SSブログ

『雪の練習生』(多和田葉子) [読書(小説・詩)]

--------
 ここまで書いてわたしはほっとしてベッドに倒れ込んだ。枕に耳をうずめて、背中をまるめて、まだ生まれていないトスカを胸に抱きしめて穏やかな眠りにおちていった。娘のトスカはバレリーナになって舞台に立ち、チャイコフスキーの「白熊の湖」を踊り、やがて可愛らしい息子を生む。わたしにとっては初孫だ。その子はクヌートと名付けよう。
--------
Kindle版No.998


 ソ連から政治亡命した祖母。東ドイツのサーカスに出演していた母。そして愛らしい姿で人々を魅了した息子、その名はクヌート。世界的に有名になったベルリン動物園のホッキョクグマ、クヌートの三代にわたる家系の物語。単行本(新潮社)出版は2011年1月、文庫版出版は2013年11月、Kindle版配信は2011年7月です。


--------
 自伝を書くというのは本当に奇妙な感触だった。それまで会議でしか使っていなかった言語というものを使って、自分の身体の柔らかいところにさわるというのは、禁じられたこと、恥ずかしいことだという気がしてしまう。だから書いたものを誰にも見られたくないと思っていたくせに、自分の書いた字がびっしり並んでいるのを見たら、どうしても誰かに見せたくなってしまった。
--------
Kindle版No.206


 ソビエト時代のモスクワで有識熊として活躍していた祖母は、ふとしたことから自伝を書き始めます。それが翻訳されて西側で大きな話題となり、そのために当局に目をつけられてしまった祖母は、西ベルリンへ政治亡命するはめに。

 しかし、西ドイツでの生活は祖母にとって快適でも幸福でもありませんでした。自由でさえなかったのです。


--------
パンダが政治に口出しするのは熊として正しい態度なのか。そんな偉そうなことを考えるわたし自身、人権を守らない我が国を批判する証拠品として、見えない檻に閉じ込められ、働かされているのではないのか。
--------
Kindle版No.803

--------
わたしはいくら食べても満腹しなくなった。脳のどこかが退化していくのが自分でも分かる。夜は寝つけず、朝は眠くてなかなか身体を縦にできない。手足がだるく、気分が暗くなっていく。わたしはどんどん退化していく。寒さの中で芸を磨いて舞台に立って拍手を浴びたい。
--------
Kindle版No.630


 政治に翻弄され、自分の生き方を自分で決めることも許されない祖母。次第にやつれてゆく祖母には、しかし、一つだけ救いがありました。それは文学。自伝を書き続けることで、彼女は自由を得ようとします。


--------
そうだ、わたしも自由自在に自分の運命を動かしたい、そのために自伝を書こう、と思った。わたしの自転車は言語だ。過去のことを書くのではない、未来のことを書くのだ。わたしの人生はあらかじめ書いた自伝通りになるだろう。
--------
Kindle版No.947

--------
 母は頭が良すぎて退屈していたのだと思う。だから亡命したり、誰にも言われないのに自伝を書いたりしていた。それに比べて、わたしは自伝を書く能力さえなくて、いつも人間に頼りっきりで。
--------
Kindle版No.1692

--------
 それならわたしが書いてあげる。あなただけの物語を書いて、お母様の自伝の外に出してあげる。
--------
Kindle版No.1490


 祖母の娘、トスカは、東ドイツでサーカスに出演しています。彼女と共演する調教師のウルズラは、トスカのために伝記を書いてやろうとするのですが。

 二人の声が交差するうちに、次第に時間の感覚は混乱し、語り手が誰なのかもあやふやになり、やがてウルズラとトスカの人生が混じってゆきます。二人が幸福だったのは、サーカスの舞台に立っているとき。しかし、東ドイツの暗い時代を生きるということは、決して楽なものではありませんでした。


--------
戦時中の通行人たちの顔つきは厳しく、二人の人間が夜道で顔を合わせればお互いに、相手が殺されるべき存在かどうかをすばやく計るような目つきをした。銃を持った制服の男を見かけると、それが自国の兵隊だと分かっていても、撃たれるのは自分ではないと思うだけでなく、他の人が撃たれれば自分は撃たれないのではないかと思った。飢えることを強制され、憎むことを強制され、冬が来るとずるずると飢えと寒さに引き込まれ、いつも地面を睨んでせかせかと歩いていた。栄養不足で肌はひび割れ、目は炎症を起こして、咳が止まらなかった。
--------
Kindle版No.1912

--------
ウルズラがこの世を去ったのは2010年三月のこと。まだ八十三歳だった。熊的に見れば長生きではあるが、人間なのだからもっと長く生きてほしかった。わたしはいつまでもウルズラと夢の中の北極で会話を続けていたかった。毎日舞台に立って、砂糖の味のする接吻を繰り返したかった。百年でも千年でも。
--------
Kindle版No.2260


 育児放棄したトスカの代わりに、人間に育てられたクヌート。天真爛漫に育っていた彼にも、やがて飼育係との別れのときがやってきます。産みの母の顔も知らず、育ての親も死に、故郷は最初からなく、たった一人、動物園に取り残され、見たこともない北極のことを想うクヌート。


--------
空を見ていると遠くへ行きたくなる。空があんなに広がっているのだから、それと向かい合う大地だって、同じくらいどこまでも続いているはずだ。毎日少しずつ涼しくなっていくということは、遠くから冬がやってくるということだ。もし近かったらベルリンの夏の暑さで暖まってしまったはずなのに、とても冷たい風が吹いてくるということは、冷たさを保ったまま、町の熱をこうむらない「遠く」があるということだ。遠くへ行きたい。
--------
Kindle版No.3507


 自分がいるべき場所、遠くへ行きたいと願うクヌート。しかし、その願いは決してかなうことはありません。いずれ人間の手により北極は失われ、ホッキョクグマは全滅することになるでしょう。偶然ながら、本書が出版された直後にクヌートが急死したことも含めて、切ない喪失感が漂います。

 こうして、故郷を失った亡命者、移民の、二世、三世であるホッキョクグマの物語が、静かに、物悲しい響きをもって語られます。頭が良くプライドの高い祖母、愛情深いトスカ、無邪気なクヌート。それぞれに自分の悲しみと諦念を抱えて生きてゆく他はありません。

 というわけで、全体から感じられる何とも言えない寂寥感、無常感が読者の胸をしめつけ、しびれるような感動を呼ぶ傑作です。政治に小突き回される人々の悲哀を書きながら、ありがちな動物寓話にならないところも素晴らしい。


タグ:多和田葉子
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: