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『不要家族』(土屋賢二) [読書(随筆)]

 「わたしがこれまで一番真剣に取り組んできたのはサボることだった。しかし定年退職したいまはサボるべき仕事がない。(中略)書類や本の整理などの仕事を自分に課して、それをサボることも考えたが、どっちみち仕事をサボるなら、そういう仕事を課するのをサボった方がいい」(Kindle版No.690)

 お茶大の名誉教授にして、中年オヤジトークと哲学パラドクスをまぜこぜにしたようなひねくれたユーモアエッセイで人気の哲学者、土屋賢二さん。その定年退職エッセイ集の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。文庫版(文藝春秋)出版は2013年03月、私が読んだKindle版は2013年05月に出版されています。

 「わたしの他の本と同じく、タイトルに深い意味はない。たんに、扶養家族が世帯主たるわたしを不要なものとして扱っているという悲痛な事実を簡潔に吐露したものにすぎない」(Kindle版No.37)

 『あたらしい哲学入門 なぜ人間は八本足か?』に感心したので、著者である土屋賢二さんのエッセイ集を何冊か読んでみたのですが、どれもこれも、ある種の中年男性が大変に好むらしい二つの話題、すなわち「部下(土屋さんの場合は生徒)が私を不当に軽んじている」という話と、「家族(土屋さんの場合は妻)が私を不当に軽んじている」という話ばかり書いてあり、その哲学者らしい一貫した思索にたいそう感銘を受けました。

 本書は最新版エッセイ集で、定年退職をめぐる話題が中心となります。まあ、基本的には、「生徒が私を不当に軽んじている」、「妻が私を不当に軽んじている」、ということについての愚痴ですが。あと、「読者が私を不当に軽んじている」というのもあります。

 「できれば家の中でもこの店の接客マニュアルを採用してもらいたい。マニュアル通りでも何でも、心がこもっていてもいなくても、やさしく見える接し方をしてくれるだけでありがたいのだ。若いころには考えもしなかったことだ。ふだんいかに恵まれない生活を送っているかをあらためて思い知らされた」(Kindle版No.917)

 「わたしの生活は笑われているか叱られているかだろうと思うかもしれないが、わたしはそれだけの人間ではない。その合間に憂えているのだ。政治を憂え、不況を憂え、妻の性格を憂え、わたしの将来を憂えている」(Kindle版No.1023)

 「中年になってピアノを始めたために思うように弾けず、わたしの不幸の三本柱の一つになっている。ピアノをやめればよさそうなものだが、ピアノをやめると死んでしまいそうな気がする。しかも不幸なことに、ピアノを弾くことが寿命を縮めている」(Kindle版No.859)

 こんな感じで愚痴が続きます。

 他にも、定年退職をめぐるあれこれ(最終講義が面倒だとか、退官記念パーティが面倒だとか、年金手続きが面倒だとか)、アマゾンのキンドルが故障して苦労したとか、辞書アプリの購入でトラブルに遭遇して苦労したとか、何だかとにかく苦労したとか、色々な話題があったのですが、あまり覚えていません。

 「わたしの文章はすぐ忘れるように書いてある。ウソだと思うなら、本書を買って確かめていただきたい。一言も覚えていないはずだ。それもそのはず、読んでも頭に残らない文章になるよう工夫を凝らしているのだ」(Kindle版No.12)

 というわけで、退職した哲学者は何の役に立つか、という問題に漫然と取り組み、自明な答えに辿り着く、ひねくれユーモアエッセイです。哲学者と結婚するのはやめておいた方がいいかも知れません。


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