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『中原昌也の人生相談 悩んでるうちが花なのよ党宣言』(中原昌也) [読書(随筆)]

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 だが、悩んだ経験のない奴が、人間的な優しさなんて持ち得ないし、人から施しをうけても何の感謝の念も感じないだろう。
 まあ、これからの日本で、人間的な優しさなんてぜんぜん必要とされないのかもしれない。ぬけぬけと「絆」とかいっておいて、最終的には「自己責任」と見放す、非情で軽薄な国民性。そう開き直った奴らが、勝手にこれが日本人のあるべき姿と見なし、声さえデカければいいとふんぞり返る。吐き気がする。滅べばいい。
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単行本p.142


 陰口が怖い、他人と比べることで自分を慰める自分がイヤ、ネットがつらい、他人を責めては自己嫌悪の繰り返し。うじうじ悩める人々の相談に、同じように悩んできた者の立場からずばっと回答。単行本(リトルモア)出版は2015年7月です。


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[相談]
 飲み会(四人以上)などの席の途中でトイレに立てません。中座している間に自分の陰口が始まるのではないか、戻ってきたときに会話に参加できないのではないか、と不安になってしまうのです。(後略)

[回答]
 盗聴器を置くことです。トイレから帰ってきて、「今の話、ぜんぶ聞いてたぞ」って詰め寄る。その前に、まずは何を言われているか想像することですね。盗聴器の内容が、思ってた以上か以下か。以下だったら、まあよし。以上だったら、毒を盛りましょう。(後略)
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単行本p.10


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[相談]
 自分より劣っている人を見て安心してしまいます。(中略)その人のことを何も知らないくせに、勝手に見た目で比較し、バカにしたり、自分を棚に上げ、優越感に浸る自分がとてもイヤです。

[回答]
 僕は他人から「こいつよりはマシ」と思われる立場ですけど、まあべつにいいんじゃないですか? むしろ口に出してどんどん言えばいいと思いますよ。「アンタより私のほうがマシね!」って。そうやって優越感に浸る自分がイヤだと言うけど、劣等感に浸るのはもっとイヤでしょう。(中略)今の自分に満足してる人なんているんですか? 誰ですか? 叶姉妹ですか? いませんよ、そんな人。普通のことです。むしろ声に出す勇気のほうが大切。(後略)
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単行本p.10


 あ、この人は同じことで悩んで自分なりの結論に達したことがあるんだな、と思わせる回答の数々。取り上げられている相談事は、こんな感じです。

・携帯やネットがつらくて堪りません
・相手に合わせてしまい、自分の意見が言えません
・人を責め、自分も責めて自己嫌悪の繰り返し
・あらゆることにやる気が起きません
・友達がお金を返してくれません
・物欲がおさえられません

 他に、こんな深刻な悩みも。

・モテモテで困っています
・中学生の息子がいまもぬいぐるみと話しています
・恋をしたことがありません
・妻の同僚に劣情を抱いてしまいます
・上司が嫌な奴なのですが、顔がいいので欲情してしまいます

 相談事と回答には、それぞれ関連する(と言っても内容的に関連するとは限りません)映画がセレクトされ紹介されています。観たからといって悩みが解消するわけではなさそうな感じです。

 かなり深刻な悩みもあるにはあるのですが、あちこちに描かれているconixさんのイラストが、読者から物事を重くとらえる力を奪ってゆきます。conixさんのイラスト集だと勘違いして買ってしまう、そして後悔しない、そんな読者も多いのではないかと思わせる物量です。

  参考:conixさんのイラスト
  http://conixx.tumblr.com/


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『常識の路上』(町田康) [読書(随筆)]

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 いま小説を書ける奴は小説家じゃないよねぇ、と死んだ父に語りかけて小説を書いている。四月号と言いながらその実、三月に出て、その実、そこに載る文章を一月に書いていること。その矛盾がいま露になってなにも言えない。
 おほほ。じゃったらそばを茹でましょうか。じゃかましいわ、ぼけ。
(中略)
いつになるかわからぬが、むかしのことにたどりついてそことここの距離まで身長を伸ばして身体を裂いて醜態を晒して笑いものになるしかないような気がしていることをこうやって書くこと自体が笑いものと気づかぬアホはいずれ滅びる。つかもう滅びてる。そう頭のなかの庭に来た小鳥が言って飛び立ったのでそのまま書いた俺って一寸アレだね。皆の衆ぅうう、皆の衆。ごめんな。腹立たしかったら腹から殴れ。でもワイルドサイドを歩け。でもワイルドサイドを歩け。つか歩く。
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単行本p.241、242

 シリーズ“町田康を読む!”第47回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、1999年から2015年までに書かれた単行本未収録作品のうち、旅行記(ニューヨーク、ドイツ、上海など)、書評、音楽評論、身辺雑記など、様々なことについて書かれた文章から著者自身が選んだ傑作選。単行本(幻戯書房)出版は、2015年8月です。


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 人間によらず禽獣によらず生き物は死んだら終わりで魂はあの世を彷徨うのかも知れぬがこの世にはなにも残らない。けれどしかれど言葉は残る。
 稀にときどき言葉が残る。
 この世の水面に投ぜられたる石の如きその言葉は幾重にも、どこまでも広がる輪を水面に描く。
 その輪はどこまでも広がる。いつまでも広がる。何度でも始まる。
 なぜそんなことになるのか。石が言葉が極度に巨きかつたからか。石が言葉が途轍もなく高いところから落ちてきたからか。
 そんな疑問が生じたのでムービーのカメラを担げてライトとバッテリーを持つて竿の先に取り付けたマイクを掲げてヴィヴィアン・ウェストウッド着て中原中也記念館に参つて権現山に登つて河原に立ちて風に吹かれてみたり昇仙峡に行きて巌のうえで凍えたりもしたのだけれども、おほほ、わかりませんでした。
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単行本p.145


 最初は旅行記から始まります。ニューヨーク、上海も面白いのですが、特に、ベルリンで開かれた日本文学に関するイベントに招待されたときの体験が印象に残ります。


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 しかしいくら話してもよい思案が浮かばない。
 そして話すうちに指南場所はどんどん暗くなっていき、とうとう俯いたままなにも言わなくなった。
 しばらく黙っていた指南場所はややあって顔を上げ、言った。
「ハキリ言ってシッパイだったと思います」
 ぎゃん。自分は椅子から落ちた。
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単行本p.62、63


 翌日に予定されている自作朗読イベントの段取りについて相談しているうちに、世話役のドイツ人から「シッパイだったと思います」と言われて愕然とする著者。ドイツまで行って、何もしないうちにこの企画は失敗だったと宣言されてしまったからには、もうどこに行っても何を見ても「シッパイだったと思います」としか感じなくなってしまう。はたしてイベントの行方は、そして現場にいる多和田葉子さんは助けてくれるのか(くれません)。

 書評や作家論もたくさん収録されています。理屈ではなく、自らの体験を通して作家を語るスタイルにしびれます。


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ひときわ異様な感じがするのは木登りの映像であって、おそらく作家自宅訪問なんてな映像を撮影していたのであろうが、家の前、芥川は浴衣様の着物を着てよらよらしているのだけれども、やがて玄関脇の木にとりつくと猿のごとくに登りはじめ、裾を乱して屋根の高さまで登ると枝に立ち幹を持って揺すぶる、幹に抱き付くなどし、ややあって屋根に飛び移ると屋根の上で万歳をしたり、咆哮したりしているのである。(中略)
 そしていま、このことをまた思い出したのは、久世光彦『蕭々館日録』を読んだからで、自分はあのときはなぜ六回もあの映像を繰り返して見て、頭が真空になったのか、ということを考えた。
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単行本p.132、134


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それきり沙汰やみとなり、『仰臥漫録』の文庫本を手に取ることもなかったのだけれどもしかし、少しでも人並みに近づきたい、道を歩いていて向こうから来た人に、「ええいここなもの知らずめがっ」と嘲られ、腹を殴られ、一言も言い返せずに悔し涙にくれる、というような暮らしから逃れたい、という思いから遅蒔きながらこれを読んだ。驚いた。
 人間が生きる、ということについてのほぼすべてがそこに書いてあったからで、通常、そういうことは不可能であるからである。(中略)苦しみも楽しみも含めて生きることのすべてがここに記されているということで驚倒した私は書店に全力疾走、子規関連の書籍を手当り次第に買い、全力疾走で戻ってきたところである。
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単行本p.141


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 十七歳のとき、友人と喫茶店で話していて、おい、おまえなにしてんねん。と言われました。そのとき私はテーブルの上の、二人分のコーヒーカップ、水、おしぼり、タバコ、ライターなどを整然と対角線上に配置していました。そのとき私は自分が物の曲がっているのが嫌であることに初めて気がついたのですが、だからこの小説を読んだときは驚きました。自分のことが書いてあるような気がしたのです。以来、内田百聞は大好きな作家で、いまも折りに触れて読み返しています。
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単行本p.149


 他にも、音楽評論、猫や犬(もちろん語りはスピンク)、その他についての様々な文章がぎっしり詰まっていて、飽きさせません。


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例えばプラグの抜き差しなどを行うときがそうで、男なら、抜こうとして抜けない場合は、まずこの構造を確かめ、あ、そうか。左右の釦を押しながら抜くと抜けるのだな、と了知了解してこれを抜くところ、女は、抜けないとなると力任せにこれを抜こうとしてぐいぐい引っ張り、ついにこれを破壊してしまい、男は、「ああ、力で解決しないで」と絶望的な声を挙げる。クルマのシートベルトしかり。服のゴムの伸び具合を確かめるときしかり。女人はそのたおやかな外見とは裏腹に遠慮会釈なく行使してこれを破壊する。男はその都度、絶望する。でも、そんな女が僕は好き。僕は好き。
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単行本p.187


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 いま私方には二人の人間と九人の猫がいる。と書いたら校閲部の人に、「お母さんの許可はとっているのですか? ママOK?」と訊かれるに違いないのは、ものにはそれぞれ固有の数え方というものがあって、犬や猫は、匹、頭というのが正しいからである。
 それを知りながらあえて、人、というのは我が家では猫はこれを憐れみ、根本これ畜類である猫を人も同然に遇することにしているからである。
 と書いて心が苦しくなるのはそれが嘘だからで、正直に言うと、我が家では、猫を憐れむ、というよりも、猫を尊んでいるし、人も同然に遇するどころか、人以上にお世話をさせていただいており、むしろ、二匹の人間と九人の猫がいる、と言った方が正確かもしれない。
 なぜそんなことになっているかというと、人間と猫を比べた場合、猫の方が偉く魂のクラスが上高いからである。
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単行本p.198


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 フェイスブックという交流サイトを利用しているが不調である。頁を開き、見るにつけ人との交流をすべて絶ち、剃髪の挙げ句、山中の洞窟に籠もって『ドカベン』全四十八巻を読破したいような気持ちになる。なぜそんな気持ちになるのか。そりゃ鬱陶しいから。(中略)
三週間がとこ閲覧しないでいたのだが昨日、なんとなく気になって閲覧したところ、先週、身内の懇親パーティがあり、私を除くみんなが集まって飲食し、和合したということを知った。もしかして俺って、外み子? という気持ちの毒で全身が痺れたようになって動けなかった。私は十二分くらい、その記事や写真を見ていた。
 コメント蘭に、「全員、死にやがれ、クソ野郎ども」と書き込もうと思った。しかしそれも角が立つと思い直して、いいね! の釦を押し、とりあえず『ドカベン』第一巻を注文した。そのあと、歌を詠もうと思ったけれども思うように詠めなかったので半泣き半笑いで踊った。という長文を何度かに分けて近況として書き込んだのに誰からもなんの反応もない。
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単行本p.208、210


 あとがきによると、過去に書かれた原稿から一年余りをかけて選んだとのことで、さすがというか、とにかく素晴らしい充実っぷり。すべてが傑作、何もかもが名作。とにかく読んでみてほしいとしか言いようがありません。つか読め。


タグ:町田康
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『SFマガジン2015年10月号 伊藤計劃特集』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2015年10月号は、「伊藤計劃特集」ということで、マデリン・アシュビーの伊藤計劃っぽい短篇が翻訳掲載されました。また読み切りとして、上遠野浩平、早瀬耕、ラファティ、そして本年5月に亡くなったタニス・リーの中篇が、それぞれ掲載されました。


『イシン ー維新ー』(マデリン・アシュビー、幹遙子:翻訳)
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 聞いた話では、イシンとは超小型のドローンを使った監視協調システムのことだった。これはまた、変革と復興をあらわす江戸時代の言葉でもある。(中略)すべてのロボットでイシンが使えるようになれば、一機のドローンもしくはパック・ボットに話しかけるだけで、利用可能なすべての搭載機がそのコマンドを理解し、協調して動きはじめるようになるだろう。
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SFマガジン2015年10月号p.67

 アフガニスタンに投入された無数の監視ドローン。分散型自律協調ドローンシステムの可能性を夢見る若者が出合った、一人の老戦士。超小型ドローンにより視覚と聴覚を遠隔共有し、特殊繊維を織り込んだスマート衣服で触覚をも共有する二人は、未来のために共闘するが……。

 特集の一環で翻訳された短篇。状況設定は確かに伊藤計劃っぽいのですが、何と言っても、ドローンをハッキングするコマンドが「上上下下左右左右」というのが、らしさというもの。

 
『無能人間は涙を見せない』(上遠野浩平)
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 ウトセラ・ムビョウは製造人間である。
 その奇妙な肩書きは彼の特殊な能力に由来している。彼は不思議な液体を生成することができる。それは人間を、常識を超えたパワーを有する合成人間へと変化させることができる薬液なのだ。その貴重さ故に彼は世界中から狙われている。
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SFマガジン2015年10月号p.226

 またも追われて閉鎖空間に逃げ込んだウトセラ。周囲にいるのは、血まみれで床に横たわる女と、無能な子ども。外ではウトセラをめぐって対立する組織がドタバタと殺し合いをしているが、我関せずといった風情のウトセラは、哲学的とも衒学的ともつかぬ自分勝手な理屈を、子どもに向かってこね続けるのだった。

 SFマガジン2015年2月号に掲載された『製造人間は頭が固い』(上遠野浩平)の続編、シリーズ第二弾。個人的に、面白がるべきポイントがよく分かりません。


『彼女の時間』(早瀬耕)
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 この腕時計は、23年間、そして、いまも彼女に忠実だった。
 彼女の時間が遠離っていく。
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SFマガジン2015年10月号p.335

 宇宙飛行士を目指しつつ、夢叶わなかった男。その腕には、かつて恋人から贈られた機械式腕時計がずっと巻かれていた。腕時計が刻む時間と男の生きてきた時間、その間には小さなずれがあった。

 小説としてのレベルが高く、読後に何とも言い難い感動を覚える傑作。


『苺ヶ丘』(R・A・ラファティ、伊藤典夫:翻訳)
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 金曜の夕方とあって、迷子谷の山猫団は不定期の集まりを開いた。山猫団は世界でもっとも秘密の結社で、団員はふたりしかいない。ジミー・ウエアとポール・ポッターで、それぞれ9歳と9歳半である。
 それは誓約でかたく結ばれた結社であり、その存在は世界ではまったく知られていなかった。しかし成立してまだ十日なのに、山猫団は惨憺たる破壊の輪を広げていた。
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SFマガジン2015年10月号p.341

 人食いの噂が絶えない、薄気味悪い三人の住民がすんでいる町はずれの「苺ヶ丘」。そこを探検しようと企てた子供は、彼らにあっさり捕まってしまい、夕食にされそうになる。ありがちなホラーと思いきや、そこは、やはりラファティ。


『罪のごとく白く、今』(タニス・リー、市田泉:翻訳)
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 かつてイドレルは一つの世界に住み、今はこの世界にいる。夢を見ているのだと考えて、この状況を貶めることはしない。だがことによると、彼女はだれか別の人間の夢の一部なのかもしれない。
 そう考えつつ、自分の青白い手をしげしげと見る。新しいカフスは黒で、両方に彼女の巻毛がこぼれている。巻毛は火に照らされ、荒々しい色を帯びている。イドレル自身にとっても、見守る者にとっても、目に鮮やかな色の取り合わせだ。黒檀のごとき黒、血のごとき赤、雪のごとき白。
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SFマガジン2015年10月号p.362

 豪奢な宮殿のなかを彷徨い、幽霊となった娘を探し続ける狂った王妃。雪に閉ざされた廃墟のなかで狼男と暮らす美しい娘。小人、魔女、ユニコーン、ヴァンパイア。どれが現実で、どれが夢なのか。様々なおとぎ話のかけらをモザイクのように組み合わせ、艶かしき色彩あふれる異様なファンタジー世界を紡ぎあげた中篇。


タグ:SFマガジン
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『宇宙生命論』(海部宣男、星元紀、丸山茂徳) [読書(サイエンス)]

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 私たちは歴史上はじめて,地球外に生命の存在を見出すことに大きな科学的期待を抱き,そうした疑問に正面から向き合う時代にいる.世界の多くの天文学,惑星科学,生物学の研究者たちが,宇宙史と生命の本質に関わるこの課題に,真剣に取り組んでいる.その先には,私たち地球上の生命とは,そして知性を持ち文明を築いた人類とは,この宇宙の中でどのような存在なのかを理解してゆく鍵も,見えてくるかもしれない.(中略)本書は,そうした見地を共にする天文学・地球惑星科学・生物学・人類学の研究者の,6年にわたる共同作業から生まれたものである.
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「はじめに 生命の広大な舞台としての宇宙」より


 生命はどのようにして誕生したのか。どこでどのようにして地球外生命を探せばいいのか。そしてその発見は、私たち地球生命について何を明らかにするだろうか。各分野の専門家が集まり、現在までに得られている知見を一冊にまとめたアストロバイオロジー(宇宙生物学)の教科書。単行本(東京大学出版会)出版は2015年7月です。


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 こうした観測や探査技術の進展から見て,(1)太陽系内の惑星・衛星における過去あるいは現在の生命の存在確証(無人・有人の探査による),(2)系外惑星における生命活動の確証(天文観測による),そして,(3)地球外文明の存在に関して科学的に意味を持つ情報(発展型SETIによる),という3つの探査からの初期的な答えが,いずれも早ければ2030年代,遅くとも21世紀の前半には得られるものと期待している.
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単行本p.172


 地球生命の誕生、宇宙生命の探査、これらを研究するアストロバイオロジーの教科書です。生物学、古生物学、物理化学、天文学、地球科学、惑星科学、系外惑星科学、SETI、そして人類学に至るまで、多種多様な研究分野の専門家が集まって、この新しい研究分野に確固たる基礎を築こうとする努力の結晶、といっても過言ではありません。

 全体は5つの章から構成されています。


「第1章 生命とは何か」
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生命の定義に迫るには,なぜ遺伝子は核酸なのか,核酸はなぜ4種のプリンヌクレオチドとピリミジンヌクレオチドからできている4文字系言語なのか,タンパク質はなぜ,20種のアミノ酸の誘導体なのか,細胞膜脂質はなぜグリセリンの誘導体なのか,なぜ糖代謝の中心はグルコースなのか,核酸の糖はグルコースではいけなかったのかといった生体部品,生体反応の「因果律」を理解する必要がある.これがわかると,地球生命の根源的な理解だけではない,宇宙生命の構成や属性も推理することができるはずである.
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単行本p.36

 まずは、生命とは何であるかを論じます。私たちが知っている生命はすべて単一の系統から生じた「多様だが本質的には同じ」ものであるため、地球外生命を視野に入れて考えるためには、生命というものをより本質的・根本的にとらえ直す必要があることを学びます。

 生命の定義、生命の起源(ミセル構造、RNAワールド、RNA-タンパク質ワールド、DNAワールド)、生命の基盤となる元素、水の重要性、酸化還元、生物の多様性、など。


「第2章 地球史と生物進化」
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 このように,地球における生命の起源と進化,その地球史との関係は,地球固有の問題であると同時に,より普遍的な問題を理解する糸口でもある.太陽系探査や系外惑星観測を通して地球とそこに生息する生物の普遍性と特殊性を明らかにすることは,アストロバイオロジーの必然的な方向性であるといえよう.
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単行本p.84

 地球外における生命の進化について考えるための基礎として、地球生命の進化と地球の歴史がどのように相関しているか、地球環境と生命の共進化について学びます。

 星間分子雲、生命素材物質の地球への運搬、生命の起源と初期進化、全球凍結(スノーボールアース)と生命進化、地球史と生命進化の相関、など。


「第3章 ハビタブル惑星」
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これまでの観測データや惑星形成モデルからの推定によると,ハビタブルゾーンの地球サイズ程度の惑星を太陽型恒星が持つ確率は10%を超えるだろうとされている.(中略)少なくとも,惑星の軌道半径やサイズ(または質量)で言う限り,地球のような惑星はあり余るほど存在するということが明らかになってきたのである.
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単行本p.111

 既に統計処理の対象になるほど大量に発見されている太陽系外惑星について、その基礎を学び、生命の発生が期待できる条件について論じます。

 惑星形成モデル、スーパーアース、水の供給プロセス、ハビタブル条件、など。


「第4章 地球外生命の探査」
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 系外惑星の探査とその統計的分類は,すでに天文学における中心的研究分野として確立した.しかしそこからさらに宇宙生物学へ踏み出すためには,地球型惑星の直接撮象・分光観測を通じて,惑星の大気組成と表面環境を探ることが不可欠である.(中略)
 その模擬観測とも言うべき画像が,宇宙探査機ボイジャー1号が1990年2月14日,太陽からおよそ60億km離れた場所から,わが地球を撮影した「ペイル・ブルー・ドット」である.さらに2013年7月20日には,土星探査機カッシーニが,地球と月を撮影した.事前の呼びかけに応じて,その瞬間地球上で2万人を超える人々が,土星の方向に手を振っていたという.むろん実際の「もう1つの地球」の撮象は段違いに困難であるが,それがもたらしてくれるであろうワクワク感は容易に想像できる.
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単行本p.140

 地球外生命を発見するためには、どこを、どのようにして探せばいいのか。火星、エウロパ、系外惑星探査を取り上げ、現在までの探査状況と今後の展望をまとめます。

 火星探査、エウロパ探査、太陽系外惑星探査の歴史、探査手法、精密調査の方法、将来計画、など。


「第5章 人類・文明と宇宙知的生命探査」
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ある天体で発生した生命から,「どのようにして」「どのような条件で」「どれくらいの割合で」知性が出現し技術文明に至るものか,実証的にはもちろん未知数である.ここで私たちは,かつて惑星の存在について,また生物の発生に関して提起されたと同じ疑問を,文明について問うことになる.「地球文明は,宇宙で2つとない奇跡の産物だろうか?」
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単行本p.170

 私たちの「知性」はどのようにして進化してきたのか、それは系外惑星でも普遍的に生じ得るものか、そしてその文明はどのくらいの期間継続するものなのか。地球外文明探査、SETIの概要を学びます。

 脳の進化、知的生物としてのヒトの特徴、人類史、ドレイク方程式と宇宙文明交信トライアルの歴史、SETIの可能性、など。


 というわけで、幅広い研究分野にまたがる最新の知見を一冊にまとめたテキストで、アストロバイオロジーに興味がある方は必読だと思います。もちろん参考文献リストは充実しており、ここを手がかりにさらに深く知りたい分野の本を読み進めるのがよいでしょう。

 巻末には「アストロバイオロジーを学べる大学,研究できる大学院」の情報も載っています。我こそはと意気込む若者の皆さんが、本書をきっかけに、アストロバイオロジストへの道を切り拓いてゆくことを期待します。


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『SF宝石2015』(上田早夕里、他) [読書(SF)]

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未来の風を感じろ!
2年前に“復活”した「SF宝石」が満を持して再登場。
新企画〈ショートショートの宝箱〉にも大注目。
もちろん全編豪華書き下ろし!
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 すべて新作読み切り短篇20篇を収録した「SF宝石」2015年版です。単行本(光文社)出版は2015年8月。

[収録作品]

『アステロイド・ツリーの彼方へ』(上田早夕里)
『あるいは土星に慰めを』(新城カズマ)
『最後のヨカナーン』(福田和代)
『地底超特急、北へ』(樋口明雄)
『親友』(中島たい子)
『伯爵の知らない血族(ヴァンパイア・オムニバス)』(井上雅彦)
『輪廻惑星テンショウ』(田中啓文)
『五月の海と、見えない漂着物(風待町医院 異星人科)』(藤崎慎吾)
『架空論文投稿計画(あらゆる意味ででっちあげられた数章)』(松崎有理)
『サファイヤの奇跡』(東野圭吾)
〈ショートショートの宝箱〉
  『泥酒』(田丸雅智)
  『ある奇跡』(弐藤水流)
  『生き地獄』(井上剛)
  『聖なる自動販売機の冒険』(森見登美彦)
  『蛇の箱』(両角長彦)
  『虫の居所』(荒居蘭)
  『母』(井上史)
  『闇切丸』(江坂遊)
  『辺境の星で(トワイライトゾーンのおもいでに)』(梶尾真治)
  『新月の獣』(三川裕)


『アステロイド・ツリーの彼方へ』(上田早夕里)
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 メインベルト彗星から無数の微生物が宇宙空間へ撒き散らされるように、バニラもまた、アステロイド・ツリーの彼方、遥か遠くの惑星へ向けて旅立っていった。
 僕は、それを甘い感傷に彩られた記憶として心に留めるようなーーそんな人間にはなりたくないと思っている。
 生命とは何か、知性とは何か。
 その問いに対する好奇心と探究心を満たすために、僕たち人類が何をしたのか、いつまでも覚えておくつもりだ。
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単行本p.42

 テレプレゼンス技術により、地上にいながらにして宇宙探査が可能な時代。語り手は「宇宙探査機搭載用AIの世話」という仕事を引き受ける。見た目は猫そっくりのロボットの形をしたAI「バニラ」と次第に打ち解けてゆく語り手だが、バニラという存在には隠された秘密があった……。
 SFを使って「人間とは何か」を切実に問い続けてきた作家が、「人間はなぜ“人間とは何か”を切実に問い続けるのか」を問う。収録作品中唯一と言ってよいハードSF作品。


『あるいは土星に慰めを』(新城カズマ)
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 わたしたちは二つの世界に生きていた。《夢》で《実感》しているカノープス周回軌道上の経験と、この地球という小さな《惑星》上の日常。どちらも等しく大切なもの。(中略)いずれのかけらも《実感》のともなった現実だった。それがわたしたちの日常だった。たとえ複数ではあっても。そして、どちらの日常も永遠に続くと思われた。
 もちろん続くはずがなかった。
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単行本p.60、61

 りゅうこつ座アルファ星・カノープス。地球から309光年離れた恒星系にいる異星種族と、地球で生活する平凡な高校生、二つの人生を生きる若者たち。同じ体験をしている仲間で小さなサークルを作り、《夢》について語り合う彼らは、しかし二つの世界の相互作用について分かっていなかった……。日渡早紀『ぼく地球』をベースにした青春SF。


『地底超特急、北へ』(樋口明雄)
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この列車が、東京から札幌の間、およそ900キロメートルの距離を貫通し、地上から平均150メートルの深さという大深度地下トンネルを、それも最高時速880キロというスピードで走るためだ。
 夢のスーパーリニア、地底超特急〈さくら〉。本日はその、初の公開試乗会であった。
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単行本p.109

 スパイラル型電磁誘導システムで浮上走行する最新式の超特急に乗り込んだ新聞記者。最新技術により何の問題もなく列車は目的地まで到着するはずだったが……。何しろタイトルからして「ウルトラQ」なので暴走必至。まさかのゾンビパニックものへと。


『聖なる自動販売機の冒険』(森見登美彦)
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荒れ果てた屋上で私は自動販売機におずおずと触れた。この自動販売機こそ、人類に次なる一歩を促すために遣わされた2015年宇宙の自販機。特許事務所職員たるこの私が宇宙的存在へシフトするときだ。坂本龍馬風に言うなら、人類の夜明けぜよ。
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単行本p.226

 残業中に屋上に出た語り手は、謎の自動販売機を発見する。それは人知を超えたオーバーテクノロジーの産物、それが証拠に「チェリオ」を売っていたりするのだ。見よ、SFの夜明けを。
「未来的な技術を結集して『きつねうどん』を出すなんて、人類って可愛いなあと思う」(単行本p.229)。


『輪廻惑星テンショウ』(田中啓文)
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「この星にも探偵はいるが、浮気調査、素行調査が専門の連中だし、もちろん警察もあるが、霊界の捜査は彼らの手に余る。きみへの依頼は、私を殺そうとしている霊魂がいったいだれのものなのかを突きとめる、ということだ。よろしく頼む」
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単行本p.349

 限られた数の霊魂が輪廻を繰り返している惑星テンショウ。探偵である語り手はそこで霊界捜査の依頼を受ける。何しろ霊界捜査なので、犯人も幽霊、探偵も幽霊、ということで、じゃ、よろしく、えっ、でもどうやって霊界に行けば、パーンッ、ばたっ。
 SF読者からもミステリ読者からも距離を置かれそうなSFミステリ。


『五月の海と、見えない漂着物(風待町医院 異星人科)』(藤崎慎吾)
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もし、この赤ん坊も僕とそっくりに成長したら、どうなるのか。トモヒコくらいになって、同じように分裂したら、また赤ん坊が生まれるのか。そして、その赤ん坊がやっぱり僕にそっくりだったら……。
 無限に自分が増えていった場合、何が起きるかなんて知りようがなかった。とくに問題はないのかもしれない。しかし何となくまずそうだ、という予感はした。
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単行本p.407

 幼い語り手が海で見つけた不思議な物体。それは「僕」そっくりに成長し、しかも分裂して増えてゆくのだった。ストレートな『E.T.』展開で読者の心をつかむジュブナイルSF。


『架空論文投稿計画(あらゆる意味ででっちあげられた数章)』(松崎有理)
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「ねえ。この事件ってさ、すっごくあほらしくて世間的にはとるに足らないんだけど、じつは背後におそろしい問題がひそんでるよね」
「そのとおり」よかった、やはり肝心なぶぶんでは察しがいい。「それでですね。この問題を世に問うために、ひとつ実験をやってみようと思うんです。松崎さん、協力してもらえますか」
(中略)
 松崎からのメールにかんたんな説明をつけて代書屋のアドレスに転送する。こうして架空論文計画がスタートした。
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単行本p.454、460

 蛸足大学の文系食堂でとんぶり入り納豆定食を食べているとき、「超高学歴独身男、高層ビルから油揚げをばらまく」というローカルニュースに目をとめ、その背後に恐るべき事態(独身中年ポスドクの人生展望とか)を見たメタ研究心理学研究室のユーリー小松崎は、小説家・松崎有理と、某論文代書屋の手を借りて、架空論文投稿計画を立てる。ソーカル事件と違うのは、それが「かけんひ」を投入した研究だということだった。形式的にもっともらしい爆笑ものの嘘っこ論文をそのまま収録、しかも2本も。


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