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『揺るがぬヘソ曲がりの心』(阿賀猥) [読書(小説・詩)]

 「どん底を泳ぐ。/どん底を決して逃げない。/断じてごまかさない。/気休めもいわない。/誰にもどうしても妥協ということをしない。//これを馬鹿という」
  (『馬鹿』より)

 断固として曲がったことを貫く、愚直なまでにまっすぐ偏屈な詩集。単行本(思潮社)出版は、2001年08月です。

 「「馬鹿、この馬鹿、このド馬鹿!」//キイ子が僕を蹴り上げている。長い足、きれいだ、本当に奇麗だ。キイ子のスニーカーは痛いけれど、それでも奇麗だ。痛ければ痛いほどその「奇麗」が見に染みるのだ」
  (『硬い心、アンカーのように硬い心』より)

 とてつもない一途さと、あまりにも辛辣な視線が、どっか間違った場所で交差してしまったような言葉が並びます。

 「黙っているのは何かい、何かい、/ま、いわばお前さんは、馬鹿のフカミに入って久しい人だから、ニャ、/こんなこというても、ピンとはこぬかも知れんが、ニャ、/みんなみんな各々の馬鹿のフカミにはまってそこでひとーり暮らしているということで、ニャ」
  (『フカミ(深み)』より)

 うっかり納得しそうになりますが、いや、ニャ、と言われても・・・、そうですかフカミにはまってますか。

 「とにかく馬鹿のように急いでしくじったのです。頭を砕きたいんです。これさえなければって思いますよ」
  (『ピストル』より)

 確かに、これさえなければって思いますけど、だからといって砕けばいいというものでもないのでは。

 「「あんた馬鹿ね。アイツはただの・・・・」/よくは聞こえない。声を落として何か言っている/私をコケにしているのが、聞こえなくともわかる。/これはこれで、むしょうに腹が立つ」
  (『キレモノ』より)

 「なぜこうまで放蕩の才が欠落して生まれたのか、驚くべきことで、そもそも、あれほどまでに馬鹿を喧伝された我が一族ながら、真実は一人として放蕩に生きた一人もなく・・・・。」
  (『放蕩者』より)

 なんということでしょう。個人的に妙に気にいった箇所をこうして並べてみると、そこから共通するキーワードが浮かび上がってくるのです。それこそが、それこそが、このふざけているのか深刻なのか微妙によく分からない詩集の、真のテーマなのかも知れません。

 「馬鹿い!」
  (『あとがき』より)


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