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『逆行の夏 ジョン・ヴァーリイ傑作選』(ジョン・ヴァーリイ、浅倉久志・他:翻訳) [読書(SF)]

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今は〈逆行の夏〉のはじまり。太陽が天頂で逆戻りして、膨大な光と輻射熱の三杯めのおかわりをごちそうしてくれる季節。マーキュリー・ポートは熱極のひとつにある。そこでは逆行する太陽の運行が太陽の南中と一致する。だから、たとえ力場のカーテンがわずかな可視光線の領域を残してすべてを遮断したとしても、すり抜けてくるのは強力なやつなのだ。
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Kindle版No.97

 テクノロジーの発展によって家族観や性愛の在り方が一変した世界を舞台に、それでも変わらない人間の悩みや葛藤を描いたジョン・ヴァーリイ。その短篇の代表作6篇を収録した傑作選。文庫版(早川書房)出版は2015年7月、Kindle版配信は2015年9月です。


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それを……ありきたりな言い方だけど、どうすれば善に使えるのかわからない。善のつもりで悪がなされる例をたくさん見てきたわ。あたしは善をなせるほど賢明じゃない。クルージのように消される可能性も高い。だからといって、見なかったふりをできるほど利口ではない。(中略)不必要な使い方をしないだけの頭はある。でも捨てるのはもったいない。壊すこともできない。あたしは愚かかしら?
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Kindle版No.5492


 テクノロジーの過激な発展は、私たちの人間性を否応なしに変容させてゆく。それを止めることは誰にも出来ない。

 ときに「サイバーパンクの先駆け」とも呼ばれるジョン・ヴァーリィの傑作選です。収録作はどれも代表作ばかりで、ヴァーリィ入門書として最適。70年代から80年代に書かれた作品なので、今となっては未来テクノロジーの描写や用語には古めかしさを感じますが、物語そのものは古びていません。

 懐かしいという方も、初めてという方も、まずは本書を読んで、気に入ったら「八世界」シリーズの探索へと乗り出して下さい。


[収録作品]

『逆行の夏』
『さようなら、ロビンソン・クルーソー』
『バービーはなぜ殺される』
『残像』
『ブルー・シャンペン』
『PRESS ENTER ■』


『逆行の夏』
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 クローンの姉が月から来るというその日、ぼくは一時間早く宇宙港に着いていた。理由の一つは彼女にたまらなく会いたかったということ。ぼくより三地球年年上で、それまで全然会ったことがなかった。もちろん宙港へ行けるチャンスがあるならいつでもとびつくというのも理由。発着する船をただ眺めるためだけにでも出かけていたものだ。
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Kindle版No.15

 水星で母親と一緒に暮らしている少年のところへ、月(ルナ)からやってきた少女。ボーイ・ミーツ・ガール。二人はクローン体だった。なぜ彼らの母親は、わざわざ子どものクローンを作って、月と水星に分けて育てることにしたのか。そこには秘密があったのだ。

 現代から大きく変容した家族観がテーマですが、むしろ外部環境から人体を保護するパーソナル「力場」、水星の水銀洞など、名シーンの数々が印象に残る爽やかなヤングアダルト小説です。


『さようなら、ロビンソン・クルーソー』
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まるで夢の中に生きてるみたいだ。熱帯の小島に、たったひとりで住んでみたいと思わない子供が、どこにいるだろう? ぼくにはそれができる。
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Kindle版No.891

 冥王星の地下深くに作られた巨大な人工海。その「孤島」に一人で住んでいる少年は、水陸両棲の身体を持ち、ひたすら海で遊び続ける日々を送っていた。しかし、一人の女性との出会いが、彼に自分の正体を思い出せることになった。

 ロビンソン・クルーソーというよりむしろ『二年間の休暇』というか、モラトリアムをテーマとした作品。人工的に作られた「海」の描写、そしてそこで起きた大事故の描写には迫力があります。


『バービーはなぜ殺される』
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おなじみの手順や捜査方法は役に立たないだろう。目撃者はいてもいなくても同じだ。誰が誰なのか区別できないし、証言も一致するに決まっている。犯行の機会? 数万人にあった。動機は不明。犯人の身体的特徴はこまかいところまでわかっている。実際に現場をとらえたテープさえある。どちらも用なしだ。
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Kindle版No.1639

 個人を捨て、全員が同じ身体になることで、争いや差別をなくす。「バービー」と呼ばれている宗教団体の、月面居住区で殺人事件が起きた。犯人も、被害者も、目撃者も、居合わせた人々すべてが同じ顔、同じ姿、同じ記憶。あまりにも異様な状況に、刑事は頭を抱えることになった。

 ユーモラスなミステリというか警察小説。アイデンティティを意図的に放棄して、いっさい個人を特定しない(個人という概念そのものを抑圧する)という社会設定がキモとなります。


『残像』
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 ピンクは手を伸ばし、冷たい指でわたしの両耳にそっとふれた。風の音が途絶え、手が離れても、二度と聞こえることはなかった。彼女はわたしの両目にふれて、すべての光を締め出し、わたしはもはや見ることはなかった。
 わたしたちは美しい静寂と闇の中で生きている。
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Kindle版No.2960

 視聴覚を失った人々が作り上げた自分たちだけの共同体。そこでは触覚をベースとしたコミュニケーションから生み出される特異な文化が育っていた。外部から訪れた語り手は、彼らの文化と生活を学んでゆく。そして、静寂と暗闇のなかに満ちている愛と豊かさを知るのだった。

 視覚や聴覚から「解放」された人々が作り上げたコミューンとその文化をリアルに描写した、異星人も未来人も出てこない「ファーストコンタクト」。忘れがたい傑作。


『ブルー・シャンペン』
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おそらくクーパーは、有史以来のユニークな失恋男だともいえるだろう。女からほんとうに愛されていたことを、疑問の余地なく知ったのだから。
 それが多少のなぐさめになるのはたしかだった。
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Kindle版No.4473

 力場に支えられ、宇宙空間に浮かぶ超巨大な水球〈バブル〉。そこで働いていた語り手は、感覚記録メディアのスター女優と出会い、アバンチュールにのめり込む。だが彼も、そして彼女さえも、知らなかったのだ。その過程のすべてが感覚記録として録られていたことを。

 海辺のリゾート地で出会った美人女優との一夏の恋、そして苦い別れ。そんな正気では読めないような話に、「体験テープ」と呼ばれる感覚記録メディア、重度身体障がい者のためのサイバー義体、宇宙空間に浮かべられた二億リットルの水球、といったガジェットを放り込んで泣かせるオシャレなSF。


『PRESS ENTER ■』
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電話線のむこうからいつも聞こえる遠い音楽的なうなり。はるかに離れた場所での会話の反響。そしてもっと遠くにひそむ冷たいなにか。
 NSAでいったいなにが育っているのか。目的があって育てているのか、偶発的に生まれたのか。そもそもNSAとは無関係なのか。しかし、たしかにいる。その精神の吐息が電話回線ごしに聞こえる。
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Kindle版No.5667

 凄腕のハッカーが「自殺」した。事件を捜査する刑事と、その協力者として解析を依頼された若い東洋系の女性ハッカー。二人と知り合いになった語り手は、否応なく事件に巻き込まれていく。死んだハッカーは、いったい何にアクセスしてしまったのか。この世界を支配しているコンピュータネットワークに巣くう「何か」が、次第に近づいて来る。

 アナログ電話線につないだモデムが最新の通信テクノロジーだった時代に書かれた作品。現実を改変してしまうネットワークのパワーと、「意識の遠隔ハッキング」に対する逃げ場のない不安やパラノイアが生々しく描かれます。『ニューロマンサー』(ウィリアム・ギブスン)と似ているシーンがありますが、この二冊は共に1985年のヒューゴー賞を受賞しています。そういう時代でした。



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