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『巨大津波は生態系をどう変えたか  生きものたちの東日本大震災』(永幡 嘉之) [読書(サイエンス)]

 2011年3月11日、東北地方を襲った大津波により、砂丘は削られ、池は埋まり、湿地に大量の塩分が流れ込んだ。それから一年。貴重な生態系は今どうなっているのか。粘り強い調査により明らかになった事実を、著者自身が撮影した数多くのカラー写真と共に提示する一冊。新書版(講談社)出版は、2012年04月です。

 「自然環境の「豊かさ」を前面に押し出してきた東北地方で、今回の震災によってその「豊かさ」はどの程度失われ、そして残ったのか。急速に進む復旧事業のなかで、どのように「豊かさ」を残してゆけばよいのか。(中略)12月までに津波跡地で過ごした時間は約100日、福島県いわき市から青森県下北半島まで、気がつけば5万キロを走っていた」(新書版p.4)

 東日本大震災による甚大な被害は、自然界にも容赦なく降りかかってきました。私たちはどこかで「人間による環境破壊vs大自然」という紋切り型のイメージを持っているためか、生き物は「自然災害」では絶滅しない、いずれ復旧するだろう、と考えがちです。

 著者は、「事実確認が進まないまま希望的観測ばかりが独り歩きすることは、「何も対策をとらなくてもいい」という社会の停滞に直結してしまう」(新書版p.52)と考え、自分の足で現場を歩き、観察し、塩分濃度を測定し、そして撮影してゆきます。その結果、何が分かったのでしょうか。

 「当時は現地に行けば何かの希望があるかもしれない、という思いが強かった。いや、希望を見つけ出そうとしていた。だが、現地で目にするものは、完膚なきまでの破壊と絶望ばかりだった」(新書版p.84)

 津波により森が流され、あるいは塩分により枯死し、砂丘は消滅、池は泥で埋まり、湿地帯に海水が流れ込む。たまたま生きのびた虫や両生類も、産んだ卵が塩分により死滅、さらに一部外来種が異常発生して破壊された生態系にとどめをさしてゆく。著者はその様を詳細に観察し、多数のカラー写真と共に読者に提示します。

 カラー写真の衝撃に息をのみ、解説を読んで暗澹たる気持ちになります。すべてが破壊と絶望の光景ばかりではありません。ときに見つかる小さな希望や、生き物が見せる意外なたくましさにも胸を打たれます。しかし、全体を通じて残るのは、「自然の豊かさ」なるものは失われ、二度と戻らないのだ、という冷厳な認識です。

 なぜこんなことになったのか。それは「未曾有」で「想定外」の「自然災害」によるもので、人間にはどうすることも出来なかったのか。著者は、繰り返し、こう訴えます。そうではない、開発により自然環境を分断し、細切れにした、それが根本的な原因なのだと。

 もし湿地や砂丘や森が広い範囲で連続的に残されていれば、たまたま破壊されなかった箇所で生物種が少数ながら生き延びて、やがて塩害などから環境が回復するにつれて再び生息域を広げてゆくことが出来たはず。しかし、人間の無理解な土地開発により分断された自然環境は、今回のような災害に対して極めて脆弱になっていたのです。

 「動植物の地域的な絶滅は津波の影響ばかりではなく、それまでに人間が続けてきた環境改変によって、震災以前の時点で「隅に追いやられていた状態」になっていたものが多かったことが大きい。そうしたことをすべて、津波が「想定外」だったという言葉で覆い隠してしまうと、現状を直視することも反省もないままに終わってしまう」(新書版p.201)

 というわけで、一読すれば、被災地の自然環境がどうなっているのかを知り、自然環境保護のあり方について再考を迫られる一冊。異色の自然写真集として鑑賞することも出来ますし、また被災地の「復興事業」を推進している方にも是非読んで頂きたい労作です。


『不思議の国のアリス』(クリストファー・ウィールドン振付)、『スケートをする人々』(フレデリック・アシュトン振付)、『ピーターとおおかみ』(マシュー・ハート振付) [映像(バレエ)]

 6月4日の午前0時から午前4時まで、NHK BS プレミアムシアターにて、英国ロイヤルバレエ団の舞台映像3本が放映され、録画しておいて鑑賞しました。

 まず最初は、クリストファー・ウィールドン振付作品『不思議の国のアリス』。

 クリストファー・ウィールドンといえば、第38回(2010年)および第39回(2011年)のローザンヌ国際バレエコンクールで、キャシー・マーストンと並んでコンテンポラリー課題作品を提供したコレオグラファ。課題作品である『コメディア』、『ポリフォニア』、『ゼア・ホエア・シー・ラヴド』、『コンティヌウム』をコンクールの映像で何度も観たわけですが、躍動的で、ユーモラスな雰囲気もあり、好感が持てます。

 そのクリストファー・ウィールドンの全幕作品ということで大きな話題となったのが、この『不思議の国のアリス』。全二幕、上演時間2時間ほどの作品で、派手な大道具や映像効果もふんだんに駆使して、活き活きとした楽しい舞台となっています。

 全体的な流れは『くるみ割り人形』をなぞりつつ、踊りもクラシックバレエ風。いわゆる「アラブの踊り(コーヒー)」がイモムシになったり、『眠れる森の美女』の有名なローズ・アダージョがドタバタコメディになってたり(後述)、パロディも豊富。

 特筆すべきは、ハートの女王(赤の女王)を踊ったゼナイダ・ヤノフスキー。ひたすら怒り暴れる役ですが、そのお馬鹿な立ち回りを支える超絶テクニックと正確でスケールの大きなダンスは衝撃的なほど。

 特に、首切りローズ・アダージョのシーンは印象に残ります。「わがままな女王のサポートに失敗すれば即座に首を切られるので、戦々恐々としている兵士たち」とのローズ・アダージョという、原典をひっくり返したような設定だけでも可笑しいのですが、それを「わがままなプリンシパルのサポートに失敗すれば即座に首にされるので、戦々恐々としている男性ダンサーたち」とのローズ・アダージョ、に重ねちゃう仕掛け、皮肉で素晴らしい。笑えます。

 2003年のローザンヌ国際バレエコンクールで何とタップダンスを踊って入賞し大きな話題となったスティーヴン・マックレー。彼に、マッドハッター役でタップダンスを踊らせる、という趣向も素敵です。とにかくマックレーはカッコいい。勢いも、華もあり、若いのに風格すら感じられるようになっていて、今やいつまでも観ていたいダンサーの一人です。

 他に、獅子舞というか香港のお祭りで練り歩くドラゴンというか、超巨大チェシャ猫が登場して舞台狭しと飛び回るシーンもお気に入り。

 高田茜、崔由姫、小林ひかる、蔵健太、といった面々も、群舞などできっちり出演していて、嬉しかった。

 次に放映されたのは、フレデリック・アシュトン振付作品『スケートをする人々』。

 これは以前に市販映像で観たのと同じものでした。詳しくは2012年03月22日の日記を参照して下さい。要点は、つま先立ちでひょこひょこ歩き、くるくるっと綺麗に旋回する高田茜さんがとってもキュート、スティーヴン・マックレーはやっぱかっこいい、ほれぼれ見とれてしまう、ということ。

 最後は、マシュー・ハート振付作品『ピーターとおおかみ』。

 ロイヤルバレエ学校の生徒さんが多数出演する子ども向け作品ですが、前述の『不思議の国のアリス』でジャック(アリスの恋人)を踊っていたセルゲイ・ポルーニンがオオカミを踊っていて迫力満点でした。草や水などの色彩が美しい。


NHK BS プレミアムシアター
6月4日(月)【3日(日)深夜】午前0時~午前4時

英国ロイヤル・バレエ公演
バレエ『不思議の国のアリス』全2幕

[振付]
    クリストファー・ウィールドン

[出演]
    アリス:ローレン・カスバートソン
    ジャック/ハートのジャック:セルゲイ・ポルーニン
    ルイス・キャロル/白ウサギ:エドワード・ワトソン
    アリスの母親/ハートの女王:ゼナイダ・ヤノフスキー
    アリスの父親/ハートのキング:クリストファー・サウンダース
    マジシャン/マッドハッター:スティーヴン・マックレー
    公爵夫人:サイモン・ラッセル・ビール
    英国ロイヤル・バレエ団

[音楽]
    ジョビー・タルボット作曲
    バリー・ワーズワース指揮、コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団

[美術]
    ボブ・クロウリー

[照明]
    ナターシャ・カッツ

[収録]
    2011年3月9日。コヴェントガーデン王立歌劇場(ロンドン)


英国ロイヤル・バレエ公演
バレエ『スケートをする人々』

[振付]
    フレデリック・アシュトン

[出演]
    ブルー・ボーイ:スティーヴン・マックレー
    ブルー・ガール:サマンサ・レイン、高田 茜(たかだ あかね)
    ホワイト・カップル:サラ・ラム、ルパート・ペネファーザー
    2人の少女:フランチェスカ・フィルピ、サイアン・マーフィー
    英国ロイヤル・バレエ団

[音楽]
    ジャコモ・マイヤベーア(歌劇『予言者』から)
    コンスタント・ランバート編曲
    ポール・マーフィー指揮、ロイヤル・バレエ・シンフォニア

[美術・衣装]
    ウィリアム・チャペル

[照明]
    ジョン・B・リード

[収録]
    2010年12月20日、23日。コヴェントガーデン王立歌劇場(ロンドン)


英国ロイヤル・バレエ学校公演
バレエ『ピーターとおおかみ』

[振付]
    マシュー・ハート

[出演]
    おおかみ:セルゲイ・ポルーニン
    おじいさん/ナレーター:ウィル・ケンプ
    ピーター:キリアン・スミス
    あひる:シャーロット・エドモンズ
    小鳥:ラウリーネ・ムッチョーリ
    猫:カツラ・チサト
    ロイヤル・バレエ学校の生徒たち

[音楽]
    セルゲイ・プロコフィエフ
    ポール・マーフィー指揮、ロイヤル・バレエ・シンフォニア

[美術・衣装]
    イアン・スパーリング

[照明]
    ジョン・B・リード

[日本語版字幕]
    斉藤直樹

[収録]
    2010年12月16日、18日。コヴェントガーデン王立歌劇場(ロンドン)


『短篇ベストコレクション 現代の小説2012』(日本文藝家協会) [読書(小説・詩)]

 2011年に小説誌に掲載された短篇から、日本文藝家協会が選んだ傑作を収録したアンソロジー。SFやホラーなどジャンル小説も含まれていますが、基本的には一般小説というか、いわゆる中間小説がメインとなっています。文庫本出版は2012年06月。

 特定ジャンル小説やお気に入り作家の作品ばかり読んでいると、どんどん視野が狭くなってしまいがち。だから日本文藝家協会がジャンルにこだわらずに選んでくれる短篇ベストコレクションはものすごく助かります。毎年、このアンソロジーがきっかけで読み始めた作家が増えてゆくのが嬉しい。

 というわけで、2011年に小説誌に発表された短篇小説から選ばれた20作品と、20名の作家であります。

 まず感心させられたのが、『つばくろ会からまいりました』(筒井康隆)。

 病気で妻が入院して困っていた「おれ」のもとに、若い派出婦さんがやってくる。愛嬌たっぷりで底抜けに明るい彼女のおかげで「おれ」は大いに助かるが、あるとき派出婦の会に連絡を入れると、そのような者はうちにはおりませんが、と言われて驚くことに。

 派出婦さんと「おれ」との会話のテンポが心地よく、わずか7ページでさっと終わって強烈な印象を残す魔法のような作品。そもそもこの作者が「おれ」と書いた途端、ころりと参ってしまいます。

 『トマトマジック』(篠田節子)も巧み。女性が集まった昼食会で、客の一人が持ち込んだ「真の欲望が叶った夢を見る」という幻覚作用のある乾燥植物をドライトマトと間違えて料理に混入させてしまうという話。

 それまで互いに歯の浮くようなお世辞を言い合ったり、毒のある言い回しで牽制しあったりしていた女性たちは、いきなり昏睡。必死に腰を振ったり、高カロリー料理や菓子の名前をつぶやきながら口をパクパクさせたり、あられもない欲望を晒すはめに。前半と後半の落差がスリリングで楽しい作品。

 『私』(三崎亜記)は、かつて作者がよく書いていた風刺の効いたお役所的不条理もの。

 役所の苦情担当係のところに、客がクレームをつけてくる。調べてみると、同一人物に対して個人データが二重に登録されていたことが分かり、片方を削除することで解決。ところが、今度は同一個人データに対して「私」が二重に存在していることが分かり、やっぱり片方を削除することで・・・。昔よく読んだ社会風刺ショートショートを思い出して懐かしい気持ちになります。

 『竜宮』(森絵都)は、老婦人と子供が関わった出来事を取材して「ちょっといい話」風の記事にしたライターが、先入観ゆえに肝心なことをよく聞いてなかったことに後から気づいて反省する話。短篇集『異国のおじさんを伴う』(2012年05月07日の日記参照)に収録されているので既読でした。

 SFマガジン2011年2月号(2010年12月29日の日記参照)に掲載された『ふるさとは時遠く』(大西科学)も既読。高度によって時間の流れる早さが異なる日本を舞台としたSFです。都会とは流れる時間が違う田舎に里帰りした主人公は、すでに自分が過去とは切り離されていることを痛感させられます。ありきたりな感慨ですが、それが物理的な意味で事実だったら、という奇想が効果を上げています。

 他には、父親の浮気相手をこっそり覗き見して強く惹かれてしまう少年の微妙な心境を活き活きと描いた『星影さやかな』(窪美澄)、配偶者を亡くしたばかりの夫が料理教室の個人レッスンに代理で参加したことから妻の心境に遅まきながら気づく『妻が椎茸だったころ』(中島京子)、の二篇が気に入りました。

 全体を通読して気づくのは、つまり、ヤクザに毅然と立ち向かったり、妻から大切にされたり、若い娘に一途に慕われたり、偉い人から目をかけられたり、そういう中高年男性にありがちな幼稚な欲望、じゃなかった素朴な憧憬を満たしてくれるオヤジ慰撫小説が多いこと。ちょっと複雑な気持ちになりました。

[収録作品]

『男意気初春義理事 天切り松 闇がたり』(浅田次郎)
『蜩の鳴く夜に』(石田衣良)
『区立花園公園』(大沢在昌)
『ふるさとは時遠く』(大西科学)
『台北小夜曲』(恩田陸)
『被災地の空へ DMATのジェネラル』(海堂尊)
『わたしとわたしではない女』(角田光代)
『星影さやかな』(窪美澄)
『監察 横浜みなとみらい署暴対係』(今野敏)
『雨気のお月さん』(佐藤愛子)
『トマトマジック』(篠田節子)
『ストーブ』(谷村志穂)
『つばくろ会からまいりました』(筒井康隆)
『妻が椎茸だったころ』(中島京子)
『ケーキ屋のおばさん』(ねじめ正一)
『揚羽蝶の島』(間瀬純子)
『私』(三崎亜記)
『ミレニアム・パヴェ』(三島浩司)
『竜宮』(森絵都)
『車輪の空気』(森浩美)


『将棋名人血風録  奇人・変人・超人』(加藤一二三) [読書(随筆)]

 名人、それは将棋界における最高の位。世襲や家元制を排し、実力名人制に移行してから80年近くの歳月が流れ、これまでに実力制名人位に就いた者は12名を数える。なかでも、他の名人全員と対局したことがある棋士は、ただ一人。その加藤一二三さんが、様々なエピソードをまじえつつ、名人たちの人柄や所業を激しく暴露、じゃなかった、活き活きと描き出す一冊。新書版(角川書店)出版は、2012年05月です。

 「「控室で見ていた私は、森内さんの勝利を確信していった。「羽生さんは顔を洗って出直したほうがいい」。この発言がNHKの特集番組で放送され、あとで羽生さんから「私がいないところで私の将棋が何といわれているのかよくわかりました」と笑いながらいわれた」(新書版p.26)

 「谷川さんと私はエキサイティングな間柄だと巷間、思われているようだ。谷川さんがどう思っているかは知らないけれど、私が谷川さんを強く意識しているのはまぎれもない事実であると認める。(中略)十段戦リーグにおける私との席次問題のときは、私は決して盤外戦を仕掛けたわけではないけれど、さすがの谷川さんも、納得できない思いで「カーッとした」と著書に書いている」(新書版p.49, 53)

 様々なエピソードから見えてくる名人たちの素顔。実際に全員と戦った(必ずしも盤上だけでなく)ことのある加藤一二三さんだから書ける本だといってよいでしょう。さすが一癖も二癖もある棋士たちのなかで最高位にのぼりつめた人々だけあって、名人たちの逸話には面白い話がごろごろしています。

 例えば、塚田正夫さんは形勢不明のむずかしい局面にぶつかると、わざと食事直前に着手すると。そうすると相手は(持ち時間を消費することなく)食事休憩中に考えられるわけだから、どう考えても損。しかし、塚田さんによると「相手に食事中に考えさせれば、胃が悪くなる」。何とか対局相手が体調を崩してくれないかという、何という人の悪さ。これが勝負への執念というものでしょうか。

 また、木村義雄さんと升田幸三さんの喧嘩(豆腐は木綿がいいか絹ごしがいいか論争、名人がゴミみたいなもんなら挑戦者のお前はゴミにたかるハエだ論争)、著者自身による喧嘩(対局場のエアコン設定温度をめぐって意地の張り合い、将棋盤の位置にこだわってくじ引きで勝負)など、子供っぽいとしか思えない喧嘩についても詳しく書かれています。

 「ストーブにしろ、エアコンの温度にしろ、盤の位置にしろ、どっちでもいいじゃないかと思われるかもしれない。でも、勝負師としてそこで譲ってはいけないのだ。(中略)勝負師たるもの、それが盤外戦ととられようと、主張すべきところは絶対に主張すべきなのである」(新書版p.116)

 まあ、結局はヤクザとガキの論理に帰着するようですが。他にも、大山・升田の対決、中原誠さんとの激戦など、将棋ファンが心ときめかせる逸話がいっぱい。

 著者自身の将棋観や、信仰(キリスト教)と対局との関わりなども、率直に書かれていて興味深く読めました。

 「「加藤さん、難局に立たされて、どう考えても次の最善手がみつからないときは、そこで『負けました』というべきです」。そのとき私はあえて反論しなかったけれど、棋士が「負けました」というのは、王の頭に金が打たれたときと、全く勝ち目がないときだ。それ以外はどんな難局であろうと指し続ける」(新書版p.76)

 「洗礼を受けた下井草教会でミサにあずかっているとき、私は神秘的な体験をした。そして、そのとき私は確信したのである。「今回は負けたけれども、いつの日にか、きっと名人になれる」。神秘的な体験がどのようなものであったか具体的に語ることはできない。しかし、明らかに神様が私にメッセージを送るために起こった出来事だと私は受け止めた。(中略)信仰と勝負は私のなかではシンクロしている」(新書版p.141)

 ちなみに、実力制初代名人である木村義雄さんも洗礼を受けたクリスチャンだそうで、勝負の世界に生きる者は信仰を必要としているのかも知れません。

 というわけで、将棋界に興味がある方はもちろんのこと、将棋のことはあまりよく知らないが、勝負師の世界をちょっと覗き見てみたい、という好奇心で読んでも大いに楽しめる一冊です。


『宇宙就職案内』(林公代) [読書(教養)]

 日本における宇宙産業の市場市場は、7兆8537億円(2009年度)。世界全体の市場成長率は平均11.2パーセント。「目指す」から「暮らす」、そして「使う」へと劇的な転換期を迎えている宇宙開発の現状、そして天文学者、宇宙飛行士、管制官、支援チーム、ロケットや衛星の開発者、運用者、サービス提供者、宇宙旅行業者など、「宇宙関連の仕事」を紹介してくれる一冊。新書版(筑摩書房)出版は、2012年05月です。

 「宇宙開発には大きな二つの方向性がある。「ピークを高く」、「裾野を広く」だ。未知なる世界への探求と、既に切り拓いた場所の一般利用を可能にしていくという二つの方向性だ」(新書版p.5)

 「アポロ計画の後、人類は宇宙でいったい何をしていたのだろうか。注目してほしいのは宇宙飛行をした人類の「延べ日数」だ。約3万8000日。(中略)525人が1361回宇宙飛行をした日数なので1回あたり約28日という計算になる。(中略)つまり1970年代以降、人類は「遠くの宇宙」を目指すかわりに「宇宙に暮らす」ことを選択したのだ」(新書版p.49)

 月面基地も、有人火星探査も、恒星間宇宙船も存在しない21世紀。そのことを考える度に寂しい思いをしていた。ところが、実は人類は、有人宇宙探査ではなく、宇宙に暮らし、宇宙で働き、宇宙を使ってサービスする、いわば宇宙を生活圏、商業圏に変えるという道を選んだのだ、というのです。なるほど。そう考えると、名より実を選んだ人類、さすが、という気分に。

 上のような前提のもとに、宇宙に関係する仕事を紹介してくれるのが本書。「宇宙を仕事にするとはどういうことなのか、どんなミッションの下で、どんな分担をしているのか。何が大変で、どこにやりがいを感じているのか」(新書版p.3)を分かりやすく示してくれます。

 紹介されている職業は、天文学者(観測屋、理論屋)、宇宙飛行士、管制官、支援チーム、ロケットや衛星の開発者、運用者、サービス提供者、宇宙旅行業者など。

 「1日=30時間制」で生活する観測屋。スーパーコンピュータを手作業で制作費20万円で組み立ててしまった理論屋グループ。実験モジュール打ち上げ前に1000種類を超える手順書を完備する管制官たち。時間管理担当者、健康管理担当者、訓練担当者、家族支援担当者など様々な職務から構成される宇宙飛行士サポートチーム。ロケット、衛星、そして探査機の開発者。それらの運用チーム。観測データ処理者、それによる様々なサービスを提供する企業。

 数々の興味深いエピソードに触れながら、それぞれの仕事の内容について教えてくれます。宇宙に関わる仕事、というのがこれほど幅広く存在するとは正直思っていませんでした。

 「宇宙開発は今、転換期を迎えている。「大型化から小型化へ」、「官から民へ」、「一品ものから規格品へ」。劇的な変化はますます広がっていくだろう。その変化のうねりを読み、地上にあって宇宙にないもの、王道と思われているやり方の盲点を見つけ脇道を探す。道筋は無限にあり、そこに気づいて実現した人が第一人者になれる世界だとも言える」(新書版p.183)

 市場規模、7兆8537億円(2009年度)。世界成長率、11.2パーセント。宇宙産業は大いなる活況を呈しています。そして、「大型化から小型化へ」、「官から民へ」、「一品ものから規格品へ」という流れは、まさにかつてのコンピュータ市場の黎明期を連想させます。

 特注の大型電算機から、オフコン、パソコン、ネットワーク、モバイルへ。あの革命が、今度は宇宙産業を舞台に再来するのでしょうか。斬新なアイデアと行動力があれば、生意気な若者があっという間に巨大市場を創り上げてしまう、そんな興奮に満ちた時代が。

 というわけで、価格競争ばかりが厳しい斜陽産業ではなく、これから伸びる分野に進むことを考えている若者に、一読をお勧めします。宇宙世紀を切り拓き、ついでに大金持ちになるのは君たちだ。