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『水晶内制度』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「水晶夢の国にようこそ、あなたは今生まれた」(Kindle版No.617)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第71回。代表作の一つ『水晶内制度』が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(新潮社)出版は2003年07月、私が読んだKindle版は2013年05月に出版されました。

 女人国「ウラミズモ」を通じて、ジェンダーや国家権力を真正面から扱う小説です。後に書かれる「だいにっほん三部作」等へとつながる重要な作品でもあります。

 第3回(2003年度)センス・オブ・ジェンダー賞を受賞し、『SFが読みたい! 2008年版』ではジェンダーSFの傑作として「SF最新スタンダード200」に選ばれました。すなわち国内海外あわせた今のSF必読書200冊のうちの一冊ということになりますので、SFファンは必ず読んで頂きたいと思います。

 さて、徹底した女尊男卑を国是とし、男は差別というより家畜扱いされている女人国ウラミズモ。日本国内(現茨城県)に建国され、きったない原発利権とロリリベで日本政府と癒着し、厳しい思想統制と極悪非道な弾圧を自覚的にやっている「別に自称フェミニストでもなくレズビアンでもない、ただのむかつく女性達に支えられた国」(Kindle版No.224)を舞台に、亡命作家の体験が書かれます。

 「この国の制度を濁った水晶の中に流し込んで、手の中に握ったまま不幸を抱いて死にたい」(Kindle版No.3423)

 濁った水晶の中に流し込まれた、国の制度、水晶内制度。

 冒頭において作家は大火傷をおって病院で治療を受けています。意識は混濁し、ここがどこであるかも分かりません。やがてウラミズモについて、その建国に至る経緯の(観光客向け)説明が混じってきます。

 「女のフェミニストをまねようとせず、一番マッチョなその癖卑怯で幼稚な男達のするようにした」(Kindle版No.202)

 「嘘を付き、心の美しい正しいフェミニストの人々を騙し、多くの資金を騙り取って、親切な市民運動家全員を地獄にたたき落とし、この地に女性だけの政治的に正しくない最低のコロニーを建設」(Kindle版No.157)

などとパンフレットにも書かれている通り、ウラミズモは最初から悪意を持って作られたディストピアです。滅びることが国家目標、といいつつ、それを口実にどんなえげつない汚いこと極悪非道なことでも平気でやってしまう国。

 日本も、原発というケガレを押しつけるのに都合が良かったのでこれを黙認。というか、いつもの通りケガれた女は「なかったこと」として見えなくされ、こうして醜悪な共犯関係で多くの人々を踏みつぶしながら、ウラミズモは独立を果たしたのです。

 読者は、作家とともに、錯乱と幻想にまみれた臨死体験というか通過儀式を潜り抜け、この黄泉の国へとつれてゆかれることになります。

 さて、回復した作家は介護を受けながらウラミズモについて学んでゆきます。思想統制やひどい男性差別に戦慄を感じながらも、次第に愛国心に目覚めてゆく作家。読者も、ウラミズモのおぞましいやり口に、爽快感と嫌悪感の両方を感じるというアンビバレントな思いを味わうことになります。

 「もうひとりの私がここから逃げろ、と叫ぶ。しかし私はどんどんこの国に慣れていく」(Kindle版No.654)

 「何よりもこの快適さに酔ってしまい、まったく自然な国だとも思えて来るのだった」(Kindle版No.701)

 「この国に来て初めて私の存在自体が光に晒され、肯定されているところが私を和ませている。そこでついつい騙されたままになってしまうのだ」(Kindle版No.1223)

 「私は私と関係のない事がどうでも良くなってしまう。でもその事に気付くと気分いいままに絶望してしまうが、それも気持ちいい絶望だ」(Kindle版No.1288)

 「ひどい差別を目の前にした時、私が取ったのは、----。 日本の男がするのよりももっと醜悪なそして構造的には日本の男とそっくりの「黙殺」だったのだ。私はすべてをなかった事にした」(Kindle版No.2600)

 社会に組み込まれたジェンダー差別構造に気付いて、拒絶感を覚えながらも、自分にとっての「都合の良さ」「快適さ」に飲み込まれ、やがて葛藤を避けるためにそのことについて考えないようにする、なかった事にする、そうすることで差別構造に加担する、という「日本の男」とそっくりの心理に陥り、その危険性を自覚しながらも次第にウラミズモの国家思想に馴染んでいった作家は、国家に命じられた通りに「神話」の創成に取り組むことになります。

 「国を国とするには日本から独立した神話がいる、国民がそういう信念を持った、いや、持たされた国家だった」(Kindle版No.1496)

 「神話はその国の人間の意識や行動のパターンの規範であるように設定されるべきで、それを全ての行動や心理の中心に置くことで----国の、家族の、個人の建前も心境も感情の流れまでもツクられて行くのである」(Kindle版No.1822)

 「ともかく私は早く水晶夢を使ってここの神話を日本神話を解体する方向で書換えねばならない。それは国の正史となりここの教科書に採用される」(Kindle版No.1401)

 自分たちに都合のよい神話を作ることで、国民の意識をコントロールする。その捏造された歴史を教科書に載せる。まさに国家権力むき出しの仕事ですが、作家はこの事業に対して精力的に取り組みます。

 「古事記を逆転させ、日本神話と表裏一体の存在として裏出雲神話と名付けた創作神話のイメージに基き、私は国滅び神話を形成したのだった」(Kindle版No.1797)

 なお、ここで語られる神話の一部(例えば、きったないやり方で朝廷に服従させられた海の民、というモチーフなど)は、『海底八幡宮』をはじめとして、後に書かれる多くの作品に通底しているように思われます。

 やがて、ウラミズモの最も醜悪な側面が姿を現します。それはこの国の「特産物」(象徴化された少女の性的搾取)であり、男を虐待し男性優位社会を嘲笑するための保護牧(男性保護牧場)であり、さらには少女たちによるロリコン男の「処分」だったりします。後に書かれる『だいにっほん三部作』でいうと、火星人少女遊廓などに相当するかも知れません。

 このあたり、読んでいて気分が悪くなってきますが、これこそが国家権力。ウラミズモに慣れてきたところで、こうした「異常」がまかり通っている姿を見せられた読者は、国家と個人の関係について意識化せざるをえなくなります。

 「ここに来るまで自分がどういう国に住んでいたかさえ私は判らなかったからだ。というより判らないという事さえ意識してなかった」(Kindle版No.1272)

 「どこだってそうなのだ。あらゆる国々に合わせてそこの国民は各々にクルう。「どうかしている」事、それがそこでの平穏な生活を保つ唯一の方法なのだ。どんな場所ででも」(Kindle版No.1536)

 「どこにいても人間は国家に飼い馴らされる」(Kindle版No.2409)

 国家とは何か。個人に対して、どのような構造が、どのように作用しているのか。それが「判らない」ということ自体を隠してしまうために使われる神話。ウラミズモという幻想に投影された裏返しの日本を見ることで、私たちは国家により押しつけられた幻想から部分的にでも逃れるチャンスを手にすることが出来るかも知れません。

 そして今や死につつある作家は、その混乱した意識のなかで、後に書かれる『萌神分魂譜』にもつながる水晶夢を見て、そしてついに神話を完成させるのでした。

 なお、電子書籍版の巻末には、単行本にはなかった最新の「あとがき」が付いています。本作を読み進める上で大いに参考になることが書かれていますので、個人的には、本文より先に目を通した方がいいかと思います。

 「個人に降りかかる「小さい」理不尽の背後にさえ、国家的なおぞましい権力がある。そう感じて私はこの小説を書いた」(Kindle版No.3619)

 「この小説の描くものはけしてひとつではない。世相の全てを幻に映すという行為は読んだ人の数だけ異なる解釈を産む。これを「フェミニズム」小説としてだけしか読めない、また原発小説としてしか読めない人々は、むしろ格差や差別を動かしている背後の世界を想像出来ない側だ」(Kindle版No.3642)


タグ:笙野頼子
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『揺るがぬヘソ曲がりの心』(阿賀猥) [読書(小説・詩)]

 「どん底を泳ぐ。/どん底を決して逃げない。/断じてごまかさない。/気休めもいわない。/誰にもどうしても妥協ということをしない。//これを馬鹿という」
  (『馬鹿』より)

 断固として曲がったことを貫く、愚直なまでにまっすぐ偏屈な詩集。単行本(思潮社)出版は、2001年08月です。

 「「馬鹿、この馬鹿、このド馬鹿!」//キイ子が僕を蹴り上げている。長い足、きれいだ、本当に奇麗だ。キイ子のスニーカーは痛いけれど、それでも奇麗だ。痛ければ痛いほどその「奇麗」が見に染みるのだ」
  (『硬い心、アンカーのように硬い心』より)

 とてつもない一途さと、あまりにも辛辣な視線が、どっか間違った場所で交差してしまったような言葉が並びます。

 「黙っているのは何かい、何かい、/ま、いわばお前さんは、馬鹿のフカミに入って久しい人だから、ニャ、/こんなこというても、ピンとはこぬかも知れんが、ニャ、/みんなみんな各々の馬鹿のフカミにはまってそこでひとーり暮らしているということで、ニャ」
  (『フカミ(深み)』より)

 うっかり納得しそうになりますが、いや、ニャ、と言われても・・・、そうですかフカミにはまってますか。

 「とにかく馬鹿のように急いでしくじったのです。頭を砕きたいんです。これさえなければって思いますよ」
  (『ピストル』より)

 確かに、これさえなければって思いますけど、だからといって砕けばいいというものでもないのでは。

 「「あんた馬鹿ね。アイツはただの・・・・」/よくは聞こえない。声を落として何か言っている/私をコケにしているのが、聞こえなくともわかる。/これはこれで、むしょうに腹が立つ」
  (『キレモノ』より)

 「なぜこうまで放蕩の才が欠落して生まれたのか、驚くべきことで、そもそも、あれほどまでに馬鹿を喧伝された我が一族ながら、真実は一人として放蕩に生きた一人もなく・・・・。」
  (『放蕩者』より)

 なんということでしょう。個人的に妙に気にいった箇所をこうして並べてみると、そこから共通するキーワードが浮かび上がってくるのです。それこそが、それこそが、このふざけているのか深刻なのか微妙によく分からない詩集の、真のテーマなのかも知れません。

 「馬鹿い!」
  (『あとがき』より)


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『私にふさわしいホテル』(柚木麻子) [読書(小説・詩)]

 「ユズキ、直木賞あきらめたってよ」(単行本帯の宣伝より)

 出版社、編集者、文壇の大御所。あらゆる敵とライバルをなりふり構わぬ手段で蹴落とし、成り上がってゆく新人作家。その涙ぐましくもみっともない奮闘をコミカルに描く連作短篇集。電子書籍版をKindle Paperwhiteで読みました。単行本(扶桑社)出版は2012年10月、私が読んだKindle版は2012年12月に出版されています。

 新人作家(三十三歳、本名は中島加代子)が、あらゆる手を使って作家として成り上がってゆく痛快連作です。毎回、宿敵である大物団塊作家との対決シーン、そして都内有名ホテルが登場するのがお約束。著名作家(をモデルにしたと思しき登場人物)がぞろぞろ出てくるのもお楽しみ。


第一話 『私にふさわしいホテル』

 「つまり今晩中に、東十条先生の原稿が上がらなければ、代わりに私の作品が来月号に掲載されるっていうことですか?」(Kindle版No.163)

 自分の作品を文芸誌に掲載させるためなら、缶詰になっている大物団塊作家の原稿を何としてでも落としてやる。山の上ホテルの一室で加代子が思いついた、なりふり構わぬえげつない作戦。それが、彼女の作家人生、そして大物団塊作家との戦いの始まりだった。

 ちなみに、大物団塊作家の描写はこんな感じ。

 「女はかくあるべし、が口癖の男尊女卑の団塊クソジジイ。(中略)食ったものと抱いた女の自慢オンパレード。あんな内容を垂れ流せるなんて、心の大事な部分が欠落しているに決まっている」(Kindle版No.194)

 「百万回聞いたようなことを書き散らしたエッセイ、セックスの描写のあちこちに見え隠れする強烈なミソジニー、行間に漂う発想の古さとせせこましさ」(Kindle版No.531)

 いやその通りだけど、ここまで正直に書いちゃっていいのかしら。いや、あくまで架空の登場人物だから問題ありませんよね。


第二話 『私にふさわしいデビュー』

 「この世界にルールは無用。その代わり、絶対に負けてはならない」(Kindle版No.537)

 出版社の圧力で単行本デビューを妨害され失意の加代子。そこに追い打ちのように現れた宿敵。「過去の栄光にあぐらをかいた大御所なんかに、絶対に負けるもんか」。加代子の戦いが再び始まる。


第三話 『私にふさわしいワイン』

 「富と名声と愛。ついに私は私にふさわしい居場所を手に入れたのだ」(Kindle版No.892)

 初めての単行本が高く評価され、一躍、期待の新鋭としてちやほやされる加代子。金持ちの恋人も出来て、もはや人生絶好調だったが、読者の予想(期待)通り、転落も早かった。


第四話 『私にふさわしい聖夜』

 「担当作家を自分の中でランク付けし、書き手なんて競走馬くらいにしか思っていない男。(中略)編集者と作家は運命共同体。こちらが落ちる時は一緒にとことん落ちてもらいましょう」(Kindle版No.1639)

 尊敬する辛口書評家から面と向かってメッタ斬りされ落ち込む加代子。怒濤の八つ当たりで、よりによって宿敵と組んでまで、担当編集者に仕掛けた恐るべき嫌がらせ。聖夜に奇跡は起こるのか。

 余談ですが、さっそうと登場した朝井リョウが、

 「俺の処女作のアマゾンレビュー読んだことあんのか!?」
 「さんざんぶっ叩かれたわ! いろんな人間に面と向かって超ディスられたわ!」
 「どれだけ傷つけられてるか少しは想像しろよ!」
  (Kindle版No.1396)

とわめき散らすシーンがたいそう印象的です。


第五話 『私にふさわしいトロフィー』

 「みっともないまでにがむしゃらで計算高く、大嘘つき。だけど、彼女の負けないこと、変わらないことといったらどうだろう」(Kindle版No.1740)

 「なんと言われても構わない。既存のルールには負けない。そうやって、今日まで生きてきたのだ」(Kindle版No.2063)

 ついに文学賞の候補になった加代子。だが、選考委員会を牛耳っているのは、そう、宿敵の大物団塊作家だった。あいつさえいなければ・・・。加代子と宿敵、最後の戦い。手段を選ばぬ加代子の予想外の攻撃に大御所も震撼。

 「改めて寒けを催した。この女、人間の心をどこに置き忘れてきたのだろう。(中略)普通ここまでできるだろうか。野心などという生やさしい言葉では片付けられない。得体の知れない凶暴性に寿命が縮む思いがした」(Kindle版No.2129、2171)

 「出版界全部を敵に回しても、悪人になっても、自力でトップに立つと心に決めたの。見下されたり軽く扱われたりするのは、もうたっくさん。一秒だって粗末にされたくない」(Kindle版No.2350)


最終話 『私にふさわしいダンス』

 「私、どんどん嫌な人間になっていく。誰も信じられないし、誰も私を信じない。できることなら、あの頃に戻りたいわ。山の上ホテルであなたを騙した頃に」(Kindle版No.2742)

 ついに人気作家に成り上がり、かつてのライバルに陰惨な復讐を果たした加代子。だが、その心は晴れない。自分を見失い意気消沈した彼女の前に、再び姿を現した宿敵。加代子を、いや全ての作家を、最後に支えるものは何か。こんだけエグいやけくそコメディ書いてきて、大団円で「いい話」風にしてしまうラストシーンの豪腕ぶりときたら。

 「平成の作家に圧倒的に欠けているものはきっと執念とハッタリ。そして最も大切な、己の力で取り戻すイノセンス。これから先、何度でも彼女はそれを失い、そして手にするのだろう」(Kindle版No.2799)

 というわけで、新人作家の苦労を戯画化したアクの強いコメディ作品です。強烈なヒロインの人物造形には好悪が分かれそうですが、個人的には大いに気に入りました。痛快です。柚木麻子さんの他の作品も読んでみようと思います。

[収録作品]

『私にふさわしいホテル』
『私にふさわしいデビュー』
『私にふさわしいワイン』
『私にふさわしい聖夜』
『私にふさわしいトロフィー』
『私にふさわしいダンス』


タグ:柚木麻子
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『不要家族』(土屋賢二) [読書(随筆)]

 「わたしがこれまで一番真剣に取り組んできたのはサボることだった。しかし定年退職したいまはサボるべき仕事がない。(中略)書類や本の整理などの仕事を自分に課して、それをサボることも考えたが、どっちみち仕事をサボるなら、そういう仕事を課するのをサボった方がいい」(Kindle版No.690)

 お茶大の名誉教授にして、中年オヤジトークと哲学パラドクスをまぜこぜにしたようなひねくれたユーモアエッセイで人気の哲学者、土屋賢二さん。その定年退職エッセイ集の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。文庫版(文藝春秋)出版は2013年03月、私が読んだKindle版は2013年05月に出版されています。

 「わたしの他の本と同じく、タイトルに深い意味はない。たんに、扶養家族が世帯主たるわたしを不要なものとして扱っているという悲痛な事実を簡潔に吐露したものにすぎない」(Kindle版No.37)

 『あたらしい哲学入門 なぜ人間は八本足か?』に感心したので、著者である土屋賢二さんのエッセイ集を何冊か読んでみたのですが、どれもこれも、ある種の中年男性が大変に好むらしい二つの話題、すなわち「部下(土屋さんの場合は生徒)が私を不当に軽んじている」という話と、「家族(土屋さんの場合は妻)が私を不当に軽んじている」という話ばかり書いてあり、その哲学者らしい一貫した思索にたいそう感銘を受けました。

 本書は最新版エッセイ集で、定年退職をめぐる話題が中心となります。まあ、基本的には、「生徒が私を不当に軽んじている」、「妻が私を不当に軽んじている」、ということについての愚痴ですが。あと、「読者が私を不当に軽んじている」というのもあります。

 「できれば家の中でもこの店の接客マニュアルを採用してもらいたい。マニュアル通りでも何でも、心がこもっていてもいなくても、やさしく見える接し方をしてくれるだけでありがたいのだ。若いころには考えもしなかったことだ。ふだんいかに恵まれない生活を送っているかをあらためて思い知らされた」(Kindle版No.917)

 「わたしの生活は笑われているか叱られているかだろうと思うかもしれないが、わたしはそれだけの人間ではない。その合間に憂えているのだ。政治を憂え、不況を憂え、妻の性格を憂え、わたしの将来を憂えている」(Kindle版No.1023)

 「中年になってピアノを始めたために思うように弾けず、わたしの不幸の三本柱の一つになっている。ピアノをやめればよさそうなものだが、ピアノをやめると死んでしまいそうな気がする。しかも不幸なことに、ピアノを弾くことが寿命を縮めている」(Kindle版No.859)

 こんな感じで愚痴が続きます。

 他にも、定年退職をめぐるあれこれ(最終講義が面倒だとか、退官記念パーティが面倒だとか、年金手続きが面倒だとか)、アマゾンのキンドルが故障して苦労したとか、辞書アプリの購入でトラブルに遭遇して苦労したとか、何だかとにかく苦労したとか、色々な話題があったのですが、あまり覚えていません。

 「わたしの文章はすぐ忘れるように書いてある。ウソだと思うなら、本書を買って確かめていただきたい。一言も覚えていないはずだ。それもそのはず、読んでも頭に残らない文章になるよう工夫を凝らしているのだ」(Kindle版No.12)

 というわけで、退職した哲学者は何の役に立つか、という問題に漫然と取り組み、自明な答えに辿り着く、ひねくれユーモアエッセイです。哲学者と結婚するのはやめておいた方がいいかも知れません。


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『コンドルズ埼玉公演2013 アポロ』(近藤良平) [ダンス]

 「蜷川さん、いつになったら僕たちの舞台を観てくれるんですか?」

 2013年05月19日(日)は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、大人気コンテンポラリーダンスカンパニー「コンドルズ」の新作公演を鑑賞しました。

 ダンス、コント、人形劇、影絵芝居、ミュージカル(マジで)と盛りだくさんの舞台です。出演メンバー総勢15名、公演時間110分。

 今回のテーマは宇宙、そしてアポロ計画。スローモーションやリフトで無重力空間をイメージさせたり、惑星のようなカラフルなボールを多用したり、「ワレワレハ宇宙人ダ」系ネタで引っ張ったり。

 新人も多数登用して新陳代謝をはかりつつも、そこはやはりコンドルズ。踊れるメンバーとそうでもないメンバーの落差が激しく、身長体重体型まったく不揃いなメンバー達による力一杯の群舞は、まさにそれゆえに感動的。観客も高揚感に包まれます。

 一方、近藤良平さんのソロがまた素晴らしくて、しゅはっ、しなやかに手足が宙を舞うのを観ると、これが全身シビれます。なんというカッコ良さ。やっぱイイ。

 というわけで、結成17年を経て今だにパワー衰えず、老若男女すべての観客を魅了するコンドルズ。今や「コンテンポラリーダンス」といえば日本では誰もがまっさきにコンドルズを連想する、かといえば、そんなことにはちっともなってないその独創性がすごい。


タグ:近藤良平
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