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『将棋名人血風録  奇人・変人・超人』(加藤一二三) [読書(随筆)]

 名人、それは将棋界における最高の位。世襲や家元制を排し、実力名人制に移行してから80年近くの歳月が流れ、これまでに実力制名人位に就いた者は12名を数える。なかでも、他の名人全員と対局したことがある棋士は、ただ一人。その加藤一二三さんが、様々なエピソードをまじえつつ、名人たちの人柄や所業を激しく暴露、じゃなかった、活き活きと描き出す一冊。新書版(角川書店)出版は、2012年05月です。

 「「控室で見ていた私は、森内さんの勝利を確信していった。「羽生さんは顔を洗って出直したほうがいい」。この発言がNHKの特集番組で放送され、あとで羽生さんから「私がいないところで私の将棋が何といわれているのかよくわかりました」と笑いながらいわれた」(新書版p.26)

 「谷川さんと私はエキサイティングな間柄だと巷間、思われているようだ。谷川さんがどう思っているかは知らないけれど、私が谷川さんを強く意識しているのはまぎれもない事実であると認める。(中略)十段戦リーグにおける私との席次問題のときは、私は決して盤外戦を仕掛けたわけではないけれど、さすがの谷川さんも、納得できない思いで「カーッとした」と著書に書いている」(新書版p.49, 53)

 様々なエピソードから見えてくる名人たちの素顔。実際に全員と戦った(必ずしも盤上だけでなく)ことのある加藤一二三さんだから書ける本だといってよいでしょう。さすが一癖も二癖もある棋士たちのなかで最高位にのぼりつめた人々だけあって、名人たちの逸話には面白い話がごろごろしています。

 例えば、塚田正夫さんは形勢不明のむずかしい局面にぶつかると、わざと食事直前に着手すると。そうすると相手は(持ち時間を消費することなく)食事休憩中に考えられるわけだから、どう考えても損。しかし、塚田さんによると「相手に食事中に考えさせれば、胃が悪くなる」。何とか対局相手が体調を崩してくれないかという、何という人の悪さ。これが勝負への執念というものでしょうか。

 また、木村義雄さんと升田幸三さんの喧嘩(豆腐は木綿がいいか絹ごしがいいか論争、名人がゴミみたいなもんなら挑戦者のお前はゴミにたかるハエだ論争)、著者自身による喧嘩(対局場のエアコン設定温度をめぐって意地の張り合い、将棋盤の位置にこだわってくじ引きで勝負)など、子供っぽいとしか思えない喧嘩についても詳しく書かれています。

 「ストーブにしろ、エアコンの温度にしろ、盤の位置にしろ、どっちでもいいじゃないかと思われるかもしれない。でも、勝負師としてそこで譲ってはいけないのだ。(中略)勝負師たるもの、それが盤外戦ととられようと、主張すべきところは絶対に主張すべきなのである」(新書版p.116)

 まあ、結局はヤクザとガキの論理に帰着するようですが。他にも、大山・升田の対決、中原誠さんとの激戦など、将棋ファンが心ときめかせる逸話がいっぱい。

 著者自身の将棋観や、信仰(キリスト教)と対局との関わりなども、率直に書かれていて興味深く読めました。

 「「加藤さん、難局に立たされて、どう考えても次の最善手がみつからないときは、そこで『負けました』というべきです」。そのとき私はあえて反論しなかったけれど、棋士が「負けました」というのは、王の頭に金が打たれたときと、全く勝ち目がないときだ。それ以外はどんな難局であろうと指し続ける」(新書版p.76)

 「洗礼を受けた下井草教会でミサにあずかっているとき、私は神秘的な体験をした。そして、そのとき私は確信したのである。「今回は負けたけれども、いつの日にか、きっと名人になれる」。神秘的な体験がどのようなものであったか具体的に語ることはできない。しかし、明らかに神様が私にメッセージを送るために起こった出来事だと私は受け止めた。(中略)信仰と勝負は私のなかではシンクロしている」(新書版p.141)

 ちなみに、実力制初代名人である木村義雄さんも洗礼を受けたクリスチャンだそうで、勝負の世界に生きる者は信仰を必要としているのかも知れません。

 というわけで、将棋界に興味がある方はもちろんのこと、将棋のことはあまりよく知らないが、勝負師の世界をちょっと覗き見てみたい、という好奇心で読んでも大いに楽しめる一冊です。


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