SSブログ

『毒身』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“星野智幸を読む!”、その第5回。今回は、中篇1作と短篇2作を含む連作集を読んでみました。単行本『毒身温泉』(講談社)出版は2002年7月、私が読んだ文庫版は『毒身』と改題され2007年7月に出版されています。

 恋愛や結婚や家庭といったものにとらわれず、ずっと独身のままの人生を選んだ人々。だが、自分のアイデンティティを自分で支えている独身は、ときどき自家中毒を起こす。それが毒身である。そんな毒身たちの共同体「毒身帰属の会」の存在を知った語り手は、入会を試みるのだったが・・・。

 駄洒落かよ、冗談かよ、と一瞬そう思いますが、別にふざけているわけではなく、シリアスな作品です。(作者はどうもこういう言葉遊びが好みらしい)

 普通の、つまり社会的に「標準」と見なされている恋愛や結婚や家庭といったものに馴染めず、かといって一人だけで完全に自足することも出来ず、老後のことを考えると不安で仕方ない。そんな悩める毒身者たちが、自分たちの居場所となる共同体を作り上げようとする物語。

 中心となるのは中篇『毒身温泉』です。アパートを買い取り、毒身者が集まって住むための共同住宅にしようという計画の顛末。互いに助け合うものの、群れない、縛らない、甘えない、という三原則を守り、必要以上の干渉はさけて、互いに毒身者であることを尊重する。そんな共同体を作り上げることは出来るのでしょうか。

 『嫐嬲(なぶりあい)』にしても『目覚めよと人魚は歌う』にしても、社会的規範からはじかれた人々が作り上げた小さな共同体、あるいは疑似家族がテーマとなっていました。本書もその延長線上にあります。登場人物たちも似ている、というかリニューアルして再登場という印象ですし。

 ただし、これまでの作品と違うのは、距離感のとり方に失敗して共同体が崩壊する、といった単純な展開では終わらないこと。登場人物たちの葛藤や軋轢を通して、共同体の挫折と、そして再生が描かれます。ラストでは、さらにその先をも見据えようとするシーンに到達します。

 そういう意味で、初期作品に一つの決着をつけた、ということになるのかも知れません。後半になって、いかにも唐突にメキシコ(デビュー作の背景)へと舞台が跳び、それが転機となるあたりからも、これまでの作品の総集編たることを目指しているように感じられます。

 最後の『ブラジルの毒身』は完全に独立した短篇で、ブラジルの日系移民一世たちが三途の川(アマゾン)を渡って亡くなった家族と再会するまでの物語。最初はドキュメンタリータッチで始まるのですが、ブラジル日系移民社会のあれやこれやを巻き込みながら幻想味と祝祭気分が加速してゆき、盆踊りサンバの熱狂があの世とこの世の区別を吹き飛ばすクライマックスへとなだれ込んでゆく手際が爽快です。

[収録作]

『毒身帰属』
『毒身温泉』
『ブラジルの毒身』


タグ:星野智幸
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『スパイ・爆撃・監視カメラ  人が人を信じないということ』(永井良和) [読書(教養)]

 「人が人を信じないということ」は、歴史的にどのように発展してきたのか。戦前の共産党の地下活動、無差別爆撃、対ゲリラ戦、テロ対策、ゲーテッドコミュニティ、そして監視カメラなどセキュリティ機器の普及を、一つの大きな流れとしてとらえ、「他者に対する不信」の歴史をつむぎ出してみせた労作。単行本(河出書房新社)出版は2011年2月です。

 「歴史をひとつの課題が貫いている。他者に対する拭い去りがたい疑惑。その疑いの気持ちに対して、私たちがどう向き合うかという課題である。本書では、他者への不信が科学技術と結びついてどのような装置に仕立てられてきたのかを追いかけてゆく。また、他者を信じない心性を前提に、いかなる社会的制度が設けられてきたのかについても考えたい」(単行本p.12)

 他者に対する不信をテーマとして、20世紀から今日までの歴史を見直す刺激的な一冊です。

 まずは戦前の日本における共産党弾圧と地下活動、中国における共産党幹部の転向とそれに対する家族皆殺しの報復、といった陰惨な事件を通じて、スパイと諜報戦における裏切りの世界を見てゆきます。

 「共産党の特科と国民党の中統。ふたつの組織が対峙したことで、たがいに相手の情報を盗みあい、嘘の情報を流しあう状況が生まれた。買収、裏切り、二重スパイ、処刑といった言葉が上海を覆っていく。都市に暮らす人びとは、たがいに信をおくことができなくなった。裏切りが裏切りを呼び、殺人が殺人を招く」(単行本p.60)

 「当時、共産党とかかわった者は、国民党による逮捕を恐れて生きねばならなかったのみならず、いったん裏切れば、あるいは裏切りの疑惑をもたれるだけで、共産党特務による処刑をも恐れなければならなかった。裏切っていないことを証明するのは困難であり、人びとをパニックに陥れた」(単行本p.86)

 中国における国共暗闘と白色テロの時代。他者が信じられない、他者から信じられない、という社会状況がどのような事態を招いたのか。読んでいて気が滅入りますが、これでもまだまだ導入部。

 「外国人を疑わしいとみなす構えは、いっそう強まった。国どうしが敵対すると、それぞれの国からたがいの国民を引き揚げさせることになる。収容所や居住区に隔離する仕組みもできた。敵とまみえるのは戦場でのことであって、生活者あるいは隣人として顔を合わせる機会はなくなった。話をして、理解することもなくなる。「やつら」との距離は大きくひろがり、ステレオタイプで描かれる抽象的な存在になった」(単行本p.102)

 という段階を経て、高高度からの戦略爆撃、無差別殺戮の時代がやってきます。

 「戦場で生まれた疑いは、そこに無辜の人びとがいるかもしれない、という方向で行動を抑制しなかった。疑いは、そこに悪をなすものが潜んでいる。だから、すべてを焼き尽くしてよい、という方向で行動を促した」(単行本p.134)

 しかし、それでもなお「第二次世界大戦での米兵の発砲率は15パーセントから20パーセントにとどまることが判明した」(単行本p.147)とのことで、空爆と違って目の前にいる人間に向かって銃を撃つことはそれほどまでに困難なものなのです。しかし人類はたゆまず嫌な努力を続けました。

 「朝鮮戦争までには、新しい訓練法が採用され、発砲率は55パーセントに上昇する。発展著しい心理学の理論が応用されたからである。さらにベトナム戦争では、発砲率を90パーセントから95パーセントにまで高めることに成功した。(中略)脱観作、条件づけ、否認防衛機制のみっつが組みこまれた訓練を修了すれば、至近距離からでも人間を撃てる兵士が誕生する」(単行本p.147、p.149)

 心理学が役に立たない学問だなんて誰が言いましたか。

 そして21世紀の戦争はこんな感じになりました。

 「「目にした人間が実際には何も持っていなくても、特に敵対行為や敵対意思を示さずに走っていたとしても、例えば、この建物からあの建物に向かって走ったり、道を横切って走ったり、たとえ諸君から逃げようとして走っていたとしても、その人間が諸君に対して何か画策しているとみなし、殺せ。その人間が白旗を掲げていても、何も不審な様子は見せず、ただゆっくりと近づいて来て、こちらの命令に従っていたとしても、それは罠だとみなし、殺せ」 ファッルージャで、僕たちはその交戦規則に従いました」(単行本p.168)

 ブルカを着用している者は武器を隠し持っている、妊娠した女は本当は爆弾を抱えている、子供たちはこちらを油断させる罠である、ためらわず撃て。これがファッルージャにおける米軍の交戦規則でした。

 が、実際には民間警備会社の従業員、つまり民間傭兵たちはそのような「厳しい」交戦規則にとらわれず、誰でも自由に撃つことができました。また彼らが反撃された場合は、相手は「米国の民間人を殺したテロリスト」と報道されます。これが21世紀が誇る「戦争の民営化」の成果でした。

 そろそろ嫌な気分になってきたでしょうか。さらに本書では次のことが指摘されます。

 すなわち、監視カメラ、敷地を塀で囲いゲートを通らないと入れないようにした大規模マンション、IDカード、生体認証。私たちが熱心に求めている「安心安全」や「セキュリティ」も、これまで見てきた血なまぐさい事象の数々と同じ心性にもとづいており、従って副作用も同じであるということ。

 「監視カメラの増殖や、セキュリティの優先といった世の中の流れは、人間が他者と共存する可能性を閉ざしたり、削いだりする。(中略)判断力を失った人、育てられなかった人には、接触を事前に回避し、他者を排除するという方向しか残されない。けれども、それは社会性の喪失に向かうことでもある」(単行本p.212)

 子供の安全を守る。セキュリティ重視。この美しい理念が、スパイの密告合戦、無差別大規模空爆、兵士の非人間化プロセス、といったものと表裏一体であること、「他者を信じない心根」を前提とした社会がどうなるかという実験の一つであること。そういった、あまり考えたくないことが真正面から指摘されます。

 ではどうすればいいのか。不信の連鎖を断ち切ることなど出来るのでしょうか。本書にはそのためのヒントがいくつも含まれています。ですが、正直に言って、それまでの「不信の歴史」が圧倒的な迫力なので、いささか心もとない気持ちになることも確かです。

 というわけで、セキュリティ問題についてその技術ではなく社会や心理に対する影響に興味がある方、異文化の共存について考えたい方、昨今どうにも目にあまる外国人に対する不寛容さや排外的言説について危機感を持っている方、などにお勧めします。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

『傑作! 物理パズル50』(ポール・G・ヒューイット、松森靖夫:編) [読書(サイエンス)]

 米国の物理教育者向け雑誌"The Physics Teacher"誌の名物連載"Figuring Physics"から、よりすぐりの50問を厳選した傑作物理パズル集。ブルーバックス新書(講談社)出版は2011年3月です。

・粒の大きさが色々の、たくさんのイチゴが詰まった箱があります。この箱を揺らし続けると、大きなイチゴは沈むでしょうか、浮かぶでしょうか、それとも小さなイチゴと混ざってゆくだけでしょうか?

・家の屋根の斜面にバケツが置いてあります。このバケツに水を入れてゆくと、どこまで水が入った時点で屋根を滑り落ち始めるでしょう?

・途中で細くなっているパイプ内を気泡が混じった水が流れています。水流がパイプの太い部分から細い部分に入ると気泡の大きさはどう変化するでしょう?

・春分から秋分までは約186日あるのに、秋分から春分までは約179日しかありません。この約7日の差はなぜ生じるのでしょうか?

・とても暑い日にエアコンで冷房した家を30分ほど留守にすることになりました。エアコンをつけっぱなしにして出かけるのと、消して出かけてゆき戻ってから元の温度まで下げるのと、どちらが電力の節約になるでしょうか?

 こんな設問がぎっしり詰まった素敵な本です。いずれも初等物理の知識だけで解けますから、理系文系問わず高校を卒業された方ならどなたでも挑戦できるというのも素晴らしい。

 でも、本当の魅力は、直観だけでは解けないこと。回答に驚きがあること。そしてその驚きが物理の理解につながること。例えば、こんな問題をご覧ください。

・ここに木材と鉄の塊があります。計測したところ、どちらも1トンでした。では質量が大きいのはどちらでしょうか?

・乾燥した空気と湿気の多い空気では、どちらの密度の方が高いでしょう?

・ふたを開けたガラス瓶の中で、長さの異なる二本のろうそくが燃えています。ここで瓶にふたをすると、先に炎が消えるのはどちらのろうそくでしょう?

・2個の同じ風船を空気で膨らませて、天秤の両側につるして水平に釣り合わせています。左側の風船を針でつついて割ったら、天秤の釣り合いはどうなるでしょう?

・二軒の同じ家があり、片方は白塗りで、他方は他の色に塗られています。他の条件は全く同じとします。白塗りは太陽光をよく反射するので、夏の室温は白塗りの家の方が低く(涼しく)なり快適です。では、冬の室温はどうでしょうか?

・サイダー(炭酸水)が詰まった同じ缶を斜面の上から転がしたら同じ早さで転がります。では片方を振って中身を泡立ててからもう一度やると、今度はどうなるでしょうか?

 直観に従って答えると、たぶん間違えます。

 答を見て驚き、そして解説を読んで納得する。浮力、重力、摩擦力、対流、熱容量、放射熱、ケプラーの法則、ベルヌーイの法則。テストが終わるやいなや忘れていた初等物理の知識が、活き活きと蘇ってくる瞬間は実に感動的です。

 量子論だ、相対論だ、自由落下状態だ、などと難しい話を持ち出さなくても、ごく初歩的な物理法則とありふれた日常的なシチュエーションから小気味よく直観を裏切ってくれる意外な現象を引き出す腕前には感服する他はありません。

 本書収録作品のなかで、まったくの偶然ながら、最もタイムリーな話題を扱ったパズルは、おそらく次の設問。

・ここに放射性物質を含んだ3枚のクッキーがあり、それぞれアルファ線、ベータ線、ガンマ線を放出しています。あなたはどれか1枚を食べ、1枚をポケットにしまったままとし、1枚をずっと手に握っていなければなりません。どうすれば健康被害を最も少なくすることが出来るでしょうか?

 時節柄あまりのインパクトにのけぞりました。でも、いくら新聞やTVの解説で「放射線の透過性」について聞いてもさっぱり頭に入らなかった私でも、この問題について考え、何度も想像被曝してみたおかげで、放射線種の違いが「身に沁みて」よく分かりました。教育効果は抜群です。

 というわけで、楽しみながら物理の基本が身につく素晴らしいパズル集です。物理が好きな方はもちろんですが、むしろ物理に苦手意識を持っている方にこそ読んで楽しんで頂きたいと思います。

 学校の授業に活用するというのも素敵なアイデアかも知れません。というかこれらのパズルは物理教育者向け雑誌に掲載されたわけで、それが本来の使い方なのでしょう。こういうパズルを出題してみんなで議論する、というような授業であれば、物理嫌い、理科離れになる学生は減るのではないでしょうか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: