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『食堂つばめ6 忘れていた味』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 さっきから何度も厨房にこもっていたノエだったが、やっと自分の餃子を味わっていた。焼き餃子、水餃子、スープ餃子、揚げ餃子(これも肉餡で作ると美味だった)。キクが言っていたアボカドの餃子や、鶏皮餃子、エビ蒸し餃子──まさに餃子パーティ。
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文庫版p.135

 生と死の境界にある不思議な「街」。そこにある「食堂つばめ」で思い出の料理を食べた者は、生きる気力を取り戻すことが出来るという。好評シリーズ第6弾は、事故によって一度に死んでしまった人々が織りなす、再会の物語。文庫版(角川書店)出版は2015年11月。


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 この街から抜け出す──つまり生き返るのには、何か食べることが一番早い。食べることは生きることに直結している。この街は、現実の街ととてもよく似ているが、死にとても近いところにあるので、知らず知らずのうちに死に影響されてしまうのだ。でも、ここで何かを食べると生きる気力を思い出す。生きたいという気持ちを呼び起こすことができる。
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文庫版p.56


 「街」を訪れた臨死体験中のゲストが、四人のレギュラーとともに食堂つばめで美味しいものを食べるシリーズ。第6巻は、ここしばらく出番がなかった秀晴さんが、それなりに活躍します。具体的には餃子を山ほど食べます。


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 柳井秀晴さんが「街」に行く時は、通勤時間帯が多い。
 正確には、一人で電車に乗って座れた時だ。はたから見ると、居眠りをしているようにしか見えないだろうが、本当はとても遠くへ行っている。
 何しろ、あの「街」は、この地球上にはない場所だ。だが、この世のほんの何人かは存在を知っている。「生」と「死」の間にある場所──すなわち、「臨死体験」のできる街だから。
(中略)
 といっても最近は、なんとなくぼんやりと考えているだけで行ってしまったりするから、もう無意識になっているかもしれない。
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文庫版p.7、8


 ぼんやりしているだけでついつい臨死体験。何か凄い話ですが、正直、うらやましい。何しろ、時間も、体重も、健康も、何ひとつ犠牲にすることなく、美味しい料理を好きなだけ食べる(いくら食べても腹一杯にならない)、しかもそれで人助けをしているという充実感まで得られるという、小説の登場人物になれるとしたらまずは筆頭候補という感じ。

 というわけで、今回、食堂つばめの料理人、ノエが作る料理は餃子。


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 いや、どっちが好きとか、そういうのはない。食べておいしければ、どっちでもいいのだ。
 ノエの焼き餃子は、中の餡がころんと固まっていた。一口で食べると、餡の周りの肉汁がはじけるようにあふれる。
 ぱくぱく無心で食べていると、すぐに一皿なくなった。ノエがすかさずおかわりを持ってくる。水餃子も一緒だ。
(中略)
 どんと来いである。
 水餃子はゆでるためにたいてい皮がぶ厚い。餡ではなく、皮を食べるものだと思っている。麺みたいなものなのだ。だから、焼き餃子よりもお腹がいっぱいになる。現実の世界で食べる時は慎重にならざるをえない。
 が、この街でならいくら食べても大丈夫だ。
「普通の餡と、肉餡のがありますよ」
 最初から二皿いただいたって平気だ。
 皮の表面が少し溶けて、つるつる持ちにくいから、水餃子は一口で食べたい。水分をたっぷり吸ってぷりぷりになった皮と肉の甘味、野菜の旨味が全部一緒に押し寄せる。たっぷりの肉餡の食べごたえもまたたまらない。
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文庫版p.60、61


 書き写しているだけで空腹感が。

 実際には餃子を食べ続けるだけの話ではなく(そりゃそうだ)、再会と別離をめぐる切ない物語で、最後の方には感傷的で泣けるシーンも多いのですが、読後に思い出されるのは、餃子のことばかり。これではいかんと思いつつも、


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「書きながら」と書こうとして「食べながら」とナチュラルに間違えてしまった。(中略)みなさんも、そんなような気分になってくれればいいなあ、と思いながら、いつも書いています。
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文庫版p.172


 「あとがき」にも上のように書いてありますので、これで良いのだということにしたいと思います。なお、「あとがき」に加えて、本編ではほとんど出番がなかった登場人物が主役となる番外篇風のショートショート一篇が含まれています。


タグ:矢崎存美
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