SSブログ

『レモン畑の吸血鬼』(カレン・ラッセル、松田青子:翻訳) [読書(小説・詩)]


--------
純文学、SF、ファンタジー、ホラーの垣根を越えて、どの層の読者にも愛されるケリー・リンクのような作家が時に出現するが、ラッセルもまさにそういった愛され方をしている印象が強い。
--------
単行本p.31


 吸血鬼の夫婦がむかえた倦怠期の苦悩。蚕の怪物へと変貌してゆく女工たちの哀しみと誇り。深い心の傷を直接摘出してしまうマッサージ師。奇想を駆使して人の切実な苦しみに寄り添う8篇を収録したカレン・ラッセルの第二短篇集。単行本(河出書房新社)出版は2016年1月です。


[収録作品]

『レモン畑の吸血鬼』
『お国のための糸繰り』
『一九七九年、カモメ軍団、ストロング・ビーチを襲う』
『証明』
『任期終わりの廏』
『ダグバート・シャックルトンの南極観戦注意事項』
『帰還兵』
『エリック・ミューティスの墓なし人形』


『レモン畑の吸血鬼』
--------
 夏の月のような、柔らかくて丸いレモンを草の間から取り出すと、彼女に手渡す。わたしが選んだヴェルデッリは傷一つなく、完璧だ。彼女は嫌そうな顔でレモンを見つめ、帯状に行進中のアリの列をわざとらしく払い落としてみせる。
「乾杯!」わたしは言う。
「乾杯」マグリブは応じる。祈りを捧げるキリスト教徒のように機械的な熱意で。我々はレモンを持ち上げ、それぞれの顔まで近づける。皮を貫いて牙を突っ込み、同時に長い息を漏らす。
--------
単行本p.12

 人の血を吸っても効果はなく、今やレモンに牙を突き立て、新鮮な果汁を吸うことでしか渇きをいやすことができない吸血鬼。倦怠期をむかえている二人は、しかし人間と違って、不老不死なのだ。永遠に続く倦怠期、レモンでも癒せない愛の渇き。
 奇妙で、滑稽で、しかしこの上なく切実な求愛を扱った熟年小説。


『お国のための糸繰り』
--------
「わたしたちの翅はあなたには見えない」わたしは真っすぐ募集人の耳に向かって言う。手で相手の首をつかむと、身を乗り出して、ささやく。「はっきり言うと、一生見ることはないわ。翅はわたしたちの未来にしか存在しない。そこではあなたは死んでいるし、わたしたちは生きて、飛んでいる」
--------
単行本p.69

 借金のかたに身売りされ、製糸工場で死ぬまで働かされる女工たち。次第に蚕の怪物へと変貌してゆき、ただお国のために生糸を吐き出し続ける虫となって蠢きつづける彼女たちは、しかし魂の誇りまでは奪われていなかった。
 明治時代の日本を舞台に、女工哀史に強烈なひねりを加えることで、尊厳の回復を求める姿を鮮烈に描き出す。現代のプロレタリア文学。


『一九七九年、カモメ軍団、ストロング・ビーチを襲う』
--------
 ナルはこれらの物を砂の上に並べ、動かしてみた。自分がどっかの誰かの盗まれた運命を研究する古生物学者みたいな気がした。どこかで男の人か女の人の生活がこれらの小さな椎骨なしで続いているのだ。整合が乱され、曲がった背骨のまま。突如としてプラスティックとアルミニウムのかけらの何の変哲もない輝きがとんでもなく恐ろしく感じられはじめた。
--------
単行本p.96

 差別的な扱いで理不尽に解雇されてからずっと寝たきりの母親。ガールフレンドは兄貴にとられ、貧乏なので大学への進学を断念しなければならない。自分の人生が何もかも奪われてゆくのをどうすることも出来ずにいた少年ナルは、あるとき、人々の人生が文字通り物理的に奪われていることに気づく。犯人は、カモメ。
 踏みつけにされている人々の怒りと絶望、そして人生を取り戻そうとする意志を描いた若々しい青春小説。


『証明』
--------
彼はとめどなく話しはじめ、泥の沼がぼくの胸の真ん中に深く広がる。柔らかい土に吸い込まれるような恐怖だ。そして泥の沼のように、その恐怖はぼくを解放してくれない。だって、男はぼくの父さんの声、ホックス・リバー開拓地のあらゆる農夫の声で話していた。埃と指ぬき一杯分ほどの水で永劫を生き、地中に埋められ、雹に作物をすべてやられても、春について、明日について、気が狂ったように永遠にささやき続ける声、道理や疲れも遠く及ばない希望に満ちた声(ああ、ママ、これがもうすぐぼくの声になる)。土地を立ち退くことをぼくらに許さない声。
--------
単行本p.142

 いずれ土地所有者としての証明書を手に入れるという希望にすがって、辛酸をなめつくす開拓民たち。雨は降らず、作物は枯れ果て、子供は疫病で死ぬ。泥の穴にもぐるように生きる彼らは、孤立のなかで、希望という名の狂気に蝕まれてゆく。
 フロンティアスピリットと狂気の境界、滑稽と恐怖の境界を走り抜ける、哀しき西部開拓小説。


『任期終わりの廏』
--------
 ラザフォードは少女が広げた手に首を伸ばす。光のそばかすが彼のまばら模様の後軀をさまよう。少女の手のひらを自分で開発した暗号に従ってなめる。―、―、―、―、つまり自分は第十九代アメリカ合衆国大統領ラザフォード・バーチャード・ヘイズであり、少女は地元の当局に通報するべきだ、と。
「あはは!」少女は笑い声を上げる。「くすぐったい」
--------
単行本p.146

 気がつくとなぜか馬に転生していたヘイズ大統領。同じ厩には歴代の大統領たちが転生した馬が集まっている。誰にも気づいてもらえない元大統領たちは、ここが天国なのか地獄なのかについて、馬の餌にかけるべき税率について、牧場脱出計画について、そして選挙への再出馬(文字通り)について、いつまでも議論を続けている。だがヘイズ大統領は政治ではなく愛に生きようと決意する。というのも、たまたま目が合った羊が、愛する妻が転生した姿ではないかと感じたからだった。
 奇天烈な設定と風刺が鋭いユーモア小説ですが、意外にも哀切な読後感が残ります。


『ダグバート・シャックルトンの南極観戦注意事項』
--------
 一部の人々は(俺の前妻とかな)、チームオキアミを応援するなんて特殊な部類のマゾヒストがすることだって言うだろう。大昔から、オキアミたちが食物連鎖対戦に一貫して負け続けていることは、すべての証拠が示しているから。純考古学者の分子年代決定法が明らかにしたところによれば、オキアミが勝利したことは一度もない。(中略)いいかい、オキアミたちは立て直しの年にいるんだ。オキアミたちはいつだって立て直しの年にいる。毎年六百億匹のオキアミの有力選手たちがごそっと食われている。クジラチームはそのひげ板の原始のくしから、オキアミチームを28ノットの威力で吸い込む。我がチームの攻撃力は悪くないが、防御においてはだいぶ散々な結果を記録し続けている。
 しかし、今回は我々のシーズンになるはずだ。全力でそう信じるんだ。
--------
単行本p.185

 我らが勇猛なオキアミチームが、食物連鎖リーグの頂点に君臨するクジラチームに突進する。南極で行われる食物連鎖対戦のシーズンが今年もやってきた! だが観戦にあたっては入念な準備が大切だ。それにオキアミを応援するやり方には伝統というものもある。観戦マナーを守ろう。クジラチームのサポーターのような常勝に甘えている連中に、格の違いというやつを見せつけてやるんだ!
 「万年負けチームの熱狂的サポーター」の生態をおちょくったユーモア小説。本書収録作品中、素直に笑える唯一の作品かも知れません。


『帰還兵』
--------
 記憶は操作不可能だ。それらは人の中で固定される。指先で取り除いたり、落ち着かせたりすることができるようなものじゃない。ベヴァリー、気が変になったの。母親の落ち着いた声で彼女は自分に説教する。でももし本当に外から記憶を調整することができたら? 彼の過去のトランプのカードを切り直し、カードを何枚か取り出し、かわりにもっと明るい運命のカードをひとそろい入れる、その何が悪いの? 悪いのは、彼女がしなかったことのほうのはずでしょ? 最初の真実が人を死に至らしめる何かに転移するのを放っておくの?
--------
単行本p.226

 戦場で起きた悲惨な出来事がトラウマとなっている帰還兵。その記憶は、刺青として背中に永遠に彫り込まれている。彼の施術を担当することになったマッサージ師は、自分でもどうやったのか分からないうちに、彼の心理外傷を指先でつまんで除去することに成功した。記憶は明るいものへと改竄され、背中の刺青までが変容してゆく。
 だが、代償のように、彼女は自分が体験したはずがない戦場の記憶のフラッシュバックに取りつかれる。自らの過去すら曖昧になってゆく悪夢のような日々の果てに、彼女が立ち向かうことになった試練とは。
 魔法、悪夢、そして奇跡。人の癒しというものを感動的に描いた作品で、胸に強くせまってきます。次の『エリック・ミューティスの墓なし人形』と並んで、個人的に最も感銘を受けた作品。


『エリック・ミューティスの墓なし人形』
--------
自分は今かかしの守護者なのだと思いつき、立場が逆転して釣り合いがとれたことに満足し、同時に恐くなった。このままここでエリック・ミューティスの残った部分を見守ってやる。ぼくがミュータントにやってしまったことからしたら、それぐらい当然だ。ぼくはかかしを守るかかしになる。(中略)やってしまったことを償うために、ここでどれだけの間見張っていなければならないだろうか? 足下で藁の中のうさぎが泡のように穏やかに体を揺らした。そんな風に、今でもぼくはどこかに立っているはずだ。
--------
単行本p.309

 かつてクラス中から凄惨なイジメを受けていた少年、エリック。特に暴力的に彼をいじめていた不良少年グループは、自分たちの縄張りに突然出現した案山子に戸惑う。そのカカシの顔は明らかにエリックのもの。なぜ、誰が、こんなことをしたのだろうか。日々、損壊してゆくカカシを見ているうちに、語り手はそれまで忘れていた暗い記憶を思い出す。自分がエリックにやってしまったことを。それは、殴ったことでも、眼鏡を粉々にしたことでもなく、もっと陰惨な罪だった。
 スティーブン・キング風のホラーストーリーだと思わせておいて、意外なことに、復讐ではなく贖罪というテーマへと力強く舵を切る物語。その転換は鮮やかで、忘れがたい印象を残します。



タグ:松田青子
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: