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『ダーウィンの覗き穴 性的器官はいかに進化したか』(メノ・ スヒルトハウゼン、田沢恭子:翻訳) [読書(サイエンス)]


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私は一冊の本を丸ごとこのテーマに費やし、もっと複雑な事柄にも正面から取り組むことによって、生殖器研究者がメディアから浴びせられる忍び笑いを乗り越えられたらと願っている。本書のトーンがそうしたメディアよりもお上品なものになるかどうかは保障の限りではない。しかし生殖器の進化は今や、動物の奇態のすみずみから探し出したみだらなエピソードからなる見世物を脱し、この25年間で、際立った生物多様性、高度な進化論、エレガントな実験が一体となった、一つの確固たる学問分野へと成熟した。私が目指すのは、生物学に誕生したこの新たな分野の、ありのままの姿を提示することだ。
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単行本p.15


 どの種においても、最も急速かつ過激に進化する身体パーツは生殖器である。その驚くほどの多様性の背後では、性拮抗的共進化をはじめとする数々の性淘汰プロセスが働いている。ひたすら生殖器を見つめることで現代進化論の真髄を探る異色のサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2016年1月、Kindle版配信は2016年1月です。

 本体の8倍もの長さを誇るフジツボのペニス。
 バイブレーターが付いているガガンボのペニス。
 他のオスが残した精子をかき出すためのスプーンが付いたカワトンボのペニス。
 交接の最中に付け根から切断され、あとは自力でメスの体内に潜り込むカイダコのペニス。
 同じく切断されてメスの生殖器をふさぐことで他のオスとの交尾を邪魔するナガコガネグモのペニス
 メスの生殖器を切り裂き、傷口から操作型分子を侵入させるためのトゲに覆われたマメゾウムシのペニス。
 互いに矢を撃ち込むナメクジのペニス。

 なぜ自然はこんなにも多様な生殖器と交尾様式を作り出したのでしょうか。その答えをめぐって、性淘汰がどのように機能するかを解説してゆきます。

 全体は8つの章から構成されます。


「第1章 用語を定義せよ!」
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エバーハードの定義に厳密に従っても「交尾器」という用語に該当する器官は、ペニスからゾンビのごとき触腕、外陰部から上唇に至るまで、何でもありだ。
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単行本p.43

 まずは導入として、なぜ多くの生物種に雌雄があるのかという簡単そうで難しい問題に取り組み、さらには生殖に用いられる器官の仰天するほどのバリエーションをちら見せします。


「第2章 ダーウィンの覗き穴」
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どんな動物を調べてもたいていこのパターンが見出されるので、これは自然の法則に近いものだと考えてほしい。つまり、動物に備わるすべての器官のうち、種間の最大の違いが見られるのは脳やくちばしではなく、腎臓や消化管でもなく、生殖器なのだ。(中略)
 もちろん、このユーモラスな生殖器「芸術」によって、私たちはいやがおうにも「なぜか」という問いを突きつけられる。どれも同じ単純な機能を果たす器官なのに、種によって形状がそれぞれまったく異なるのはなぜか。
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単行本p.52、55

 外見上の区別がつかないほどそっくりな種であっても、生殖器の形状だけは大きく異なることが多いのはなぜか。生殖器進化に関する古典的な「鍵と鍵穴」仮説を取り上げ、それが否定されていった理由を示します。


「第3章 体内求愛装置」
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雄にとって一回分の精子を雌に与えるためのコストは比較的低いので、どんな交尾もやる価値はある。(中略)ところが雌の計算は違う。産める卵の数には限りがあるので、この貴重な賞品を差し出すときには打算が必要だ。最も優秀な遺伝子をもつ雄だけに渡すか、それとも子のあいだで遺伝的多様性が生じるように多くの雄に均等に分配するか、考えなくてはならない。そこで、雄の射精と雌の受精とのあいだにハードルをいくつか設けて主導権を握り、それぞれのハードルで雌に有利な決定を下すことが、雌の利益になる。
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単行本p.95

 メスの「好み」によってオスの生殖器が進化してゆく、すなわち性淘汰の基本メカニズムについて詳しく解説します。


「第4章 恋人をじらす50の方法」
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交尾は必ずしも精子注入に至るわけではなく、精子注入ができたとしても受精には至らないかもしれないし、受精も繁殖とイコールではない。エバーハードの考えでは、これらのステップはそれぞれ、彼が「雌による秘かな選択」と呼ぶさまざまな戦略において、雌主導のもと進められる。「秘かな」というのは、これらの決定が雌の体内の奥深くで下され、交尾相手や観察する人間からは見えないからだ。
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単行本p.97

 交尾相手の選択から始まって、多段階交尾(オスに何度も交尾行動を強いて、「合格」した相手からだけ精子を受け取る)、クリトリスとオルガスム(複数のオスと交尾したとき、どの相手の精子を優先的に受け入れるかを制御する)、精子貯蔵庫(交尾後に精子を体内で保存しておき、後に選択的に受精させる)など、メスが主導権を握っている様々な精子競争を取り上げ、それらが生殖器の進化にどのように作用しているかを示します。


「第5章 気まぐれな造形家」
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 このような進化上の不安定性こそ、自然淘汰と性淘汰の最大の違いだ。種が土壌の質や環境温度などに適応する自然淘汰では、最適条件は一つに定まっている。土壌や温度は長期にわたっておおむね一定で、そこに適応した生物に応じて変化することはない。フィードバックのループがないので、種は何世代もかけて最良の適応状態に少しずつ近づいていく。しかし性淘汰の仕組みはまったく違って、種が進化によって向かっていく唯一の最適条件というものが存在しない。むしろ雄が雌に適応し、また雌も雄に適応していくのだ。つまり両性が動く目標を追跡することになる。(中略)このように、性淘汰は進化のダイナミズムの極致であり、それゆえ自然淘汰よりもはるかに複雑で予測が難しい。
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単行本p.134

 性淘汰メカニズムが生殖器の形状や機能を急速かつ過激に、そして不安定に、進化させる仕組みを解説します。


「第6章 ベイトマン・リターンズ」
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体内での求愛と雌による秘かな選択というおなじみの舞台で描かれる物語は入り組み方が格段に増しており、ライバルの競争、雌雄の対立、欺瞞を描く生殖器のドラマが展開する。雄はペニスを使ってほかの雄の恋の行方を操り、またセックスにおける雌の自律性も支配する。窮地に追いやられた雌は、雄の思いどおりにならずにすむ方法を進化させる。専門家が言うところの「性拮抗的共進化」である。
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単行本p.165

 強制交尾(強姦)、外傷的精子注入(メスに針を突き刺して強引に精子を送り込む)、他のオスの精子強制排出など、「メスによる秘かな選択」に対してオスが取り得る対抗策と、それに対抗するためのメスの策略。「進化のタンゴ」と呼ばれる共進化の仕組みを解説し、性淘汰の真の姿をここに明らかにします。


「第7章 将来の求愛者」
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 どうやら精液には操作性物質が豊富に含まれているらしい。雄が雌の生殖系を利用して、雌の生殖の自律性を奪おうとし、潜在的な将来の競争相手に対しても進化によって研ぎすまされた攻撃性を振るって、化学戦を繰り広げるのだ。(中略)侵食性の化合物、精神に作用する分子、破壊的な物質……あらゆる動物において、雄の精液は無害どころではない成分を含んでいるらしい。
(中略)
マメゾウムシがとげに覆われたペニスを進化させたのはおそらく、そのほうが精液中のタンパク質が雌のホルモン系の化学的機構の中に直接侵入しやすく、それによって雌を他の雄と交尾しにくくするか、あるいはなんらかの別の方法で自分に都合よく雌の性生活を乗っ取ることができるからだ。
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単行本p.211、212

 メスの性欲を抑制する、神経系を操るなど、他のオスとの交尾を邪魔するために進化したオスの化学的攻撃手段について解説されます。


「第8章 性のアンビバレンス」
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最近15年ほどのあいだに進化生物学者は、雌雄同体動物の暮らす世界ではきわめて異様な性器が用いられ、奇妙でしばしばおぞましい交尾の儀式が当たり前に行われているという事実に気づくようになった。(中略)恋矢、極端に長いペニスの先端で行われる精子の受け渡し、精子の摂食、そしてこっけいなほど巨大な精包――これらはみな交尾相手に自分の精子をよく多く受け取らせるために進化した戦略なのだ。
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単行本p.232

 メスとオスの性拮抗的共進化に加えて、「できるだけ自分の卵を節約し、相手に精子を多く与える」という目標をめぐる競争が起きるために、戦略はさらに複雑になり、結果も仰天するようなことになる。最終章のテーマは雌雄同体動物です。


 次から次へと登場する生物の奇態に驚かされますが、それを探求する研究者たちの姿もそれにおとらず印象的です。


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「ピュン、ドキューン!」と、アーンクヴィストはレーザービームの怪しげな物まねをする。「すごいんです。本当にすごい」。彼は指導学生が体長3ミリのマメゾウムシに麻酔をかけて、ペニスを押し出して長さ0.05ミリのとげを採取したときのことを思い出すと、今でもわれを忘れてしまうらしい。
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単行本p.219


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 アイルランドの軟体動物研究者がナメクジ優越主義に駆られて、講演を聴く生物学者たちに、ナメクジは実験用ラットよりすぐれていると力説する場面に私は居合わせたことがある。「動物行動学的に言って、ナメクジは基本的にラットと変わりません。ラットに粘液を塗りつけて、脚を切断し、交尾器を右耳の後ろに引っ張り上げて、スロー撮影すれば、ナメクジになります!」。
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単行本p.240


 というわけで、性淘汰のメカニズムを解説するサイエンス本のなかでも、とにかく最初から最後まで生殖器を話題にするという、ある意味「シモネタ満載」の一冊です。人間のセックスについての話題もありますが、すごく即物的かつ直截的で、色っぽい印象は受けないので、期待も危惧もしないで下さい。



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