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『ビタースイートホーム』(川口晴美) [読書(小説・詩)]

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ただいま
わたしのいない家へ
ことばになって入っていく
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『まるい石』より


 生まれ育った家、今はもうない家。記憶のなかにしかないその家に、ことばとなって入ってゆく。幼少期の記憶を探検する連作詩集。Kindle版(マイナビ出版)配信は2015年10月です。


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生まれた日の朝のことは覚えていないけれど
記憶は脳ではなくこの身体のどこかに
仕舞いこまれているのだろうか
夜のあいだに降り積もった雪で隠された泥土のように
皮膚の下にうごめいているのは肉ではなく
輪郭を失って混ざりあった記憶なのだろうか
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『押入れのなか』より


 詩集『Tiger is here.』のあとがきに「自分のことを詩の言葉でとらえるところから、もう一度始めるしかないんじゃないか。何か言えるとしたら、たぶんそれから。そんなふうに考え、生まれ育った場所から連載詩をスタートさせました」とありますが、本作も同じく、生まれ育った場所から自分を見つめます。

 自分の記憶のなかにだけある、幼少期を過ごした家に戻って、家中あちこち探検する連作です。過去を思い出すというより、今の自分が、自分の記憶のなかに、潜ってゆく。ことばで再構築された家をことばとなって歩き回る。そんな詩が並んでいます。

 というわけで、まずは記憶のなかの家に向かってゆくところから。


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くせっ毛をもつれさせて
六歳のわたしは市営住宅の入口を背に立っていた
あのとき
田圃と畑と道の向こう
そこからは見えない海に夕日が落ちて
薔薇色に光る空が背後の山のほうから蒼暗く変わっていくのを
ぼんやり眺めながらとつぜん
今日というこの時間は決して繰り返さないってわかって
ものすごく不思議だった
六歳の身体は薔薇色の光を浴びていて
それからゆっくり蒼暗くなっていったのだった
同じ光を浴びることはない
決して

ことばのわたしはゼリーみたいに
いくつもの光を地層のように内部に溜めたまま
ところどころ溶けあったり滲ませたり
ゆらゆら揺らして零しながら
記憶の家へ遡る
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『夕暮れの水』より


 そして、きちんと玄関からお邪魔します。ことばは、記憶とはまた違って、変に律儀なところがあります。


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玄関で靴を脱いで
家へ上がる
もうこの世のどこにもない家へ
上がり口の高さは足を曲げる角度で覚えている
脱いだ靴をそろえておかないと怒られるから
お行儀のわるい子どものわたしはたいてい後ろ向きで上がった
内股で歩くクセを微妙にしるして三和土に並んだ靴の
ぽっかりあいたふたつの穴
失われた子どもの身体
体温の名残りのようにそこにたゆたう記憶が
夕暮れの光を孕んだことばを
立ち上がらせる
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『ヒミツの話』より


 こうして記憶のなかの家のあちこちを探検してゆきます。廊下、窓、押入れ、トイレ、台所、浴室、居間。それぞれの場所に、それぞれの記憶が、立ち現れます。


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身体をあらうときは
小さいほうの洗面器で浴槽のお湯を汲んでもうひとつの洗面器に移し
タオルを濡らして首から
右手で左腕を三回、左手で右腕を三回
順番も擦る回数もお湯のかけ方もぜんぶ決まっていて
うっかりまちがえると最初からやり直したくなる
あの窮屈な儀式めいた入浴で
わたしはわたし自身の子どもの身体をなにかから守っていたのだ
それはいつのまにか終わった
大人のわたしはもっと雑にあらってもぜんぜん平気だよ、と
浴槽にならんでしゃがんだ幻の子どもに告げると
あたたかく曇った鏡は
大人の言うことなんかひとことも信じていない意固地な顔のわたしを映す
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『かたい儀式』より


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四畳半と六畳の市営住宅は収納も限られている
うずだかくなっていく少女漫画雑誌に
領土を脅かされながら母親は
お話がどうなるかわかっているのになぜまた読むのかわからない、と言った
あのね、おかあさん
お話は変わらないけれどそれを読むわたしがそのたびに変わるんだ、と
今なら説明できるかもしれない
こんなふうに繰りかえしことばになって
記憶のなかの家を訪れるたびに
箪笥の奥行きや電灯をつけるときに引っぱる紐の長さや窓までの歩数が
少しずつ変わっていくのと同じこと
だから今
押入れを開け一九七四年十一月号の『りぼん』を探し出したくなるけれど
きっと座り込んで読みふけってしまうにちがいないから
やめておこう
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『押入れのなか』より


 ちなみに、『りぼん』1974年11月号の目次はこう。ネット検索はこういうとき便利。
 http://yotsuba.saiin.net/~eiko/ribon/history/r197411.html

 個人的に、一条ゆかり先生くらいしか読んだことがないのですが、それでも似たような記憶(押入れの下段に積み上げた漫画雑誌)を共有しています。痛みをともなう懐かしさを覚えます。

 いや、昭和の市営住宅というのは、日本全国どこでもみな似たような構造になっていたのでしょうか。間取りなど細かい部分、家具の配置、窓の具合など、私自身の記憶とかなり似ているように感じられ、読んでいるとまるで自分の過去を探索しているような気持ちに。

 もしかしたら、失われてから長い時間がたった家は、個々人の記憶を越えて溶け合い、混じり合い、ひとつのものになってしまうのかも知れません。私たちはみんな、互いに出会うことのないまま、そこをくりかえし訪れているのでしょうか。そんなことをふと考えてしまう連作詩集です。


タグ:川口晴美
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