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『名詩の絵本』(川口晴美:編) [読書(小説・詩)]

 教科書で、絵本で、唱歌で。誰もがいつか読んだ覚えのある有名な詩を100篇集めた名詩アンソロジー。全てのページに詩の内容や雰囲気をイメージさせるイラストや写真が掲載された、文庫サイズの詩集です。文庫版(ナツメ社)出版は2009年7月。

 昨日読んだ『通勤電車でよむ詩集』(小池昌代:編著)に収録された作品は、どれもこれも初めて読むものばかりで、それはそれで嬉しかったのですが、やはり子供の頃から親しんでいる定番というべき名詩を読み直してみたいと思い、本書を手にとりました。

  「夢みたものは ひとつの幸福/ねがつたものは ひとつの愛」

  「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」

  「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」

  「青い眼をした/お人形は/アメリカ生まれの/セルロイド」

  「ハナニアラシノタトヘモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダ」

  「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがつて、みんないい。」

  「唄を忘れた金糸雀(かなりや)は」

  「私の耳は貝のから/海の響をなつかしむ」

  「誰が風を見たでせう?」

  「いちめんのなのはな」

  「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。」

  「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。」

  「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」

  「この地球では/いつもどこかで朝がはじまっている」

  「蝸牛枝に這ひ、/神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。」

  「山のあなたの空遠く/「幸」住むと人のいふ。」

 誰もが、あっ、知ってる知ってる、と思う名フレーズの数々。でも、作者名と作品名を正しく答えられるでしょうか。私はぜんぜん駄目でした。というより、はじめて全文を読んで、こんな作品だったのか、と驚いてばかり。あまりの己の無教養ぶりに、かなしくなってきます。上のフレーズを眺めていても、そこから連想するのはもっぱら『さよなら絶望先生』(久米田康治)だし。

 というわけで、こういった定番中の定番というべき名詩の数々を100篇詰め込んだ一冊です。ハードカバーでありながら文庫サイズで、どこにでも持ち歩けるコンパクトさ。教養として学んでおきたい方、懐かしい詩の数々を読み直してみたい方、どうぞ。全てのページに美しいカラーイラストや写真が掲載され、ぱらぱらめくるだけで幸せな気持ちになります。贈り物にも最適だと思います。


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『通勤電車でよむ詩集』(小池昌代:編著) [読書(小説・詩)]

 古今東西の名詩から、通勤電車のなかで読める作品を厳選したアンソロジー。新書版(NHK出版)出版は2009年9月です。

 ポケットにこそっと入れておけるコンパクトな新書版に40篇をこえる名詩が収録されており、しかもほとんどが短い作品(2~3ページ)なので、次の駅で降りるまでにもう一作、という感じで読むことが出来る、そんな詩集です。

 でも中身は本格派。谷川俊太郎、北原白秋、中原中也、宮澤賢治、萩原朔太郎、ディキンソン、パウル・ツェランなど、有名詩人たちの名作のうち、それほど難解ではない作品、一読して何が書かれているか理解でき、どこが感動ポイントか分かりやすい作品、が選ばれているようです。むろん例外はあります。

 お恥ずかしながら、半世紀近く生きてきてほとんど詩というものを読んだことがない私なので、収録作のほぼ全てがはじめて出会う作品ばかり。詩の入門書として読ませて頂きました。

 正直にいうと、半分くらいは「どこがいいのか分からない」という感想で、じんときた作品が5、6作くらい。そして、「これは私のための詩だ」と感じたのは1作だけでした。その一作は、四元康祐さんの『言語ジャック 1新幹線・車内案内』です。

    今日も新幹線をご利用くださいまして、
    どうも感情面をご理解いただけなくて、

    有り難うございます。
    情けのうございます。

 で始まる作品で、定型的な新幹線の車内案内に自暴自棄っぽい毒舌を寄り添わせ、ときどき韻を踏んだり踏まなかったり、最後は合わせる努力を放棄して自爆。というか詩で爆発オチですか。実に素晴らしい言葉のファイプレーというか珍プレーなんですが、数々の名作を差し置いて何でこれに一番感動したのかは自分でもよく分かりません。

 選者の小池昌代さんが書いた短い解説が作品毎についており、どういう風に鑑賞すればいいのかを教えてくれるのも助かります。ときどきナイスなツッコミがあるのも素敵。

 例えば、女が男をなじる詩『昨日いらつしつて下さい』(室生犀星)について「書きながらこの詩人は、言われた身になって、歓びを覚えていたんじゃないか」(新書版p.130)と指摘したり、家族愛の醜悪さを書いた詩『家』(石垣りん)について「こんな詩人と暮らしていた、義母とか弟、義弟、そして父親。彼らはどんな思いでいたのだろう」(新書版p.144)と考えたり。解説を読むだけでも面白い。

 巻末には、全作品の作者紹介と出典となる詩集が示されており、本書を読んで気に入った作品があれば、それが収録されている詩集を入手できるようになっています。本書をきっかけに、これから詩集にも手を出してゆこうと思います。


タグ:四元康祐
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『我的日本語 The World in Japanese』(リービ英雄) [読書(随筆)]

 英語を母語としながらあえて日本語で書き続けている作家、ユダヤ系アメリカ人のリービ英雄さんが、自分と日本語との関わり、そして日本語について、驚くほど深い洞察を示してくれる鮮烈な日本語論。単行本(筑摩書房)出版は2010年10月です。

 日本語について論じた本などいくらでもあります。しかし、本書ほど、広く、深く、鋭く、知的で、そして切実な日本語論を読んだのは初めて。1ページ1ページ、1行1行が、日本語を母語とし日本語で思考する者の胸を打ち、心を震わせ、思考を刺激するのです。

 「日本語を書く緊張感とは、文字の流入過程、つまり日本語の文字の歴史に否応なしに参加せざるを得なくなる、ということなのだ。誰でも、日本語を一行書いた瞬間に、そこに投げ込まれる。それは、中国人もアメリカ人もフランス人も、意識せずに済む緊張感だ」(単行本p.20)

 日本語の歴史を、その文字の来歴を、背負って書く。なぜそうまでして日本語で書かなければならないのでしょうか。この国では、それは決して歓迎されないことだというのに。

 「自分の体験を日本語で表現するとなると、今では考えられないぐらい、周囲からの拒絶反応があった。ましてや「小説を書く」ということは、ありえないと思われたのだ」(単行本p.30)

 ガイジンが日本語で文学を書くのは、合理的に考えれば歓迎すべきことなのに、実際ほかの国であれば喜ばれる行為なのに、なぜか強い反発を覚える日本人。それはなぜでしょうか。

 「英語は中心であり普遍である。日本語は周辺であり特殊である。そうした根強い構図が、今もある。その構図が大前提になっている」(単行本p.30)

 「二十世紀のさまざまなナショナリズムの中で、日本語だけが目立って、言葉そのものを民族アイデンティティにしようとした」(単行本p.116)

 「日本語の言霊は、よそ者は同化できない日本民族独自のものであるという信仰」(単行本p.117)

 つまり「日本語は(本物の日本語、言霊がこめられた日本語は)日本民族にしか書けない」という信仰が民族アイデンティティになっている。だからガイジンが日本文学に参入することに反発するというわけです。

 さらに著者の前に立ちはだかる「日本語では日本のことしか書けない(書くべきでない)」という信仰。

 「長い間、多くの日本人がほとんど無意識のうちに、日本語は日本しか書けない、世界のことを書くなら英語だという区別を持っていた」(単行本p.175)

 この二つの信仰に挑戦するかのように、著者はあえて日本語で世界を書いてきました。

 「島国ではない大陸、しかもヨーロッパではなく、アメリカか中国を書けるかどうかで、むしろ日本語の力が試されると、ぼくは自分の体験を振り返りつつ、思うことがある」(単行本p.137)

 なぜ日本語で書くのか、なにを日本語で書くのか。万葉集の英訳、越境文学、中国大陸、911テロ。著者自身の様々な作品を題材に、日本語を深く深く掘り下げてゆきます。自伝であるとともに、日本語の歴史を再考する一冊でもあります。

 例えば、万葉集の英訳を通じて、もともと万葉集にある「バイリンガル・エクサイトメント」とでもいうべきものを見つけたこと。奈良時代に、大陸の感性を、漢文ではなくあえて和文で書いたことの意義を、こう説明します。

 「元の言語と翻訳する言語とのズレ、その境界に立って興奮し、言葉が非常に際立っている。ある通常ではないエネルギーがそこから発散されているのが分かる。憶良の高揚感が、千三百年経っても伝わってくる。(中略)多和田葉子が初めてではなく、奈良時代にすでに憶良がやっていた。バイリンガル的な面白みが、日本文学の出発点に、すでにあった」(単行本p.66)

 あるいは、自著『千々にくだけて』をとりあげて、なぜ911テロを芭蕉の句により表現する必然性があったのかを、こう解説します。

 「短歌や俳句は遊び道具ではない。短歌、俳句の中に、二十一世紀の暴力に対峙できるような表現のエネルギーが、潜在的にある。芭蕉ほどの表現者によって書かれた言葉が、三百年経って、芭蕉と同時代の読者たちが考えもしなかったような事件に対峙することができた」(単行本p.173)

 「『千々にくだけて』においても、本格的に日本語と日本以外の世界史的な事件がぶつかり、ぶつかることによって、新たな日本語が生まれた。日本語によってこのようなこともできるという信念を持って、ぼくは、この作品を書いた」(単行本p.176)

 あるいはまた、中国のことを英語で書けば優れたジャーナリズムになるが、それではこぼれ落ちてしまう大切なもの、「これはノンフィクションにはなりえない。どうしても、文学、しかも日本文学でしか書けない」(単行本p.134)ものがある。だから中国大陸のことをあえて日本語で書く。

 読み進むにつれて、日本語がまるで未知の言語であるのに気付いたような新鮮な驚きを何度も味わうことになります。日本語についての私たちの思い込みを洗い流してくれる優れた日本語論。いま「英語でも中国語でもなく、日本語で書く」ということに世界中に通じる普遍的な意義があるのか、それを考える上で必読の一冊です。


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『ダンゴムシに心はあるのか』(森山徹) [読書(サイエンス)]

 実験室でダンゴムシが示した予想外の行動、そして個性。彼らには「心」があるのだろうか。そもそも「心」があるというのはどういうことだろうか。身近な生物を題材にした興味深い実験を通じて、「心」について考える一冊です。新書版(PHP研究所)出版は2011年4月。

 粘菌に知能があるなら、ダンゴムシに心があってもいいじゃないか!

 とはいえ、「心がある」というのは、「知能がある」というよりも、はるかに定義し難く、また客観的に検証するのが難しそうな仮説です。そもそも何をもって「心がある」と定義すればよいのでしょうか。

 著者は大胆にも「心」を外から観測可能な反応として定義し、その検証方法を明らかにした上で、実際にダンゴムシを使った実験の結果を示すことで、彼らに「心」があることを示してみせます。

 著者が定義した意味でダンゴムシに「心」があるという結論には納得できますが、それが一般的、日常的な意味でいう「心」と同じものであるか否かについては、判断が分かれるところでしょう。

 しかし、その疑問はさておき、本書の第二章で示されるダンゴムシ実験とその結果はものすごく面白く、読んでいて興奮させられます。

 例えば、無限迷路の実験。どこまで行ってもひたすらT字路が続く迷路(実はターンテーブルを使って二つのT字路の間をいったりきたりしている)に置かれたダンゴムシはどのように反応するでしょうか。

 意外なことに、ひたすら同じ基本ルール(障害物を避けるために備わった本能的な反応)で曲がり続ける「紋切」タイプ、ルール違反を繰り返すようになる「誤動作」タイプ、そして基本ルールに従っていたかと思うとときどきルール破りを自発的に行う「変則」タイプに分かれたのです。つまりダンゴムシにも個性があるということです。

 続いて今度は「T字路を2回曲がると、次は必ず行き止まりに遭遇する」という無限迷路で実験を繰り返します。驚いたことに、「紋切」タイプや「誤動作」タイプはいつまでも行き止まりにぶつかって退却をひたすら繰り返すのに、「変則」タイプの個体は、「すべてが、なんと、行き止まりを数十回経験すると、突如「接続通路の壁を登り」、装置の外へ出てしまったのです」(新書p.92)。これは驚き。

 ルールに従っても、ルール違反をしても、結果は同じ「行き止まり」という絶望的な状況に陥ったとき、愚直に失敗を繰り返す個体もいれば、いきなり「壁を登って脱出する」という飛躍をとげる個体もいる。なんだか新入社員への説教に使えそうな話じゃありませんか。

 個人的には、『キャプテンウルトラ』の最終回を思い出しますけど。

 さらに水を入れた堀で囲んだ円形アリーナにダンゴムシを閉じ込める実験では、いきなり泳ぎ始める個体、障害物によじ登ってみる個体、さらにはどこかに出られないか試すかのように障害物をつたって移動しはじめた個体など、大脳もない小さなダンゴムシが示した「予想外の」反応の数々。

 しかも興味深いことに、そのような予想外行動の発現率は一定の値に収束することなく、不規則に増減して、それはあたかも「心がうつろう」かのようであると。つまり予想外行動は、ダンゴムシたちが「迷い」ながらも「自律的」に決断したものだという推測が成り立ちそうです。

 こういった実験結果を国際会議で発表したところ、ゲント大学の哲学者から「ダンゴムシの予想外の行動の発現に自律性を認めることは、この動物に意思や心を認めることなのではないか」という質問が出たそうで、確かに一見するとささやかな試みながら、よく考えると哲学的な疑問がわいてくる、そんな良い実験です。

 他にも、二匹のダンゴムシを糸で結んで綱引き状態にしたら一匹がもう一匹の背中に乗って「二人三脚」で移動しはじめた、ダンゴムシの触覚にチューブをつけて延長したらそれを杖のように使って普段は降りられない段差を降りた、など興味深い実験結果がいっぱい。

 ダンゴムシのようなありふれた生き物にもまだまだ未知の能力が隠されている、それは(大脳のような複雑な情報処理系もないのに)心を持っているかも知れない、ということをごく簡単な実験で明らかにする。知的好奇心を刺激する魅力的な一冊です。さらなる研究成果を待ちたいと思います。


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『ELITE SYNCOPATIONS/THE JUDAS TREE/CONCERTO』(ケネス・マクミラン振付、英国ロイヤルバレエ) [映像(バレエ)]

 英国ロイヤルバレエ団によるケネス・マクミラン作品の最新舞台映像です。収録は2010年3月。

 『ロメオとジュリエット』、『マノン』、『マイヤリング(うたかたの恋)』といった長篇作品があまりにも有名であるため、マクミランといえば全幕ものドラマチックバレエ、まあジョン・ノイマイヤーの先輩みたいな人、という印象が強いのですが、実は小品や抽象バレエ作品もたくさん作っているのだそうです。

 というわけで、ケネス・マクミランが振り付けた3つの短篇作品を上演した最新の舞台映像を観てみました。

 まず最初の"ELITE SYNCOPATIONS"は、色っぽい(という設定なのでしょうが、良くいって現代美術風、ありていにいえば発狂した)素敵なコスチュームに身を包んだダンサーたちがキャバレー風に踊る作品。昨年、来日公演された『マイヤリング(うたかたの恋)』でも酒場のダンスシーンが印象的でしたが、あんな感じ。

 四の五の言わずに楽しめる娯楽作品で、にぎやかで楽しいダンス、目を見張るようなアクロバティックなダンス、ギャグ満載の愉快なダンス、などが次から次へと披露されます。クラシックバレエの定型的な動きをパロディ化してからかったりするのも、いかにもマクミランらしくて可笑しい。

 次の"THE JUDAS TREE"(ジューダス・ツリー)はマクミランの遺作だそうで、衝撃的な作品です。自動車解体工場にいる男性労働者たちのところに一人の若い女がやってきたことから、男たちの性欲やら独占欲やら暴力衝動やらがエスカレート。たちまち巻き起こるいさかい、乱闘、殺人、レイプ、自殺。何でもありの舞台。タイトルが暗示する通り、イエスの処刑、ユダによる裏切りと自害、といった風景が重なってきます。激しい暴力表現が多いので、上品なバレエしか観たくない方は要注意。

 この作品、以前にイレク・ムハメドフが主演した舞台映像を観たことがあるのですが、そこでは狂気としか思えない強烈な暴力衝動が吹き荒れていて、ぞっとするような恐ろしい暗い舞台になっていたのですが、今回主役を踊っているのはカルロス・アコスタ。やっぱり健全で爽やかな(ああ、イキオイで色々とやらかしちゃったねえ、まあ若いしたまってたし仕方ないよね、みたいな)印象を受けます。

 最後の"CONCERTO"は、ショスタコーヴィチの楽曲を使った抽象バレエ。美しい作品です。

 個人的には、第一楽章の主演が崔由姫(Yuhui Choe、チェ・ユヒ/チェ・ユフィ)さんというだけで大満足。高度なテクニックに支えられた輪郭のくっきりした、しかし何とも優雅で気品にあふれる彼女のダンス。ちょっとした仕種とかもうこれがカワイイんですわ。

 しかもパートナーは、NHKでも放映され大いに話題となった昨年の吉田都さん引退公演『ロメオとジュリエット』で吉田都さんとパートナーを組んでいたスティーヴン・マックレー。スケールの大きな、気持ちの良いダンスを堂々と披露してくれます。丁寧なサポートぶりにも好感。何にせよ、崔由姫/スティーヴン・マックレーの共演を見逃してはいけません。第三楽章にも何度か登場してくれます。嬉しいったら。

 小林ひかるさんも出演していましたが、崔由姫さんの背後で踊る少人数群舞の一人。何だか差をつけられているような感じでちょっと悲しいかも。なお、群舞では蔵健太さんもきっちり踊っていました。

 というわけで、崔由姫さんの踊りを堪能するための、じゃなくて、キャバレーの出し物、フィルム・ノワール風、抽象バレエ、という全く異なった傾向の三作品を通してマクミラン作品の奥深さと幅広さを再確認できる映像です。

 マクミラン版『ロメオとジュリエット』が気に入って他のマクミラン作品にも興味がわいてきたという方にはもちろんのこと、むしろバレエといえば綺麗なチュチュを着たバレリーナが美しいお姫様や白鳥を踊るというイメージしかない方にぜひ観てほしい一枚です。


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