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『ヨハネスブルグの天使たち』(宮内悠介) [読書(SF)]

 「DX9は歌いつづける。まるで、愛する人を待っているかのように」(単行本p.260)

 ヨハネスブルグ、ニューヨーク、アフガニスタン、イエメン、そして東京。終わりなき戦争という日常を生きる人々と、人間を映し出す鏡のような日本製アンドロイドDX9との関わりをえがく連作短篇集。単行本(早川書房)出版は、2013年05月です。

 デビュー単行本『盤上の夜』で高い評価を受けた著者による、待望の第二単行本です。収録された五篇はゆるやかにつながった連作短篇。前作よりもぐっと完成度が上がり、オールタイムベスト級の傑作といっても過言ではない出来ばえ。必読でしょう。


『ヨハネスブルグの天使たち』

 「陽が遮られ、空が暗くなった。風を切る音がした。まもなく幾千の少女らが降った。ある者はまっすぐに、ある者は壁にぶつかり弾けながら、ビルの底へ呑まれていく。 そのうちの一人と目が合った気がした」(単行本p.42)

 泥沼の民族紛争が続く南アフリカ。貧困の底から必死に這い上がろうとする若者が出会った日本製アンドロイド、DX9。その少女型アンドロイドたちは、いつまでもいつまでも、ひたすら無意味にビルの屋上からの落下を繰り返していた・・・。

 無意味に人が殺され続ける内戦を「永遠に落下を繰り返す少女型アンドロイド」という鮮烈なイメージに重ね合わせ、未来が見えない絶望の底からそれでも希望を見つけようとする若者の姿が描かれます。「希望」のためのホロコースト、というラストの急展開は衝撃的。そこにDX9がどう関わってくるのか。


『ロワーサイドの幽霊たち』

 「ビルとビルのあいだに、虚無以外の何があるというのか」(単行本p.99)

 ニューヨーク、マンハッタン。世界貿易センターに勤務している一人の若者が、自分は911同時多発テロの「再現」という巨大プロジェクトに使われているDX9に転写された人格であることに気付く。なぜ、そして何のために。そのとき、予定外の緊急事態が発生する。収録作のうちで、もっともSF度の高い作品。


『ジャララバードの兵士たち』

 「一人の死は悲劇だが、百万の死は統計----争乱において、人は悲劇すらをも奪われる」(単行本p.163)

 終わりなき内戦が続くアフガニスタン。危険地域を移動していた日本人青年と護衛の米兵は、不可解な殺人事件に遭遇する。その背後には、漏出した生物兵器をめぐる忌まわしい謀略が隠されていた。

 無差別殺傷兵器として使われているDX9が、もはや意味が失われたまま続く戦争と死を象徴します。命じられた通り機械的に殺戮を続けるDX9、自分の「意思」で自爆テロを遂行しようとするDX9。人間の戯画としてのDX9に込められた恐るべきアイロニーが印象的です。


『ハドラマウトの道化たち』

 「対立する二つの集団。 一方は画一的な伝統を掲げるが、その教義は多様そのものだ。もう一方は多様性を掲げるが、実態は別種の画一性でしかない。伝統からかけ離れ、場当たり的に思想を接ぎ木し、そして一皮剥けばあの騒ぎだ。行く場所もなければ、帰る場所もない。自分と同じような、精神の孤児たち」(単行本p.212)

 無政府状態の民族紛争地域、イエメン。前作に登場した二人の日本人青年が再会し、ケリをつけることになります。DX9への人格転写という技術が引き起こしてしまった皮肉な事態が、民族対立の根深さをあぶり出します。


『北東京の子どもたち』

 「国の自死者は年間で四万人。以前、隆一が言っていたことがある。悲劇と呼ぶには大きすぎ、統計と呼ぶには小さすぎる数字だと」(単行本p.223)

 荒廃した団地から出てゆくことができない人々。「管理下に置かれた廃墟」のような団地の底に沈む子どもたち。屋上から無意味に落下し続けるDX9に精神を接続し、ひたすら仮想自死を繰り返す大人たち。終わりなき「戦場」を生きる日常、そこに希望はあるか。

 最終話。南アに始まり世界各地の紛争地域を回ってきた物語は、日本という「戦場」(年間数万人もの人々が、見えにくい形で自死を強制される国)に辿り着きます。無意味に落下を繰り返す少女型アンドロイドという冒頭のモチーフが繰り返され、読者に覚悟を求めます。希望はあるのでしょうか。


[収録作品]

『ヨハネスブルグの天使たち』
『ロワーサイドの幽霊たち』
『ジャララバードの兵士たち』
『ハドラマウトの道化たち』
『北東京の子どもたち』


タグ:宮内悠介
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