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『カタツムリが食べる音』(エリザベス・トーヴァ・ベイリー、高見浩:翻訳) [読書(随筆)]

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もしあの子たちがいなかったら、いまのわたしはなかっただろうと、本当にそう思います。自分とは別の生き物が暮らしている様子を見守るうちに……わたしにも生きる目的が生まれたのです。もし生きることがカタツムリにとって意味があり、そのカタツムリがわたしにとって意味があるのなら、わたしが生きることも意味があるにちがいない。
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単行本p.150

 難病で寝たきりになり絶望していた著者は、「同居」しているカタツムリを観察するうちに、次第に希望と生きる力を取り戻してゆく。カタツムリとの交流を感動的に描いた長篇。単行本(飛鳥新社)出版は2014年2月です。


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 最初、わたしの病気はインフルエンザのような症状と、骨格筋の麻痺ではじまった。そして、それから数週間もたたないうちに、命をおびやかすような全身麻痺の症状に変わった。その後三年以上にわたって緩慢に一部回復した後、何度か重度の再発に見舞われた。
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単行本p.161

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病があっという間に人生から意味と目的を奪い去ってしまうという事実は、なんとショッキングなことか。わたしとしては、ただ一瞬一瞬を切り抜けることしかできず、その一瞬一瞬が果てしない時間に思われる。それでいて、一日は音もなくすぎてゆく。使われることもなく、ただ耐えしのぐだけの時間は、それ自体飢えているかのように消えてゆく。そして一日はまるごと無に呑み込まれ、いかなる記憶のかけらも残さず、何の痕跡も残らない。(中略)ベッドに寝たきりのわたしにとって、健全な暮らしのすべては手の届かない遠くにあった。
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単行本p.19、23


 難病を発症しベッドから起き上がることすら出来ない寝たきり状態になってしまった著者。起き上がることすら出来ず、ただのっぺりと灰色のまま過ぎてゆく変化のない時間。底無しの悲嘆、絶望。

 しかしある日、著者は耳慣れない不思議な物音を聞きつけます。それは、枕元のスミレの鉢に置かれた不思議な生き物が、食事をしている音。カタツムリが食べる音でした。


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わたしはじっと耳を傾けた。すると、カタツムリが食べている音が聞こえるではないか。何かとても小さな生き物が、せっせとセロリを食べているような音だった。(中略)
 カタツムリの食べる、あの小さな音を聞くうちに、わたしの胸には、同じ時間、同じ場所で、あの子とわたしは共に生きているんだ、という仲間意識がはっきりと芽生えた。
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単行本p.25

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 森から運ばれてきて、あの子が殻から顔を出したとき、そこはわたしの部屋というまったくの異境だったのだ。いったいそこはどこなのか、どうやって自分はそこにやってきたのか、あの子には見当もつかなかったはずだ。(中略)そういう意味では、わたしもカタツムリも、自分の意思で選んだわけではない異境で暮らしていることになる。わたしたちは共に、ある種の疎外感と喪失感を抱いて暮らしているのだ。
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単行本p.32


 小型の水槽でテラリウムを作ってもらい、カタツムリをそこに移して観察を続ける著者。「すべての動きが緩慢になり(中略)人間仲間のリズムにはついていけなくなり、カタツムリの暮らしのリズムにずっと接近した」(単行本p.5)著者は、やがて自分が決して孤独で見捨てられた存在ではないということをしみじみと悟ってゆきます。


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カタツムリを観察するときは完全にリラックスできた。何も考えずにテラリウムを覗いていると、自分があの子と分かちがたくつながっているのを感じることができた。わずか数センチ離れたところでもう一つの生命が営まれているのだと思うと、どんなに嬉しかったことか。
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単行本p.44

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 わたしのベッドは、わたしの部屋という荒涼たる海に浮かぶ孤島も同じ。でも、わたしにはわかっていた、世界中に散らばる町や村には、病気や怪我でわたしのように寝たきりの暮らしを強いられている人たちが大勢いることが。ベッドに一人横たわりながら、わたしは自分とその人たちすべてが見えない糸でつながっているのを感じていた。
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単行本p.87


 その生態、能力、習性を学んでゆくうちに、いや増してゆくカタツムリという生物への敬意。しかし、少しずつ症状が回復してゆくにつれて、別れの時もまた近付いてきます。カタツムリとその子供たち(テラリウムの中で卵を産んだのです)を森に返さなければなりません。尽くせない感謝の気持ちと共に、カタツムリを見送る著者。


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最初のカタツムリとの交わりが断たれるのは悲しかったけれど、あの子を自然な環境にもどしてやるときがとうとう訪れたのだ。わたしとしては、秋までに自分の身のまわりのことを自分でやれるようになって、あの子が最後に残した子孫の一匹と一緒に冬を迎えることができれば言うことはなかった。
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単行本p.142

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わたしはまだ全快したわけではない。でも、あの子はテラリウムの限られた空間の中で精いっぱい生きていた。環境に順応してよく食べ、活発に周囲を探索して、あの子なりの充実したライフ・サイクルをまっとうしていたではないか。そのことを思いだすと、また希望が湧いてきた。
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単行本p.143


 というわけで、野生動物とのふれあいを通じて難病患者が生きる希望を取り戻してゆく物語としても、カタツムリの観察記録としても、実に感動的な一冊です。カタツムリに関する様々な情報も分かりやすくまとめられており、小さな生き物に対する畏怖の念がわき起こります。生きているということの意義を見失いそうになっているすべての方に一読をお勧めしたい本です。


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カタツムリはわたしの最良のパートナーだった。あの子はわたしに答えられないような問いかけは一切せず、わたしが満たしてやれないような期待も抱かなかった。あの子はわたしを楽しませ、学ばせてくれた。音もなくすべるように進む姿は見るからに美しく、わたしが暗黒の時間をかいくぐって、人類の世界の向こうにある世界に踏み込む導き手になってくれた。
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その巧まざる遅々としたペースと孤独な在り様を見るにつけ、人間の世界を新たな目でとらえ直すきっかけを与えてもらった。あの子こそ真の相談相手と呼ぶにふさわしく、常に眼前の時を生きながら、どんなにささやかであれ生きる営みはそれ相応に報われるのだということを、身をもって示してくれたのだ。
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単行本p.156


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