン氏。妻からそれを指摘された彼は、たまには型にはまった言動から外れてみようと試みるが……。あまりにも不条理な話なのに、どういうわけか不思議なリアリティを感じさせる衝撃的な作品。


『メルヴィル夫人の買い物』
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テーブルの下でくたびれた脚を休めながら、椅子にもたれてしばらく目を閉じる。買い物って疲れるわ。とりわけ、何もかもあんなに見つけにくくて、売り子があんなに失礼で、苦情係がこんなに遠くにあるとなると。
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Kindle版No.2746

 デパートで買い物をしているメルヴィル夫人は、そっけない店員の態度にも、他の客の行動にも、何もかもイライラしている。苦情窓口に言いつけてやろう、と決意するのだが、苦情係ははるか上階。そこまで行くのも一苦労なのだった。最初は嫌な奴だと思える夫人に次第に共感を覚えるようになってゆく奇妙なユーモア作品。


『家』
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橋を渡る途中、エセルは屋敷のほうへ目をやった。わたしだけの家、と考え、いえ、わたしたちだけの家、と考え直したとき、雨の中、路傍にひっそりと立つふたつの人影が目に入った。
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Kindle版No.3511

 丘の上にある大きな屋敷に引っ越してきた夫婦。夫人は街に買い物に出掛けるが、誰もが「雨の降る日にあの屋敷に向かう道は通らない方がいい」と忠告めいた物言いをする。気にせずその道を自動車で走っているとき、彼女は雨の中に立っている人影に気づく。

 典型的な「消えるヒッチハイカー」ものですが、その後の展開がすごく怖い作品。意外にもそれほど暗くない結末が心に残ります。


『うちのおばあちゃんと猫たち』
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 おばあちゃんは魅力的な優しい女性だが、猫を相手にするときは話が別だ。それでもおばあちゃんは猫が大好きで、自分が猫たちの天敵として生まれたという残酷な運命を常に嘆いている。
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Kindle版No.3970

 いつも猫と戦っている老婦人、実は大の猫好きだった。猫飼いの言動をユーモラスに描いた楽しい作品。


『車のせいかも』
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「母さんがまたおかしくなった」長男がリビングで父親にそう言っている。「今度は何をやらかすのかな」
「すべては真実か、偽りか、母さんの妄想なんだ」夫の声がぼそぼそと聞こえてくる。
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Kindle版No.4478

 家事や育児に疲れ果てた女性。私は作家なのに、作家なのに。かんしゃくを起こして何もかも放り出して家出してみるが……。作者を思わせる女性を主人公としたユーモラスな作品。暴風のような男の子たちを育てる母親の尋常でない苦労を描いた『男の子たちのパーティ』や『不良少年』と合わせて読むと、こう、感慨深いものがあります。


『S・B・フェアチャイルドの思い出』
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その電報は、支払い期限を大幅に過ぎた商品代金を支払わないなら、フェアチャイルド・デパートは法的な手続きに入る、という内容で、差出人はS・B・フェアチャイルドだった。
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Kindle版No.4696

 デパートで購入した電化製品が不良品だった。苦情の手紙を書いて商品を突っ返したのに、向こうからはお詫びどころか、購入代金の催促状がやってくる。事情を説明する手紙を書いて送ったが、まったく無視。さらに催促状がやってくる。手紙を書いても書いても、悪いのはこちらで、デパートは被害者、という態度に何の変化もない。すべての催促状にはS・B・フェアチャイルドの署名が。あまりのお役所仕事にぶち切れる主人公。ふ・ざ・け・ん・な!

 買い物トラブルあるあるですが、怒りのあまり誰も読んでない手紙を書きまくる主人公の姿に思わず笑ってしまう素晴らしいユーモア作品。個人的に、ユーモア系では本作が最も気に入りました。



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