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『LGBTと医療福祉〈改訂版〉』(QWRC) [読書(教養)]


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愛する人の最期に立ち会えない。
手術や病気の説明にも同席しづらい。
本来の性別で生きるための医療がない。
性別を移行したら病院にいけない。

 LGBTには、固有の医療・福祉ニーズがあります。現在の法律内でも、ニーズを知っていれば対処できること、気付けば工夫できることがあることを、もっと多くの医療・福祉の関係者に知ってほしい。
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 本当はこれまでにも出会ってきた(でも、すれ違ってしまったかもしれない)LGBTである患者や利用者の声を医療・福祉の現場にいる専門家に届ける。LGBT固有のニーズを医師や看護師、ソーシャルワーカーなどの専門家に伝える。そのために作成された小冊子です。制作(QWRC)は2016年1月。


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 LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー/性同一性障害)は日本人口の3~5パーセントとも言われていますが、なぜ、医療や福祉の現場で出会わないのでしょうか。

 ほとんどの場合、人々の意識や社会制度はLGBTを念頭においていません。いないことにされ、無視されつづけ、時には笑われる体験をしてきた当事者が少なくありません。遠慮して生きるようになってしまっているために、カミングアウトが難しいのはもちろん、こうしたい、こうしてほしいと訴えるのには、さらに壁があります。ある人は、いつも困っているから、自分が困っているということさえ気づかずに、あなたには何も求めないかもしれません。このような背景から、医療や福祉の現場でLGBTに出会うことは「少ない」のです。
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 医療や福祉に関するLGBT固有のニーズが、広く理解されていない。ただでさえ生きにくいLGBTの人々を、医療・福祉サービスから遠ざけている大きな課題に取り込む小冊子です。

 以下に目次を紹介します。


『LGBTと医療福祉〈改訂版〉』目次

1. 医療現場での同性パートナーの法的な取り扱い
2. 同性カップルにおける事前の意思表示
3. がんリスクと発見の遅れ
4. トランスジェンダーと医療
5. エイズをはじめとする性感染症
6. 妊娠・出産
7. LGBTと子育て
8. LGBTと社会的養護
9. LGBTと虐待
10. LGBTとDV
11. LGBT×貧困
12. レズビアンで統合失調症でリスカと処方薬乱用の当事者として
13. LGBTと自殺
14. LGBTとグリーフサポート~「さよなら」が言える環境を~
15. ろうLGBTについて
16. 障害者が自分の性を表現して生きるために
17. LGBTと高齢者介護


 付録として、相談先(相談機関、自助グループ、医療機関、カウンセリング)の連絡先が一覧となっています。

 というわけで、基本的には医療関係者、福祉関係者に向けた小冊子ですが、LGBTの当事者、LGBTに関わる社会問題、さらには性差別問題、人権問題全般に興味がある方に広くお勧めしたいと思います。

 お問い合わせは、QWRC (Queer and women's Resource center)まで。

QWRC
http://www.qwrc.org/
info@qwrc.org


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自分の性をどう表現し、扱い、行動し、生きるかは、基本的人権に関わります。LGBTであることが、加害の理由(言い訳)に使われ、生きづらさにつながることがない社会を望みます。
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『店主は、猫 台湾の看板ニャンコたち』(猫夫人、天野健太郎・小栗山智:翻訳) [読書(随筆)]


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「台湾人は猫嫌い」ってよく言われていたけど、この数年台湾のいろんなところを歩きまわって、それが嘘だってことがわかった。どのお店でも、最初は「ネズミを捕る」という目的で飼い始めたのかもしれないけれど、いつしか猫とのあいだに情が芽生えて、その奥ゆかしいけど豊かな感情表現にノックアウトされ、最後はみんな猫ちゃんを家族の一員にしてしまうのだ。
 もっと感動的なのは、あるお店で猫を飼い始めると、どんどん隣近所にその猫愛が「伝染」していって、ついには商店街じゅうが猫だらけになることだ。最後はお客さんまで「陥落」して、猫好きになり、猫飼いになる。台湾って、なんてかわいい場所だろう。
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単行本p.3


 台北、新北、基降、花蓮。猫写真家、猫保護活動家として名高い簡佩玲こと「猫夫人」が台湾各地の店頭で撮影した看板猫写真集。単行本(WAVE出版)出版は2016年3月です。


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原著掲載作品だけでなく取材時のデータを猫夫人よりお預かりし、WAVE出版の設楽さんが写真をイチから選び直した。あいだでサポートした黄とともに、みなさんに感謝を申し上げる。この本は、台日コラボレーションの最良の形になったのではないかと思う。
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単行本p.173


 というわけで、わざわざ写真を選定しなおし増量したという、『台灣這裡猫當家』の日本語版です。

 漢方薬局、乾物屋、製麺屋、靴屋、果物屋、豆花屋、八百屋、書店、温泉旅館など、台湾各地にある店先で、のうのうと寝てたり、客に愛想を振りまいたり、喧嘩したり、かと思うと商品に手をつけたり、好き勝手に振る舞っている看板猫たちの愛らしい写真がぎっしり。

 写真には撮影時のエピソードを語るエッセイが添えられ、文章からは猫夫人の人柄が滲み出ているようです。


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かつてはみんな傷だらけで腹ペコのノラだったけど、今はそれぞれのお店で大事に飼われている。そう、猫をかわいがることが、いつのまにか流行となってストリート全体に広がり、みんなで猫情報をシェアしたり、必要なものを貸し借りしたり、里親探しに協力したりするようになったという。若い仲間たちがそれぞれ、店のスペースと営業時間を無駄にしてまで、猫たちの世話をしてくれている。
 だからほら、ここの猫ちゃんはみんな招き猫。
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単行本p.142


 「粉圓(タピオカ)」、「豆花猫(ドウファー)」、「小判(銭銭)」など、いかにも台湾らしい猫の名前にも魅了されます。

 もちろん猫が主役なのですが、背景として写っている店の様子が、これまたすごく素敵なのです。今すぐ台湾に行きたいっ、という衝動にかられます。ちなみに、個人的な話で恐縮ですが、読了後すぐに台湾旅行の予約を入れてしまいました。

 なお、掲載されているすべての店について店名、住所が明記されていますので、台湾旅行の際に立ち寄って実際に猫や店の人に会えます。(写真および掲載情報はすべて2011年当時のもの)



タグ:台湾
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『妖怪・憑依・擬人化の文化史』(伊藤慎吾:編集) [読書(教養)]


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妖怪は妖怪、憑き物は憑き物、擬人化は擬人化と、異なる関心のもとにそれぞれを扱ってきた流れをここでガラガラポンと、一緒くたにしてみたらどうだろうかと思ったのである。この三つの術語の上位概念として〈異類〉を位置付け、その上で改めてこれら三つの要素間の関係性を問い直す契機になれば面白いだろうと願ったわけである。
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単行本p.vi


 古事記と妖怪ウォッチ、狐憑きとゆるキャラ、お伽草子とコスプレ。〈異類〉をキーワードに多種多様な分野にまたがる想像力と表現の歴史を俯瞰してみる一冊。単行本(笠間書院)出版は2016年2月です。


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生き物を生き物としてだけでなく、それ以外の価値や性格を重ねていく。ここに人間の文化・社会に組み込まれた異類が立ち現れる。
 こうした経験的な想像力によって、言葉に紡ぎ出されて目撃談、噂話、都市伝説、怪談、さらに怪異小説やマンガ、ドラマといった物語が生まれ、また言語や絵画、工芸、映像、パフォーマンスとして表現される。その結果、生き物以上の性格付けがなされた異類が広まり、定着していくわけだ。
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単行本p.iii


 妖怪、憑依、擬人化。一見してバラバラな話題ですが、そこに共通する「人のように振る舞い、人と交流することもある、しかし人ではないもの」、つまり〈異類〉という存在に着目して、横断的に眺める試みです。

 数多くの執筆者がそれぞれ自分の関心事について書いた論考集なので、全体を通じての本筋や一貫した主張といったものはありませんが、幅広いテーマがずらりと並んでいる様は壮観です。誰でもお気に入りの話題が見つかるかと思います。

 全体はタイトル通りの三部構成となっています。


「I 妖怪」
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 異類としての妖怪の歴史は長い。しかし現在の妖怪理解、異類として「人格」を持つ自然界の存在という「妖怪」観は、江戸期の発想を出発点に、近代人文科学の知識を背景として作られた、昭和の発明品なのだ。
 このように、異類は非実在存在であるために、時代によってその受け取られ方を大きく変える。異類文化を考えるにあたって、現在の異類観を過去にそのまま投影することは、危ういといえる。
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単行本p.37


 最初のテーマは「妖怪」です。まず「ヌエ」のイメージや、ネコマタの尻尾描写が、歴史を通じてどのように変遷してきたかを論じます。続いて「「くだん」が何を言っているかわからない件」について論じるのですが、このタイトルでうっかり笑ってしまい、さらに駄洒落に気づいてもう一度笑ってしまうという件。

 さらに「ゆるキャラ」の分析から「擬人化は一部の二次元カルチャーに特有の偏愛などでは決してなく、文化の中で脈々と伝えられてきた表現技法の一つなのである」(単行本p.92)という論考。「一部の二次元カルチャー」という表現がすごい。

 最後に『妖怪ウォッチ』『ポケモン』『東方プロジェクト』を取り上げて、現代日本の文化における妖怪像を探ります。


「II 憑依」
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 現代において死んだペットとの交感が可能であるとするペットリーディングなどは、かつての民間宗教者の職能に限りなく接近しつつも、基本的には現代の民間宗教者の巫儀の範囲から外れている“ペットの口寄せ”的な行為を行っていることになる。しかしながら、そこでは、「寄せる」、「降ろす」、「憑く」などの、前近代から続く日本の民間宗教における「憑依」の文脈が用いられていない。
 その代わりに使われているのは、「オーラ」、「オラクル」、「ヒーリング」、チャネリング」、「テレパシー」、「リーディング」、スピリチュアル」等々、近代以降に西洋から伝わった心霊学その他の、オカルティックな装いを帯びた用語である。
 こうした傾向からは、業界全体から見たペットリーディングその他のサービス業が、合理的な理論に基づく技術の実践ではなく、現代日本におけるスピリチュアルブームの一側面を担った、精神文化寄りの動きであるという事実を再確認できる。
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単行本p.167


 次のテーマは、憑き物。狐憑きなど動物霊による憑霊信仰の歴史、コックリさん、「クダ狐」や「オサキ」など使役される〈異類〉、ペットの口寄せ、さらには憑霊信仰にともなう差別問題(憑きもの筋)など重い話題まで踏み込みます。


「III 擬人化」
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 畢竟、擬人化キャラクターの問題点は妖怪と何が違うのかということに尽きるだろう。明確に違うのは、2で指摘したように、擬人化キャラクターは〈たとえ〉が具現化した架空の存在であること。つまり物語世界の住人であることだ。(中略)
 それに対して妖怪は原則として現実に存在するものとして描かれる。それゆえに恐怖の対象となる。妖怪が人間として生きる世界が描かれているとなれば、それは現実のルールに即した物語ではなく、妖怪が擬人化した物語ということである。
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単行本p.198、199


 最後のテーマは、擬人化。道具や動物、さらには観念や伝承そのものが、人間のような外見を持つ〈異類〉として振る舞う。そんな擬人化キャラクターの変遷を探ります。

 『お伽草子』に描かれた擬人化された鼠、『花月往来』における花と月の合戦、蕎麦やうどんを擬人する『化物大江山』など化江戸時代に流行した擬人化表現、『およげ!たいやきくん』など歌謡における擬人化表現、さらにはフランスにおける擬人化表現と日本漫画の影響、という具合に、中世から昭和、海外へと、話題は広がってゆきます。

 続いてゲームやマンガに登場する「擬人化された妖怪」(萌えの対象となる美少女・美青年として描かれる妖怪)の表現がどのように発展してきたかを概観します。様々なコミックの表紙が並びますが、わざわざ「表紙の女の子はすべて妖怪」という注釈を付けなければ妖怪漫画だと分からないという。

 そして話題はコスプレへと進むのですが、ここで大きな問題が。


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 本来、擬人化キャラクターか否かは、立脚する場所の性格によって区別することができる。「擬人化キャラクターは物語世界の住人」だからだ。現実には存在し得ない。ところがコスプレに擬人化表現を取り入れるとなると、コスプレイヤーが現実世界に立脚するものである以上、そもそもこの前提が成り立たない。
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単行本p.276


 コスプレが語用論、存在論上の問題を引き起こすとは知りませんでした。そして、「午後の紅茶」や「ボンカレーゴールド」のコスプレが闊歩する世界へ。

 最後に、気になるトピックについてさらに詳しく知りたいという読者のために、「参考文献ガイド」「異類文化史年表」「索引」が付いています。



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『文学会議』(セサル・アイラ、柳原孝敦:翻訳) [読書(小説・詩)]


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アイラの文章の論理は、読者の期待を軽々と裏切る。論理というものは共有可能なものだという読者の安易な思い込みに対してしたたかなしっぺ返しをくらわせる。(中略)私たち読者は、こうして自らの言語のあり方を疑うことになる。書かれている言語と文章に新たな解釈を施さなければならなくなる。(中略)それはつまり、新たな創作の始まりだ。アイラを読むということは、小説を読むことではなく、小説を書くことに似た体験なのかもしれない。
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単行本p.188、189


 クローン軍団による世界征服を目指すセサル・アイラ。まずは「世界征服する方法」を考えてもらうために文豪カルロス・フエンテスのクローン作成を目論む。そのために文学会議に参加した彼は、首尾よくフエンテスの細胞を手に入れたのだが……。アルゼンチンを代表する作家セサル・アイラが読者に足払いかけて引きずり回すパワフルな中篇『文学会議』と『試練』の二篇を収録した作品集。単行本(新潮社)出版は2015年10月です。


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ボール紙とフラスコを工夫して、リサイクルの玩具と中古の中国製蒸留器を使っての実験なのだ。実験室は自分の古いアパートの小さな使用人部屋に設えられていた。死体置き場などないので、作ったクローン人間は地元の街路をほっつき歩かせていた。
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単行本p.25


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 このままでは最終目的地まで行けそうにないことがわかった。最終目的地というのは、なにあろう、世界征服だ。この点にかけて彼はマンガの典型的な〈マッド・サイエンティスト〉だった。世界征服というのもこれ以上はないほど控えめに設定した計画だ。なにしろ彼ほどの人間だから、それ以下では役不足というものだ。しかし彼にわかったことは、このままのクローン軍団(といっても、それも今のところ仮想の存在に過ぎなかった。現実的な問題として、まだ数体作っただけなのだから)では役に立たないということだったのだ。
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単行本p.25


 世界征服を企む作家にしてマッド・サイエンティストにして著者でもあるセサル・アイラは、ベネズエラのメリダで開催される国際文学会議に出席して文豪の細胞を採取する。ところがクローン培養された細胞はあまりにも文学的に暴走し、もうちょっと具体的にいうとモスラ幼虫の大群と化して街を襲う。はたして世界を、あるいはせめて南米現代文学を救うのは誰か!

 というストーリーを真剣に受け取るのは難しいのですが、しかし文章は大真面目。やけに細かい描写が続いたり、本筋と関係ない枝葉末節が延々と書かれた挙げ句、そもそも本筋が何かさっぱり分からなくなったり。


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しかし、こうした何とも言い難い、微視的なピースが組み合わさってパズルができているのだ。
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単行本p.15


かと思うとばっさり省略したり。


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 細かいことには立ち入るまい。くだくだと述べていたのでは非生産的だ。私は自分がどんな人間かよく知っている。文章を書くときに気取りが過ぎると、不条理なあまり結末の予測がつかなくなるようなお伽話を書いてしまいかねない。
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単行本p.47


パロディめいた評論もどきが始まったり。


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脳の活動過多は、私の内では(私の内と外を繋ぐ架け橋が言語だ)、修辞的もしくは疑似修辞的な仕組みを通じて姿を現す。しかもその仕組みというのは、実に独特の仕方でねじれる。例えば、隠喩だ。私の心の運動過多用顕微鏡の中ではすべてが隠喩だ。何もかもが他の何かの代わりなのだ……しかし全体からは無事で脱出できるわけではない。全体というものが隠喩を歪め、その構成要素を他の隠喩に換えてしまう圧力の体系をなしているからだ。
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単行本p.35


 これで話がつまらないのであればともかく、そうでないところが悪質。いかにも面白そうなエピソードや伏線が次々と登場しては、そのまま放置されるという意地の悪さ。


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私は酔っぱらいらしくしつこく、髪が薄くなったと繰り返した。もうすぐ禿げるのかと思うと怖い。しかも単なる色気の問題ではなく、とても具体的な動機もある。私は説明した。とても若いころ、ちょっとした狂気の発作に見舞われ、頭を剃り上げ碑銘を刺青させたのだ。髪が伸びるとそれは隠れた。今禿げてしまったらその碑銘が白日の下にさらされる。そうなると、私がそれまでに身を守るためのもろい殻のようにかろうじて周囲に張りめぐらせてきたわずかばかりの評判が終わってしまうだろう。
「どうして? なんて書いてあるの?」今は信じるふりをしようというように、彼女は訪ねてきた。
「地球外生命体の存在を信じることを表明するものだとだけ言っておこう」
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単行本p.70


 細部の面白さに引っ張られて読み進めるうちに、展開を見失って途方に暮れた読者のために、親切に読み方を指南してくれたりもします。


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もうひとつついでに断っておかなければならないが、〈お話〉もまた、言説の別の次元では、ひとつ前の〈お話〉から論理を借りてくるものだ。同様のことは見方を変えれば物語にも言えるわけで、ひとつの物語は他の物語の内在的な論理となり、という具合に無限に連鎖するのだ。それから(そろそろ本題に入りたいのだが)、あれこれと例を挙げて図式的に説明してきたが、だいたい似たりよったりな例を挙げただけで、それらの間に意味の繋がりがあるわけではないこともお忘れなく。
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単行本p.24


 読者の期待を次から次へとかわしつつ、追いかけているつもりだったのがいつの間にか引っ張り回されているという感じです。まあ、最後は「アイラ対モスラ 南米の大決闘」という、あまりにも文学的な展開になりますけど。

 併録されている『試練』は、やや太り気味で内気な女の子マルシアが、二人のパンク少女にナンパされる(それも露骨に「しようよ」とか「あんたのあそこを舐めたいんだ」とか言われる)シーンから始まります。

 もちろん拒絶するよいこのマルシアですが、なぜか気になって、というか自分の世界が一変してしまったような解放感ゆえに、ついつい二人につきあってしまいます。


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 二人の女の子が、二人の女が、大声で彼女を呼び止め、淫らなことを言った。礼儀作法などには従うまいと自ら乱暴に決別した二人のパンク少女が……思いがけないことだったし、珍しいことだった……何が起こっても不思議はない。本当にそのとおりだ。
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単行本p.108


 マルシアへの「愛」を証明するため、あるいは特に何の理由もなく、パンク少女たち「マオ」と「レーニン」の二人は革命的行動を起こします。


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「このスーパーマーケットは〈愛の襲撃部隊〉が占拠した。協力いただければけが人や死人はそんなには出ない。幾人かは出るだろうがね。なにしろ〈愛〉は要求が多いものだから。その数はあんたたち次第だ。我々はレジにある金を全額奪い、立ち去る。ものの十五分もすれば、生き残った人たちは帰宅してテレビでも見ていることだろう。それだけだ。くれぐれも言っておくが、これから起こることは、なにもかも愛ゆえのことだ」
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単行本p.167


 何しろ愛ゆえのことだから。男は火だるま、女は生首、爆発炎上、阿鼻叫喚。少女マンガ的爽快感ほとばしる南米版『血まみれスケバン・チェーンソー』(三家本礼)キターッ。


 というわけで、モスラの幼虫が大暴れする『文学会議』、不良少女二人がスーパーマーケットで殺戮を繰り広げる『試練』ともに、普通の小説とはとても言えませんが、人によっては癖になるタイプの作品です。



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『ジャック・ヴァレと秘密基地』(超常同人誌『Spファイル』1号掲載作品) [その他]

 馬場秀和アーカイブに、超常同人誌『Spファイル』創刊号掲載作品『ジャック・ヴァレと秘密基地』を追加しました。(掲載時タイトル『秘密基地』を改題)


馬場秀和アーカイブ
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/


 超常同人誌『Spファイル』が密かにリブートを企んでいるらしい、という噂を盛り上げる一助として、Spファイル創刊号(2005年8月発行)に書いた原稿を公開します。一部、読みやすくするために手を入れましたが、おおむね掲載時のままです。

 掲載からすでに十年以上の歳月が流れ、内容的にはどうしようもなく古びていますが、実は執筆時点でも充分に古かったのでそれはそれで問題ないかと思います。



タグ:同人誌
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