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『かぜの科学  もっとも身近な病の生態』(ジェニファー・アッカーマン) [読書(サイエンス)]

 最もありふれた病気である風邪。いまだ特効薬がなく、分からないことが多いこの疾病の最新知見について、感染経路、病原体、症状、罹患しやすさ、治療、予防など幅広くまとめた一冊。単行本(早川書房)出版は、2011年02月です。

 免疫力が下がると風邪をひく、疲労がたまると風邪をひきやすい、寒いと風邪をひきやすい、ビタミンCが風邪の予防になる、風邪は咳で伝染する、風邪はマスクで予防できる、風邪には抗生剤が効く。

 これらの俗信は全て間違いですが、では風邪について最新の医学が何を明らかにしてきたのかというと、これまた期待外れもいいところ。感染経路、病原体、治療法といった基本的なことも実はよく分かっていないのが実態だそうです。

 本書は、この最も身近にして最も謎めいた疾病である風邪について、これまでの研究で明らかになっていることをまとめたサイエンス本です。

 「風邪に関するもっとも誤った俗信は、『免疫力が下がると風邪にかかる』というものだ。風邪を撃退したいなら、免疫力を「強化」するのは最悪なのだ」(単行本p.16)

 読み進むにつれて、風邪について「知っている」と思っていた自分の知識が、どれほどいい加減で、根拠のない俗信に過ぎなかったかを思い知らされることになります。

 全体は9つの章および付録から構成されています。

 まず最初の「第1章 風邪をもとめて」では、著者が風邪実験のボランティアに参加したときの体験談が臨場感たっぷりに語られます。ホテルの一室に閉じ込められ、風邪ウイルスを含む液体を鼻孔に噴射され、静かに発症を待つ。かなりぞっとするトピックと並行して、風邪に関する基礎知識が提示されてゆきます。

 「第2章 風邪はどれほどうつりやすいか」は、感染経路の問題を扱います。個人的には、この章が最も興味深く読めました。

 「風邪をひいた人の湿った口唇から採取された検体の場合、30個のうちウイルスが検出されたのはわずかに4個であり、しかも微量だった。さらに風邪をひいたボランティアに健康なボランティアと1分半にわたってキスしてもらったところ、16例のうち交差感染が認められたのはたった1例に過ぎなかった」(単行本p.40)

 「重い風邪にかかったボランティアのいる部屋で空気の検体を採取して調べたところ、82パーセントもの空気を調べたにもかかわらずウイルスはまったく検出されなかった。さらにボランティアがウイルス検出用の物体表面に向かって直接咳やくしゃみをしても、ウイルスが検出されたのは25回のうち2回のみだった」(単行本p.51-52)

 そう、風邪はほとんど空気感染、飛沫感染しないわけです。電車やエレベータの中で誰かが咳をしても、少なくとも風邪の感染を防ぐ目的で息を止めて我慢する必要はありません。

 風邪の主要な感染経路は、患者の鼻汁から患者の手へ、そしてスイッチやボタンといった物体の表面を経由して貴方の手へ、最後に鼻か眼から体内へ侵入する、というものなのだそうです。

 「ライノウイルスは皮膚の上で少なくとも2時間生きたままでいられ、他の人を感染させられる。(中略)風邪にかかった人が誰かと握手し、相手が鼻か眼に手をやれば、ウイルスは待ってましたとばかりにその人の体内へ侵入する」(単行本p.45-46)

 握手しなければ大丈夫なのでしょうか。残念ながらそうではありません。

 「平均的な仕事場の机には1インチ四方当たり2万を数える「仲間」がいる。これは便座についた細菌の約400倍に当たる。(中略)女性のオフィスはたいてい男性のオフィスより清潔そうに見えるが、男性のオフィスのほぼ3倍もの細菌がいる。(中略)けれども男性の財布には女性のそれの4倍もの細菌がいる」(単行本p.61)

 「照明をつけたり、電話に応答したりという日常の動作をしてもらい、物体に塗布したウイルスが彼らの指に移るかどうか調べた。1時間後では、ウイルスは90パーセントの確率で指先に移っていた。この確率は24時間後にようやく70パーセントに下がり、48時間後で53パーセントだった」(単行本p.65)

 つまり手に病原体が付着することは避けられないのです。だから風邪の感染を防止したければ、とにかく手を自分の顔(特に鼻と眼)に手を近づけないことです。もっとも「これは「言うは易し行うは難し」である。(中略)私たちの大半は5分に1~3回顔を触る(1日に換算すると200~600回)。これは止めるのが難しい癖だ」(単行本p.217)とのことなので、まめに手を洗って消毒するという習慣も大切でしょう。

 「第3章 黴菌」では、風邪ウイルスの正体に迫ります。風邪の原因となるウイルスの半数がいまだもって同定されておらず、しかも研究が進んでいるライノウイルス属だけで少なくとも100種の風邪ウイルス株があるらしい。どうやら「風邪の特効薬」の開発は、「あらゆる人に通じる言語」の発見と同じくらい無理なようです。

 「第4章 大荒れ」では、風邪の症状が現れるメカニズムが解説されます。

 「風邪の諸症状はウイルスの破壊的影響ではなく、こうした侵入者に対する身体反応の結果なのである。換言すれば、風邪は私たち自身がつくり出していることになる」(単行本p.98)

 免疫系が弱い人のなかには、「全く症状が出ないので風邪ウイルスに感染したことに気づかない人」がいる、という皮肉。

 「第5章 土壌」では、風邪のひきやすさ、という問題が扱われます。風邪をひきやすい体質というのが客観的に存在するのか、それは遺伝するのか、という話題も魅力的ですが、実用面からいえば「風邪をひきにくくする行動」という話題の方が興味深いでしょう。例えば、睡眠不足、喫煙、運動不足は危険だということが分かります。逆に、寒さや疲労は関係ないことも。

 「第6章 殺人風邪」では喘息という危険な症状にスポットライトを当て、「第7章 風邪を殺すには」では治療、そして「第8章 ひかぬが勝ち」では予防、というトピックが扱われます。

 抗生物質は風邪には効かないにも関わらず、「適正さを欠いたすさまじい勢いで、抗生物質は風邪患者に処方されている」(単行本p.176)という事実。ビタミンC、ハーブ薬、亜鉛トローチ、さらにはホメオパシーを含む様々な代替医療など、効かないことが分かっている「風邪薬」がなぜこれほど広まっているのか、という話題も。

 「第9章 風邪を擁護する」では風邪との共存について語り、「付録 風邪の慰みに」では風邪に関する豆知識的な雑学がまとめられています。

 というわけで、風邪について何が分かっており、何が分かってないのか、そこらをきちんと知りたい方に一読をお勧めします。


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『ロスト・シング』(ショーン・タン、岸本佐知子:訳) [読書(小説・詩)]

 摩訶不思議な世界。なぜか懐かしい感触。そして忙しさに紛れて見えなくなってしまった小さなものへの共感。『アライバル』、『遠い町から来た話』の著者による美しい絵本です。翻訳は岸本佐知子さん。単行本(河出書房新社)出版は、2012年06月です。

 ある日、ぼくは海岸で不思議なものと出会った。他の人は、やるべきいろんなことをやるのに忙しくて、誰もそいつに気づいてないみたいだった・・・。

 ショーン・タンの初期作品です。忙しさに紛れて見えなくなってしまった、非効率的で、無意味で、金儲けにならず、役にも立たない、でもなくせば次第に人間が人間らしくなくなってしまう、そんな小さなもののことを思い出させてくれる、忙しい大人のための絵本。

 かなりの大型本で、絵本というより画集だと思った方がいいかも。とにかく不思議で懐かしい絵柄が素晴らしく、いつまで眺めていても飽きません。

 絵の一部を構成している文字もごく自然に日本語に翻訳されており、その丁寧な仕事には感心させられます。たとえば、帯を外して、裏表紙をじっくり眺めてみれば、その細かい工夫に感銘を受けることになるでしょう。こういうワザがあちこちに仕掛けられており、何度も読み返して楽しむことが出来ます。

 今年はショーン・タン作品がさらに翻訳出版されるという噂もあり、本当に楽しみです。


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『SFマガジン2012年8月号  日本作家特集』(宮内悠介、仁木稔) [読書(SF)]

 SFマガジン2012年8月号は、2月号に引き続き日本作家特集ということで、新鋭作家の読切短篇を2篇掲載してくれました。

 『ロワーサイドの幽霊たち』(宮内悠介)は、SFマガジン2012年02月号に掲載された『ヨハネスブルグの天使たち』に続く、落ちものSF。アフリカを舞台に世界経済の底辺を書いたかと思えば、マンハッタンを舞台に今度は頂点を扱うという豪腕。

 テロ実行犯と被害者、二人の移民の視点から、911リバイバルという常軌を逸したプロジェクトの進行がじっくりと書かれます。どうやって、そしてなぜ、そんなことをするのか。その理由が明らかになるラストシーンは感動的。破天荒なアイデアをもとに、米国とは、ニューヨークとは何なのか、という問いに向き合う傑作です。さて、次はどこで落下するのか、今から楽しみ。

 『はじまりと終わりの世界樹』(仁木稔)は、SFマガジン2012年06月号に掲載された『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』と同じ背景世界に属する作品。登場人物も一部共通しているようです。前作でも中心的テーマとなっていた、遺伝子工学により作り出され、下層労働者(そして被差別人種)となっている亜人たちのルーツ、そしてこの世界の「原罪」が明らかになります。

 何らかの遺伝子操作により生まれた一人の少女。彼女の極めて特異な精神構造と生理機能により、周囲の人々は心理的、病理学的に破滅へと導かれてゆく。無知と反知性主義、宗教的原理主義、陰謀論、人種差別、暴力、虐待、米国の深い闇が彼女を侵食するとともに彼女によって増幅されてゆく様が、弟の視点から語られます。

 ジョン・ブラックバーンの諸作品を連想させる、事実と陰謀論が簡単に裏返ってしまう悪夢のような展開の果てに、いったい何が産み出されるのか。最後まで衝撃が続く作品です。

 前作同様、陰謀論と虐待シーンはたっぷり盛り込まれています。特盛りつゆだく。荒唐無稽な陰謀論の迷路に迷い込んでゆく感触に、現実に米国が行ってきた非人道的な戦争犯罪の数々が混入され、その嫌ーな感じは実に大したもの。個人的には好きな作風ではありませんが、その迫力には参りました。

 というわけで、今このとき、二人の新鋭が揃って「米国」をテーマに書いたというのは、まことに興味深いものがあります。一極支配の超大国が凋落してゆくとき、かつてなく狭くなっているこの世界はいったいどうなるのか。誰もが抱いているこの疑問に、想像力を武器にして切り込んでゆく。それは、現代SFが書くべき重要なテーマの一つなのかも知れません。

[掲載作品]

『ロワーサイドの幽霊たち』(宮内悠介)
『はじまりと終わりの世界樹』(仁木稔)


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『Kingdom Denied ~失われた王国~』(アカデミー・オブ・ハワイアンアーツ ジャパン・ツアー2012、振付・演出:マーク・ケアリイ・ホオマル) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年06月24日(日)、ゆうぽうとホールにて、マーク・ケアリイ・ホオマル率いるアカデミー・オブ・ハワイアンアーツの新作公演を鑑賞してきました。

 『失われた王国』と題された本作品は、19世紀末のハワイ王国滅亡(米国によるハワイ併合)をテーマとした歴史ミュージカル。新聞売り子の掛け声や歴史的な演説を除いてセリフは一切なく、文字情報も舞台背景に投影される当時の新聞記事だけ。ほとんどすべてがフラで表現されます。

 私はこれまでフラの舞台を観たことがなく、フラというと「波のうねりのように、ゆるやかで、穏やかで、心地よい民族舞踊」というイメージだったのですが、そういう思い込みを粉々に打ち砕いてくれる衝撃的な舞台です。

 悲嘆、歓喜、興奮、楽しさ、様々な感情がフラの群舞で表されますが、何といっても印象に残るのは怒りと暴力の表現。暴動鎮圧、ハワイ事変、民衆大虐殺のシーンになると、ダンサーたちは激しく棒を打ち鳴らし、音高く舞台を踏みしめ、身体を旋回させ、宙を切る鋭い手の動きで憤激を表現。いっぽう兵士たちは、機械のように正確な発砲のフラを踊り続け、照明が舞台を真っ赤に染めてゆく。

 まさに圧倒的な迫力。フラがこれほどまでに雄弁で力強いダンスだったとは。

 二時間ほどの公演ですが、退屈な場面はなく、いずれのシーンでも過剰なまでに豊かな感情が伝わってくる活き活きとした舞台です。ダンサーが観客席の間を走り回り、ハイタッチや抱擁で観客との一体感を作り上げてゆくのも見事。最後は拍手と歓声が飛び交い、会場全体がお祭り騒ぎのようになりました。

 とにかくフラのイメージが大きく変わった体験でした。ダンスに先入観は禁物だとつくづく思い知らされました。今後はフラ公演をなるべく多く観ることにします。


タグ:フラ
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『Stand Alone Zone スタンド・アローン・ゾーン』(マルシア・バルセロス振付、システム カスタフィオール) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年06月23日(土)、彩の国さいたま芸術劇場にて、フランスを拠点に活動している「システム カスタフィオール」の初来日公演を鑑賞してきました。巨大な背景スクリーンに投影されたリアルなCGI映像と、舞台上のライブアクションがコラボレーションすることで、摩訶不思議な世界を現出させるという趣向です。

 人類の多くが空中都市に住んでいる遠未来。病気の子どもの治療薬を求めて両親が地表に降り、軍が封鎖している「ゾーン」と呼ばれる危険区域に侵入する。そして奇怪な部屋を次々と通り抜け、ついに中核部に到達。というような神話的な物語が展開します。といっても話はほとんど付け足しのようなもので、狙いは映像とダンスで舞台上に異世界を構築することでしょう。

 空中都市の風景や、地表の建物、グロテスクな生物などを緻密に描いた実写風CGI動画が舞台背景となる巨大スクリーンに投影され、出演者はその一部となって踊ります。

 出演者はわずか四名ですが、場面が転換する毎に別々の登場人物に扮して現れるのと、背景映像に映っているキャラクターがリアルなので、もっと大勢の出演者がいたような錯覚を覚えます。

 ときどき出演者の背後にいる人物が映像なのか実物なのか分からなくなる瞬間があったり、映像の中にいたはずの人物や動物が舞台上に実物として現れたり、その茶目っ気たっぷりの演出が微笑ましい。

 映像空間と実空間を行き来する動物の着ぐるみの出来は素晴らしく、特に鳥頭医者のいかにも鳥類らしい首の動き、着ぐるみのくせに瞬きする大きな目など、実に印象的でした。

 数名の出演者がわけの分からない言葉に合わせて滑稽な動きを延々と続ける冒頭(個人的にお気に入り)。降下するエレベータを上から撮った映像を背景に、舞台上に垂直に立てた「エレベータの床」に出演者たちが水平になって「立って」いるシーン。兵士たちの知能指数ものすごく低そうな軍事教練。そして横に流れる映像の前で宙吊りになって「走って」みせる出演者など、笑って下さいというベタな演出が多いのですが、日本の観客はみんな静まり返っていて、ちょっとお気の毒。

 ダンスや振付それ自体はとがったものではなく、むしろ道化師同士のかけあいマイムのようです。ダンス公演というより、サーカスの出し物を洗練させたような舞台でした。


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