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『妖怪・憑依・擬人化の文化史』(伊藤慎吾:編集) [読書(教養)]


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妖怪は妖怪、憑き物は憑き物、擬人化は擬人化と、異なる関心のもとにそれぞれを扱ってきた流れをここでガラガラポンと、一緒くたにしてみたらどうだろうかと思ったのである。この三つの術語の上位概念として〈異類〉を位置付け、その上で改めてこれら三つの要素間の関係性を問い直す契機になれば面白いだろうと願ったわけである。
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単行本p.vi


 古事記と妖怪ウォッチ、狐憑きとゆるキャラ、お伽草子とコスプレ。〈異類〉をキーワードに多種多様な分野にまたがる想像力と表現の歴史を俯瞰してみる一冊。単行本(笠間書院)出版は2016年2月です。


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生き物を生き物としてだけでなく、それ以外の価値や性格を重ねていく。ここに人間の文化・社会に組み込まれた異類が立ち現れる。
 こうした経験的な想像力によって、言葉に紡ぎ出されて目撃談、噂話、都市伝説、怪談、さらに怪異小説やマンガ、ドラマといった物語が生まれ、また言語や絵画、工芸、映像、パフォーマンスとして表現される。その結果、生き物以上の性格付けがなされた異類が広まり、定着していくわけだ。
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単行本p.iii


 妖怪、憑依、擬人化。一見してバラバラな話題ですが、そこに共通する「人のように振る舞い、人と交流することもある、しかし人ではないもの」、つまり〈異類〉という存在に着目して、横断的に眺める試みです。

 数多くの執筆者がそれぞれ自分の関心事について書いた論考集なので、全体を通じての本筋や一貫した主張といったものはありませんが、幅広いテーマがずらりと並んでいる様は壮観です。誰でもお気に入りの話題が見つかるかと思います。

 全体はタイトル通りの三部構成となっています。


「I 妖怪」
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 異類としての妖怪の歴史は長い。しかし現在の妖怪理解、異類として「人格」を持つ自然界の存在という「妖怪」観は、江戸期の発想を出発点に、近代人文科学の知識を背景として作られた、昭和の発明品なのだ。
 このように、異類は非実在存在であるために、時代によってその受け取られ方を大きく変える。異類文化を考えるにあたって、現在の異類観を過去にそのまま投影することは、危ういといえる。
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単行本p.37


 最初のテーマは「妖怪」です。まず「ヌエ」のイメージや、ネコマタの尻尾描写が、歴史を通じてどのように変遷してきたかを論じます。続いて「「くだん」が何を言っているかわからない件」について論じるのですが、このタイトルでうっかり笑ってしまい、さらに駄洒落に気づいてもう一度笑ってしまうという件。

 さらに「ゆるキャラ」の分析から「擬人化は一部の二次元カルチャーに特有の偏愛などでは決してなく、文化の中で脈々と伝えられてきた表現技法の一つなのである」(単行本p.92)という論考。「一部の二次元カルチャー」という表現がすごい。

 最後に『妖怪ウォッチ』『ポケモン』『東方プロジェクト』を取り上げて、現代日本の文化における妖怪像を探ります。


「II 憑依」
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 現代において死んだペットとの交感が可能であるとするペットリーディングなどは、かつての民間宗教者の職能に限りなく接近しつつも、基本的には現代の民間宗教者の巫儀の範囲から外れている“ペットの口寄せ”的な行為を行っていることになる。しかしながら、そこでは、「寄せる」、「降ろす」、「憑く」などの、前近代から続く日本の民間宗教における「憑依」の文脈が用いられていない。
 その代わりに使われているのは、「オーラ」、「オラクル」、「ヒーリング」、チャネリング」、「テレパシー」、「リーディング」、スピリチュアル」等々、近代以降に西洋から伝わった心霊学その他の、オカルティックな装いを帯びた用語である。
 こうした傾向からは、業界全体から見たペットリーディングその他のサービス業が、合理的な理論に基づく技術の実践ではなく、現代日本におけるスピリチュアルブームの一側面を担った、精神文化寄りの動きであるという事実を再確認できる。
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単行本p.167


 次のテーマは、憑き物。狐憑きなど動物霊による憑霊信仰の歴史、コックリさん、「クダ狐」や「オサキ」など使役される〈異類〉、ペットの口寄せ、さらには憑霊信仰にともなう差別問題(憑きもの筋)など重い話題まで踏み込みます。


「III 擬人化」
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 畢竟、擬人化キャラクターの問題点は妖怪と何が違うのかということに尽きるだろう。明確に違うのは、2で指摘したように、擬人化キャラクターは〈たとえ〉が具現化した架空の存在であること。つまり物語世界の住人であることだ。(中略)
 それに対して妖怪は原則として現実に存在するものとして描かれる。それゆえに恐怖の対象となる。妖怪が人間として生きる世界が描かれているとなれば、それは現実のルールに即した物語ではなく、妖怪が擬人化した物語ということである。
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単行本p.198、199


 最後のテーマは、擬人化。道具や動物、さらには観念や伝承そのものが、人間のような外見を持つ〈異類〉として振る舞う。そんな擬人化キャラクターの変遷を探ります。

 『お伽草子』に描かれた擬人化された鼠、『花月往来』における花と月の合戦、蕎麦やうどんを擬人する『化物大江山』など化江戸時代に流行した擬人化表現、『およげ!たいやきくん』など歌謡における擬人化表現、さらにはフランスにおける擬人化表現と日本漫画の影響、という具合に、中世から昭和、海外へと、話題は広がってゆきます。

 続いてゲームやマンガに登場する「擬人化された妖怪」(萌えの対象となる美少女・美青年として描かれる妖怪)の表現がどのように発展してきたかを概観します。様々なコミックの表紙が並びますが、わざわざ「表紙の女の子はすべて妖怪」という注釈を付けなければ妖怪漫画だと分からないという。

 そして話題はコスプレへと進むのですが、ここで大きな問題が。


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 本来、擬人化キャラクターか否かは、立脚する場所の性格によって区別することができる。「擬人化キャラクターは物語世界の住人」だからだ。現実には存在し得ない。ところがコスプレに擬人化表現を取り入れるとなると、コスプレイヤーが現実世界に立脚するものである以上、そもそもこの前提が成り立たない。
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単行本p.276


 コスプレが語用論、存在論上の問題を引き起こすとは知りませんでした。そして、「午後の紅茶」や「ボンカレーゴールド」のコスプレが闊歩する世界へ。

 最後に、気になるトピックについてさらに詳しく知りたいという読者のために、「参考文献ガイド」「異類文化史年表」「索引」が付いています。



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